翡翠と若草 初夏三十一景

あおきひび

Day1 夕涼み

 森の奥の一軒家には、ふたりの魔術師が住んでいる。

 一人は黒いローブに丸眼鏡をかけた若い青年。もう一人はその従者で、狼の耳と尻尾を持つ眼光鋭い男だ。

 二人が一緒に暮らし始めて数年になる。四季は巡り、森の木々はその色をさまざまに変え、落葉してまた茂り、風の匂いもまた移ろい変わった。春夏秋冬を幾度か繰り返し、この家は「二人の家」としての時間を積み重ねてきた。

 そんな二人の日常は、穏やかながらも新鮮な変化に富んでいた。生活は今日も明日も続いていく。奇跡のように、運命のように。


 季節は初夏。雨続きの時期が明けると、とたんに日差しが強く照りつけるようになった。

 年若き魔術師――リヒトは、魔法道具や素材でごちゃついた実験室で、額から汗を垂らしながら作業に励んでいる。薬草を刻む手の動きが、次第に緩慢になっていき、やがて小刀を台の上にコトリと置いた。

 すぅ、と湿っぽい空気を吸い込むと、「あつぅーい!」と盛大に声を上げた。

「どうかなさいましたか、主様」

 実験室のドアを開き現れたのは、リヒトの従者である獣人のヴェルデであった。

「ヴェルさん、暑いよぉ~っ」

「それは、この部屋の換気が甘いせいでしょう」

 窓をがらがらと開け放ちながら、ヴェルデは溜め息をついた。

「あまり没頭なされませんよう。体調を崩してしまってはいけません」

 彼は用意してきた冷たい水とうちわを主人へと差し出した。「ありがとう。助かるよ」とリヒトは水をぐびぐびとあおり、うちわで顔回りをぱたぱたと仰いだ。

「ふー、今日は暑いねぇ。ヴェルさんは、夏バテしてない?」

「私の心配より、ご自身のことを気になさってください。熱中症にでも罹ってしまわれては大変です」

「うーん、確かに。こう暑いと僕の方がバテちゃいそう」

 清潔なタオルを手に、ヴェルデはリヒトの元へと歩み寄った。リヒトは「ん、自分でやるよ。ありがとう」とそれを受け取り、首から背中までびっしりかいた汗を拭きとった。


 主の健康を案じた従者は、こんな提案をした。

「では、夕涼みなどいかがでしょうか」

 夕方になったら庭に出て、椅子にくつろいで花や草木を眺めましょう。良い茶葉が手に入りましたので、水出しのアイスティーにしてお持ちいたします。そう言って、彼は「いかがでしょうか」とリヒトの様子を窺った。

 若き魔術師はみるみるうちに目を輝かせて答えた。

「それ、すっごくいいね! さっそく今日の夕方にでも、やってみよう」

 従者はほっとして、「ええ、そういたしましょう」と柔らかに微笑んだ。

 日は次第に傾いていった。初夏の陽気に草木は喜んで、緑の枝葉を豊かに茂らせていた。

 ふたりの夏は、まだ始まったばかりだ。

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