watch i Fine ~7月の彼の日常~2巡目

1.雨宿り後の小路【Day1・夕涼み:南方+森富】

「あ、雨上がった」

「マジ? じゃあ帰ろうか」

「うん」


 背丈百八十センチを超える青年がふたり、芸能事務所である(株)ヤギリプロモーション本社社屋内にある練習室を後にする。練習室にいたとは言っても、ふたりは練習をしていた訳ではなかった──正しく言うと、練習を途中で切り上げて雨宿りに移行していたのだ。


「傘ない、とか言いつつゆうくん、実は折り畳み持ってたでしょ」


 一階にあるエントランスへ向かうエレベーターの中で、心なし背の高い方、森富太一もりとみたいちが心なし背の低い方、南方侑太郎みなかたゆうたろうにそんなことを問うていた。森富の顔はにやにやとした笑みが張り付いており、それを見て南方は不快になるでもなく怒るでもなく、呆れ笑いのような表情を浮かべて「しょうがないだろ」と答えた。


「めっちゃちっちゃいもん、俺の折り畳み。お前とふたりで帰ると、確実にふたりとも濡れるってくらいちっちゃい」

「それって傘の意味ある……?」

「俺ひとりならまあ、って感じかなあ。軽いんだよね、だから鞄ん中入れっぱにしてあるんだよ。天気予報を見て持ってきた訳じゃないから」

「それもそれでどうなんだよ……天気予報見なよ、俺も人のこと言えないけど」

「俺ら天気予報あんま見ないブラザーズ、おういえい」


 気軽に話しているが、年齢にすると森富の方が二歳年下だ。そのためか一階に辿り着いた後、森富は南方の背後をぴったりとくっついて歩いている。決して自分は先頭に立たず、南方の行きたい方向に身を任せていたのだ。

 だからか、南方が帰路と逆方向に向かっても気付かずに歩き続ける。そうして見慣れない風景が広がって、ようやく気付いたのだ。


「ここどこ⁉」

「……太一、俺、お前が詐欺に遭ったりしないかとっても心配」

「詐欺には合わないよ! た、多分……」

「そこは絶対って言ってもらわないと困る」


 森富は良い意味で擦れていない、業界にも染まっていない純粋で素朴な子だ。どうしても年齢より老成した人間が多くなってしまいがちな芸能界だが、森富はそんななかでも希少な年齢相応の感性を持った人間だ。むしろ少し幼いくらいである。

 甘やかしすぎたのかな、と南方は己の身の振り方を思い返すが、まあ今が可愛いから良いか、と思考を止めた。自立心と天秤にかけたつもりはないが、自立しようとして変に擦れてしまうよりは自分たちが守るから今のままでいてほしい、と思ってしまったのである。


「で、どこに行くの?」

「木々のざわめきと触れ合おうかと。だから『どこに』って言われると、『今いるここに』としか返答がないんすよ」

「寄り道? 散歩?」


 二択に絞った森富のことばに南方は、ちっちっち、と指を振る。


「暑気払い、もしくは夕涼みってやつだね。エアコンに当たってばっかだと体に悪いでしょー、とはいっちゃんの談」

「ゆうくんらしくない行動と思ったらいっちゃんの提案でしたか」

「俺は文明万歳だから体温が一定に保たれるならエアコン直当たりでも何でもいい」

「体に悪そう……」


 確かに自分もエアコンの直接的な涼しさは好きだが、だからといって直当たりは辛いと思ってしまった森富だ。というか南方は社内のエアコンが冷房に切り替わった頃、喉風邪をやっていた記憶がある。恐らくいっちゃん、もとい御堂斎みどういつきは本当に体調を気遣って南方へ忠告をしたのだろう。そしてご丁寧に場所まで教えたと。


「こんなところに公園があるなんて知らなかったなあ」

「俺も知らなかった。宿舎の位置とは真逆だし、こっちの方ってガチの住宅街だからなかなか行く機会ないよね」

「駅までも一本道だしね、地元民しか来ないんだろうな」


 南方が先導し、辿り着いた先はそこそこの広さの公園だ。公園といっても遊具は広場へ申し訳程度に置かれた小さなすべり台くらい。その代わり広場から道路に抜ける小道は木々が三段ほど高い所に植えられ、空が斑にしか見えないくらいには生い茂っている。

 南方は木々の囲いとなっている煉瓦に腰掛け、空を見上げた。森富もそれに倣う。


「おー、意外と涼しい」

「ほんとだ。さっき道を歩いてきた時とは大違い」

「まだ七月も入ったばっかだと、この時間なら日陰なだけで充分涼しいんだね」

「ねー」


 そよ風が肌に触れる。木々は、真っ青な葉をざわめかせていた。オレンジ色の空が徐々に紫になっていくのが、斑点となって映し出されている。冬場のそれに比べると、大分ゆっくりな日没だ。


「なんか、一曲書けそう」

「期待してますよ兄貴!」

「やめて、そう言われた作品ほど没率が高くなる」

「頑張ってください兄貴!」

「だからやめてって⁉」


 一曲書けそう、は紛れもない南方の本心である。ただ書けるかどうかと、良い曲かどうかは別物だ。隣にいる弟に言わせれば「どんな曲も天才的だと思う」とのことだが、うーん、表に出すかの判断はもっと偉い人に任せた方が良いだろう。


「……日没がゆっくり、とはいえ大分暗うなりましたな」

「ゆうくん、そろそろ帰ろうか」

「そうだね、お化け出てきても困るしね」

「お化け……」


 森富の笑顔が固まる。そうだった、森富は所謂ホラーやオカルトが人並みに苦手なのだった。それを思い出した南方は無言で、且つ足早に小道を戻っていく。後ろから森富が「なに⁉ どうしたの⁉」と声を上げていた。何もないし、どうもしていない。

 小道を抜けたところ、南方は大きく息を吸い込んだ。


「太一はほんとに面白いなあ」

「なんで⁉ てかさっき、なに? なんかいた? いないよね?」

「それはどうだろうか」

「なんでぼかすの⁉ いないんでしょ、知ってるよ!」


 先程、詐欺被害への遭遇を危険視した森富だったが、南方の嘘は的確に見抜けることが判明した。これが付き合いの長さ、というやつだろうか。それなら少し、嬉しい。

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