悪役令嬢になったからには、貴方のフラグを全部圧し折る
けものさん
プロローグ『大嫌いな世界と、大嫌いな私』
第一話『私が嫌いだ』
ハッキリ言ってしまえば、私は性格が良くない。それは環境のせいだったのかもしれないし、生まれ持った物なのかもしれない。
ともかく、性善説でも性悪説でも構わない。たった今、只今の私は性格が悪い。明るく振る舞うのが得意で、嘘が得意で、嫌われないようにするのが得意で、嫌うのが大好きだ。
ハッキリ言われるならば、私は都合が良い。それは環境のせいだったのだろうし、生まれ持った物のせいなのかもしれない。
ともかく、生前何かしてしまったのだろうなと思うくらいには、都合良く扱われる。
暗く振る舞うのは損だ。どうせなら嘘でも明るい気分でいたい。
――だけれど、私は人間が嫌いだ。
付け加えるならば、私は私も含めた人間が嫌いだ。私を端的に説明するならば『媚び上手で都合の良い、人嫌い』
だから、いつも負けてしまう悪役が輝いている時だけが、そんな、損な私にとってのちょっとした救いになるのも、間違っていないはず。
「実家、休みの日、昼、二十代もそこそこになって、ビール片手に乙女ゲーかぁ。シーンスキップも付いてないんだなぁこれ」
独り言と共に新しく買った乙女ゲーをプレイし始める。いつものようにオプションボタンから未読スキップをオンにして、開幕からゲームのシナリオスキップボタンを押しっぱなしにした。
ボイスも流れず、早回しで映し出されるイケメン達の乱舞、今読み飛ばしているシーンは、メタ的に言えば美少女主人公への挨拶回りだ。
魔物に襲われそうになった所を救う騎士様だとか家の執事、さては王子まで手が届く身分なのかコイツは、と背景を見て何となく察する。
私は、ゲームが好きだ。
特にシナリオゲーム、男向けの物も女向けの物もプレイしたけれど、女向けの方が性に合っていた。
――何故なら、明確な悪役がしっかりと私と同性の主人公を甚振ってくれるからだ。
いずれは死んだり、因果応報と言わんばかりに落ちぶれる立ち位置の悪役令嬢。
彼女達は、ゲームの序盤に憎まれ役を買う為にとことん主人公に意地悪をする。
それを見るのが私の数少ない趣味の一つ。
だからやっぱり私は性格が悪い。ちなみに、主人公側が反撃に回りそうになった辺りで大体ゲームを辞める。もしくは主人公に登場キャラクター全てのフラグを折らせてバッドエンドを見て終わる。
ただ、それも何処か物足りない。何故ならばどうせその美少女主人公が何となく幸せになるであろう事が分かってしまうからだ。物語の中とはいえ、憎らしい。
要は健全な楽しみ方では無い。悪役令嬢が主人公に嫌がらせをしているのを見る時こそが、私というプレイヤーの楽しさのピークだ。
ヒーロー達の挨拶周りが長い、このゲームは何人分の個別ルートがあるのだろうと、パッケージを見て溜息が出る。
「あぁ、選択肢管理面倒だなぁ」
選択肢を選ぶにあたって、あっちを立てなければこっちが立ってしまうような作りだと意識して全員と仲を悪くさせないと何となく誰かしらと恋仲になってしまう。最近はシナリオゲームですら攻略難易度が低い。
三本目のビール缶の中身が開いた。昼にしては飲酒量が多い。何故なら、昨日の職場での会話が思い出されたから。
『え~? 趣味ですかぁ? 私、紅茶が好きなんで、珍しい銘柄とか集めるの好きなんですよね~!』
嘘が多い私だけれど、というかこの口調こそ嘘の塊だけれど、紅茶が好きなのは事実だ。
紅茶は好きだった。大好きだった。母からの影響もある。それに今も部屋に缶は綺麗に並んでいる。
だけれどいつの間にか、机の上に乱雑に広がるビールの缶の量が越えていた。
片付けても片付けても、すぐに増えていく。紅茶の香りを忘れる程、アルコールの臭いを嗅いで生きている。
ハッキリ言って欲しい、私は出来損ないだったのだと。環境のせいかもしれない、けれど修正出来なかった私のせいなのだと。
性善説を信じていた頃の私こそ、きっと正しかったのだ。今はもう、何も残っていない。
私が私を歪にしたのは、もしかすると私が人を怖かったからなのかもしれない。
父の怒鳴り声が居間から聞こえる。これもいつもの事、母は私に『何故出ていかないのだろう』と思っているだろうし、私は母に『何故別れないのだろう』と思っている。
聞き慣れた両親の喧嘩に私は辟易しながら、仲裁に入る為に部屋から出る。
プレイを止めたその画面には、丁度その作品の悪役令嬢が映っていた。初登場の場面で未読スキップ停止、その辺りの技術は完璧だと自負している。いらない技術ではあるけれど。
怒鳴り声は止まらない、父の物だけが止まらない。母は気弱な人だ。だからこそ逆らえない。
けれど、些細な事でも父の心に火をつけてしまえば、彼の怒りを抑えるのは骨が折れる。
私は永遠に二人の子供ではあるけれど、立場としてはもう大人だ。
いくら私が嫌な人間だったとしても、長く過ごした両親の間にくらいは、入る事が出来る。
――ただ、その日だけは違った。
部屋に入ると同時に割られていくティーカップの音。その音に、やめてと声を上げながら泣きじゃくる母。
父は、母が大事に取ってある『ティーカップのセット』を壊していった。セットは、使用を前提にした用途であれば二人で飲む為に存在する。
だから、それを壊すという意味は、母への決別を意味しているのかもしれないと、悟った。
「やめなよお父さん。掃除するの誰だと思ってるのさ」
「そもそも
少し驚いた。話しかけたのは私からだとしても、怒りの矛先がすぐに私の方へと向いた。
「あー、何? 喧嘩の理由は私の事?」
会社や友達相手とは違って、取り繕う必要もない。
私そのものの言葉を告げながら、私はお母さんを見る。すると彼女は目を逸してしまった。
「社会人なんだから、酒を飲むくらい良いと思うけど。家にお金も入れてる。文句があるなら直接……」
「うるせえ! 出来損ない!」
パリン。
言われなくても出来損ないなのは分かっているけれど、優しい母が否定する。
「貴方、そんな事……」
「口答えするな!」
パリン。
「とりあえず、そのティーカップを割るのは辞めてあげようよ。流石に可哀想。私の部屋にある物を壊せばいいでしょ? お母さんに問題は無いじゃない」
「お前を、産んだだろうが!」
パリン。
そのティーカップが、最後の一つだった。
飲む為ではなく、記念のティーカップ。
「うん。近々私が出ていく、それでいいでしょ。お母さんも行く?」
「生意気な事ばっかり言いやがって!」
テーブルの上をチラリと見ると、私が飲んでいたビールよりも余程強い酒が置いてあるのが見えた。その酒も、この一連の父の暴動で倒れて、中身が床へとこぼれ落ちている。
ポタ、ポタ。
ただ、視界の先で鳴っているであろうそんな音が、母の手元から聞こえた。
ティーカップの破片を手にして、無言で立っている母の顔には、もう感情と呼べる物が何も残っていないように見えて、ゾッとした。
「ちょっとお母さん! 何してんのさ!」
「ごめんね
この時私は、優しい母がとうとう自害でもするのかと思ったのだ。
けれどそれは違った。母は床にばら撒かれたティーカップの破片を踏みつけながら、鋭利な破片を手に、父へと走る。
――あぁ、結局は、こうなるんだな。
理由は分からないが、どうせ些細な事なのだ。
酒を飲んだ父は『最近二朱はどうだ』『さぁ……』くらいの事で、激昂する事さえある。
ただ結局、父は暴れるだけ暴れて満足した頃に、我に返って軽く謝り、そうして本当にその暴虐とも言える行為が解決したと思うのだろう、片付ける母を見ても、ケロリとしているような最低の男だった。
けれど、それでも最後の最後に、凶行に出るのは、あんなに優しい母だったのだ。
その瞬間、私は二人に嘘を吐く事に決めた。
私は人間が嫌いだ。
「待てこの! 馬鹿親二人!」
叫んだ私に驚いたのか、両親共に一瞬動きが止まる。だがそれもわずかの間、母はもう、壊れてしまった。
父の視線は泳ぎ、母の覚悟に怯えている。彼もまた、本当に馬鹿な人だ。
母は運動神経が悪いのにも関わらず、手を血に染め、足元の痛みに顔を歪めながらティーカップの破片を振り回す。
――私は、人間が嫌いだ。
「これでも見て、落ち着け!」
言いながら私は、一番鋭利な破片を拾って自分の首元に突きつける。
「要らないってんなら、私が死んでやるから!」
母は優しいのだと思っていた。
だから、あんな凶行に走って罪を背負って欲しくないと思った。
ただ、そう思いながらも、きっと私は心の何処かで、母に幻滅していたのだろう。
それが私にとっての最後の砦だったのかもしれない。
父はあんな駄目な男でも、それでもこの家を養ってきた。
別れるべきだと思うが、それは後で二人が決める事だ。
そう思いながらも、この人達もいっそ死ねば良いとすら思った。
両極端な考えが、同時に自分の中でせめぎ合う。けれどもう、事は起きている。考えても仕方ないのだ。
二人が息を呑む音が聞こえる。
幸い、母はまだ父を傷つけてはいないから、通報さえしなければ事件性は無いだろう。
私の脅しによって、一旦この場が落ち着いてから、家庭内でこれをどうにかしたらいい。
アルコールが抜けて冷静になったならば、父だって話が出来ないような人ではないはずだし、母だってこんな事をした事については幻滅したけれど、まだ間に合う。
――だけれど私は、この仲裁に入るまで私がしていた事を忘れていたのだ。
だからやっぱり、今日だけは違った。
私の血液の中にも、アルコールが回っている事に、今の今まで気付かなかった。
私も酒に酔っている。じゃなきゃこんな事をするものかと我に返った。
酒を飲みながら乙女ゲームをしていて、悪役令嬢が登場してゲームの主人公と向かい合った時点でこの大喧嘩どころじゃない状況を止めに来た。
その前に、面倒な主人公とヒーローの挨拶回りを眺めながら、まあまあ飲んでいる。
そうして酒を飲んでいた事を思い出した瞬間に、この騒ぎでの興奮が体の中をアルコールと共に駆け巡り、私の足をふらつかせた。
母が進んだ方向へと私は数歩進み、割れたティーカップの破片を踏む。
痛みを感じた瞬間、視界がぐらついた。母の血が、私の足を滑らせる。
倒れた勢いで、手に持った鋭利な破片が、おそらく私を殺すにふさわしい何処かに、突き刺さった。
この瞬間で、突然の激痛に喘ぐ自分の声だけがきっと本物だった。
だけれど幸いにも痛みはすぐに消え、私のしょうもない命は、闇へと落ちていった。せめて、最後に嗅ぐのは紅茶の香りが良かったなんて、思いながら。
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