第9話 ルーナの過去

 トリガスタ王国には四大レギオンと称される有名なレギオンが存在しており、その中の一つに"赫焉の業火"というレギオンがあった。

 赫焉の業火は"カタフニスの腕"と呼ばれる異能を代々受け継いできた一族が管理するレギオンで、歴代の団長は漏れなくカタフニスの腕の継承者であり、ルーナはそんな一族の長女として生を受けた。

 団長である父と副団長である母、自分を慕う妹に何百という団員達、次期団長として期待を寄せる周囲の人間達に応える為にルーナは幼い頃から努力してきた。

 自分と同じ年頃の女の子達がお洒落や色恋に興味を寄せている間も、ルーナはそんなものには目もくれず、ただひたすらに努力を重ね、そんなルーナの姿に周囲の人間達も赫焉の業火は安泰だと安心していた……あの時までは。


 先天性の異能というのは生まれた直後から発現する訳ではなく、肉体がその異能を受け止められるだけの器として成長して初めて発現するようになるのだが、カタフニスの腕の発現時期は大体十歳から十七歳の間とされ、異能の中でも発現が遅い部類であった。

 だが異能というのは早く発現すれば良いというものではない、肉体が成長し終える前に発現するというのは未成熟な肉体でも扱える程度の異能という事になる。

 カタフニスの腕を発現させるならば十五を超えたくらいがベストであり、ルーナもその頃に異能が発現する事を望まれていた。

 しかし十五を超え十六、十七、十八になってもルーナに異能が発現する事は無く、周囲から向けられていた期待は次第に失望や憐憫へと変わっていく中で、それでもルーナは諦めなかった――いや、諦められなかった。

 十年以上、周囲の期待に応える為にそれ以外の全てを投げ捨てて努力して来たルーナには、それ以外に出来る事がなかったのだ。

 これしか知らない、これしか出来ない、今諦めてしまえば自分のこれまでの人生を否定する事になる。

 そんな強迫観念に囚われ、周囲の制止の声も聞かずにこれまで以上に自身を追い込み続けたルーナの心を折る出来事が起こる。


 ルーナの妹が十五になった時、異能を発現させた。

 それ以降、両親はルーナに目もくれなくなり、妹を次期団長とするべく教育を始めたのだ。

 ルーナがどれだけ努力しようと、どれだけレギオンに貢献しようと、両親がルーナを妹以上に評価する事はなかった。

 剣技も魔術も、次期団長になるべく努力し続けて来たルーナの方が圧倒的に秀でていたにも関わらず、異能を持って生まれなかった、たったそれだけの理由で努力もして来なかった妹に周囲の期待も次期団長の立場も何もかもを奪われ、ルーナは赫焉の業火を飛び出した。


 異能がなんだ、そんなものが無くたって自分は十分強い、今の自分を正当に評価してくれるレギオンに入って、誰も無視できないような功績を作って両親を見返してやろうと思った。

 だが現実はそう甘くはない、赫焉の業火というレギオンの名は良くも悪くも有名過ぎたのだ。

 赫焉の業火の次期団長候補が異能を発現出来ずに妹にその立場を奪われたという話は他のレギオンにも広まっており、"落ちこぼれ"、"妹以下"、何処に行ってもそんな陰口がルーナの後をついて回った。

 もはや自分を正当に評価してくれる場所など何処にでもないのではないか、そうルーナが絶望していた時だった。


「お前さんか? 最近噂になってる娘は」


 ルーナが視線を向けると、そこには無精ひげを生やし、左腕に肘まで覆う真っ赤なガントレットを身に付けた男が立っていた。


「……誰だ?」

「俺か? 俺はジジってもんだ。お前さんをうちのレギオンに誘いに来た」

「はっ、こんな落ちこぼれを誘うとは……随分な物好きか、或いはこんな落ちこぼれでも居ないよりはマシというくらい人手が足りていないのか?」

「おぉ……随分とひねた嬢ちゃんだな、お前さんくらいの年頃の娘はもうちょっと愛嬌があった方が良いとおっちゃんは思うぞ」

「余計なお世話だ……生憎と今は何処かに所属する気はない、そういう気分ではないんだ」

「んー、でもお前さん、金が無いんじゃないか? 顔がちょっとやつれてるし、飯もロクに食ってないんだろ。レギオンに入るつもりがないとか言ってる場合か?」


 ジジの指摘通り、赫焉の業火を飛び出した後のルーナは幾つかのレギオンに所属して来たが噂の所為で何処も長続きせず、自分を知る者が居ない場所を求めて南へと下り続け、レミューの町に到着した頃には路銀も尽きていた。


「よし! レギオンへの入団云々は一旦置いといて、うちの拠点に来な、飯と風呂、それと一泊の宿くらいなら用意してやれるぞ」

「見ず知らずの人間にそこまでして貰う義理は――」

「俺の名はジジ、銀燭の碧眼ってレギオンに所属していて位は一位、好きな物は酒、嫌いな物は女の涙、後はなんだ、最近の趣味は弱った女の子に優しくする事か、こんなもんで十分か?」

「な、なにがだ?」

「これでもう見ず知らずの人間じゃなくなっただろって話、ほら行くぞ」


 ルーナの手を強引に引っ張っていくジジ、普段のルーナであれば手を無理矢理振り解いて拳の一発でもお見舞いしていたところなのだが、今のルーナにそんな気力はなく、ルーナは引っ張られるがままジジの後をついていく。


 それがルーナが銀燭の碧眼というレギオンを知る切っ掛けであった。

 この頃の銀燭の碧眼は団員が少ない為に団員同士の距離感が家族のように近く、拠点も今の屋敷ではなく三階建ての一軒家を借りていて、赫焉の業火という大規模なレギオンの中で育ってきたルーナにとって小規模なレギオンというのは未知の経験の連続で驚きも多かった。

 赫焉の業火の落ちこぼれではなく、ルーナとして見てくれる銀燭の碧眼の団員達にルーナは次第に心開いていき、ある出来事を切っ掛けに銀燭の碧眼に入団した。


 それからのルーナは赫焉の業火の事など忘れ、銀燭の碧眼の為に働いた。

 赫焉の業火に居た頃は次期団長として努力するのは当たり前の事で、誰かに褒められた事など殆ど無かった。

 でも銀燭の碧眼の団員達はどんな些細な依頼でも終わった後は"お疲れ様"と労いの言葉を掛けてくれた、昇格した時は自分の事のように喜んでくれて、ささやかだがお祝いのパーティーを開いてくれた。

 そこで自分が家族の温もりに飢えていた事に気付かされ、そんな温もりを与えてくれる団員達の為になりたいと益々考えるようになった。

 赫焉の業火の次期団長となるべく培ってきた力や知識を銀燭の碧眼の発展の為に惜しげもなく注ぎ、銀燭の碧眼は急速に規模を拡大していった。

 それはレギオンとしては喜ばしい事だったが、団員にとっても喜ばしい事とは限らない。

 規模が大きくなればどうしたって組織としての側面が強くなる、以前のような家族ごっこは続けられず、それが原因で脱退した団員も居た。

 レギオンとして大きくなるにつれ、嬉しい事よりも辛い事の方が多くなっていたが、それでもルーナにとって銀燭の碧眼は大事な場所である事に変わりはなく、銀燭の碧眼に貢献を続け、一年後にはルーナは銀燭の碧眼の副団長となった。


 一度は失い、今度こそ手に入れた大切な場所、もう二度と誰にも譲る気はない。

 だからだろうか、赫焉の業火で立場を奪われた経験からか、本人でも気付かぬ内にルーナは自身の立場を脅かしかねない存在を警戒するようになっていた。

 そんなルーナの警戒の対象となっていたのが他でもない、ヴェルであった。

 団長の弟という立場、特に努力もせずただ力があるからと評価されるその姿に、ルーナは無意識に自身の妹の姿を重ねていたのだ。


(我ながらなんと醜い、見るに堪えないな)


 ヴェルと会話した事で自身の内側に存在していた醜い嫉妬心に気付いたルーナは、あの後すぐにヴェルの部屋を飛び出し、魔道具の灯りで照らされた夜の廊下を力なく歩いていた。

 何時から自分の心はこうも醜く歪んでしまったのだろうか、ルーナが自己嫌悪に陥っていると廊下の向こうから一人の女が走り寄って来る。


「副団長! 良かった、まだ残っておられたのですね」

「……何かあったのか?」

「はい、実は先程お役人さんが団長を訪ねて来られたのですが、生憎と団長は今度ある"魔視の女傑"との合同訓練の擦り合わせの為に隣町へと発ったばかりで……」

「そういう話か、分かった、私が団長に代わって応対しよう。用件は聞いているか?」

「いえ、それが団長に直接話したいと仰っていて」

「そうなのか……取り敢えずこの話は私が受け取ろう」

「よろしくお願いします」


 自身には荷が重すぎる内容だったのか、ルーナに託せた事に一安心した女は一礼して去っていく。

 その背を見送った後、ルーナは急ぎ足で役人の待つ応接室へと向かうのであった。

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