第15話 "全力"のセーブ
ヴィントートが放った魔力の一撃はルーナが隠れていた穴の空いた岩壁だけでなく、その背後にあった木々までもを吹き飛ばし、森に巨大な一文字の爪痕を残した。
「~~~~~♪」
そんな見晴らしの良い場所でヴェルは一人、呑気に鼻歌を歌っていた。
こんな真似をすれば当然ヴィントートに見つかってしまうが、それこそがヴェルの狙いだった。
ヴェルはルーナと協力してヴィントートを討伐する事を決めたが、怪我人であるルーナを直接戦闘に参加させるのは危険過ぎる為に戦闘するのはヴェルだけ、ルーナはそのサポートに回る事となった。
「何時ヴィントートが襲って来るかも分からない状況で、良く鼻歌なんて歌えるな」
「待ってるだけで暇ですしね、それに慌てたって状況が好転する訳じゃないでしょう? というか姿を隠してるとはいえ、あんま近くにいて流れ弾に当たっても知りませんよ」
一人にしか見えないヴェルだったが、実はルーナも幻影魔術で姿を消しているだけでヴェルの側に居た。
「私の我が儘で協力して貰っているんだ、お前にばかり危険を負わせて自分だけ安全圏に居る訳にもいかんだろう。それに拘束魔術を確実に当てるなら近くに居なければならん。それよりもお前の方は大丈夫なのか?」
「ま、何とかしますよ」
今回の作戦の内容は単純でヴェルがヴィントートをどうにか地面へと落とし、落ちたヴィントートをルーナが魔術で拘束、動きを止めたところでヴェルがトドメを刺すというものだ。
「しかしこんなところで待つより誘き出した方が早いのではないか?」
「野生の獣というのは自身が狩られる側に回った時、それを敏感に察知します。あのヴィントートは慢心して誘いに乗った結果、一度手痛い目に遭ってますからね、また誘っても警戒して近づいて来ないどころか、最悪の場合どこかに逃げられる可能性もあります。今回の作戦を成功させる為にもヴィントートには
「……もしかしてそれもゲームの話か?」
「これは俺の経験則です! 俺が何でもかんでもゲームで語ってると思ったら大間違いですよ!?」
不本意な疑いを掛けられて憤るヴェル、しかしヴェルがこの手の話をする時は大抵ゲームから得た知識だったりするので、ルーナがそれを疑うのも無理はない話である。
「俺だって正規の依頼は受けてないだけで、こなしてきた依頼の数自体はそこそこあるんですからね?」
「それで正規の依頼も受けてくれたら文句無しだったんだがな」
「ゲームをする時間が無くなるのでそれは副団長にいくら頼まれても嫌です」
これからヴィントートを討伐しようというのに張り詰めた空気など何処にもなく、穏やかな様子で会話をする二人、もし二人が周囲を警戒し気を張っていればヴィントートはその気配を察知して近づこうとはしなかっただろう。
「まぁ兄貴に頼まれたら流石の俺も――」
だからこそヴィントートは無警戒なその餌に食いつき、最高速で突っ込んで来たヴィントートに撥ね飛ばされたヴェルの身体が宙に舞う。
「――ッ!」
ルーナがヴェルの名を咄嗟に叫びそうになったのをギリギリで堪える。
今回の作戦ではルーナの存在はヴィントートに気付かれてはならない、ルーナが撥ね飛ばされたヴェルに不安気な視線を送り、そんな不安を感じ取ったのか跳ね飛ばされたヴェルがニッと口角を吊り上げる。
「大丈夫、俺の魔術にはコイツの一撃を防ぐだけの"防御力"がある」
そう言ってヴェルはくるりと空中で身を翻すと地面に軽やかに着地し、そのまま逃げるように駆けだす。
ヴェルは事前に自身に防御魔術を仕掛け、その上に更に異能の重ね掛けを行っていた。
それは"防御力"の保存、本来防御魔術は攻撃を受ける程に摩耗していき防御力が低下していくのだが、ヴェルは防御力を保存する事でそれを防いでいた。
(アイツの最速の一撃は防げた、これでどれだけ突進を受けても俺の魔術が突破される心配はない。問題はアレだな)
ヴェルの脳裏を過ったのは森を一文字に切り裂いたヴィントートのあの攻撃、あれはヴェルの魔術でも防ぐ事は難しいだろう。
しかしその攻撃こそがヴェルの最大の狙いでもあった。
(あの攻撃は反動の強さから地面で踏ん張る必要がある。突進で俺の魔術を突破出来ないと理解すれば、あの攻撃を繰り出す為に地面に降りて来るだろう。そうなればルーナが魔術で拘束して詰みだ)
それまでヴェルのやる事はひたすらにヴィントートの攻撃に耐えるだけ、しかし刃こそヴェルの身体に届かないが衝撃の全てを魔術で吸収出来る訳ではなく、ヴィントートが速度をつけて突進してくる度にヴェルの身体は弾き飛ばされダメージが蓄積していく。
「クッソ、揺らされまくって頭がガンガンして来た。後で覚えてろよこのヤロー」
いいようにやられて頭に来ていたヴェルだったが、ヴィントートの方も一向に攻撃が通らない事に苛立ちを募らせていた。
「クルゥゥゥァァァァッ!」
「叫びたいのはこっちの方――ん?」
ヴィントートの叫び声に釣られてそちらの方にヴェルが視線を向けると、今まで飛び回っていたヴィントートが空中の一点で留まり、ヴェルを見下ろしていた。
そして嘴を大きく開くと口内から魔力が溢れ、ヴェル目掛けて撃ち放たれる。
「ちょ!?」
咄嗟に横に飛ぶ事でギリギリ躱す事に成功するも、身体を覆う魔術の防壁の一部が放たれた魔力によって削り取られる。
「それ威力抑えりゃ空中でも撃てるのかよ!?」
予想していなかったヴィントートの行動にヴェルは冷や汗を流す。
威力を抑えた代わりに反動や溜めも少なく済む分、空中でも放つ事は出来たがヴィントートにとっても無茶な攻撃のようで一発撃つ度に体勢が崩れてしまい、空中で体勢を整える必要があるので連射は利かない様子だった。
それでもヴェルの魔術の防壁を一発で貫くだけの威力を持っており、ヴィントートは上空から一方的に魔力による攻撃を浴びせる。
「あのヤロー調子に乗りやがって! こうなりゃ多少強引にでも!」
六発目の攻撃を避けたところでヴェルは身体を反転させてヴィントートに向き直ると、右手を前に突き出して魔術の詠唱を始める。
ヴェルが反撃に出ようとした事を察知したヴィントートは体勢を立て直すとすぐにその場から逃げ出そうとするも、それよりも早くヴェルの魔術が完成する。
「"プロラートル"!」
ヴェルの右手から一条の光が放たれるが、その閃光が届く寸前に体勢を立て直したヴィントートが左に飛んで閃光を避ける。
そのまま光はヴィントートが居た位置を通り過ぎるかと思われたが、通り過ぎる直前で直角に曲がり、加速しきっていなかったヴィントートの背中を捉え見事に命中する。
「クァァァァァッ!?」
ギリギリで避けた筈の一撃を背面に食らい、ヴィントートの体勢が再び崩れるも頑強な外皮には傷一つも入っていなかった。
「かってぇ! やっぱり中級魔術じゃ駄目か――でも、アイツの体勢を崩せるだけの"威力"はある!」
そう言って威力をセーブしたヴェルは同じ魔術をもう一度、今度は無詠唱で放ち、放たれた対象を追尾する魔術はヴィントートに再び命中し体勢を更に崩す。
本来であれば詠唱を省略した分、完全詠唱と比べて威力は格段に落ちるのだが、完全詠唱した状態の威力をセーブした事で無詠唱でもその威力を保ったままに放つ事が出来た。
ただしこれにはメリットに見合ったデメリットも存在する。
(中級でもこの反動……腕が捥げそうだ)
それは瞬間的な出力差に因って生まれる反動、詠唱によって徐々に引き上げていく筈の魔術の威力を瞬時に跳ね上げる所為で肉体には多大な負担が掛かってしまう。
そう何度も連発出来るものではなく、ヴェルも普段は威力をセーブするのは下級魔術までと決めていた。
しかし相手がヴィントートという厄介な魔獣であった為に動き回る相手に確実に命中して威力もある魔術となると中級以上のものしかなく、ヴェルはこの魔術を選択した。
(アイツを地面に叩き落すには同じ魔術を五発か六発は立て続けに当てないと無理だ。でも今一発撃って分かったが、このままいけば三発目くらいで間違いなく腕がイカれる)
腕が壊れても治癒魔法で治す事は出来るが、そんな事をしている間にヴィントートは体勢を立て直してどこかに飛び去ってしまうだろう。
ならば迷っている猶予はないとヴェルは覚悟を決める。
「だったらもう"全力"で行くしかねぇよなぁ――!」
全力で行く――そう宣したその瞬間、ヴェルの全身から蒼い燐光が溢れ出す。
瞬間的な出力差によって反動が生まれるというのなら、そもそもの出力差を無くしてしまえば良い。
肉体が持つ力を限界まで解放し、その上でセーブする事で肉体を常に限界状態で動かし続ける。
これがヴェルの数ある奥の手の内の一つ、全力のセーブであった。
そうしてヴェルの気配が一瞬で変わった事でヴィントートはようやく気付く、自身が狩る側ではなく、狩られる側に回った事に。
「クァァァァァァァァッ!?」
ヴィントートが恐怖に慄き、翼をはためかせ逃げ出す。
「逃がすか!」
自身から逃れようと背を向けて飛ぶヴィントート目掛け、ヴェルはプロラートルを一発、二発、三発と立て続けに撃ち放つ。
加速を始めていたヴィントートは背後から迫る光を振り払うように軌道を変え、ギリギリのところで躱し続ける。
だがプロラートルは目標に命中するまで何処までも執拗に追いかけ回し、その間もヴェルはプロラートルを放ち続け、ヴィントートを追う光はどんどんと数を増していき、逃げ場を失ったヴィントートについに一発が命中する。
そうして体勢を崩して失速してしまえば逃げ切るなど不可能であり、これまで躱し続けていた何十発という光が一斉にヴィントートに襲い掛かる。
幾重にも重なった爆発音が轟音を轟かせ、ヴィントートは力なく地面へと落下する。
「しゃあッ!よくも散々揺らしてくれたなこのヤロー! 千倍返しの時間だぜ!」
肉体の力を全開にしたヴェルは凄まじい速度でヴィントートの落下地点を目指しながら詠唱を開始する。
「”求むるは振、欲するは腕”!」
それはルーナが使用したヴメノスの詠唱、しかしルーナが使ったカタフニスの腕とは違う詠唱であった。
「”揺らぎ、摩滅し、混ざり合え”!」
ヴェルが自身のもとに迫っている、落下したヴィントートはそれを敏感に察知し、すぐさま飛び立とうとしたが突如として地面から炎の鎖が生え伸び、ヴィントートの身体を拘束する。
「私の我が儘に付き合わせたんだ、お前にも一応謝っておこう――悪いな」
ここまで姿を隠してきたルーナが飛び立とうとしたヴィントートを地面に縛り付ける。
しかしヴィントートを完全に拘束出来るだけの力はなく、ヴィントートが藻掻く度に炎の鎖は千切れ、数秒後には拘束が解けてしまう。
「”我が腕の中で、個は群へと堕ちる"!」
だがルーナが稼いだその数秒で、ヴェルはヴィントートの眼前に迫り――
「”――ヴメノス・アシミオン”!!」
そしてヴェルの肉体に仮初の異能が宿る。
宿した異能は"アシミオンの腕"、触れた対象の物質的強度を無視して分解、個としての境界を消滅させ、群へと堕とす破壊の権化をヴィントート目掛けて突き放つ。
まず最初に嘴を、その次に顔面を、掌に触れるだけで崩れて行くヴィントートの身体はまるで触れれば崩れる砂の城であり、一瞬にして上半身が粒子状に分解され、身体の半分を失ったヴィントートは断末魔の叫びを上げる間もなく絶命するのだった。
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