Day2 喫茶店
「15時になったら、ダイニングに来てね」
それまでは入ってきちゃダメだからね! 小さな主にそう言い含められて、ヴェルデは不思議に思いつつも、表の掃除などして待っていた。
廊下の壁に掛かった時計が15時の鐘を鳴らす頃、彼はそっとダイニングの扉を叩いた。
「失礼いたします」
部屋に入ると、そこにはいつもと違った装いのリヒトがいた。普段まとっている黒いローブの代わりに、濃紺のベストとエプロンを身につけていた。
「ようこそ、ぼくの喫茶店へ!」
うきうきとした調子でリヒトは椅子を勧めてくる。(また主様のきまぐれが始まったな)と、ヴェルデは観念して席についた。
「さぁ、ご注文をどうぞ」
「っ、あー……紅茶を、ひとつ」
「紅茶ですね〜」
主人に給仕をさせている気まずさに、彼の狼耳がぴくぴくと震え出す。しかし、何もいうまい。今日はこういう日なのだから。そう自らに言い聞かせて、ヴェルデは座ったまま紅茶が運ばれてくるのを待っていた。
「お待たせしました! ごゆっくりどうぞ」
とん、とダイニングテーブルにアイスティーのグラスと藁編みのコースターが置かれる。
「今日は暑いですからねー。そうだ、ご一緒に手作りの焼き菓子なんていかがでしょうか?」
「! 主様、それは……」
いくら何でも、恐れ多い。椅子から立ち上がりかけたヴェルデを、リヒトが朗らかな声で制する。
「いいのいいの。今日はぼくが店員さん、きみがお客さんなんだ」
にっこり笑って、リヒトは鼻歌混じりにキッチンに向かう。冷やしておいた生地を取り出して、鉄板の上に並べ始めた。
その後ろ姿を見つめながら、ヴェルデはリヒトの心遣いに感じ入っていた。
彼のような亜人種と呼ばれる種族たちは、街や都市に立ち入ることを全面的に禁じられている。生まれながらに権利を持たない亜人たちは、人間の所有物――奴隷としてのみ、人間社会に身を置くことを許される。
よって、自由に街を歩くことも、ましてや喫茶店で飲食をすることなど、彼にとっては夢のまた夢なのだ。
「うーん、良い匂い。ヴェルさーん! クッキーが焼けたよ」
こんがりきつね色をした焼きたてのクッキーが、大皿いっぱいに載せられ運ばれてきた。
ヴェルデが一礼してクッキーを一枚手につまむ。その傍でリヒトは、よだれをじゅるりと飲みこみつつ、そわそわと彼の様子を窺っている。
そんな熱い視線に、ヴェルデはたまらず声を上げた。
「て、店員さん、よろしいでしょうか」
「はい、何でしょう?」
「よかったら、一緒に食べませんか」
「ヴェルさん……はい、よろこんで!」
嬉々として彼の向かいに腰掛けると、夢中でクッキーをぱくつきはじめる。
ヴェルデは胸を撫で下ろした。主様はそうしているほうが、何だか安心する。それが貴方の良さなのだから。
美味しそうに焼き菓子を頬張るリヒトを見ていると、ヴェルデはそれだけで満たされるような気がしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます