第13話 セーブの意味

 なんとか穴の中に身を滑り込ませたルーナは残った傷の処置をし、壁を支えに血液を失い重くなった身体で立ち上がる。

 この狭い穴の中ならヴィントートがどれだけ素早くても関係ない、後は限界まで引き付けてから奥の手を使うだけだ。


「すぅ……はぁ……」


 深呼吸をし、覚悟を決めた様子のルーナは左腕に着けられた深紅のガントレットを一撫でして左腕を穴の入り口に向ける。


「――"プロシオン"」


 掌から生まれた火球が勢い良く放たれると入り口の天井部分で爆発し、轟音を立てて穴の入り口は岩で塞がる。

 そして爆煙が立ち昇りヴィントートに自身の居場所が伝わるのと同時にルーナは別の詠唱を始める。


「"求むるは炎、欲するは腕"」


 紡がれるのは"言葉"による詠唱、呪文によって詠唱される魔術とは異なる禁忌の御業、"ヴメノス"。

 世界の理を再現するのが魔術ならば、ヴメノスは異能を再現する外術であり、求めた異能を肉体の望む部位に一時的に宿す事が出来る。


「"燃やし、焦がし、焼滅させろ"」


 だがヴメノスには大きなデメリットが存在する。

 それは本来異能を宿す筈の無かった肉体に強制的に異能を宿す為に肉体が異能に耐えられず崩壊する可能性がある事、宿す異能によって反動の差はあるがどんな異能でも最悪の場合は命を落とすリスクは孕んでいた。


「"赫焉の業炎よ、仇なす者を焼き尽くせ"」


 それでも多くの人間がこの力を求めた、ある者は憧れを実現する為に、ある者は異能者を否定する為に、そしてある者は――


「"ヴメノス・カタフニス"」


 ――嘗て失った夢を取り戻す為に。


 詠唱を終えたその瞬間、ルーナの左腕に炎が灯る、それはルーナが宿す事の出来なかった赫焉の業炎、カタフニスの腕であったが……


「ッ――あ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙!?」


 左腕から炎が吹き出すと同時に人肉の燃える不快な臭いが立ち昇り、腕を焼かれる激痛にルーナが絶叫する。

 例えルーナがカタフニスの腕を継承して来た一族の生まれだったとしても、ルーナ自身が継承出来なかった以上はその肉体はカタフニスの腕の器としては不完全であり、制御しきれなかった炎がルーナに牙をむく。

 激痛に意識が飛びそうになるのを胆力で耐え、視線を岩で塞がれた入り口へと向けると、何者かが外側から瓦礫となった岩を掻き出そうとしていた。


(そうだ……来い、私の前に姿を現せ!!)


 次第に痛みが薄れていき、熱しか感じ取れなくなった時、ついに岩の一部が崩れ、外の景色が僅かに見える。

 鈍色に輝く刃を持つ翼が見え隠れし、岩が崩れて出来た隙間に巨大な鈎爪を持つ前足が差し込まれ、岩を掻き出していく。


(まだだ、まだ引き付けなければ、確実に当てるにはもっと近くに……!)


 左腕の感覚は最早無くなり、次の瞬間には炭化した腕が崩れ落ちるのではないかという恐怖が頭を過る中、入り口を塞ぐ岩が大きく崩れ、ついにヴィントートが顔を覗かせる。

 鳥類のような鋭い嘴、数キロ先の獲物すら捉える瞳と目が合ったその瞬間――


「あ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙!!」


 ルーナは耐えきれなくなったように左腕に渦巻く業火を解き放つ。

 解き放たれた業火は一瞬にして穴の中を埋め尽くし、触れるもの一切合切を焼滅させる。

 その燃焼速度は凄まじく、延焼する隙も与えず赫焉の業炎に呑まれたものはまるで空間ごと削り取られたかのように灰すら残らない。

 時間にすればほんの数秒、その僅かな時間にありとあらゆるものを焼き尽くした赫焉の業炎はルーナが左腕を下ろすと同時に自身が焼滅させたものの後を追うように一瞬にして消え去る。


「が――ぁ……!」


 それと同時にルーナは前のめりに倒れ込む。

 赫焉の業炎が消え去った後の穴の中はまるで過熱した砲身内部のような状態であり、熱された空気に目を開く事も息を吸う事も出来ない。

 尋常ではない熱気に全身を焼かれながらも、ルーナは何とか穴の中から這い出て呼吸を整えようとする。

 しかし全身に火傷を負い、虫の息に近い状態のルーナは呼吸をする事さえ困難な状態であり、今すぐにでも治療を施さなければ命はない。


 ――ドシン。


 ルーナの意識が途切れそうになる中、何処からか鈍い音が響く。

 それは何か重たいものが地面にゆっくりと降り立ったような音、決して大きな音ではなかったがその音は意識を失いつつあったルーナの耳にも届いていた。

 有り得ないと頭の中に過る想像を否定するも、ルーナの視線は自然とその音が聞こえて来た方へと向いていき、震える瞳がその姿をついに捉える。


 鷲のような頭部に四足獣の胴体部分からは刃の付いた巨大な翼が生え、その全身が金属に置き換わったかのような生物としては異形の姿をした魔獣、良く見ると左前脚の先が無くなっており、少し離れた位置から血走った目でルーナを睨みつけていた。


(あの距離からギリギリ躱したというのか……私がもう少し堪えていれば……)


 本当ならもう少し引き付けてから、少なくともヴィントートが洞窟に足を踏み入れてからルーナは赫焉の業炎を解放するつもりだった。

 しかしいつ左腕が焼け落ちるか分からないという恐怖とヴィントートを目視し次の瞬間には自分の首が飛んでいるかもしれないという恐怖に圧し潰され、ヴィントートが穴に入る前に炎を解放してしまった。

 その結果、ヴィントートは既の所で飛び上がり左前脚を失いながらも赫焉の業炎を躱した。


 これまでは遊び半分で狩りを行っていたヴィントートだったが、今は左前脚を消し飛ばされて完全に頭に血が登っていた。

 ルーナが地面に転がったまま動かないのをみると、残った右前脚と後脚で地面を踏みしめて嘴を限界まで開き、口内に膨大な量の魔力が集まっていく。

 明らかな攻撃の予兆、それも魔力の量からして生半可なものではなく避けなければ間違いなく即死すると分かっていたが、ルーナにはその攻撃を躱すだけの体力も気力も残ってはいなかった。


(あぁ、私は何をやっているんだ)


 つまらないプライドを捨てられず、副団長としてあるまじき行動を取った結果がこれだ。

 銀燭の碧眼に入団して三年、藻掻き、苦しみ、恨まれながらも銀燭の碧眼の為にと努力し続けた。

 しかしそれも結局は自分の為、自分が真剣に誰かの為に努力した事など今まで一度も無かったのかもしれない。


(今の私には、相応しい最期かもしれんな……)


 全てに疲れ果てたルーナは自分の死を受け入れる。

 ヴィルトートの口内で圧縮され続ける魔力は今まさに臨界点に到達し、解き放たれようとしたその刹那――


「――"セーブ"しに来たぜ、副団長」






「え、"セーブ"って保存するって意味じゃなかったんですか?」


 これは過去の光景、何処かの屋敷の中庭らしき場所で、銀髪の少年と獣人の女性が向かい合っていた。


「あーやっぱり勘違いしてましたか、セーブという言葉には保存だけでなく抑制という意味もあるんです。私が君に"力をセーブする事を覚えろ"と言ったのは"力を抑える事を覚えろ"って意味だったんですよ」

「そうだったんですね……すみません、僕はてっきり……」

「あははは、紛らわしい言い方をした私が悪いんです、■■■君は悪くありませんよ」


 女性のその言葉に少年はぱっと表情を明るくし、人懐っこい笑顔を浮かべる。


「良かった……それにしても保存と抑制、同じ言葉なのに全然違う意味が込められているんですね」

「そうですね、ちなみにセーブには保存と抑制以外にもまだ違う意味があるんですけど、何だと思います?」

「まだあるんですか?」

「はい、とっても素敵な意味があるんですよ」

「素敵な意味…………実はそのまま"素敵"とか?」

「ぶっぶー、ハズレです」

「じゃあ愛とか」

「わお、■■■君はロマンチストですね、確かに素敵ですが違います」


 それから少年は自分が素敵だと思う言葉を並べてみたが、正解に辿り着く事は出来なかった。


「もうギブアップですかね?」

「うぅ……全然分かりません。もしかして師匠にとっては素敵というだけで、世間一般からすれば全然素敵ではないなんてオチではないですよね?」

「確かに私は世間一般の人達からすればズレてるところはありますけど! これはちゃんと素敵なものですよ!」

「…………」

「あっ! その目はイマイチ信用していない時の目です! およよよ、私はとても悲しいです……」

「だって師匠ですから」

「どういう意味ですかそれは!?」


 全く信用されていない事に女性は不満げに尻尾を逆立てながら、少年の頭をワシャワシャと乱暴に撫でる。


「わっ! ちょっと、師匠!?」

「もー! ■■■君は可愛くないです! そんなんじゃいざという時に"セーブ"してあげませんからね!?」


 不意に差し込まれたセーブという言葉、その文脈からそこに込められた意味が保存でも抑制でもなく、三つ目の意味である事に少年は気付く。


「師匠、セーブの三つ目の意味って結局何なんですか?」

「それはですね――」


 少年が純粋な疑問をぶつけると、女性は柔らかな笑みを浮かべ、乱れた少年の髪を手櫛で梳かしながら答える。


「――"救う"という意味ですよ」

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