Day6 呼吸

 とある熱帯夜のこと。

 ヴェルデは眠れなかった。ベッドの中で目を閉じてじっとしているが、一向に眠気は訪れない。むしむしとした熱気と湿度が煩わしくて、彼はだるそうに寝返りを打った。

 寝る準備をしてから2時間は経過している。次第に焦燥が胸の内からこみ上げてきて、彼はぐっと顔をしかめた。早く眠らなければ。休息を取るのも仕事のうちなのだから。

 激しい動悸を感じて、ヴェルデはシャツの胸元をぐしゃりと掴んだ。歯のすき間から薄く息を漏らしながら、冴えてしまった目で虚しく天井を見つめていた。


 その時ふと彼は、以前リヒトに言われた言葉を思い出した。

「ヴェルさん、眠れないときは無理に眠ろうとしなくていいんだよ。まずは、心と身体をリラックスさせるんだ」

 ヴェルデはベッドから半身を起こした。背筋を伸ばして肩の力を抜いて、ゆっくりとした呼吸を試みる。

 4秒かけて息を吸う。止めたまま7つ数えて、8秒かけてゆっくりと息を吐く。

 これも、リヒトに教えてもらった方法だった。呼吸のみに意識を向け、心身を落ち着かせるための瞑想。ヴェルデはだんだんと正常に戻っていく心臓の鼓動を感じながら、ゆったりとした呼吸を繰り返していた。


「主様、ありがとうございます」

「うん、え、何が?」

「以前教えて頂いた呼吸法のおかげで、よく眠ることができました」

 あくる日の午後、朝食の席でふたりは何気ない会話をしていた。

「それはよかった。でも、僕は大したことしてないよ、だって……」

 リヒトはほんの一瞬だけ、視線を中空に彷徨わせた。すぐにヴェルデの目を見てにこりと笑う。その眉が困ったようにひそめられるのを、ヴェルデは見逃さなかった。

「僕も、ちょっと眠れない時期があったりしてさ。いろいろ調べたんだ。それだけだよ」

 その笑顔の裏にある苦しみを敏感に感じ取って、ヴェルデはそれでも何も言えなかった。

 かちゃかちゃと食器の鳴る音がする。朝食の皿はもうほとんど空になっていた。

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