青い目の案内屋「サンタのいない世界」

 ルドルフは階段を駆け上がっていた。ひたすらに、上へ向かって走り続けていた。階段しかないのだ、この世界は。

 真っ白な空間に階段が無限に屹立しており、踊り場に到着するとドアがある。けれども、そのドアを開けても、まだまだ階段が続いている。

(いったい、いつまで続くんだ?)

 そう思いつつも、焦ったり、怖がったり、不安になったりは、しなかった。ルドルフはこの苦境をどういうわけだか、楽しんでいた。

「すげー! 走っても走っても階段がある! ドアを開けても階段! また階段! 全速力でずっと走っていられる! 異世界って、楽しい!」

 エネルギーが有り余っていた。気分が良い。テンションがハイになっている。頭の片隅で、ちょっと落ち着いた方がいいんじゃないか、と冷静なルドルフが言うのだけれど、走り出したら簡単には止まれないのだ。

 もうこのままでもいい。ずっとずっと走り続けていよう。ただ無心に走り続ける、そんな生き方も悪くない。

 空っぽになっていく頭の中。

 そんな時、ルドルフは急に思い出した。

 大切な約束。

「俺には、やらなきゃいけないことがあるんだ」

 ルドルフは走りながら、目の前に迫る両扉のドアを、勢いよく押し開けた。


 パッパー。

 車のクラクションの音。空は濃紺。家々の屋根に黄色い光が灯っている。

 ルドルフは家屋の屋根に立っていた。ルドルフが通ったドアは、閉まると同時に消えていた。

 ひょい、と身軽に屋根から飛び降りて、ルドルフは周囲を見回した。

 人間界の景色だ。学校で見た資料映像とそっくり。

「もしかして、人間界に来ちゃったのかな?」

 あまりにリアルなので、そんな独り言が漏れる。

 擬似フロンティアが本当のフロンティアに繋がって、たまたま運良く(運悪く?)人間界に来てしまうことだって、あるかもしれない。

 ルドルフはぶらぶらと夜道を歩き始めた。

 雨が降った後なのか、路面が濡れている。

 (濡れた石畳って、街灯の光でピカピカして、綺麗だ。タップダンスしたくなるぜ)

 小声で歌いながら、ステップを踏み出した、そのとき。

「お兄ちゃん! こんなところにいた」

 女の子に声をかけられた。びっくりして立ち止まり、後ろを振り返る。

 人間の女の子が、安心したような表情で、近づいてきた。

「探したんだからね、もう! 夕食の時間だよ」

「え……?」

 困惑するルドルフは、赤いケープを羽織ったリルサンタではなく、シャツとベストを着た人間の少年の姿になっている。


「主の恵みに感謝します」

 ルドルフは人間の家族と一緒に食卓を囲んでいた。

 食事に手をつける様子がないルドルフを見て、妹(ということになっている)が心配そうに顔を覗き込む。

「お兄ちゃん、食べないの?」

「いやぁ、うまそうだな、と思って、眺めてる……ほくほくの……じゃがいも」

 茹でたじゃがいもが主食としてテーブルに載るのだから、人間界だろう。WFではじゃがいもを食べる機会なんてないから、資料でしか見たことがない。

(どういう状況なんだ、これは)

 さすがのルドルフも、突然人間になって(?)、名前も知らない人間と暮らす展開には、追いつけていなかった。

(今って、擬似フロンティアで訓練中だよな?)

 状況がわからない。なぜ、こんなことになっているのだろう。

(まずは状況を確認しよう)

 右隣に着席している妹(ということになっている)を見て、尋ねる。

「今日って何月何日?」

「やだ! お兄ちゃんったら。12月24日でしょ?」

「イヴ!!?」

 動揺したルドルフは手に持っていたスプーンをテーブルに落とした。

(待て、落ち着け。まだ本当の人間界だって決まったわけじゃない)

 声が震えないように気をつけながら、質問を続ける。

「えーと、プレゼントの希望って、もう出した?」

 妹(以下略)は首を傾げる。

「プレゼントって?」

「ほら、サンタさんに貰うだろ、プレゼント」

 妹(以下略)はけらけら笑い出した。

「なぁに、お兄ちゃん、学校で変な本でも読んだの!? サンタって」

「えっ……。えっ?」

 人間が信じる心を失えば、WFは消える。つまり、そこに住んでいるリルサンタも消える。

 ルドルフは左隣のチャイルドチェアに座っている、ほっぺがもちもちの弟(ということになっている)を見た。推定年齢、4歳。サンタを信じているお年頃に違いない。

「サンタ! サンタクロース! わかるよな?」

 弟(ほっぺもちもち)は、ぽかんとしている。

「わかんない」

 ルドルフは席を立った。

(これが擬似フロンティアにおける訓練なのかどうか、わからない。なんにせよ、本部に報告しよう)

 外の通りへ飛び出し、歩道を俯きながら闊歩する。妹(以下略)がどこへ行くの、と叫ぶ声がしたけれど、考えに集中しているルドルフには、聞こえなかった。

「ドア、ドアを探さないと」

 今更、案内屋アトラスのことを思い出す。どうして今まで忘れていたんだろう。

(アトラスがいなくちゃ、帰れないかもしれない)

 目線を上げると、アトラスがいた。見知っているデザインとは違う制服を着ているが、アトラスには違いない。

 ルドルフは慌ててアトラスに近寄った。

「アトラス! 良かった。大変なんだ。子どもたちがサンタを信じてなくて」

 アトラスは無表情でルドルフをじっと見つめる。

「たしかにぼくは、アトラスですが」ゆっくりと言う。「あなたの知っているアトラスでは、ありませんよ」

 ちかちかと、街灯が点滅した。

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