第三話『人間が嫌いだ』
他愛も無い話だったけれど、基本的な事はなんとなく分かった。
ウェヌもまた、そこそこの名家の生まれだが、彼女を取り巻いていた状況、つまりは姉が元凶での家族間の不和でそのような怯えがちな性格になってしまったという事。これは言いにくそうだったが、何とか聞き出せた事の一つだ。
私が既読スキップで飛ばしていた間にウェヌに起こった事は、簡単にまとめると森の中で魔物に襲われた際に『騎士様』に助けられたという事と、そのまま傷の手当と称して騎士様が仕えている王城の医務室を借りた際、"偶然"王子と出会ったという出会いのエピソードだけだった。
――王子にはしっかりと会っちゃってるのかー……。
冷や汗が流れかけるのをポケットにあった刺繍の入った黒いハンカチで拭き、私は自分の今後の動向を考える。
王子に会ってしまっているのはこの際もうしょうがない話だ。挨拶周りを未読スキップで飛ばしていたのだから。何を言われてどの程度の興味を持たれたかは分からないものの、つまりまだウェヌは騎士と王子とは顔見知り程度の中でしかないという事は分かる。
それに、ゲームでは無くとも、この世界に運命という物があるならば、主人公であるウェヌをハッピーエンドに導こうと動している事が良く分かる。
ならば必ずまた魔物に襲われるシーンがあるはず、騎士が攻略対象にいて、出会いがそうであったならば、もう一度魔物との遭遇はあるだろう。そう考えると『騎士』と『王子』はセットと考えた方が良い。魔物に襲われ騎士に助けられ好感度が上がり、その流れで王城に行きまた"偶然"王子と出会う。悪役令嬢が出てくるまで未読スキップをしていたし、説明書どころかパッケージもしっかりと見ていないから分からないが、医務室の主治医が攻略対象の可能性だってある。
だからこそ、その前段である魔物討伐を私がやる必要がある。面倒ではあるが鍛錬と、ウェヌが外に出るタイミングは見逃さないようにしなければいけない。
王子については未知数だが、この時点で彼にウェヌへの情が無ければ早々難しく考える事は無いだろう。
そもそも会う機会を消せば良い。だからこその鍛錬だ。
ただし、聞く所によると執事については別だ。彼女の言い草だと、どうやら彼女はもう既に執事に信頼を寄せているように見えた。彼女自身が気づいているかは別として、十歳やそこらから面倒を見てくれた五、六歳程度の年の差のイケメン男を好きにならないなんてのもおかしな話。
「私達には立場がありますものね」
その言葉に彼女は気を落とした素振りを見せる。どうやら私も、そしてウェヌもこの世界での階級としては令嬢と呼ばれても良いくらいの場所にいるようで、執事と良い仲になるよりも王子に選ばれ良い仲になる方がずっと相応しい程度にはお嬢様だ。
「すみません、私の話ばかり。レイジニア様は何か……」
確かに怪しいくらいに話を聞きすぎた。ただ、何か私の話をしようと思っても元々の私の記憶とレイジニアとしての記憶が混ざり合ってパッと話が出てこなかった。
「私はね、人間が嫌い」
だから、私の話をする事にした。
「人間が……?」
「ええ、私は私も嫌いだし、母も父も、皆嫌いだわ。だけれどまぁ、紅茶は好きね」
意外そうな顔をしてから、彼女はあろうことか、私を否定する。
「でも、こうして私と話してくださってるじゃないですか。嫌いであれば、そうは言えないはずです」
「けれど私、貴方も嫌いよ?」
「それは、悲しいですけれど。それでも私に意地悪した方に怒って、私をこの部屋に連れ戻してこんな紅茶まで振る舞ってくださったじゃないですか……!」
彼女の言う事は尤もだ。おそらく今私達がしていることは『お友達』がやることなのだろう。
「それでも、それでもよ。好きにはなれないものもあるの。私はただ、こういうのが上手ってだけだし、貴方にちょっかいを出した子らは、単純にムカついただけ。私は私が嫌いだけれど、私の為に生きるって決めてからは、気に入らない物は全部取り除くって決めたの」
それは本心だった。こんな世界に来たのだ。媚びへつらうのも、仲裁に走るのも、うんざりだ。
だから私はしたい事をする。許せなければ、許さない。私の目的を邪魔するなら、それもまた同じ事だ。
ウェヌは何だかよくわからなそうな顔をしていたが、それでいい。分からない間に、バッドエンドへ導けばいいだけの話なのだから。
「なら、私と此処にいるのもレイジニア様の為ですか?」
「そうよ? 私が貴方の話を聞きたくなった。それだけ、気まぐれじゃ説明がつかないかしら? 私特製の紅茶じゃご不満? お茶菓子が必要?」
「じゃあ、やっぱり全ての人間が嫌いなんて事は無いんですよ。ただ……」
言いくるめるように話した言葉も彼女の前ではかき消されていくように、否定されていく。
「ただ……?」
そこで彼女は言い籠る。言いにくい事でもあったのだろうけれど、私はあえてそれを言うように促した。
「ただ、レイジニア様は出会った事が、無いのかも知れません。好きになれるかもしれないと思うべき人に」
案外、頭が回る子だと思った。冷静なフリをして、ただ笑ってみせた。
――痛いトコ、ついてくるなぁ。
確かに、愛が良く分からないのは事実だった。幼い頃から父と母を見てきたせいかもしれない。
だからこそ、私はこの子に、死ぬ前の
思えば私は、恋なんてした事が無かった。恋された事があっても棒に振った。何故ならそれは嘘の私を好きになった人だったから。
「言うわね、貴方」
かろうじて出た台詞に、ウェヌはひどく恐縮してしまったようだ。事実一本取られたのはこちらの方だったというのに。
「でもそうね、貴方の言葉が言い得ているのは確かよ。好きになれるべき人……ね」
「きっと出来ます! だって私達はまだ誰とだって出会えますよ! 今日私がレイジニア様と出会えたように!」
キラキラしている、その目で見られると、負けそうになる。だけれど、負けちゃいけない。この子だけが幸せになるなんて事を、私は認められない。
選ばれた主人公、選ばれなかった悪役。私がもしこの子になれていたなら、幸せだっただろうか。
きっとそれはそれで色んな事をしたかもしれないけれど、好きになれるべき人に出会えていたかは、分からない。
ただ、目的はそれでは無い。私の幸せは、恋をする事では、きっとない。だからこそ、まずは手近な所で執事をどうにかしなければいけない。
「そうだ、今度、お茶菓子を持って貴方のお宅に伺ってもいいかしら? こんな茶会は華が無いわ。件の執事でも、メイドでも私が持っていった茶葉くらい上手く淹れられるでしょう?」
大胆な提案だったが、彼女から感じる信頼のような物に
「是非! でも、何で私なんかを……?」
「興味が湧いたのよ。私にあんな事言う貴方に」
それは、嘘では無かった。事実、もう既に目的に近いくらいに、彼女に興味はあった。私の心を、ある種の弱みを、全てではないけれど確実に撃ち抜いた彼女の言葉、それが出てきた理由を解き明かしたかった。
「興味って、どうして……」
「それは言わないわよ。何ででしょうね?」
彼女は可愛らしく頬を膨らませて「教えてくださいよぅレイジニア様ぁ……」と言っているが、本当の所は自分だって本当はどうだったのか分からない。もしかすると私は本来レイジニアがする事より良い事をしているかもしれないし、悪い事をしているのかもしれない。だがもうそんな事はいくら考えても分からない。
「それより貴方、一々長ったらしい名前を呼ぶのは辞めて頂戴。私の事はニアで良いわ」
都合の良い事だなと思った。だってそれは、呼ばれ続けていた本名と同じなのだから。
「そんな……っ、恐れ多いですよ……!」
確かに、彼女の話と『レイジニアとしての記憶』の私を比べた上は、私の家とウェヌの家では格が違う。同じお嬢様の家だとは言っても、権力関係で言えば私の方が余程上だ。
だがそれ以上に『レイジ』という言葉が気に入らなかった。『怒る』という意味を持つ単語が名前に入っているのが、悪役令嬢らしくも、私の物としては気に入らない。それに、そもそもの本名だって『
「私は貴方をウェヌと呼ぶわ。だから貴方に拒否権なんて無いわよ」
そういうと、彼女はおずおずと「よろしくお願いします、ニア様」と頭を下げた。
これでは従者のようだと思いながらも、その悪くない響きに満足しながら、近日中に約束を取り付け、茶菓子の無い茶会は終わった。尤も、彼女に気づかれないように追跡の魔法はかけてはいたが。
情報は何となくでも出揃った。今度の茶会は茶菓子と、彼女のヒーローの一人である執事が待っている。私は策を練りながら『レイジニア』としての責務を放り投げ『ニア様』としての単純な自己鍛錬に励んでいた。
執事がどうにかなるかも分からないが、魔物がまたいつウェヌの前に現れるかもわからない。その時にまた騎士様に登場してもらっては面倒だ。
追跡魔法ならばつけている。それに姿隠しの魔法も有り難い事に『レイジニア』は取得しているようだった。ならばウェヌの動向を伺い、魔物が出そうなタイミングで私が動き出せば良いだけだ。
魔物を殺す実際の訓練にもすぐ慣れた。だって結果として私は私を殺しているのだから。
近郊の魔物の事も調べ上げる。色々と魔法を使える事からも、私には魔術師としての素養はあったようで、大体の魔物を一掃出来る程度に実地訓練で慣らした後、嗜み程度だったらしい剣術にも力を入れた。
時間はいくらあっても足りないどころか、何が起きるか分からない。
茶会の前日、私はとりあえずの茶菓子と、とびっきりに淹れるのが難しい紅茶の茶葉を用意し、ウェヌの家に行く準備をしていた。
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