Day26 深夜二時

 潮音が遠く聞こえる部屋で、ヴェルデは中々寝付けずにいた。真夜中のこと、リヒトはとうに眠りについている。隣からすうすうと寝息が聞こえていた。彼はリヒトを起こさないようにそっと布団から出る。壁掛け時計を見ると、時刻は深夜二時を回っていた。

 ヴェルデは深夜の散歩に出ることにした。この辺りならとうに見慣れた道だ。夜目が利く彼は灯りもなしに扉を出て、港へと向かう道を歩いていく。

 しかしどうしたことだろう。いつのまにか知らない道へと入り込んでしまったようだ。防風林の木々は海風にざわめき、たくさんの民家が所狭しと立ち並んでいる。塀と塀の間の角をいくつか曲がれば、もう帰り道も分からなくなってしまった。ヴェルデはにわかに焦り始めるが、歩き続けていればじきに戻れるだろう、と先に進む決心を固める。民家の屋根から不思議な形をした彫像たちが、彼の姿を見下ろしている。


 狭い通路を抜けていくと、ふいに視界が開けた。濃い潮の香りが鼻孔に届く。そこは入り江になっていて、ごつごつとした黒い岩礁には何かが光っている。

 よく見ると、光っているものは鉱石だった。夜だけ光る鉱物の結晶が、いくつも露出している。それらは有機的な青緑色をして、ゆるやかに点滅を繰り返している。幻想的な光景に、ヴェルデは思わず息を呑んだ。


 その時、彼を呼ぶ声がした。

「お兄さん、待っていたよ」

「さあ、こっちにおいで」

 仰天して周囲を見渡すと、岸辺の闇の中にいくつかの人影が見えた。いつのまに現れたのだろう。警戒しながらも、呼び声に従いゆっくりと歩みを進める。

 近づいていくと、彼らの姿がはっきり見えた。ヴェルデは驚きはしたものの、なるほど、と納得がいった。

 波打ち際に寝そべるその身体は、下半身が魚のかたちをしている。彼らは人魚だった。


「こんばんは。きみに会いたかったんだ。ボクはとってもうれしいよ」

 短髪の涼やかな目元をした人魚が、両手を広げて歓迎した。

「何故、私に会いたい、と?」

「だって、きみとワタシは仲間じゃないか。獣の耳と尻尾のある友人よ」

 つややかな長い髪をした人魚は、優美なヒレを波間に遊ばせながらささやいた。浅黒い肌の人魚は腕を組み胸を張って宣言する。

「オレが見つけたんだ。昼間、海岸沿いを歩いていただろう。その時は、ニンゲンもひとり一緒だったが」

「ああ、それは私の主様です」

 ヴェルデは岸辺にひざまずいて、人魚たちと視線を合わせた。

「主様は人魚を一目見たがっていました。どうでしょう、我が主とお会いになってはくださいませんか」

「それはダメだ」

「何故」

「オレたちはもう、ニンゲンの前に姿は見せないと決めたんだ」

 人魚たちは悲しげに、長いまつ毛を伏せた。

「最近のニンゲンたちは物騒だからね。この前だって、南の海で人魚が捕まって売られてしまったと、波の便りに聞いたんだ」

「ボクらも用心しないといけないから。ごめんね、きみの期待に応えられなくて」


「いいえ、気になさらないで下さい」

 ヴェルデは残念に思ったが、これは命が懸かった問題だ、断られても仕方がない、そう考えた。代わりにある提案を持ちかける。

「ならば、何かお土産になるもの、持ち帰れる品を知りませんか。せめて主様に、この場所の素晴らしさを伝えたいのです」

 人魚たちは嬉々として、口々に言い立てた。

「ああ、それならいいものがある。この岩場にも見えるだろう。夜光石だ」

「この入り江を西に抜けた先に、洞窟がある。その奥の方がね、夜光石のかけらがよく採れるいい場所なんだ」

「今はちょうど引き潮だから、エラ呼吸できないきみでも入ることができるよ。少し入り組んでいるから、足元に気をつけて」


 ヴェルデは丁寧に感謝を述べて、その場を後にした。波打ち際の人魚たちは大きく手を振りながら、彼の背中を見送っていた。

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