第3話 レギオンの穀潰し
集会が終わり、団長であるアレンは自身の執務室で書類と向き合っていた。
紙を捲る音とペン先が擦れる音だけが響く執務室に、突然別の音が差し込まれる。
――コンコン。
「団長、ルーナです」
「入れ」
「失礼します」
扉を開けて副団長のルーナが執務室に入り、執務机の前でピタリと足を止める。
アレンは視線を書類から上げないまま、ルーナに問い掛ける。
「何か用か?」
「団長はスナージャに任せた依頼の件について、どうお考えなのですか?」
「どうとは?」
「スナージャが六人で依頼を達成出来るとお思いなのかと聞いているのです」
「無理だろうな」
自分で依頼を任せておきながらハッキリと言い放つアレン、そう返って来ると予想していたルーナですらその躊躇ない言い方に少々面食らってしまう。
「では何故あのような言い方を?」
「スナージャは向上心が強い、それは決して悪い事ではない。個人的には良い事だと思っているし、向上心の無い者に未来はない。だが強過ぎる欲というのは時として組織の中で生きていくのに邪魔になる。スナージャには組織の為に己の欲を殺す事を学んで貰わねばならない」
「つまり今回の依頼はスナージャの指揮能力を試すものではなく、いざという時に自身の利益を捨ててでも組織の利益の為に動けるかどうかを試すものという事ですか」
アレンは後日の人員の追加を認めた上で、昇格したければ人員は追加するなとスナージャに仄めかした。
向上心の強い人間ならばどうにか人員の追加は無しで依頼を達成しようと考えるだろうが、元よりアレンはこの依頼を六人なんて人数で達成出来るとは思っていない。
追加の人員が前提の依頼、目の前にぶら下げた餌を与える気など端から無かったのだ。
これでスナージャが絶対に得る事の出来ない餌に釣られ続け依頼に失敗するような事があれば、待っているのは昇格ではなく降格だ。
己の利益を優先して組織を軽んずるような存在をアレンは認めない。
しかしそれは個人の利益を認めないという話ではなく、飽く迄も組織の利益を第一とした上での話であり、組織の利益を確保した上で己の利益を追求する者に関してはむしろ好意的に思っているくらいだ。
ただ組織が第一であると考えるのではなく、そこで個人の意思も可能な限り尊重するからこそ、アレンは銀燭の碧眼の団長として団員達からの信頼を集めていた。
(やはりこの人は凄い、そして凄まじい)
ルーナの心の中で感嘆と畏怖が入り混じる。
人とはここまで愛情深くありながらも冷酷でいられるのかと、団長として団員の事を大事な存在であると思いながらも、団長として組織の為ならばその団員を切り捨てる事も厭わない。
そんなアレンだからこそルーナはアレンが団長である事に文句など無いし、そんなアレンが率いるレギオンの一員である事に誇りを抱いている。
(それなのに――)
それ故に納得出来ない事があった。
「団長」
「なんだ?」
「あの男を何時まであのままにしておくつもりですか?」
あの男という言葉にアレンの手の動きがピタリと止まる。
ルーナは団員の事はちゃんと名前で呼ぶ、"あの男"だなんて呼び方をするのはたった一人だけだった。
書類から手を放し、顔を上げたアレンの表情には"またか"という思いが浮かんでいた。
「はぁ……またその話か。ヴェルに関しては何度も言っているだろう、アイツの事は放っておけ、新しく入った団員もヴェルに関心を失って来たんだ、それをここで掘り返して余計な揉め事の種を撒くような真似はやめろ」
「団員が関心を失ったからこそです! 団員が気にしなければ良いだろうという考え方は間違いです! あの男が単なる団長の家族で、ここに住まわせているだけならば私もとやかく言うつもりはありません。しかしあの男は曲がりなりにも団員としてここに居るのですよ! それなのに団員としての役割を全うしようとせず、己の都合でのみ行動している、それは団長が最も嫌う人間ではないですか!」
レギオンに所属する団員にはそのレギオンから給金が支払われる。
その額は位によって変わり、また依頼を受けた際には依頼の報酬の一部を受け取る事が出来る。
団員の主な収入源は依頼の報酬の方で、レギオンから支払われる給金自体は微々たるものであり、三位で節約すれば人間一人くらいはなんとか生きていける程度の額だ。
ヴェルの位は六位、支払われている給金の額も雀の涙程度でしかないが、働きもしない人間が少額とはいえ給金を貰ってレギオンに所属している事に対して不満を持つ人間が現れるのは当然である。
新しく銀燭の碧眼に加入した者の大半はヴェルの存在を知ると不快感を示すが、古株の団員達が"あれはそういうものだ"と気にしない様子を見せると、新人も古株の団員がそう言うならばと次第にヴェルの存在を気にしなくなっていった。
そんな事を繰り返し、ヴェルの存在は"そういうものだ"と団員達の中で黙認され続けて来た。
ただ一人を除いて。
「私はあの男の退団を進言します。あのような男は銀燭の碧眼に必要ありません」
「ルーナ、前から何度も言っているがそれは承諾出来ない。ヴェルの力はいつか必要になる」
「いつかとは一体いつなのですか? あの男の力が必要になる時が来ると、団長から聞かされ続けてもう二年になるのですよ!? そもそもあんな男にそんな力があるとはとても――」
「――ルーナ」
「ッ!?」
アレンがルーナの名を呼ぶ、ただそれだけで執務室の空気が一瞬にして凍り付いた。
怒りで熱くなっていたルーナの身体は一瞬で冷え、自身の失言に顔を青くし、そんなルーナにアレンは射貫くような鋭い視線を向ける。
「それは俺が肉親の情に流され、ヴェルを守る為に下らない嘘を付いていると言いたいのか?」
「そ、そんな事はありません! 団長に限ってそんな事は……」
最初は力強く否定したルーナだったが、真正面から向けられる圧力に徐々に尻すぼみになっていく。
暫しのあいだ沈黙が降り、ルーナに当初の勢いが完全に無くなった頃、アレンはようやく威圧を解いた。
「頭は冷えたか?」
「……はい」
「なら仕事に戻れ」
話は終わりだと書類に視線を落とすアレンに、ルーナは失礼しますと一言だけ告げて執務室を後にする。
「…………」
ルーナは無言のまま廊下を歩きながら、アレンとの会話を頭の中で反芻していた。
団長であるアレンの事を疑っている訳ではない、しかし働きもせず金を受け取るだけの穀潰しの力が将来必要になるなんて言われて、はいそうですかと信じてしまうほどアレンを盲信している訳でもない。
言ってしまえばルーナはアレンを信用していないのではなく、その弟であるヴェルを信用していないのだ。
(団長はあの男が役に立つ時が来ると本気で信じているが、私にはあの男がそんな人間には全く見えない。しかしそれを団長に訴えたところで……)
自分は一体どうすればいいのだとルーナが自問自答していた時だった。
「もー!ヴェルさん、シャキッとしてください!」
「ッ!」
今まさに自分の頭を悩ませていた存在の名を耳にし、ルーナは反射的に足音を殺して声が聞こえてきた方に近づいて廊下の角から顔を覗かせると、ヴェルとリアムの二人が廊下を並んで歩いていた。
「今日は買い物に付き合って貰う約束なんですから、外でだらしない姿を見せるのはやめてくださいよ?」
「あー、めんどくせー……その約束、俺が格ゲーで勝ったら無しに出来ないか?」
「駄目に決まってるでしょう! そもそもこの買い物だって、ヴェルさんが僕にパズルで勝負を挑んで来て負けた結果じゃないですか」
「だって負けっぱなしは癪だろうが! お前にゲームを教えた頃はありとあらゆるジャンルで俺の全勝だったのに! いつの間にかパズルゲーだけは矢鱈と上手くなりやがって!」
「それもこれもヴェルさんの相手を散々やらされた結果です。それより買い物に行くんですからもう少し身嗜みを整えてくださいよ。ほら、そのボサボサの髪も少しは整えればマシに見えるでしょうし」
「髪はやめろ! 俺は髪だけは絶対に整えないって誓ってるんだ!」
「なんですかその誓い、いいから髪整えるんで頭を少し下げてください」
「嫌だ! 髪だけは嫌なんだぁぁあ!」
「あっ! ちょっと! 逃げるなーー!」
ドタバタと騒々しく廊下を駆けていく二人、そんな二人の様子を廊下の角から伺っていたルーナだったが、何かを思い付いたのか二人の後を追うように駆け出すのであった。
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