第10話 秘密の依頼
応接室の前に到着したルーナが扉を叩くと、扉の向こうからくぐもった声が聞こえてくる。
「どうぞ」
「失礼します」
その声に返事をしてから扉を開けると、応接室の中には四十代くらいの中年男性が疲れ切った様子でソファーに腰掛けていた。
「本日もお疲れの様子ですね、バルトさん」
「これはこれは副団長殿、えぇ……まぁ仕事に忙殺されているのは何時もの事ですからね」
バルトと呼ばれたのはトリガスタ王国の官吏であり、何時も銀燭の碧眼に仕事を持ってくる国と銀燭の碧眼のパイプ役を担っている人物であった。
「本日は団長に御用があると伺いましたが、団長は明日まで戻る予定が無いので私が代わりに承ります」
「あ、いや、この件は団長殿に直接伝えたいのですよ」
「私では駄目だと?」
「まぁ……そうですね」
やんわりとした口調でルーナでは駄目なのだと告げるバルトに、ルーナは思わず眉を顰める。
副団長である自分にも話せない用件とは一体なんのか、そもそもアレンが明日まで戻らない事は既に他の団員から聞き及んでいる筈、なのにこうしてここに居る理由はなんなのか。
(誰かを待っている? 団長の代わりに、用件を伝える誰かを)
副団長である自分を差し置いて、一体誰に?
そんな疑問が頭に浮かび上がっていた時、不意にアレンの言葉を思い出す。
『ヴェルがその力で国でさえ匙を投げた危険な依頼を秘密裏に完遂させ、その報酬として国からの依頼は銀燭の碧眼が任されるようになったと言ったら、お前はどうする?』
アレンはあの時、ただの例え話だと、忘れてくれと言っていた。
でもそれがもし例え話ではなく事実だったとしたら――
「――ヴェル、ですか?」
自分の思い過ごしであって欲しい、そんな期待も虚しくその名を口にした時、バルトの表情が露骨に変わったのをルーナは見逃さなかった。
驚きの後、安堵の表情をバルトが浮かべる。
「なんだ、副団長殿は知っておられたのですね。いや、そうですよね、副団長ですものね、団長殿から聞かされていて当然か」
その言葉にルーナの胸がチクリと痛む。
そんなルーナの変化に気付いた様子もなく、バルトは懐から一通の手紙を取り出すと、それをルーナに手渡して来る。
「ではこれを彼にお願いします。私はまだ仕事が残っているのでこれで失礼させて頂きますね」
そう言ってバルトはそそくさと応接室を退室し、部屋にはルーナが一人、手元にはヴェル宛ての手紙が残される。
副団長として、いや人としてやってはならない事だと頭で理解しながらも、ルーナの手は手紙の封を破り、その内容を確認する。
(あの一件の後だったからもしやとは思ったが、やはりリョクシャー森林の件か)
リョクシャー森林と言えば数日前に銀燭の碧眼が国からの詳細不明の魔獣の調査依頼を受け、バーバラ主導で調査を実施した場所だ。
森に採取に入った近隣住民から"森に鎧を身に纏った魔獣が居る"との通報があり、当初は鎧を身に纏ったという話から誰かが飼い慣らした魔獣が逃げ出して森を彷徨いているのではないかという話になったが、直近で魔獣が逃げ出した事件は発生しておらず、森に入った近隣住民の何人かが行方不明になる事件も発生した為、何か危険な魔獣が住み着いたに違いないと銀燭の碧眼に魔獣の調査依頼が飛んできたのだ。
当初は広大な森の為に調査が長期に及ぶ事を想定していたバーバラだったが、蓋を開けてみれば初日で魔獣の正体が判明した――団員五人の命と引き換えに。
魔獣の正体はヴィントート、通称"死の風"と呼ばれる非常に危険な魔獣であった。
体長は約二メートル、全身を鎧のような堅牢な外皮で覆い圧倒的な防御力を誇りながらも、その動きは風と表現される程に柔軟かつ敏捷で、立派な翼を持ち空を飛ぶ事も可能、翼の前縁部には鋭い刃が生えており、死の風という異名は通り過ぎ様に翼についた刃で獲物の首を跳ね飛ばすその特徴的な狩りの手段から付けられていた。
通常は人里から離れた場所に生息している筈なのだが、調査中に首を跳ね飛ばされ、内臓だけを貪り食われた団員の遺体が複数見つかり、その特徴的な遺体の状態からヴィントートだろうという話になった。
本当ならば直に姿を確認して確信を得ておきたかったが、既に五名の団員が命を奪われてしまった事、本当にヴィントートであればその姿を視認するのは困難である為に調査はそこで打ち切られた。
また調査の延長線として可能であれば捕獲、或いは討伐も依頼の内容には含まれていたのだが、視認する事すら難しいヴィントートの動きを止め、更には非常に強固なヴィントートの外皮を突破して息の根を止めるなんて事は容易ではない。
不可能とは言わないが、決して少なくない被害が出るだろうと銀燭の碧眼としては調査で打ち切り、後の事は国の軍隊か他所のレギオンに任せる事となった。
調査が終わった後、銀燭の碧眼の団員達はヴィントートなんて厄介な魔獣、何処が受け持つのだろうかと噂をしていたものだが……
(まさかレギオンではなく個人に依頼して来るとはな)
つまりこれは銀燭の碧眼の団員が束になって被害を出しながらも何とか倒せるという相手を、ヴェルであれば個人で問題なく倒せるであろうと国が判断したという事、その事実にルーナが奥歯を噛み締めていた時、応接室の扉が叩かれ、ルーナはビクリと肩を揺らす。
もしやバルトが戻って来たのかと慌てて手紙を懐へと仕舞うと応接室の扉がゆっくりと開かれる。
「あれ、ルーナ? なんでまだ残ってるんだお前」
そこに居たのはバルトではなくジジだった。
「バルトが来てるって聞いたんだが……」
「バルトさんなら先程帰られましたよ」
「そうなのか? なんか言ってなかったか?」
ジジの問いにルーナは思い悩む。
(ジジさんに嘘はつきたくない、でも……)
「……いいえ、何も仰りませんでしたよ。団長に直接伝えたい事だからと言って、私には話してくれませんでした」
「それでそのまま帰ったってのか?」
「はい、ところでジジさんはどうしてこちらに?」
「それは……なんだ、俺はバルトとも長い付き合いだし、アレンの代わりに話でも聞いといてやろうと思ったんだが、副団長のルーナでも駄目だったなら俺みたいなのじゃ尚更駄目だったろうな」
そう言ってわははと笑い飛ばすジジであったが、その目が一瞬泳いだ事をルーナは見逃さなかった。
(ジジさんは私以上の古株の団員、あの男が国からの依頼を受けている事を知っていても可笑しくはない。不在の団長に代わってあの男に依頼を伝えようとしたといったところか)
自分が最も信頼している人物が自分に隠し事をしている、それはルーナの胸の内で渦巻いていた負の感情を更に刺激する。
「すいません、私はこれで失礼します」
「あ、おう……」
ジジに目を合わせようとせず、顔を伏せたまま横を通り過ぎるルーナ、その様子に違和感を覚えたジジが歩き去ろうとするルーナの背に向かって声を掛ける。
「ルーナ! ……なんかあったのか?」
「いいえ、普段通りですよ」
「嘘つけ、何があったか知らねぇけどよ、あんまり一人で抱え込むんじゃねぇぞ? 俺達は家族なんだから」
「家族……」
銀燭の碧眼が大きくなり、昔のような家族ごっこが出来なくなってしまった今でも、ジジはルーナの事を家族と呼んだ。
それは家族の温もりによって救われたルーナにとって何よりも幸福な言葉であった筈だった、しかし――
「私だけ除け者にして、何が家族だ」
今のルーナには家族という言葉がとても薄っぺらなものに聞こえてしまう。
絞り出すような小さな呟きはジジの耳には届かず、ルーナは振り返る事なく再び歩き出す。
「ルーナ……」
言葉にされなくても分かる、ルーナの背中にはハッキリとした拒絶の意思が込められていた。
「俺はお前に一人で抱え込ませる為にソイツを託した訳じゃねぇんだぞ」
ジジはルーナの左腕に存在する深紅のガントレットを見つめながら、包帯を巻いた左腕を無意識に撫でる。
……その翌日、ルーナは銀燭の碧眼の拠点に姿を現す事は無かった。
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