青い目の案内屋 「異世界のアトラス」「映写の世界」「パートナー」

「あなたの知っているアトラスでは、ありませんよ」

 街灯がチカチカと点滅して、アトラスの青白い顔をまばらに照らした。濡れたような黒い髪。青い目。小さくて尖った鼻。生真面目な表情。どこからどう見ても案内屋アトラスなのに、たしかに、目の前にいる少年は、ルドルフの知っているアトラスとは、違うのだった。

 アトラスは、凛とした綺麗な声で言う。

「この世界にサンタは存在しません。信じる心もないので、疑う心も生じません。あなたの信じる心によって、ぼくは今ここにいますが、あなたがこの世界を出ると同時に、この世界にいるぼくは消えます」

 ルドルフは口を開けて、ただアトラスの声を聞いていた。

「この世界は、平和そのものです。平和な世界では、何かを信じる必要がありません。サンタがいなくても、子どもたちは幸せに暮らしています」

 ルドルフはやっと口を開く。

「食前の祈りを捧げていたのに? 何も、信じてない?」

「そうです。あれはこの世界では、食事のマナーの一種にすぎません。ドアを開けるので、この世界から出て行ってください。あなたの影響で、世界が変わると大事ですから」

 何がどう大事になるのか、ルドルフには見当もつかなかった。ルドルフの信じる心によって生じたというこのアトラスは、平然と鍵を取り出して、近くの店のドアを解錠した。

「どうぞ」

 アトラスが開けたドアは、真っ白な世界に繋がっている。ルドルフは知っているようで知らないアトラスの顔を見た。

 ドアを通れば、このアトラスは消える。

「ありがとう」

 ルドルフはただ一言お礼を言って、ドアを通った。

 真っ白な空間の中に、フィルムが漂っている世界だった。

 アトラスの声がする。

「あなたのいるべき世界で、あなたのすべきことをしてください」

 振り向くと、もうドアはなかった。



 歩みを進めると、宙を漂うフィルムに体が触れた。

 誰かの記憶の断片が見える。

 水の中。くぐもった声。

 雪山。長い白い髪。不思議な衣装。

 息を切らして、廊下を走っている。小さな足音がパタパタと廊下に響いている。

「この記憶……」

 ルドルフはぽつんと設置されているデスクを見つけた。なんの飾り気もない、白いデスクだ。その上に、フィルムにはそぐわない近代的な映写機が置いてあった。

 デスクの横には、これまた簡素な丸椅子がひとつ。急ごしらえ感が強すぎて、ルドルフは思わず苦笑した。

「もうちょい良い椅子なかったの」

 文句を言いつつ、腰を下ろす。

 映像が始まった。

 初等部のコーラス隊が歌っている。

 真ん中の子がズームアップされた。

「あ、これアトラスか。へぇ、ソロ貰ってたんだ。可愛い」

 何を見せられているんだろう、俺。とか思いつつ、ルドルフは目を離さない。

 歌の練習が終わり、初等部のアトラスは誰かに呼ばれた。

 場面が切り替わって、セントラルの様子が映る。不安そうなアトラスと、その横にぴったり寄り添うように立つランカ。

 ふたりの視線の先には、俯いて泣いている兄、パルクの姿があった。

 ランカはアトラスに微笑みかけた。

『アトラス、今日は私のお部屋でおやすみしましょう』

 ランカはアトラスの小さな手をぎゅっと握って、セントラルの硬質な床をぐんぐん、歩く。

 コッコッコッ……。床を叩く靴音は規則的に、きびきびと響いた。

 前を歩く姉の、まっすぐに切り揃えられた後ろ髪を、アトラスは見る。足取りは力強いが、肩は強張り、腕には妙に力が入っている様子だ。

『ぼく、案内屋になる。母様とダニエルを探す』

 泣きそうになるのを堪えた声で、アトラスは言った。

 ランカは弟を振り返らない。

『したいようにしなさい。アトラスは選べるんだから』


 居心地が悪くて、ルドルフはもぞもぞし始めた。

「あの……映像変えて貰えませんか? ほら、俺たち、組んでまだ、初日なんで。こういうプライベートなことは、もっとこう、アトラスと親しくなってから聞きたいと言うか。赤裸々に申しますと、気まずい!」

 ルドルフの叫びが通じたのか、映像が切り替わった。

「お、言ってみるもんだな。って俺じゃん」

 歩いているルドルフの映像。

 画面奥の曲がり角から、黒い何かがするりと現れて、ルドルフの背後に迫る。ルドルフは気づいていない。

『おーい、おーい! おかしいなぁ、どこいったんだろ』

 映像の中のルドルフは、アトラスを探して、うろついているようだ。

 黒い何かがルドルフの耳の後ろで口を大きく開けている。

「後ろ後ろ! 喰われるぞ!」

 映像の中の自分に叫ぶルドルフ。

 カメラの位置が変わり、ルドルフの全身が横から映る。その後ろをぞろぞろと、黒いものが飛んでいる。

「増えてる! いっぱいいる!」

 どんなに叫んでも、映像の中のルドルフには聞こえない。

『あ、ドアだ。開いてる。ラッキー』

 映像のルドルフは、唐突に見つけた、開いているドアを通る。

『うわー、すげぇ、階段だらけだ』

 階段だらけの世界に興奮して、走り出す。

「ん、なんか覚えがあるぞ……?」

 階段を猛スピードで駆け上るルドルフ。その後ろをピッタリと追いかけて飛ぶ、黒い群れ。

「異世界って楽しいー!」

 笑顔で走るルドルフの顔がズームイン。そのすぐ背後に映る黒いものが、口を横に広げて、ニタァ……と笑った。

「ぎゃああああああああああ!!!」

 ルドルフは勢いよく立ち上がった。急ごしらえの丸椅子が吹き飛ばされたように倒れて転がる。

「うわっ、マジ!? 今もいる? 俺を追いかけてきてるの? う、嘘だろ……」

 必死に周囲を見回すが、宙を漂うフィルムしか見えない。

「今も薄気味悪い異世界生物に狙われてるってこと?」

 どきどきしていると、後ろに気配が。

 す……っ。

 肩に何かの手が、触れた!

 ルドルフは奇声を上げて、腕を振り回しながら振り返る。

 驚いたアトラスがあとずさった。

「うわっ!?」

「あ、アトラス……今度は知ってるアトラスだ……!」

 安心したルドルフは笑いながら、ぽろぽろ涙を落とす。

 アトラスはルドルフの泣き笑いを見て、しばらく硬直していた。

「ど、どうしたの」



「早く帰ろう。早く」

 怯えているルドルフはアトラスの背中にくっついて、後ろから腕を掴んだ。アトラスはため息を吐き出すように言う。

「訓練が終わらないと帰れないよ」

「どうすれば終わるの?」

「んんー」

 アトラスは少し考えた。偽物のルドルフの言葉を思い出す。

(ぼくなら、運び屋ルドルフをうまく扱えると、総本部は判断したんだ。覚悟を決めよう)

「パートナー発表の、ときにさ……目を隠さないほうがいいって言ってたけど……どうして?」

 アトラスは言葉を選びながら尋ねた。ルドルフはきょとん、として一瞬黙っていたが、すぐに笑顔になった。

「隠すのはもったいないよ。俺は海をまだ見たことがないけど、きっとそんな色だと思う。アトラスの目は綺麗だ」

「それだけ?」

「え、もっと褒めた方が良かった? 君の瞳はサファイアにも勝る輝き……この弓手にまごうことなき美酒あれば、その青い瞳に乾杯しよう」

「そうではなく」

 とっさに捻り出したにしては、すごい美辞麗句だな、と感心しつつ、アトラスは早口に言った。

「青い目の案内屋って呼ばれるのが嫌で、目を隠してるようなぼくを、信用できないって思わないの?」

「なんで? アトラスは一番優秀だから首席になれたんだろ」

「ぼくはコンプレックスの塊なんだ。必死に勉強して案内屋になったけど、父や兄には……。君のことだって最初から信用できなくて、ぼくの案内屋としての能力を疑っているんだと思ってた」

 俯きかけたアトラスを、ルドルフのまっすぐで明るい声が、前を向かせる。

「俺はアトラスを信じるよ。俺をここまで迎えにきてくれた。俺の実力はこれから示していくからさ、それを見て、俺を信じるか決めてくれよ」

 さっきまで怖がってぽろぽろ泣いていたくせに、爽やかな笑顔でアトラスを見つめるルドルフは、晴れた日の青空みたいな運び屋だ。

 この相棒を信じてみよう、とアトラスは思った。

 右手を差し出す。

「本番で力を見せてくれ」

「おう。よろしくな、案内屋アトラス」

 手を差し出そうとして、ルドルフは手袋に気づく。

「あっ」

 アトラスは軽く笑った。

「そのままでいいよ。よろしく、運び屋ルドルフ」

 足元から光の粒が湧き起こって、擬似フロンティアが消えていく。

 受付係の声がした。

『案内屋アトラス、運び屋ルドルフ、合格。訓練を終了します』



「やっと出られた」

 アトラスと一緒に受付前の廊下に戻ったルドルフは、安堵の声を漏らした。

 受付係が優しく声をかける。

「お疲れ様です。ふたりとも、よく頑張りましたね」

「見てたんですか?」

 アトラスが首を傾げる。

 受付係はキラッと目を光らせて笑った。

「ええ、全館で放送してましたよ」

「「全館」」

 ルドルフとアトラスが同時に復唱した時、すれ違う同級生たちがにこやかに手を振った。

「お疲れー、ルドルフ! 今夜怖い夢見ないといいね」

「ふたりとも良かったよ!」

 アトラスは耳を、ルドルフは鼻を赤くした。ふたり揃って首をすくめて、押し黙る。



 トナカイ小屋(と呼ばれているトナカイの集合場所)では、各本部のトップメンバー、トナカイがモニターを見ていた。

「どうにか上手く行ったみたい。ふたりとも、かわいいなぁ」

 偽物のルドルフの姿で、ほくほくしているのは、飾り屋トナカイのイヴァン。

「いい加減その姿はやめろ」

 守り屋トナカイのクドが苦言を呈す。

「ルドルフをうまく再現できているでしょう? 我ながら上出来だよ」

 イヴァンは胸に手を当てて、自分の魔法の出来栄えに惚れ惚れしている。

 案内屋トナカイのルーペが眼鏡の位置を直した。リルサンタは基本的に視力が良いので、眼鏡をかけているのは非常に珍しい。そのため幼少期からルーペと呼ばれている。

「ブリッツを思い出して落ち着かないんだ。頼むよ、イヴァン」

 手紙屋トナカイのコーリがすかさず加勢した。

「私、イーヴァちゃんの素敵なファッション見たいな〜」

「そう言われちゃ、仕方ない」

 くるり、と一回転して、イヴァンは元の姿に戻った。

 花飾りのついた帽子を被り、フリルで装飾されたシャツを着ている。

「今日のファッションのポイントはね、この赤と青のラインが入ったリボン! ルドルフとアトラスをイメージして入れてみた色だよ」

 得意げに服を自慢するイヴァンに、コーリが深く頷く。

「すてきね。とってもかわいい」

 ルーペはイヴァンから目を逸らし、テーブルに突っ伏している作り屋トナカイ、ハールを見た。

「首席とはいえ厳しすぎたんじゃないか? 次年度はもう少し難易度を下げたほうがいい。あの擬似フロンティアはリアルすぎる」

 ハールはボサボサの髪をかきあげて、弱々しい笑顔をルーペに向けた。

「なにしろニコラスの命令で急遽ルドルフたち専用の擬似世界を作ったから……流石にしんどかった」

 ルーペは申し訳なさそうに目を伏せた。

「それは……ごめん」

「イヴァンの方が問題だ。かなり挑発的だった」

 腕を組んだクドが、コーリに服を見せびらかしているイヴァンを一瞥する。

 イヴァンは目を細めて、首を傾げた。静かにまばたきする。大きな吊り目が金色にぎらぎら輝いた。

「本当のフロンティアはあんなに優しくないんだから、厳しくいかないと。そうでしょ? ルーペ。いつまでも子ども扱いできないよ。ふたりともフロンティアに出ていくんだ」

「そう……だな」

 ルーペは不安げに目を逸らす。ルーペの配偶者であるコメットはフロンティアで遭難している。未だ手がかりすら掴めていない。末子のアトラスまで案内屋になった今、ルーペにはパルク、ランカ、アトラスの全員を失うおそれがあった。

 イヴァンはまたくるり、と一回転して、ルドルフの姿になる。

「そう。いつまでも子どもじゃない。うちの娘もそろそろ結婚。不安だ。ふさわしい相手だとは思っているけどさ、ちょっと厳しくしたい気持ちになるわけ」

 クドは眉間に皺を寄せて、額を指で抑える。

「だからって、ホラー映像見せたのはどうかと思う」

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