全知のコーリ 戦争

 ナターリアと暮らし始めて、一年が経とうとしていた。私は次の国の調査に行かなければならなかった。

 別れの日、私は言った。

「ナータに毎日手紙を書く。私は、手紙を書くことが得意だから」

 ナターリアは俯いた。こぼれ落ちた涙が駅のプラットフォームを濡らした。

「私も毎日手紙を書く。手紙を書くのは、苦手だけど、毎日書く」

 列車が駅構内へ滑るように入ってきた。ナターリアは顔を上げて、私を見た。

「コーリ」

 ナターリアの瞳には、花が咲いていた。緑色の中に、黄色が放射状に入っている。

 ヒマワリ。図鑑でしか見たことがない。暖かな地方で夏に咲く花だ。一年一緒にいたのに、今気づいた。

 私の知らない彼女のこと、まだまだたくさん、あるのだろう。私の全知を使っても、彼女の全てを知ることなんて、できないのだ。

 ナターリアは息を吐き出すように言った。

「コーリ、また会える?」

 もう、会えない。

 会える、と嘘を吐くことは簡単だ。でも、今の私はナターリアに本当のことしか言いたくなかったから、こう言った。

「ナータが好きだよ。初めて会ったときから、あなたが大好き。今はそのときより、もっともっと好き」

 列車の出発時刻のベルが鳴った。私は列車に乗り込んだ。

 ドアが閉まる直前、ナターリアは叫んだ。


「コーリ、あなたの正体を教えてよ!」


 私は思わず笑顔になった。

 ナターリアに嘘は吐けない。

「私は、手紙屋コーリ。人間の子どもに手紙を書くの!」

 列車が走り出した。ナターリアは数歩追いかけるように小走りして、立ち止まり、背伸びして両手を振った。


 さようなら、ナータ。私は手紙を書き続ける。


 二年後、ナターリアとオレクが結婚した。ナターリアからの手紙でそれを知った時、私は素直に嬉しかった。指でナターリアの筆跡をなぞると、彼女が幸せに暮らしている気持ちが感じられた。

 私も幸せな気持ちになった。


 世界大戦が始まった。私は各エリアの調査報告を終え、フィールドに帰還する準備をしていた。

 総本部に案内屋の手配を依頼した時、宿泊先に手紙が届いた。私は約束通り毎日手紙を送っていたが、ナターリアからの手紙は週に一度、まとめて郵送されることが多かった。

 オレクが徴兵された、とナターリアは書いていた。その文字に触れると、彼女の怒りと恐怖が伝わってきた。

 ナターリアは子どもを生んだばかりだった。赤子をひとりで育てるなんて。

 私は彼女に、実家に帰るように勧めた。ナターリアの実家は首都から離れた地方都市にある。首都よりはいくらか安全なはずだ。人間の赤子は四六時中手がかかるというし、ナターリアひとりではやがて限界が来るだろう。

 二ヶ月後、首都が爆撃された。私がナターリアやオレクと楽しい時間を過ごした国立大学の校舎も崩れ落ちた。

 爆撃機が飛ぶ空を見上げながら、私はまだぐすぐずと人間界に残っていた。

 総本部は至急案内屋を送ると連絡してきたが、私はそれを無視して、旅を続けていたのだ。

 週に一度届いていたナターリアからの手紙は、十日に一度の頻度になり、やがて、二週間に一度しか来なくなった。

 もう郵便は駄目だ。今まで機能していたのも、奇跡みたいなものだ。

 そう思っていたら、手紙が届いた。最後の手紙から十八日が経過していた。

「オレクが死んだ。コーリ、あなたに会いたい」

 それしか書かれていなかった。

 それで十分だった。

 もう二度と会わないつもりだった。

 人間に干渉してはいけない。

 私はリルサンタだ。戦争を止めることも、死んだ人を生き返らせることも、できない。小さな希望を配るだけの、虚構の存在だ。

 私に何ができると言うのか。

 何も出来ない。何も。ただ、会うことしか。会って、彼女を抱きしめてあげることしか、出来ない。

 私はナターリアに会うため、列車に乗り込んだ。



 目的地まで数駅を残して、列車は停止した。

 終点の街が空爆されているため、進行できないとアナウンスされた。


 ナータ。ナータが殺されてしまう。


 私は列車を降りて、無我夢中で走り出した。

 ナターリアのこととなると、私の知性は著しく低下する。何も考えられなくなる。

 ナータ、ナータ、私の大好きなナータ。

 死なないで、おねがい、生き残って。

 初めての感情だった。

 私は自分を無力だと感じた。ただ祈ることしか出来なかった。

 私は弱く、愚かで、怯えていた。

 怖かった。

 いくらでも走ることができた。ワンピースの裾がぼろぼろになった。靴の底がはずれて、裸足になった。

 痛覚がなくてよかった。足の皮膚が破れても、私は平気だった。


 翌日、私はナータの故郷の街に辿り着いた。休まず走り続けたが、山を越えたので時間がかかってしまった。

 空爆はすでに終わっていた。

 焼け野原と瓦礫があった。何かが焦げた後のにおいがした。

 私は全知を使った。

 生まれて初めて、怒りと憎しみの感情を覚えた。

 誰が、どこで、どう死んだのか。

 手に取るようにわかった。

 私は痛みを知った。

 私は暑さを知った。

 私は苦しみを知った。

 これが、そうか。これが、死ぬということか。

 そうか、これが。

 これが怒り。これが悲しみ。これが焦り。これが混乱。これが憎悪。


 ああ。そしてこれが、愛情だ!


 ナターリアの家へと駆け出した。


 体の奥底から無限に力があふれてくる。迸る。

 怒り、怒り、怒り。

 なぜこんなことをする?

 なぜ燃やす? なぜ潰す? なぜ溶かす?

 いったいなんのために、撃ち殺し、刺し殺し、吹き飛ばす?

 すべては、愛と正義と執着と復讐だった。

 誰もが、自分の大切なものを、守りたかった。そのために争い、そうしてすべてを失う。


 こんなことになるなら、何も愛さなければよかったんだ。

 最初から何もなければ。

 この世界を、人間を、彼女を、好きにならなければよかった。


 何も愛さなければ、この気持ちを知ることもなかっただろう。


 これが失うということ。

 これが悲しむということ。

 これが絶望するということ。

 無知で鈍感な私は消えてしまった。


 もう、昔の私には、もどれない。



 

 

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リルサンタ・イン・ホワイトフィールド The Little Santas in White Field いぇこかり @hohoho8

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