第一章『BU"T"LER・BU"TT"LER』

第二話『貴方が嫌いだ』

 望んでいた紅茶の香りは、嗅いだ事の無いものだった。

どうやら私は死んではいないらしい。

ただ、病院というにはどこか古すぎる印象を覚えた、なのに見覚えがある気がする。

「レイジニア様? どうかなされたんですか?」

 呼ばれた知らない名前に、痛みも無い。思えばベッドに寝かされているわけでもなく、目の前には見覚えのあるような美少女が座っていた。

「え、あ? あぁそうね。確かにどうかなされたんだけれど、貴方は?」

「あはは……意地悪は少し困りますが……。改めますと、魔法学園高等部一年、ウェヌ・ディーテです。この度はどういったご要件で……」

 リアルな夢を見ているものだと思った。何故ならば、私が止めた乙女ゲーの画面と全く一致していたからだ。

私は無言で紅茶を口に運ぶ。嗅いだ事の無い芳醇な香り、砂糖の類いは入れていないはずなのに渋さの欠片もない甘みすら感じる口当たり、魔法か、奇跡としか言いようの無いような飲み物だった。

「用は……無いわ。ただ、どんな顔なのか拝みたくてね」

 もしこれが夢でないのだとしても、私がどういう理由でこの主人公をこの場に呼んだのかなんて分かりやしなかった。

「高等部二年の、レイジニア・ブランディ様ですよね? 魔法と飲食をかけ合わせる第一人者だと存じています」

「貴方に飲ませるつもりは無いわよ」

 即座にその言葉が口から湧いて出ていた。

おそらくは良い子なのだろう。だけれど状況がわかったならば、私は悪役令嬢なのだ。

本来のゲームがどういう結末を送るのであれ、この子を幸せにさせるなんて、許したくない。


――だって私は性格が悪いのだから。


「そ、そうですよね。私なんか、ごめんなさい……」

「シュンとすれば解決するなんて、思わないで」

 本来ならば頭の中だけで済ませていた言葉が、スラスラと言葉になっていく。

これは、人生の最後の最後に、少なくとも信用していた人間の最後の砦を壊されたからなのだろう。

「分かり、ました。努力します」

「努力で認められるような、世界じゃないわよ」

 全身全霊の善意に、全身全霊の悪意でぶつかっていこうと思った。

彼女は不幸せを知るべきだ。私によって。

そうして私は、最後まで不幸せを与えるべきだ。

その為に、私はきっと此処にいる。

「その顔を見たならもう用は無いわ。行って頂戴」

 シュンとしたままいなくなるウェヌを見て、私は考える。


――彼女にとってのバッドエンドとは、なんだろうか。


 どのヒーローとも恋仲になれずに、一定の時期まで過ごさせる事が出来たならば、ゲームで言えばバッドエンドになる。ならば私は、この不可思議な二度目の生を、それに捧げると決めた。

 そうであるならば、結果だけを求めるべきだ。ちまちまとした甚振りなど必要は無い。ウェヌに定められた幸福の全てを打ち崩せばいいのなら、私は悪役令嬢として、嘘を付き彼女に優しくし、騙す事に決めた。

何故ならば、私は悪役令嬢ではない、私は私だ。


 人間が嫌いだった。母も最後には壊れ、父は最後まで壊れ、私もまた壊れていた。

私の人生は、バッドエンドだ。母も父も、私の自殺という事で事情聴取はされたとしても、それなりに生きていくのだろう。やってはいけないラインを越えてしまった後悔を味わえば良い。


 振り回されて命を落とした私が、悪役令嬢如きにおさまってたまるか。しかもゲームに転生をしたというのなら、途中で止めたままの私には、レイジニアとしての私の結末すら分からない。だが大抵は身を崩して、最悪死ぬ運命だ。

ならば、私はこの身を賭して、ウェヌに降りかかる最悪の展開を用意しよう。

幸い嘘は大の得意だ。彼女を優しく扱い、ヒーロー全てを排除すればいい。

魔物もいる世界、魔法もある世界。そうして私は能力だけは高い悪役令嬢『レイジニア』だというのならば、それも可能だ。


 ゲームでの悪役は倒される為にいる、だけれど私にはその運命を変える事など、容易いはずだ。

何故ならば、この世界はもうゲームではない、ある程度の道筋や人物は決まっていても、創られた不条理やイベントと呼ばれる物は自分の行いでいくらでも変えられる。

 私は初めて自分の目に光が灯った気がした。それがどす黒い光だという事に気づいていたとしても、だ。

「あの子は、善人。ならばあの子を使うのが、一番早いわね」

 口調すら変わっている事に可笑しさを感じながら、レイジニアとしての記憶が私の中に流れ込んでくる。そうして、私自身が優れた魔術師だという事もまた。

私は私が創った紅茶をもう一口飲み込む、もう疑問は無い。何故なら使っている茶葉は碇二朱イカリニアとして生きた世界には存在しなかったのだ、それに、魔力を使い紅茶を淹れるという手段だって無かった。だけれど今の私にすればそんな事は容易い事。

「まずはそうね、この国の王子様に紅茶でも献上しようかしら」

 一番攻略ハードルが高いであろう王子、彼女にとっては彼との仲が一番進展し辛いはずだ。だが逆に進展さえしてしまえばその権力でいくらでも丸め込まれる可能性がある。ならば私が先に唾をつけておくべき事だ。確かに鏡を見た所、私ことレイジニアは美人ではある。長い赤毛の髪に、学園の綺麗な制服も余計に見える程の体型と、元の私よりも身長が高い、自分の身長が160cm程だったから、それよりも一回りは大きく165cm程はあるだろうか。なのに体重は軽そうだ。やや鋭い目も、笑うとギャップで可愛さまで感じる程だった。


 だが、結局の所ウェヌも今は垢抜けないだけでよく見ると美少女だ。薄い茶髪にあどけない顔、良い意味で学生らしく制服も似合っている。少し痩せていて、体型も女性らしいというよりもその体重が悪い意味で気になってしまう、それにきっと、心根が綺麗だ。だからこそ誰もが惹かれるようになるのだろう。大体の乙女ゲームの主人公なんてのはそういう風に出来ていたはずだ。

 ならば、国内随一だと言われているらしい私の紅茶という武器で、先手を打つべきだ。

「まさか、この世界でも紅茶だなんてね」

 そう言って私は、令嬢らしからぬ動作でグイとカップの紅茶を飲み干し、席を立った。

呼び止めるべきはウェヌという、主人公の卵。

廊下をトボトボと歩く彼女に、私は少しだけ申し訳無さそうな声を出して呼び止める。

「待って……! ごめんなさいウェヌ」

 振り返る彼女の顔は少しだけ明るさを帯びていて、少し腹が立った。

「私はこんなだから、つい意地悪をしてしまったの。ごめんなさい、良ければもう一度、自己紹介からやり直させてもらえるかしら? 勿論紅茶も振る舞うわ」

「そ、そんな! 紅茶は結構です。私みたいな落ちこぼれが飲むには、勿体無い」

 落ちこぼれという設定は知らなかった。これから覚醒でもするのだろうか。

とはいえこの物語のキーパーソンというより主人公は彼女だ。ならば取り入るべきは彼女でしかない。

覚醒をさせるつもりも無いし、どんな男とも上手く行かせるつもりは無い。


――この子には、私がバッドエンドを与える。


 朗らかに笑っている彼女を見ながら、私は心に満ちた彼女には何の関係も無い、見にくい憎悪を燃やしていた。

「あら、なんでレイジニア様なんかとウェヌ風情が一緒にいるのかしら?」

 私がいた部屋、おそらくは私に与えられた研究室らしきものに向かう途中に、数人の女生徒がウェヌに声をかけた。どうやら私とウェヌの立場は一見して声を出し、嫌味を言う程にはかけ離れているようだ。時節は春、ならば私とウェヌの顔合わせは確かに初めてだが、この顔ぶれにはレイジニアの記憶の中で見覚えがある。要は有象無象の取り巻きの一つだ。

「いたら悪いのかしら?」

 ハッキリ言えば、邪魔でしかない。一々ウェヌにちょっかいをかけられていては面倒だ。彼女が不幸になるのには大いに賛成だとしても、こんなちまちました、ゲームのような嫌がらせに私はもう興味がない。

「私が一緒にいる相手は私が選んで当然。尤も、貴方達がその立場に選ばれる事は無いでしょうけれど。ウェヌは私が目をかけた。手でも出してご覧なさい? ……分かるわね?」

 少し脅しすぎたかと思ったが、女生徒は謝罪の言葉と共に逃げ去っていった。


「わ、私なんかの為に、すみません」

 まるで子犬を拾ったような気分になる、目に怯えが見えて、ふと母を思い出してしまった。

「貴方の為なんかじゃないわ。私がすることは全て私の為よ。あまり恐縮するのは辞めて頂戴」

 そう言うとウェヌは満面の笑みで頭を下げた。こういう所がきっと、愛される要因なのだろうと、溜息が出た。

 私のような特異な魔法を持つ者にだけ特別に与えられているらしい、自室にも使えるような研究室に戻り、彼女に紅茶を振る舞うと、彼女はまるで最後の晩餐のスープを啜るかのように、ゆっくりとそれに口をつけていった。というよりも口づけかと思う程の仕草で、頬を赤らめながら紅茶を飲んでいく。


――そんな風に飲んだ事、いつか私にもあったんだけどな。


 一瞬よぎった憧れのような感情は、すぐに霧散した。まずは、彼女から聞くべき事が沢山ある。

「茶菓子が無いのは……気が利かないわね」

「へ……?」

「いえ、こっちの話よ。それじゃあ紅茶しかないけれど……せっかくですし、お話をしましょう?」

 私の話なんかは、記憶を探ってみるといくら話しても構わないような事ばかりだった。だけれど、重要なのは私が知らないウェヌの話だ。

「えっと、何から話せば……」

「なんでも良いのよ。そうね……私の事は知っているみたいだし、貴方の事を教えて頂戴?」

 未読スキップをしていたせいで、彼女の事を何も知らないのは、本当に痛手だと思った。それに、身の上話を聞くのは、あまり好きじゃない。

 だがそれが私にとって『必要な情報』ならば別だ。


 こうして、私による彼女のバッドエンド計画は、彼女の身の上話を聞く所から始まった。

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