第九話『悪事なんて嫌いだ』

 洗練潔白という言葉を以て街を表現するのは妙な感じがするけれど、暗部という部分は何処の街にも存在すると私は思っている。特にこんな"西洋風?"の世界なら尚更だ。

 私が向かうべきはいわばスラム、本来のこのゲーム世界で主人公が訪れる事があるのかはわからないが、この世界が既に現実として存在している以上、そうして此処が立派な街だという事を知っているとしても、貧困層は必ずいるし、昏がりは必ずあるものだ。


――だって私の世界の街にだってあったのだから。

 スラムというような呼び方はされていなかったけれど、路地裏というべきか、裏路地というべきか。

 安酒を誤魔化し誤魔化し飲ませる店の集合地帯のようなところに、現実での父はよく通っているようだった。浮気にならない程度の女遊びも出来る場所、彼らしい選択だとも思える。そういう場所が悪いとは決して思わないが、父は……悪い。


 私はそんな事に思いを馳せながらも、私の知っている世界のソレよりもずっと昏い場所へと辿り着いた。

 

――ひんやりとした空気感と、じんわりとした悪意。


 ついさっきまで黒ローブは失敗だったかしらと思ったところだったのだけれど、急に丁度良くなるような気すらする。空が見えないわけでも、太陽が遮られているわけでもない、光はあるのにも関わらず、此処にはちゃんと闇がある証拠なのだろう。

「やっぱこの格好、正解だったなぁ」

 私は一人呟く。私だってそれなりに鍛錬は積んでいるし、多少絡まれたとしてもなんとかなるはず。だけれど、やっぱりこういう場所はそうそう来たいとは思わない。それでも目的があるならば、来るしかないのは当たり前の事だ。昏がりくらいに負ける私ではない。


『モブ探し』

 私は今日のコレを、頭の中ではそう呼んでいた。このゲームを元にした世界の摂理の外にいる人。

 そんな人を探しに来ていた。イベントに関わらない、ゲーム世界に於いてのイレギュラー要素を取り込む事は、私の心に秘めた世界への反逆にも繋がる。

「反逆か、格好つけちゃってまぁ……」

 一人なのに口数が増えているのは、やはり周りにいる明らかに柄が悪い人達に睨みつけられていたり、貧しそうな成りの人達に懇願の目で見つめられているからだろうか。

 

 要は此処も一種のコミュニティで、私はよそ者という訳だ。

「なぁー、ねーぇちゃん、なんかさぁがしてるカンジか?」

 偉く癖の強い喋り方の男に話しかけられる。身なりは上々、というよりも貴金属の付け方が何とも下品だ。ギラギラしている。その細くてひょろ長い身体の十何分の一かはアクセサリーなんかじゃないかしら。金らしい指輪を両手の親指以外に四つずつつけているのが印象的。

 無言で彼の顔を見ていると彼はニカッと金歯と白い歯のコントラストが何ともいえない笑みを浮かべた。そのアクセサリーを溶かせばせめて統一出来るでしょうに……。


「……まぁ、人探し、だね」

 私はあえて口調を変える。こんな場所でレイジニアだとバレるわけにはいかない。噂なんてのはすぐに広まる、特にこういう下世話な物程。

 なので私は身体変化の魔法で声帯……声色を変え、顔も上塗りするかのようにすげ替えていた。

 とりあえず美人にはしておいたので、放っておけば声はかけられるだろうと思ったが、これはハズレかアタリか絶妙な所だ。


「んあー? こんなとこで人探しねェ……。弟か妹でも攫われたカぁ?」

 物言いに少々腹が立つけれど、それでもとりあえず向こうから情報源が寄ってきてくれるのは助かる。

「そうね……、まぁそんな所だれど、代わりを見繕いにね。あんまり顔の知られてない若くて腕の立つ孤児なんて、心当たりあるかな?」

 私も負けじと荒い物言いをすると、彼は下品に笑う。ただ『代わりを見繕う』というのは決して間違ってはいない。

「言うネぇ! 言うねェお嬢さん! 丁度いーーいトコがあっから、連れてってやるヨォ!」

 そう言って彼は手を前に出した。勿論握手をしようというわけでは無い。

 私はその手の平のが閉じられるまで、金貨をゆっくりと一枚ずつ乗せていく。 

「へェ……」

 彼の目がギラリと細く光った気がした。そもそもこんな濃い人間なのだ。私の予感が当たっていれば、この行動は後に役立つ可能性がある。

「ところで、名前は?」

「グレ、ここいらのマぁ、元締めみてぇなモンだなぁ」


――やっぱり、名有りか。

 この癖のある喋り方と風貌。スラムで最初に出会ったという事。

 つまりコイツは元々のゲーム世界でも登場しているであろう人物の可能性が高い。


 最近は、こういう事に気をつけるべきなのだと考え初めていた。

 眺めていけば簡単に分かる事で、明らかな癖と固有名称、それに自己主張がどれくらいあるかで、何となくゲーム内に本来存在していたか。それ以外かが見極められるのでは無いかと思っていたのだが、グレのお陰でピンと来た。

 それの代金も踏まえ、彼の右手に握りきれる程度の金貨を乗せてやる。

「羽ぁ振りがイイネェ! 気にいったよ!」

「それはどうも、こういうのには惜しまない性格でね」

 とはいえ、この男に渡した金貨もこの世界での価値で言えばそう多いものではない。意外と安価なのが、逆に不信感を招いた。ボられて当然だろうと思っていたのだ。なのにこれでは情報量に多少色をつけた程度。

「私は……そうね、ジニィって呼んでもらえる?」

 そう言いながら、私は彼の左手を取り、その上にもう数枚の金貨を握らせた。

「ほぉんとーに羽振りがいいねェ! ……まぁ、その考えは間違っちゃいねぇぜ、"ジニちゃん"よ」

 道化の振りを抑えて、彼の本性が少しだけ垣間見える。

 食えない男だろうな、という第一印象はそのままだった。だけれどなんとかこの場での信用は勝ち取れたといっても良い。


 通されたスラムの路地裏。路地裏の路地裏は表だろうか。

 決して、そんな事はない。大きな倉庫のような場所の入り口には、軽い武装をした見張りが数人立っていた。

 グレの顔を見ると、彼らは背筋を伸ばして、入り口の鍵を開けた。

「ほぉらよ。此処じゃあお国サンの目も届かねェ。後は好きにヤんな。帰り道は分かンだろ? 分かンなかったら握らせりゃーな、だよな? ジニちゃん?」

「あぁ、助かったよ。"グレさん"」

 そう言って、私達はお互いに張り付けたままの笑顔で別れた。


 流石にグレと対等に話しているのを見ていたのだろう。見張りは丁寧な態度で接してくる。

 だけれど、その武装は、明らかに人を殺す事が出来るような代物だった。


――逃げられるくらいなら、殺すってわけね。


 倉庫内は意外とキチンとした設備のようになっていて、受付嬢のような人までいて少しだけ驚いた。

 というよりも、外観のみすぼらしさからは考えられない程に、綺麗だ。

「本日はどういったご要件でしょうか?」

「誰か一人、雇いたいのだけれど……」

 あくまで此処は温和でいいだろうと、発言を元に戻し、内装の綺麗さもあって、少しだけ心を落ち着ける。

 だが、次の瞬間、私の表情は凍る。

「こちら、簡単なメニューになっております。本日のみのご利用ですか?」


――メニューときたか。本日のみ、ときたか。

 そこに書いてある文字は、目で追いたくもない言葉が並んでいた。

 金額の事など、どうでもいい。書いてある内容が、問題だった。


 確かに私は私にとって都合の良い、影のような存在を必要として此処まで来た。

 だけれど、この倉庫――施設は、常軌を逸している。

「調教済みの子ですと、この子がオススメですね。とても従順で、よろしいかと」

 そう言って受付嬢は笑顔でメニューを指差す。

「いえ、そういった事はこちらで行います。それに、私は奴隷として買いに来たのでそういった事は結構よ」

 苛立ちで、言葉が崩れかけている。それでも構わない。

 だって、人が値付けされている。それも、様々な用途、口に出すのも憚れられるような、卑猥な言葉もチラホラ見える。というよりも、本来はそれが目的の場所なのだろう。


――そりゃ、国からも隠れるわよね。

「けれどそうね、出来れば小柄で顔が良い子を頼める?」

「でしたら丁度良いですね! 最近入ったばかりの子なんですが……」

 そう言って受付嬢は後ろの棚から薄っぺらの紙切れを一枚取り出す。

「背丈は145cmで細身、歳は……12歳程ですかね。このあたりでは珍しい黒髪ですので少々値は張りますが……、まぁ調教前なので安くしておきますよ。ただ少々性格に難があるので……会っていきます? 」

「値が張るだとか、調教だとか……」

 怒りの余り、私がボソっと呟いた言葉に、受付嬢が一瞬怪訝そうな顔をする。


 一瞬、私の中で許せない事が増えかけた。

だけれどそれは、今じゃない。知る事が出来た。それだけで、構わない。

そうして今からする事は、私もその悪事に加担しているのかもしれない。


――後で、見てろよ。

 そう思いながら、私はあくまで笑顔を絶やさない受付嬢の目を見る。

 何も悪い事をしているなんて思っていないような顔が余計に私の心を苛立たせた。


「えぇ……、じゃあその子、お願いするわ。確認させて頂戴」

 私はもう既に笑顔を作れていない自分の顔に気づきながら、私はいつもの口調に戻っている事を是としながら、受付嬢に圧をかけるようにその子の所への案内を願い出る。

「か、かしこまりました」

 何に対して威圧されているのかも分からないような顔で、おどおどと受付嬢は棚から鍵を取る。

「それと!」

 怒りのあまり、忘れてしまうところだった。

 受付嬢が鍵を持ったままビクンと大袈裟に身体を動かす。


――私も大人げない、か。

 少し、怒りに任せて意地悪をしすぎたようだ。彼女も結局は雇われの身で、上部組織は真っ黒なわけで、だけれどこんな所では働かなければいけないという事は事情があるのだろう。

 それでも、簡単には冷静になれない程には『メニュー』の内容は下劣で、最低な物だった。

「失礼、大きな声が出たわね」

「いえ……何か粗相がありましたら申し訳ございません」

 申し訳無さそうにしているが、悪いのは彼女では無い。

 だから、彼女にも待っていて欲しい。


 だけれど、今回はこれが一番大事なのだ。

「いいえ、こういう所は初めてだからちょっと驚いただけ。……それで受付嬢さん。その子の名前って?」

 受付嬢は鍵を片手に、改めて紙切れを見てから、首を横に振る。


 そうして「無い……みたいですね」と私に怯えながら伝えてきた。

 怯えた理由は、分かっている。


 だってきっと、私は笑っていただろうから。

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