全知のコーリ 人間界

 人間界までの案内はダニエルが担当した。私のただひとりの親友、手紙屋マユユ曰く、「ルーペは可視の力に依存して旅をしているが、ダニエルは経験と知識でそれを補っており、実質案内屋として最も優れているのは彼である」とのこと。

 興味深い意見である。マユユはダニエルに気があるらしい。

 ちょっと前にコメットがルーペと結婚して、コメットに片思いしているダニエルはショックのあまり仕事を減らした。優秀な案内屋が暇をしているなら、使わない手はない。

 ダニエルは道中も元気がなかった。

「過ぎたことを悔やんでも意味がないって、わかっているんだ。でも、考えちゃって。コメットに気持ちを伝えていたら、ぼくと結婚したかもしれない」

 私は全知を有しているため、断言する。

「コメットとルーペが結婚したのは、ふたりともヴィクセンに強烈な執着があるから。ダニエルはコメットに最も信頼されている相棒で、そこには確かな愛情があるけれど、配偶者としては不適切。ダニエルはコメットのヴィクセンに対する複雑な愛情を理解できないでしょう」

 はは、とダニエルは弱々しく笑う。

「それも全知で見たの?」

「見ていない。見てほしい? ありとあらゆる未来の可能性の中に、一本くらいは、ダニエルとコメットが結婚して、うまく行った世界があるかも」

「いいよ。見たくない。もう、終わったことだ。ふたりが作った第一子、パルクだっけ? すごくかわいいんだ。あんなの見たら、諦めるしかないよ」

 人間界に到着する。草原にぽつんと設置されたドアの前で、ダニエルと別れる。

「調査が終わったら連絡して。迎えにくるよ」

「だいぶ先になると思う」

 私は草原を吹き抜ける風に目を細めた。人間界の風。匂い、音、手触り。

「情報が多い。すぐには読み取れない。長い旅になる」

 ダニエルはうなずいて、ドアの中に入る。ドアが消えて、雪原と私だけが残った。

 初めての人間界の風を堪能した後、私は歩き出す。

 雑多で複雑怪奇な情報が、無限に広がっている。

 森の音。川の流れ。泉のせせらぎ。魚の泳ぎ。鳥の羽ばたき。地面を這うトカゲの足音。機械の音。人間の声。赤子、老人、若者。

 戦争の音がする。

 私はそちらへ向かって、草をかき分けて進んだ。



 草原を抜けて、森を歩き、川を渡り、山をくだると、人間の居住地に至った。

 人口密度が低い。荒れた田畑が広がっている。視界の下半分が茶色い。上半分は灰色の曇り空。

 私はリルサンタの姿から、ハールが作った人間の体に切り替えた。うまく作動しているようだ。

 機械音のするほうへ、歩く。

 家畜小屋の中で、敷料の取替作業をしている男性を見つけた。

 私はこの地域の言語を読み取り、同じ言葉を使った。

「恐れ入ります。旅のものです。駅に行きたいのですが、どちらに向かえばいいでしょうか?」

 情報を読み取れば、駅に行く道なんて簡単に分かりそうだったが、人間に自分がどう見えているのかを確かめたかった。

 男性は見慣れない若い女性に驚いた様子だったが、無言で右腕を伸ばし、東を指差した。

 たしかに、そちらから機械音と人間の足音がする。頭の中で、駅の様子も見えた。

「ありがとう」

 家畜小屋に背を向けて歩き出すと、後ろから声がかかった。

「だいぶ遠いぞー!」

「大丈夫! 歩きたいの!」



 駅で切符を買った。買い物をするのが初めてだから、わくわくした。フィールドには貨幣制度がないからだ。人間界では、お金があれば、大抵のものが手に入るという。

 私の旅に必要なお金は、案内屋本部が集めてくれた。人間は石や金銀をお金と交換してくれるのだ。案内屋は世界中を旅するから、売れそうなものを収集できる。

 初めて列車に乗った。思っていたよりも速かった。車窓から見える景色の変化。

 すべてが新鮮で、面白い。

 出会う人間全員を質問攻めにしたかった。動物や虫を見るのも初めてだった。図書館で全知を使ってみようか。情報の多さにパンクするかもしれない。

 人間界には、私の知らなかったものがたくさんある。生まれてから、世界のほぼすべてを知っている状態で生きてきた私にとって、未知が無限にある人間の世界は、まるでアトラクションだった。


 最初の二週間は、基本的な人間界の情報を知るために、都市から都市へ列車で移動して、好き勝手に遊んでいた。

 十四日目。さすがに仕事をする頃だ。早朝、首都からは戦闘機の音がする。地方都市を離れ、首都に向かった。

 列車を降りる。列車の旅にはもう慣れた。人間よりも詳しいかもしれない。

 駅から街に出て、帽子屋でつばの大きな帽子を買った。窓に自分の姿を映す。

 私は今までに見たどの人間よりも美しかった。当然である。ハールが作った体なのだから。どこにも歪みなんてない。

 見た目に関していえば、完璧な人間の女性だった。乳房に見えるものはただの凹凸である。触れば柔らかいが、機能性がない。臓器もない。心臓も腸も子宮も卵巣もない。似せてあるのは外側だけだった。

 ハールはこの体の顔を本当の私の顔に似せて作った。くしゃくしゃした銀髪もそのまま採用された。

「本物の私に似せる必要がある?」

 私の問いに、ハールは答えた。

「似せない必要があるなら言って。似せて作った方が、うまく機能すると思う」

 ハールがそう考えているなら、異論はない。

 私はくしゃくしゃの銀髪を揺らしながら、大通りを歩いて、首都の大学に向かった。いくつかの地方都市を巡った結果、大学図書館で全知を使えば、情報収集が楽だと学んだからだ。

 この大学で、私は運命の出会いを果たす。私を変える出会いだった。



 

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