第19話 ヴェル式救急救命術

「どうした! 何があった!?」

「副団長、実は……」


 新人団員に駆け寄ったルーナが何事かと尋ねると、新人団員達は困惑とした顔で視線を下に向ける。

 その視線に釣られてヴェルとルーナが視線を下げると、そこには腹部から血を流して倒れる獣人の少女の姿があった。


「これは……!」

「息はしているみたいなんですが、治癒魔術が使える人間が自分達の中に誰も居なくて――」

「馬鹿者! ならば早く我々を呼べ! ヴェル!」

「分かってる!」


 ヴェルは新人団員を押しのけると、地面に倒れ伏す少女に治癒魔術を掛ける。


「どうだ?」

「内臓のいくつかが損傷してる、俺の治癒魔術じゃ時間稼ぎにしかならない。急いで町に連れ帰って先生に診せないと」

「どれくらい持ちそうだ?」

「……このままなら精々持って十分ってところだな」

「クソ、それではどうやっても間に合わないぞ!」


 人間一人を背負ってここからレミューの町まで戻るには、どう考えても二十分以上は掛かるだろう。

 絶望的な状況に全員が暗い表情をしていると、ヴェルの治癒魔術のお陰か、少女が薄っすらと目を開ける。


「おい!意識が戻ったみたいだぞ!」

「大丈夫か!?」


 団員達が少女に必死に声を掛けるが、少女は意識が混濁しているのか、呆然と空を眺めるだけで返事はなかった。

 やはりもう駄目なのかと周囲が諦めかけていた時、ヴェルが少女に語り掛ける。


「聞こえるか? お前はまだ生きている、お前には生きようとする力が、"生命力"があるんだ!」


 急に訳の分からない事を言い始めたヴェルに団員達が困惑とした表情を浮かべる中、ルーナだけがヴェルのやろうとしている事に気が付いた。

 ヴェルの異能、セーブの能力は力を保存、或いは抑制する事が出来る。

 その力を使ってヴェルは失われつつあった少女の生命を保存しようとしていたのだ。

 他人が持つ力をセーブするにはその人物に力を意識させねばならない、故にヴェルは少女に生命力を意識させようと必死に語り掛け続けた。


「死ぬな! 生きろ! お前だってこんなところで死にたくはないだろう!?」

「――、いき――」


 少女の唇が僅かに震え、微かな声を漏らした時、ヴェルは確かな手応えを覚え、少女の身体を抱えて立ち上がる。


「悪いルーナ、俺は先に帰るわ」

「……間に合うのか?」


 ルーナの問いにヴェルはそう答えると、詠唱を開始する。


「”求むるは地、欲するは脚”」

「なっ!? おいそれは――」


 ヴェルが紡ぎ出した詠唱にルーナは焦った表情を浮かべるが、ヴェルはそれに構う事なく言葉による詠唱を続ける。


「”飛び跳ね、駆け抜け、追従しろ”」


 周囲の団員から向けられる奇異の視線にも構う事なく、ヴェルは詠唱を完成させる。


「”母なる大地よ、我が脚となれ――ヴメノス・ズィムリア”!」


 ヴェルの脚に異能が宿った途端、ヴェルの足元の地面が波打ち、ヴェルの身体は凄まじい勢いで地面と共に滑っていく。


「あの馬鹿……」


 その光景に団員達が唖然とした表情を浮かべる中、ルーナだけは険しい表情を浮かべるのであった。






 ここはレミューの町に存在する唯一の診療所、そこには髪も服も乱れ、凡そ医者には見えない清潔感を欠いた女、この町唯一の医者であるロロアが居た。

 ロロアが気だるげな様子で椅子に腰掛けながら本を読んでいると、診療所の扉が開かれ、一人の人間が入って来た。


「ロロア先生はいらっしゃいますか?」

「んー? なんだ、銀燭の副団長じゃないか」


 診療所にやって来たのはルーナであり、少女を連れて戻ったヴェルの事が気になったルーナは実地訓練を中止し、町へと戻って来ていた。


「どうした? ついこの間に左腕を壊したばかりだというのに、まさかまた壊したのか? いくら私の腕が優れていると言っても、そう何度も壊していたら何時かジジみたく左腕が使い物にならなくなるぞ」

「いえ、今日は診て貰いに来た訳ではなく、少し前にうちの団員が重症人をここに連れて来たと思うのですが」

「あぁ、それならこっちだ」


 ロロアは椅子から立ち上がると三つ並んだ患者用のベッドの一つに近寄り、カーテンを開くと、そこにあの獣人の少女が規則的な寝息を立ててベッドに横になっていた。


「はぁ……良かった、一命は取り留めたんですね」

「当たり前だ、私を誰だと思っている? 完全な死体でなければきっちり蘇生させてみせるさ」

「流石先生です、ところでこの少女を連れて来たうちの団員は……」

「それはこっち」


 そう言ってロロアは隣のベッドのカーテンを開き、そこに横になる人物の姿を見てルーナは絶句する。

 両脚を包帯でグルグル巻きにされ、その両脚を更に天井から吊り下げられた紐に通して下半身は宙吊りに、上半身はベッドにという恰好で白目をむきながら失神するヴェルがそこには居た。


「驚いたよ、死に掛けの重症人をそれ以上に死に掛けた人間が背負って来たんだから」

「これは……異能やヴメノスの反動が原因ですか?」

「なんだ、副団長はコイツの力の事を知ってたのか?」

「……ある程度は」

「ふーん……そうさ、コイツは人並み以上に出来る所為で、人並み以上に無茶をする。自分には出来てしまうから、だからコイツは目の前で困っている人間を見ると見逃せない」

「それは先生も同じでは?」

「はっはっ、私はコイツほど殊勝ではないさ」

「殊勝ですかね? 本人は全部自分の為だと言ってましたけど」

「あぁ、あれか? 誰かの為にという気持ちだけで行動出来る人間など存在しない、最後に決めるのはそうしたいと思った自分の意思だってやつ、お前も言われたのか?」

「そういうって事は先生も?」

「まぁな、コイツがこんくらーいのがきんちょの頃に言われたよ。クソ生意気なのは昔からさ」


 そう言ってロロアは手を腰より少し高いくらいの位置に持ってくる。


「そんな昔からの知り合いだったんですか?」

「かれこれ十年になるかね」

「十年……確かこの診療所が出来たのも十年前って」

「よく知ってるな、この町がまだ町と呼べるほど大きくはなかった時代の話さ」

「それって――」

「おっと、お喋りはここまで、ここは診療所だぞ? 話がしたいならこんな年増ではなく、飲み屋で可愛いねーちゃんに相手をして貰いな」


 これ以上は何も聞くなと、ロロアが会話を無理矢理中断する。


「あ、そうだ、帰る前にコイツを連れて帰ってくれ」

「ひぐぅ!? 」


 ロロアはそう言うとヴェルの両脚を吊り下げていた紐を切り、宙吊りになっていた両脚がベッドに落ちた瞬間、その痛みでヴェルが悲鳴を出す。


「あの、先生? 死に掛けの重症人以上に死に掛けていたのでは?」

「ソイツならそこまで回復したら後は自力でどうにか出来るさ。うちは小さい診療所でベッドに余裕がないからな、という訳でよろしく頼んだぞー」


 手をひらひらと振りながらロロアが患者用ベッドから離れて行くと、ヴェルが痛みで意識を取り戻した。


「お゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙……あんの藪医者めぇ……って、ルーナ?」

「身体の方は大丈夫か?」

「今の姿を見て大丈夫だと思うならルーナもあの藪医者に診て貰った方が良いと思うぞ、頭の方を」

「そこまで悪態を吐けるなら大丈夫だな、歩けるか?」

「あー、骨と神経は治してくれたみたいだから、後は筋組織だけだし治癒魔術を使えば問題なく動けるな」

「お前、ここに着いた時はどんな状態だったんだ?」

「どんな状態って、うーん……人の形をした水風船?」

「良く分からんが、相当にヤバかったのは分かった」


 ゲームをプレイしてヴェルの言ってる事を少しは理解出来るようになってきたルーナだったが、それでもまだまだ言葉の意味を正確に理解するのは難しく、ニュアンスだけで何となく理解していた。


「"ズィムリアの脚"の反動か?」

「まぁな、短時間なら兎も角、流石に長時間維持するのはしんどくてなぁ……体力を保存してた反動もあったし、今回はちょっとヤバかった」


 そう言ってヴェルが苦笑いを浮かべるとルーナは急に真剣な表情になる。


「…………」

「ルーナ?」

「お前は、もっと周囲に頼るべきだと思う」

「え、なんだよ急に」

「お前が無茶をし過ぎるからだ! それが自分の意思で自分の為だとしても、お前は他人の為に安易に身体を張り過ぎている!」

「えーっと……ごめんなさい?」

「なんで自分が怒られているのか分からないなら謝るな、馬鹿者」


 人間が救えるモノには限界がある、無理に手を伸ばしたって指の間からすり抜けていくだけ、そしてあの獣人の少女はまさに指の間からすり抜けて落ちていく筈の命だった。

 だがヴェルは諦めずに手を伸ばし続けた、自身が少女と同じところまで、それ以上に落ちていく事も厭わずに。


「今の私はお前からすれば頼りない人間かもしれない、でも」


 このままでは何時かヴェルは本当に取返しのつかないところまで落ちていってしまう。

 そんなヴェルを引き留めようとするようにルーナはヴェルの手を握る。


「何時かは私もお前に頼られるくらいになってみせる! そうしたら、私が隣でお前を――」

「おーい、そういうのは他所でやってくれないかねぇ?」

「ひゃわぁ!?」


 何時の間にかベッドの脇にロロア立ち、冷めた目で二人を見つめていた。


「連れて帰れって私言ったよなぁ? ここは連れ込み宿じゃねーんだぞ、そういう事するんなら別料金取るぞコラ」

「す、すみません! ほらヴェル、さっさと帰るぞ!」

「え、いやまだ足の治癒が完全じゃ――」

「失礼しましたー!」

「ぎゃあああああ!? 足が削れるぅぅぅぅ!!」


 ヴェルの首根っこを掴み、引き摺りながらルーナは診療所を後にするのだった。

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