第十八話『強引な世界の我儘が嫌いだ』

 私の中で新たなに生まれた、面倒だけれど、それでも完遂しなければいけない課題。

 それはもう、本当に面倒で、だけれど生まれてしまった以上どうしたってやらなきゃいけないと、我儘な私が叫ぶのだから仕方がない。


 話を聞く限り、ノア先生は、良い人だ。それはクロから話を聞いていた時点で薄々勘付いていた事だ。

 それと同時に、ウェヌだって良い子だ。私の最初の目的は変わらない、ウェヌのフラグを折ってやるという気持ちが揺らいだ事は無い。だけれどそれは、もう既にウェヌの不幸の為では無い。


 私もいい加減、レイジニアという借り物、もとい頂き物の姿であっても、だからこそ碇二朱という人間性を捨て、本当に思うべき事の為にこの力を使うべきではないのかと、この奇跡じみていて何処かふざけた世界の中で思い始めていた。


――ウェヌのフラグを折るという事は、決してウェヌだけに作用する事ではない。

 相手の人生も同時に、私は握ってしまっているのだ。

 もう二人分の人生を、私の手でこの世界が定めているであろう運命から外した。

 それが、彼女にとって、彼らにとって正しいかどうかは分からない。それでも私はやっぱり性格が悪いのだろうと、未だノア先生が不思議な顔をしてこちらを見ているのにも関わらず、小さく笑ってしまった。

「先生は、怒るべきです」

「それは、どうなのかな。事実君の頭痛は和らいだ。それだけで僕はある種、幸せにも思えるんだ」

 だからこそ、彼もまた、より正しき場所におさまるべきなのだと、そう思った。

 私の頭痛は確かに和らいだ。だけれどレイジニア程の力があれば、高等魔法を操る事もそう難しい事もない。頭痛は事実ではあったけれど、ある意味では方便だった。

 だから、この部屋が存在する必要性は、ウェヌと出会う為以外に、無いのだ。


 それが、悲しいけれどこの世界が望む、事実。


――ウェヌを想いフラグを折るのならば、この人のフラグを折らないのは、違う。

 フラグを折るという事は、一つの可能性の芽を潰すという事。

 だからこそブラウンには、悪い事をしたとも思っている。もしかすると、気付いた今でこそ思う事だけれど、そんな想いが結局は『彼を矯正する』という行為に至ったのかもしれない。彼の人生はきっとこれから、今までよりも余程まともな物になるだろう。私は彼にとって悪行と行ったと同時に、その代わりの行為も出来たと、そう信じている。決して、善行だとは思わないけれど。

 騎士のジェスについては、いつかまた出会う日もあるだろう。その時には、株くらいは上げるのも悪くない。そうして、やはりこれは私からの善意では無い。だとしても、奪った物は別の形で返す。それが今の私が思う正しさだ。

「今私が飲んだ薬は、先生が独自にお作りになったものですか?」

 この答えはおそらく『肯定』だ。主人公に対するヒーローの評価的に考えてそうなるものなのだと、勘が告げている。

「回復……魔法の原理を僕なりに解釈した物ですね。先程言った通り僕は魔法がからっきしなんで、回復魔法が起こしている作用と同じような作用を探っていった結果、偶然出来上がった一つの方法でしかありません。僕に魔法が使えたら、楽で済んだんですけれどね」

 顔は苦笑していたが、声は決して明るいものではなかった。

 それに、私が思っていた評価の範疇を大きく超えている。レイジニアの記憶から考えるならば、今のノア先生の言葉は笑い飛ばすような事だ。


『魔法で出来る事をわざわざ』


 それがこの世界に於ける一般常識。それを体現したのが彼だ。

 しかも人智の外に存在するであろう魔法の効能に向き合い、植物の調合によってそれらと同じ効力の物を作り出す。元のレイジニアならば嘲笑ったかもしれない。だけれど私はそれを少しもおかしいとは思わない。

「であれば、魔法を使える物に託すのが、道理ではないかしら? 先生」

 利他的な手段は、嫌いだ。

 だけれど、この方法が、今の私の最善手だと、今私が思ってしまった。

 だからそんな利他的な手段を、私は今から提案する。

「ブランディ家が、貴方のその能力を買い受けます」

「えぇ……っ?! いや、そんな事を急に言われても。僕は一人の大人で、君は確かに名家の生まれかもしれないが……」

 私よりも余程年下だろうと言ってやりたかったが、それを飲み込んで、二の句を告げさせずに言葉を遮る。

「魔法で出来る事をわざわざやっているというのは、この世界にとって意味の無い事です」

 おそらくは、散々言われてきただろう。レイジニアの記憶の中で、そんな風に思って見ていた出来事や、そう言われて心折れた人間を見た記憶が残っている。実際にレイジニアが口に出していなくとも、そう思われて当然の事を彼はやっているのだ。

「だけれど……!」

 一瞬、彼は声を荒げる。それでも私はそれに負けない声で、『私の正しさ』を主張する。


 彼の未来を奪う為に、彼が未来を掴む為に。

「だけれども!! 私は貴方の植物という物への熱意を受けとり、癒やされたのです! たった今、私は貴方の努力の結晶によりこの頭の痛みから逃れられたのです! 貴方のような大人が鍛錬を積んでやっと使えるような高等魔法すら使われずに!」

 言葉を遮られ、年下の少女に怒鳴られたのにも関わらず、彼の表情から小さな怒りが消える。


――そう、怒るのは、私だけでいい。


「だからこそ勿体無いといっているのです! 年端もいかない私でも分かる事。高等魔法と同等の物を作れる人間がどれほどいるとお思いですか? 学園で起こる事故など、実際に魔法で処理すれば良い。貴方に必要なのは魔法を使えない人を助ける為に、その植物学のより深みに進んでいく事でしょう?!」

「理解は、出来るさ。それでも、僕がいなきゃ誰がこの学園で傷ついた人を治す……?」

 そう、そう思う風にノア先生は縛り付けられている。

 強情であるのは、ゲームとして作られたこの世界のストーリーのせいか、彼の性格のせいか。それは分からないにせよ、彼が此処にいるというのは、この世界そのものの損失だ。

 フラグが何だという話だ。実際にこの世界にはクロが住むようなスラム街があった。そこでどれだけの人間が傷ついているだろう。病に苛まれているだろう。


 果たして、そこに魔法はあるだろうか。

 奴隷として売られた彼らに、彼女らに、魔法なんて奇跡は訪れない。


 ならば、魔法を礎にしている。この世界には、魔法に匹敵する物が必要なのだ。

 飛行機はない、電話もない。それは、魔法があるせい。科学や技術の発展を妨げているのは、魔法という概念のせいに他ならない。

 魔法の力で空を飛べても、魔法の力で話が出来ても。それを持たずしてそれと同等の事をする必要は、必ず出てくる。この世界はあくまでゲームを元にした世界だから、未来を見ていない。

 この世界に意思があるのならば、今この瞬間でさえ、ウェヌをどう世界が定めたハッピーエンドにも導くかということしか考えていないのだろう。


――だから私は、自分を犠牲にしてでも、未来を取る。

「私が、この部屋を貰い受けます。レイジニア・ブランディという生徒の、その実力は流石に保健室にも、届いているでしょう?」

 私はそもそも専用の研究室まで与えられている身だ。そうして生徒からの人気も厚い。

 ノア先生は確かにいい男かもしれないが、誰にも靡かなかったという点が、強い。

 ならば彼がこの場から消える事に対して、不満を持つ生徒もいない。

「貴方は、この世界の未来の為に、その学問を存分に掘り下げて下さい。この学園に保険医はいりません。これからは、この私が治しますから」


 独断、だけれど筋は絶対に通させる。レイジニアの横暴な行為は記憶の中でも多くある。

 だけれどその中でもこれはとびっきりに横暴な行為だ。

 それでも、絶対に私はこの男を学問の道に戻し、保険医としてウェヌには出会わせない。

「それがまかり通ると思っているのかい? 君はまだこの学園の生徒だ。その点僕は雇われの身で、成人もしている。社会の常識は、君の我儘で変えられるようなものではないんだよ?」

「だったら何故! 貴方は魔法の特訓の一つもせず、植物で高等魔法と同等の治療知識を得ているのです! 私はあえて、身体に影響する頭痛という痛みを貴方に差し出した。ハッキリ言えば、治せるだなんて期待はしていませんでしたの。だけれど貴方は魔法ではなく貴方自身の努力で、貴方がしたいと思った我儘な治療で私を治したのです。そこに違いなど、あってたまるものですか!」

 魔法の腕がからっきしなんて事は、魔法について努力をしていない人間ならば誰にでも言える。

 生まれつき魔法が全く使えない人間の例なんて、この世界では数える程しかいない。要は魔法を学べるという立場にあったか、無かったか。それともサボっていたかだけの話なのだ。

 であれば、クロのような奴隷として売られていた子が魔法を使えない事には納得出来ても、保険医として身なり正しく、コーヒーなどを優雅に飲んでいるこの先生が、その努力する時間が無かったはずがない。

「貴方は魔法についての努力を怠った。それは紛れもない我儘でしょう?!。植物の力を信じているからではありませんか! ならば、正直になりなさい! 貴方が頷き、私が動いたならば。貴方の愛する学問は、すぐ目の前にあるんです!」

 つい、熱くなりすぎていた。努力の方向性を間違えている彼が、どうしてもいつかの、会社で愛想笑いをしているボンクラで、無様に死んだ誰かと重なってしまっていた。

 彼は、私の剣幕を真面目な顔で受け止め、流石に大人として、怒りの素振りを見せずに静かに考えていた。

「必ず、必ずこの世界には、貴方が深めた学問が必要になる日が来ます」

「君は、会ったばかりの僕に随分入れ込むのだね」

 だって、良い人なのだ。

 だって、フラグを立てる為に此処に縛り付けられた、被害者なのだ。


 何度だって、何度だって考える。


――私は、私は、私は、ウェヌが自由な選択の下で生きられる為に、動いている。

 だから、この人だって、自由な選択の下に放ってあげなければ、いけない。

「私は、我儘なんですよ。先生はスラム街を見た事は?」

「いいや、無い」

 そりゃあこれだけしっかりとしていて、要は自分の好きな学問を学ばせてくれるような家柄に生まれていたならば、知らないだろう。

「あの場には、人を傷つける魔法しか存在しない。今この瞬間だって、さっき私が頂いたあのひとつまみの薬を求めている人がいる。貴方がいるべき世界は、こんな所では無いはずです」

 その言葉が、トドメだったようだ。

 彼は、小さく頷いて、部屋の隅にあるカバンを開いた。

「ブランディ家が、雇ってくれると、そう言っていたね?」

「ええ、手配致します。その代わり、結果は出していただきます。それと、さっきのようなお薬も定期的に頂きます。その代わりにこの場の事はご心配なく。どの道、この部屋に来ていた生徒達なんて怪我の治療目当てでは無かったでしょう? 今後はそんなもの、片手間で済ませます」

 彼は何とも言えない苦笑いを浮かべながら「全部お見通しなんだね、ブランディさんは」と呟いた。


 その日付けで、学園の保険医は、ブランディ家の学者として、立場を変える。

 真っ当な理由の羅列の前では、理事長に私達の提案を止める術はなかった。

 世界はあくまで、ウェヌを保険医と出会わせ恋をさせるという事に対して動いている。だからこそノア先生の説得は、少々骨が折れた。それでも彼の痛い所は簡単に見えたからこそ、今までで一番楽だったかもしれない。その代わりに、これからが一番面倒なのが問題だけれど。


 ノア先生が決断さえしてくれたなら。残っている行為は、世界が行っているウェヌと誰かを結ばせるという行為に対しての具体的な反逆。

 レイジニアの記憶にもロクに残っていないような理事長、つまりはモブを陥落させるだけの簡単な行為だけだ。ノア先生がポカンとする程簡単に、私の提案は受け入れられる。つまりはこの人間もまた、世界の管轄外だったという事だ。


――まだ、出し抜けている。


 私の行っているそれが、良い事なのかは、結果が出るまでやはり分からない。特に今回はウェヌと出会う事すら許していないのだ。

 それでも彼が愛すべきはウェヌではなく、学問なのだと強く感じていた。

「貴方が愛すべきは、学問であり、貴方を愛するのもまた、あんな貴方の顔目当ての生徒ではなく、正しき学問である事を、祈っています」

「はは、本当に、あっというまで、どうかしている一日だった。だけれど、君の言う事は言い得ているよ。僕は学問と共にありたい。それに、君の言うように困っている人の為になるならば、知識を抱いて墓に入るさ」

 そんな言葉を、もしかしたらウェヌにも言っていたのかもしれないと思うと、少し心が痛む。

 だけれど、それを私に言った所で、私の心は少しも靡かない。


――靡かない、のもおかしな話だ。


 思えば私も女性、現実の年齢は彼よりもずっと年上だとしても、少しも胸ときめく事が無かった。

 ブラウンも決して二枚目というわけではないが、悪い顔立ちはしていないし、騎士のジェスについては明らかなるイケメンだった。だけれどどうしてだろうか、全く興味が沸かなかった。

 レイジニアの好みが影響でもしているのだろうかと不思議に思って記憶を遡っても、彼女が恋をした記憶は一つも無かった。


――というよりも、誰かを好いた記憶が、無い。


 ぞの恐怖のような感情に、少しだけ私は眉を潜めた。

「どうかしたかい?」

「い、いえ。とりあえず私のこの手紙を持って、ブランディ家に向かってください。その後の事は家に帰ってから説明致しますので」

 そう言って、私は元保健室を後にした。彼が荷物を持ち運ぶ準備が必要なように、私にも研究室から物を運ぶ準備がある。実際の所、そう多くの患者は来ないだろうし、多少騒がしくなるとしても、部屋が広くなってありがたいくらいだ。

 

 それに、ウェヌが持たされている、傷を即座に入れ替える禁呪『身代わり羊スケープゴート』についても、元々保健室としての、申し訳程度の医療道具が残されているこの場の方が考えやすい。

 魔法で大体が解決するのに、どうしてこんな医療道具が存在しているのか。それを考えるのも、もう苛立ちが募るだけなので辞めた。

「血圧計があって電話が無い世界って何よ、もう!」

 私は棚に入っていた、絶対に一度も使われた事の無いであろう血圧計を思い出しながら呟き。

 最後の最後に間違ってウェヌがノア先生と合わないように、急いで教室へと戻った。


 もしあの血圧計で私の血圧を測ったなら、その数値の意味は誰も分からないだろうけれど、随分と高い数値が出ていただろうなと思いながら。

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