第12話 ヴィントート

 ルーナの姿が消え、銀燭の碧眼の拠点が騒ぎになっていた頃、そのルーナの姿はリョクシャー森林の中にあった。

 ルーナがリョクシャー森林を訪れた理由はただ一つ、自分がヴィントートを倒す事、ヴェルの力など借りずとも銀燭の碧眼は自分が支えられる事を証明する為である。

 しかし広大な森の中で一体の魔獣をたった一人で捜索するという事は容易な事ではなく、捜索を開始して一時間が経過したが、ヴィントートの姿はおろかその痕跡すら見つけられずにいた。


(こちらの存在を気取られる前に発見出来ればと考えていたが、そう甘くはないか)


 このまま捜索を続けても無駄に体力を消耗するだけ、仮にそれで発見出来たところでヴィントートは消耗した状態で勝てるような相手ではない。


(仕方ない、ここは危険を冒してでもヴィントートを誘き出すしかない)


 ヴィントートは視力に優れる一方で聴力や嗅覚は衰えており、音や臭いで誘き出す事は難しい。

 そこでルーナは呪文を唱えると、空に向かって左手を伸ばす。


「"――、――――、フルゴール"」


 次の瞬間、ルーナの掌から光が溢れ出し、勢い良く空へと打ち上がると空中で弾け、眩い閃光が周囲の森を照らし出す。

 ルーナは光を打ち上げた地点から急いで離れ、五十メートルほど離れた位置の茂みの中から打ち上げ地点とその上空を見張る。

 五分、十分とそのままヴィントートが姿を現すのを待ち続けていたが、ヴィントートが様子を見にやってくる気配はない。


(どういう事だ、あの閃光に気付かなかったのか?)


 フルゴールの光は一瞬のものではなく、十秒ほど空中に留まり光を放ち続ける。

 だからこそ見逃す事なんて有り得ず、可能性があるとすれば警戒して姿を現さなかったか、或いは巣で眠っているか、それとも既にこの森から去ってしまったのか。

 地点を変えてもう一度試してみようと茂みから出て歩き出した時だった。

 一陣の風と共に周囲の草木がざわめき、その気配にルーナが咄嗟に身を翻した瞬間、激しい衝撃がルーナの身体を襲い、脇の茂みに倒れ込む。


「ぐっ……!」


 全身を襲う鈍痛に顔を顰めながらも直ぐに周囲を見回す。


(まともに見えなかったが、今のがヴィントートか!?)


 身を翻した時、一瞬だけだったが視界いっぱいに鈍色の何かを見た気がした。

 だが全身を襲う衝撃に反射的に目を閉じ、再び目を開けた時にはそれらしき姿は何処にもなかった。

 突然の事態に思考が追い付かなかったが、こちらの位置がバレたのは間違いなく、兎に角いまはここから離れるべきだとルーナは再び空に向かって左手を伸ばす。


「"――、――――、フルゴール"!」


 先程と同じ魔術、しかし今回は誘き出す為ではなく目くらましの為に使用する。

 視覚に優れるヴィントートだからこそ閃光による目くらましは非常に有効的であり、その隙にルーナはその場から駆け出す。

 フルゴールの光が消える前にまた茂みに身を隠すと、ルーナはここでようやく息を整える。

「はぁ……はぁ……ッ――!」


 周囲を確認しようと首を捻った時、首筋に鋭い痛みが走り手で押さえると、指先にべっとりと血が付着する。


(森に入る前に防御魔術を掛けていなかったら今ので首が飛んでいたな)


 首筋の傷を治癒魔術で塞ぎ、周囲を警戒しながら頭の中でヴィントートについての情報を更新していく。


(この木々が立ち並ぶ森の中でなら動きを抑制出来ると思ったが、どうやら考えが甘かったらしい。単純に速いだけじゃなく小回りも良く利く上に、刃の鋭さや視覚の広さも想像以上だ)


 ルーナが少し離れた所からヴィントートの姿を確認しようとしていた時、ヴィントートはそんなルーナの視野を遥かに凌ぐ距離から閃光が放たれた地点を監視しており、待ち切れずに出て来たルーナを発見して襲い掛かった。

 森の中だった為に速度を最大まで出す事は出来なかったが、もしルーナが少しでも広い場所で待ち伏せていたら防御魔術などまるで存在しなかったようにヴィントートの刃はルーナの首を容易くはねていただろう。


(動きさえ止められればどうにかなると思ったのだが、あれの動きを止めるのは私では無理だな)


 今の一度の出来事で自身がヴィントートの力を大きく見誤っていた事をルーナは悟る――だがそれは自身の敗北を認めた訳ではなかった。


 ルーナは衝動に駆られてここに来たが何も無策で来た訳ではなく、これならばヴィントートでも殺せるという必殺の策を用意していた。

 では何故最初からその策を使おうとしなかったのか? それはこの策があまりにもリスクが高かった為だ。

 これは飽く迄も最終手段、これを使わずに済むならばその方が良いと幾つかの安全策も用意していたのだが、直にヴィントートに遭遇した事で安全策が通用するような相手ではないと理解した。


(ここで下手に足掻いて体力を消耗すれば、あの手も使えなくなる)


 更にこの策を実行するには特定の位置まで移動する必要があり、やるなら今しかないとルーナが自身に防御魔術を掛け直し、茂みから飛び出した瞬間、背後の木々が真っ二つに切り裂かれる。


「なっ!?」


 ルーナが防御魔術を掛け直した時に起こした僅かな身じろぎ、それによって揺れた茂みをヴィントートは見逃さなかった。

 間一髪のところで回避したルーナだったが、茂みから飛び出したルーナに鈍色の刃が即座に襲い掛かる。


「くっ!」


 初撃と比べて格段に威力が落ちた一撃は防御魔術を貫く事はなく、ルーナの上半身が大きく揺れるだけで、速度をつけねば刃が届かないと理解したヴィントートは一度ルーナから距離を取り、その隙にルーナは目標地点に向かって駆け出す。

 直線的な動きは避け、ジグザグに移動しながら目くらましの閃光を空に打ち上げるも、それだけで完璧に凌げる程ヴィントートは甘い相手ではなく、ルーナの全身には防御魔術で防ぎきれなかった切り裂き傷が刻まれていく。

 四肢を振る度に鮮血が飛び散り、鋭い痛みに全身を支配されながらも、ルーナは走り続け、ついに目標地点を視界に収める。


(見えた!)


 そこは大量の穴が開いた岩壁であり、嘗てこの森で大繁殖したとある魔獣の巣穴であった。

 数年前にその魔獣は近隣のレギオンが協力し掃討しており、今あるのは家主を失った住処だけなのだが、ルーナはそれを利用しようとしていた。


(後はどうにか穴に入る前にヴィントートの視線を切る事が出来れば!)


 目標が見えた事で生まれた一瞬の気の緩み、ルーナの動きが直線的になった瞬間をヴィントートは見逃さなかった。


「がッ!?」


 背後から鈍い衝撃を受けてルーナの身体がくの字に折れ曲がり、地面へと倒れ伏せる。

 幸いにも背骨は折れてはいなかったが、受けた一撃によって下半身が一時的に麻痺してしまう。


(クソ、足が動かない……!)


「ケカカカカカカカカッ!」


 地面を這いずる事しか出来ないルーナを嘲笑うかのように、ルーナの頭上でヴィントートが鳴く。

 それはまさしく自身の勝利を確信した者の哄笑であり、自分はまだ負けていないとルーナは地に伏しながら吼える。


「舐め、るなッ――!」


 ルーナが左手で地面の土を握り締めた瞬間、地面が爆発して濛々と土煙が上がりヴィントートは一時的にルーナの姿を見失う。

 しかしそんなものはただの悪足掻き、立つ事も出来ない獲物に何が出来ると土煙が消えるのを上空で待っていたヴィントートの目に信じられないものが映る。

 それは百メートル近く離れた森の中を走るルーナの姿だった。

 この短時間でどうやってそこまで移動したのか、そもそも立ち上がる事も出来なかった筈ではないのか、多少の知性はあるものの所詮は獣、獲物の姿があれば襲い掛かるしか能が無いヴィントートはそんな疑問を抱く事なく視界に捉えたルーナを追跡する。


「はは……少しだけ、ッ……その幻影と追いかけっこしていろ」


 頭上を旋回していたヴィントートの気配が消えた事で幻影の魔術が上手く嵌った事を察した本物のルーナが土埃の中でほくそ笑む。


「今のうちに……」


 治癒魔法で足の痺れを取り除き、フラつきながらもルーナは穴の中へと身を滑り込ませるのだった。

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