15.ついぞ見えぬ果ての先【Day15・岬:土屋】

 息抜きは大事だ、人生にとって、自分にとって。

 少しでも暇があればすぐに遠出をするのが土屋亜樹つちやあきの習慣だった。先日は一日オフだったため温泉宿になんて行けたけれど今日は、午前中は仕事で明日も仕事のため近場にある自然公園へ訪れたのである。車はレンタカーを借りてきた。免許万々歳である。


「わ、ここってキャンプできるんだ」


 すっかり夕暮れ時になりつつある。太陽が赤みを帯びて西に傾く、この時間帯を歌った歌は世界中にあるがそれも頷ける。どうしてこの風景を見ているだけで心が揺れるのだろう、郷愁的な情景だと脳が理解する前に感情が波立つ。

 気付けば足を止め、土屋は柵の向こうに広がる風景を食い入るように見ていた。

 郷愁──そうは言うものの、土屋にとってその感覚は掴みにくいものだ。

 彼の母はイギリス人のハーフ、彼はイギリス人とのクォーターということになる。しかし生まれたのは日本で、過ごしてきたのは東南アジアだ。また母の実家で過ごしていた時期もあるため、イギリスにいたこともある。

 そうなると『故郷』という観念を理解することが難しくなる。自分は一体何人なのか、日本人然とした顔とちぐはぐな青い目。今は芸能人としてこれ以上ないチャームポイントになっているが、小さい頃は奇異な目で見られたものだ。

 それを払拭……できたのか、分からないけれど少なくとも嫌だと思わなくなったのは、


「うん?」


 ポケットに突っ込んでいたスマートフォンが震える。よもや仕事の電話か、と慄いたが震えていたのはプライベート用のスマートフォンだ。画面を見て、土屋は目を大きく見開く。珍しいことこの上ない、いや連絡は取り合っているけれどまさか電話してくるとは。


「……もしもし」

『亜樹くん? 元気? 今大丈夫?』

「うん、大丈夫。今日はもう仕事ないから」


 久し振り、兄さん。土屋ははっきりと応えた。

 そのまま土屋は通話を続ける。


『ちなみにお兄ちゃんはまだ仕事です。これから会議……』

「それはお疲れ様……っていうか兄さんの方が電話してきて大丈夫だったの?」

『まあ息抜きは大事だからね』

「本当にそう」


 土屋も息抜きのために遠出をしてきたのだ。そのことを兄に話すと電話口から羨ましげな声が聴こえてくる。どうやらこの兄、今月は一切休みが取れないようで恋人にも直接会えず心を病みかけているようだ。そこで弟である土屋に電話をしてきたという。


「恋人に電話しなよ、ふみさんだっけ」

『あいつも忙しいんだよ』

「俺も忙しいの。今日たまたま空いてただけで」

『それなら会議始まるまで、ちょっと愚痴に付き合ってよ。あのねえ──』


 付き合うと言っていないのに一方的に話し始める兄、この人は本当に変わらないなとうんざりしたようにスピーカーを耳から離し、土屋は駐車場へと戻っていく。どうせなら帰りながら聞いた方が良い、もうそろそろ帰らないといけない時間だ。


「愚痴るのは良いけど、運転しながらだからたまに返事適当だよ」

『それでも全然良い、聞いてくれるだけで有難い』

「はいよ、じゃあ好き勝手話してちょうだい」


 そうして話し始めたのは新規事業とそれにまつわるいざこざへの愚痴、そのせいで恋人との時間を作れないことへの愚痴、こうしている間にも愛想をつかされているかも知れないことを兄は恐れているそうだ。

 弟は断言したい、絶対にそれはない、と。ただ断言するとややこしいことになりかねないため黙る、どうせその内結果として分かることなので良いだろう。

 さっき岬から海と空を眺めながら思ったこと、自分の瞳の色が嫌じゃなくなった理由。それはこの兄にある。この兄とは血が半分しか繋がっていないが何故か彼の片目の色も青く、その色味が自分のものと酷似していたのだ。

 兄も目の色で色々と言われてきたそうだが、その事実が逆に土屋にとっては励ましになった。ある意味、恩人なのだ。彼にとって兄は。


「そういえば、この間メンバーの子が慎さんに会ったよ。仕事で」

『え? 手塚の慎さん? マジか、元気だった?』

「俺は会ってないから知らないけど、いつも通りだったらしい」


 先日月島滉太と桐生永介が出演したラジオ番組のMCをつとめるのは、ヤギリプロモーション所属の先輩である『2dot.ツードット』の手塚慎てづかまことだ。この手塚という男、土屋にとって遠縁にあたる。それはもちろん、兄にとっても遠縁ということだ。


「身内の葬式でも滅多に会わない人だから、実際会ったらどうしようかとドキドキしてた」

『事務所では会わないの?』

「会わないね。担当部署が違うし、仕事量も違い過ぎるからあんまり本社にいないんだ」

『部署違ったらそりゃ会わないよね。私も最後に会ったの……曾御祖父様の法事だったと思う。何回忌だったんだろあれ、……あ、もう時間だ』


 体感はかなり短かった。タイムアップ、つまり会議の時間ということだろう。気付けば土屋の車も東京都内を走っている。あたりも真っ暗だ。


『亜樹、話聞いてくれてありがとうね。また遊ぼうね』

「その時はふみさんと一緒に。こんなことで愛想つかしたりはしないと思うよ」


 ああ、結局言ってしまった。どんな面倒な反応が返ってくるかと思ったが、兄は意外にも落ち着いた声音で「そうかな」と答えただけだった。


「そうだよ。だって兄さんと付き合い始めた時から分かるじゃん、先が長いって』

『終わりはまだまったく見えないしなあ、……お前もだろ』

「俺も全然道半ば」


道半ば同士頑張ろう、と言って電話を切る。まずは明日のスケジュールをこなすところから、先は海の果てほど遠い距離にある。そこまで力尽き果てず、歩いていけるようにすることが大事なのだ。よって、息抜きは大事なのである。

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