Day22 雨女
数日間の旅の末に、二人は滞在先である岬のコテージにたどり着いた。しかし、天気はあいにくの雨。先の景色も見えないほどの豪雨に、その日は部屋に篭るしかなくなってしまった。
窓ガラスを叩く雨音を聞きながら、リヒトは大きなため息をついた。
「幸先が悪いなぁ」
木の床に寝転がって、天井を見つめている。ロフト付きの小屋の中は手入れこそ行き届いているものの、建て付けは古く心許ない。強い風雨に戸板はきしみ、響く家鳴りが不安をかきたてる。
ヴェルデは荷解きを終えると、リヒトの隣に座った。同じように天井を見つめる。湿った木材の匂いが漂っていた。
ふと思いついたように、ヴェルデが話し始める。
「こんな天気の日には、よく思い出すことがあるのです」
それはヴェルデの故郷の話だった。
彼が住んだ森の集落には、めったに家から出てこない学者の女性がいた。相当な変わり者で、いつも寝食を忘れて魔法研究に没頭してしまう。見かねた友人たちが食べ物を差し入れたが、それすら満足に口にせず、一分一秒が惜しいといった面持ちで書物に向かっていた。
変わり者ではあったが、彼女は天才だった。森の空気から水を精製する術式を発明したのも彼女だ。集落が未曾有の水不足になった際には、その魔術が救世主となった。
そんな彼女だが、皆からは「雨女」の愛称で親しまれていた。何故なら、彼女が珍しく家から出てきた時には、決まって大雨が降るためだ。集落の人々は慌てて洗濯物を取り込んだり、走って家の中に逃げ込んだりした。
そんな彼らをよそに、彼女はひとり空を見上げて立っている。両手を広げ、全身に雨水を浴びていた。ずぶ濡れになりながら、穏やかな笑みをたたえている。全身から立ち上る歓喜とともに、彼女は雨に身を任せていた。
彼女はきっと、雨を愛し、雨に愛されていたのだ。ヴェルデはそう語り、話を締め括った。
「それは、面白い話だね」
リヒトは興味深そうに聞き入っていた。
「僕もやってみたいな」
そう言って突然立ち上がると、表戸を開け放った。ローブを脱いでシャツ一枚になると、外へと駆け出していく。ヴェルデが止める間もなかった。
「主様、何を」
ヴェルデは慌ててその後を追いかける。リヒトは全身ずぶ濡れになって、くるくるとターンしながらステップを踏んでいる。
「あっはは、気持ちいい」
彼は雨の中で踊っていた。心底楽しそうに笑いながら。
その姿が、かつてあった集落の、彼女の横顔と重なった。ヴェルデは雨降る戸口に佇んで、ただその光景に目を見張っていた。
「ヴェルさんも、おいで」
リヒトが手を伸ばす。ヴェルデはその手を取って、雨の中に身を躍らせた。
ぬるい雨水が服を濡らしたが、不思議と不快感はなかった。むしろ爽やかな心地よさに包まれて、二人はしばし時を忘れ、雨に踊るのだった。
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