第三十話『私は、光へと進む一歩を愛したい』

 その言葉の存在を知ったのは私が幾つの時だっただろうか。

「朝、ですね」

 ノア先生の顔が割と近くにある。

「そうね、こんな時に朝チュンの中身を経験するだなんて、くっだらないったら」

「朝チュン……? ですか……?」

 ノア先生には分からないだろう。分かっているわけがないから私は肩を竦めて笑う。


 朝チュン。それはうら若き乙女、または男子を苦しめる事もあったノベルゲームの摂理だ。

 現実でのアニメで、女性なり男性なりのシャワーシーンでは謎の光で映ってはいけない所を隠すのと同じように、全年齢対象のノベルゲームのアダルトなシーンは基本的に時が飛ばされて終わる。

 基本的に、18歳以上を対象としたアダルトな場面があるノベルゲーム、逆に言えば18歳未満は買うことすら許さないそれらには、なんというか、艷やかというか。そう、端的に言えばエロいシーンを描写する事が許されているわけだけれど、そういうシーンを抜いてもシナリオで人気が出た作品については、そのアダルトな描写を削除した全年齢版が発売する事があった。私が乙女ゲーやっていた頃には、ノベルゲーム業界自体が全盛期を終えていたけれど、その文化はまだ残っているはずだ。


――若い頃は私もイケメンヒーローにときめいていたんだけどなぁ。

 ヤサぐれて悪役令嬢の気持ちに入れ込む前は私だって恋に恋する乙女、という程良いものではないけれど、真っ当に乙女ゲーで乙女をしていた頃もあったのだ。ただ、まぁ相手は画面の向こう側だったわけだし、現実に悲しくなりつつも、それでも胸をときめかせていたものだ。


 なのに、なのにも関わらず、実際今真隣に優しげで、まつげの長い、ニアになる前の私の年齢よりも年上の男性がいても、ドキリともしない。これが世界に作り出された特異体質であるところの主人公やフラグ持ちのヒーローだからなのか。私が精神的に枯れているのかは分からない。

 ただ、ジェスといい、ノア先生といい、荒唐無稽な私の転生や現在の状況の話をすんなりと受け入れた所から考えると、フラグであるというこの世界の特異体質が今の段階では私に有利に働いているのかもしれない。それはノア先生に事情を説明した時の、怪訝そうな顔をしつつもどうしてか納得出来てしまうという展開から何となく予想が出来た。


 ちなみに言えば、私とノア先生の距離が近いのは結局、一晩丸ごとああでもないこうでもないと禁呪対策の薬を作っていたからだ。そこまで巨大でもない作業スペースで距離なんてものをいちいち気にしていられない。好き好んでもいない教師と生徒、鬼気迫っている状況、色っぽいことなんざ、何も起きるはずはないのである。


 もしも、私がこの世界の主人公であったならば、早々に禁呪に対抗する薬はつくられ、余った時間で何しようという話になっていただろう。これは間違いない。最後の決戦に向かうかもしれないのだ。

 全年齢版の乙女ゲームであれば、分かっていながらも多くのプレイヤーが期待して、本来のアダルト版ではあったはずの愛情たっぷりの行為が全カットされて朝になる。私としてはそういう意味で朝チュンを捉えていた。尤も、そういう行為自体に愛を見出すタイプでも無かったので、ドライに見ていたので残念では無かったのだけれど。


 つまりまぁ、簡単に言えば『この二人にはきっと何かあったんでしょうね、でも気づけば朝になって小鳥がチュン』である。勿論ベッドの中で裸の描写くらいは許されていたものだけれど。


 今味わっている『朝チュン』はリアルな『朝チュン』である。

 アダルトな場面の一つも無いまま、勿論望むわけもないまま、服は薬液だのなんだので汚れ、目にクマを作っている『地獄の朝チュン』が行われていた。

 気づけば朝だったという事には変わりない、それくらいに集中していたのだろう。

 遮光カーテンの中、遺骨に残された匂いや、成分の分析から始まり、それに対応する植物の組み合わせを数十通り試し、その上で禁呪に対抗しうる可能性を絞り、私は私で魔力による検知によって一つ一つ手作業で行われる作業を手助けし、結果出来上がったプランターの上に咲く、青い花が私達の成果だ。

「はぁ……間に合うとは思っていたけれど……徹夜は堪えるわね……」

 小さく呟く、大仕事を終えた感覚が物凄かった、許されるならばビールを胃に流し込みたいけれど、この世界にも法はある。だからこそ遵守すべきだ。とはいえ国賊になるだろうから酒の一本や二本という話でもある。しかし私の仕事はまだまだ続くのだ。


「僕はまさか間に合うとは……魔力による植物の促進。まさかそんなスピードも出せるのですね」

「まぁ……この植物は魔力を養分として急成長しているから風味は変わってくるのですけれどね。野菜なんかは時間をかけて作るに限ります。ただ……まぁ、私の場合は植物を煎じて紅茶として飲む為に使う魔力の勘みたいなものが、"勝手に"備え付けられていたってだけの話ですよ……」

 レイジニアの中にあった知識を適当に説明すると、ノア先生は興味深そうに話を聞いていた。

「先生も、魔法学は学ぶと良いと思いますよ。その方がこの先、生きやすいのは間違いない。魔法を使う才能がなくたって、魔法の知識があれば突破口が見える事はある。今回のように」

 朝チュン朝チュンと鳴く小鳥達に溜息を吐きながら、あまり働かず余計な事を考え続けていた頭で、私は目の間のプランターに咲いている青い花びらを、紅茶として飲むのに充分な量手に取り、両手でそれを包みこんだ。

 手のひらで数工程の魔法を使い、茶葉へと変える、つまりは蒸したり乾かしたり。

「では先生? 味見といきましょう。使う物は適当で構わないので、暖かいお湯だけいただけるかしら?」

 一応はレイジニア家が所有している家、兼研究室だ。茶器の幾つかくらいは置いてあるだろう。

 私は家を出る時に持ってきておいた空のティーパックに茶葉を入れる。

 ノア先生が湯を沸かす間に、私は改めてプランターに咲き誇っている青い花を数枚千切って、髪留めを作っていた。こういう時に魔法は本当に便利だ。花弁の周りに薄い魔力のコーティングをして、元々幾つか持っていたヘアピンに飾り付ける。


――せっかくだから、このくらいのお洒落も良い。

 ウェヌとクロの分も作り終わったあたりで、ノア先生が慣れない手つきでポットやらを持ってきた。

「おや……似合っていますね。しかし、これで足りるのですか?」

「大丈夫ですよ、これが実際に禁呪に対抗出来るかどうかも私達には未知数ですし、それに、少なくとも私は……じゃないわね、あの子にはどんな時でも、綺麗でいて欲しいものですから」

 彼から道具を受け取り、簡易的な紅茶を作っていく。まさにモーニングティー。

 私達の一晩の苦労が報われたならば、この紅茶を飲む事や、花弁を食べる事で禁呪を防ぐ魔法が身体を包むはず。

「では、頂きましょう」

 青く澄んだ液体は、あまり見慣れない色、勿論その花だって、本来は有り得ないような色。

 だからこそ、私がティーカップを持っても、ノア先生は難しい顔をしてその紅茶を見つめていた。

「その前に、この植物の名前を教えてもらえないか?」

 言われてみると、確かに作るのに必死で、銘柄なんてものを考えていなかった。

 そう言われてパッと思いつく程、私もセンスが良い人間ではない。

 

 だけれど、紅茶が好きな昔の私が、背中を押してくれたかのように。

 人間失格であった私が、笑うように、小さく架空の花の名前を囁いた気がした。

「そうね……Phosphorescenceフォスフォレッセンスかしら」

 腐敗した私の人生から、産み落とされた、一筋の光。

 そんな想いを込めて、私は青いフォスフォレッセンスの紅茶を一口飲む。


 柔らかい甘みに、スーッと喉を清涼感が満たしていく。

 後味は、野菜を齧った後ようなほんの少しの青臭さ、だけれどその後味は、何処かの、庭園を思い出す。味に改良の余地はあったが、とりあえずは私の腕であれば上々といったところだ。

「燐光……ですか。どうあれ光を作る手助けを出来たならば、その光に……乾杯」

 彼は一人で、小さくティーカップを空に掲げ、口を付けた。そういった作法も知らないあたり、微笑ましくもある。

「これは何とも……流石というべきか……薬とは言い難い」

「そりゃあ、美味しくないと誰も飲まないでしょう? 特に身分の高い方々なんて」

 身体に得体のしれない魔力の感覚が走る、おそらくはこれが、禁呪を防御する為の壁のようなものなのだろう。


――私が禁呪封じに奔走していた理由は一つだけではない。

 味方である私達が飲むことは大前提として、これらをある程度の人間に振る舞うという事が必要だったのだ。だからこそ、多少の味の乱れを感じつつも、花びらをある程度摂取した後は種になるまで成長を促し、それらを袋に詰め込んだ。

 マイロが最終的に、何処までを手駒として禁呪の餌食にするか分からない以上、禁呪封じになるフォスフォレッセンスを摂取している人間は多ければ多い程良い。

 特に、ディーテ家の惨状を見る限り、ウェヌの父母も禁呪の餌食にされる可能性が高い。前にブラウンから話に聞いた限りでも酷い扱いをしていたであろうウェヌの姉の死に、ウェヌはあれだけの涙を流したのだ。


――私の望むハッピーエンドに、あんな涙はもういらない。


 だからこそ、状況を見てウェヌの父母、及びこの国の暗部に成りえない重心には生きていてもらう必要がある。私達が生き残ればいい話ではもう、なくなっているのだろうと、感じていた。

「だって王城、直接対決が肝ですものね」

 それに、言ってしまえばウェヌの禁呪の使用法もまだ確立されていないし、分からない事も多い。

 だからこそ、それを知る為に、私はノア先生にお礼と、この件に関わったという事は保身の為にしらを切ってもらうという事を約束し、私は姿隠しの魔法をかけ直す。

「もし、何かしらがバレたとして、危うい状況になったら、絶対に相手方の味方をしてください。私の居場所も、吐いて構わないので」

「そんな事が起こらないといいけれどね……禁呪をかけられたらどうします?」

「禁呪も魔力に応じて強さを増すみたいなので、効かないって事で……ともかく、助かりました」

 私が姿隠しをしたままお辞儀をすると、彼はそれが見えているかのように苦笑して、フォスフォレッセンスの紅茶を飲み干した。

「良いモーニングティーをありがとう。僕はこれらを片付けてから、昨晩は不思議な夢を見ていたって事にしておくよ。それもうんと楽しい夢をね」

「ええ、私も悪くない体験でした。またいつか手を組む日が来るかもしれませんね。先生の知識と、私の魔法。その為にも、この世界を揺るがす為の知識と、その実現に必要な魔法を、全集から探しておいてください」

 すれ違う空気を互いに感じながら、微笑み合う雰囲気を心地良いと思いながら、簡素なモーニングティーの時間と、一夜の大実験は終わった。


 私自身の力ではないものの、私がこの世界にきてやり遂げた、始めての大事だろうと思った。

 奇妙な充実感は、現実にいた頃の自分の堕落をほんの少しだけ、掻き消すように光って、消えた。

 それでも私は、前に進もうとする。このフォスフォレッセンス、腐敗から生じた燐光という光を、信じたい。


 そうして私は、密やかな光を胸に抱いて、ノア先生と別れ、ウェヌ達の元へと、禁呪破りの奇跡を持ち、空を駆けていく。

 時間があるならば、この曇空から、フォスフォレッセンスの雨でも振らせたいと、思いながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る