第十二話『鈍いのが嫌いだ』
ウェヌが動いた。
私が念のため、予めウェヌの邸宅の近くに設置しておいた感知型の魔法が反応したのは、昨日に続くクロに関するあれやこれやでだいぶ疲れていた頃だった。まさかこんなタイミングで、とも思ったが、動かないわけにはいかない。
ウェヌが夜に動きはじめるのは非常にまずい。そうして十中八九、行き先は騎士が夜間警備をしている森だろう。
今日もまた丸一日を使い、内々の話として魔法と戦闘技術の講師とマナーの講師にブランディ家に定期的に来てもらうという事で契約を交わしてきたばかりだ。だからこそクロの力量は未だに未知数ではあった。弱いとは思わない、だが強さのラインが何処までなのかは未だにはかりかねていた。
「結局今は自分自身に期待するしかない、か」
「んー? ニア様どっかいくのかー?」
一応初回の講義は受けたはずなのだけれど、この子の場合口調はもう諦めざるを得ないのだと思っていた。まあ、見た目に即していて可愛らしいと思えなくもない。きっともう少し歳を取ればその幼さも消えていく事だろう。
「えぇ……ちょっと野暮用でね……」
私はクロを人売りから買い取った時と同じように、黒いローブを身にまとい。その腰の部分に細身の剣と短刀の鞘を下げた。
「ん、クロも行く。そっちの、貸して」
そう言って彼女は私の短刀を指差す。少し不安な気もしたが、とりあえず魔法についての知識は無い事がわかったので、何か間違いが起きたとしても私が彼女に傷つけられる事は無いだろう。
そう思い、私は一応そこそこの値段のする短刀を、早急に仕立て上げさせた動きやすさを重視した黒を貴重としているメイド服の腰元にそっと隠してあげた。
「へへへー、おさんぽ? おさんぽ?」
「だったら良いのだけれど。下手に人間に手出しはしちゃダメよ? 特に傷をつけるのは絶対にダメ。魔物に襲われたなら別だけれどね」
彼女は聞いているのか聞いていないのか、せっかく隠してあげた短刀を鞘から出して、嬉しそうに見つめている。その目が少しだけギラついているようで、ほんの少しだけ、怖さを覚えた。
「ん、ひとはころさない」
「傷もつけない! 特に女の子に会ったら絶対に守ること! 私もやるだけやるけれども……」
基本的に家か学校、夕方に街にいるくらいのウェヌが夜に動いたという事は、何らかのイベントに引き寄せられていると思っていいだろう。魔物に襲われる事まで、大体想像がついている。
この時間から街に繰り出す程あの子は素行不良では無いだろうし、どうせ薬草か何かを取りに行くといったあたりだろう。感知魔法から届くウェヌの気配は、やや遠目の森へ向かっている。
なら、何とか間に合うはず。
なんせ徒歩の彼女に比べて、私達は飛ぶのだから。
「ほら、行くわよ! エンチェント……
私はクロの手をしっかりと握り、彼女をあの場所から連れ出した時よりも不格好で、だけれど速度はお墨付きの風魔法を私達にかける。
「うぉー! ほしまでいけるぞ!」
「行くのはあっち! 暴れないの!」
そう言いつつも、私達はなるべく人の目につかないように上空を滑空し、ウェヌの傍で待ち受けるように森の中に身を隠した。
「ここからは静かにね……ほんと、ほんとに静かにしてね」
「ん……アイツフガ!」
ウェヌは怯えながら、簡易的な光魔法で足元を照らしながら森を歩いている。見るからに目立つから、私達はその光に当てられさえしなければいい。
私は大きめな声を出しかけていたクロに向かって改めて静かにしてとお願いすると、彼女も流石に空気を呼んだのか小さく頷いた。
「あの子がもし、魔物に襲われたらそれを合図に応戦するわよ。そうしたらいくらでも声出しなさい」
「……ワカタ」
意外と物分りが良いのはこの子の可愛い所でもあり、使いやすい所だ。言う事は子供っぽくても、なんだかんだ言えば理解をしようとはしてくれる。分からなければ教えたらいいだけの話だ。
「ひぇっ!」
そんな事を考えているとウェヌが何かに怯えてこちらを光魔法で照らす。
ガサリとした音は確かに私にも聞こえた。どうせクロが動いたのだろうと思い、彼女の方を見ると、彼女は姿勢を低くして、一匹の四足歩行で狼に似た魔物を短刀で仕留めていた。
「まだ、おそわれてない」
私すら気付かなかったのに、彼女は一瞬で私達動揺に草むらに隠れていた魔物の一体を一撃で仕留めたのだ。その戦闘センスに少し驚きながらも、私はクロの頭をそっと撫でる。彼女は仕留めた魔物の毛皮で短刀の血を拭き取り、私と同じように息を潜めた。
ウェヌも音がしなくなったので安心したのか、ゆっくりと森の奥へと歩を進めて行った。
「ニア様、アイツだいじ?」
「あー……えぇ、まぁね。色々あるのよ」
クロにこの世界についてを語るのはあまりにも野暮というか、流石に御伽噺だと思われてしまいそうだから黙っておいた。というよりも、こんな話は誰に言っても信じてもらえないだろう。もしかしたらウェヌくらいのお人好しだと、信じてくれてしまうのかもしれないけれど。
「……誰ですか?!」
もう一度ウェヌがこちらを光魔法で照らしたか。と思って背を低くして伺うと、植物の隙間の奥にその光が当てられているのが見えた。そうしてウェヌの声に返事をするのは、明らかなグルルルという威嚇の声。
ジリジリとウェヌがこちらの方へと後ろ向きでにじり寄ってくる。
タイミングを、タイミングをはからなければいけない。
「ニア様、まだか? クロはいつでもいけるぞ」
クロが急かすが、私は静かに首を横に振る。
私がはかるべきタイミング。
それは決して、ウェヌが襲われるタイミングではない。
――聞くべきは、馬の足音。
王国騎士団がこの森を定期的に警備している事は勿論知っていた。
だからこそ、ウェヌはこの森で、騎士と出会ってしまう。
ウェヌに向かって、先程クロが仕留めたのと同じ狼型の魔物が飛びかかる。
だけれど、まだだ。ウェヌはそれを何とか避けて、魔法で応戦しようとする。
しかし、彼女自身に光魔法と攻撃系統の魔法を同時に操る技術は無いはずだ。
真っ暗になった森の中で、ウェヌの焦った声だけが響く。
まだ、まだだ。
というか、早くしないと洒落にならない。
「この手に宿れ炎……じゃない! 燃えちゃう!」
この期に及んで何を言っているのかと思ったその時、やっと目的の音が聞こえた。
こちらへと迅速に駆け寄ってくる、馬の駆ける音。
「クロ! 今!」
言いながら私は光魔法でウェヌと魔物を照らし、さっき魔物を一撃で仕留めた戦闘センスを信じ、クロにウェヌの身を託す。
「ん!」
それはまるで影が走るように、光の中を黒の線が疾走るように、あっという間の出来事だった。
「いっぴきか! 今日のごはんにはたりないぞ!」
魔物を食べる趣味は無いのだけれど、クロの挑発は意味としては通じないものの、周りに集まってきた魔物を確実に光の元へとおびき寄せていた。
「へ? へ?」
あたふたしているウェヌを尻目に、私も細身の剣を抜き魔物を蹴散らしていく。
その為に面倒な剣の修行などを続けたのだ。実戦経験まで積んだのだから、流石にこの程度の魔物は、なんとかなる。それにわざわざ魔法を使わないというのも、今この時にとっては意味のある行為だ。
「ニア?! なんでこんなところに! ぐうぜ……」
「なーにこんな時間にほっつき歩いてんのよ! 危ないじゃない!」
危ないの前に『ヒーローに出会ったら』と付けそうになったけれど、耳に入る馬の駆ける音が意識を逸してくれた。
「大丈夫ですか?! お嬢様が……た?」
「はぁ……今頃お出まし?」
私達の足元には合計五体程の魔物の死骸。戦闘経験が殆ど無いであろうウェヌ一人であれば間違いなく殺されていたであろう数だ。本来はこの馬に乗っていて顔も兜でロクに見えない騎士が助けてくれるというイベントだったのだろう。だけれど、とりあえずその第一印象は完全に消す事が出来たはずだ。
「私達がいなければ、貴方はこの子の死骸の周りを無様に魔物と踊っていた所よ」
――そうして私は悪役になる。
申し訳無さそうな雰囲気を漂わせながら、彼は馬から降り、周辺を確認する。
あれだけの騒ぎと、魔物と言えど血の匂いに、おそらくより強い魔物が集まってくる可能性を危惧しているのだろう。
「確認なんてしてる場合? 来るわよ!」
「クロはあっちー!」
音のする方へと消えていくクロ、少し危なげではあるものの。床に転がっている魔物の死骸の内、三体は彼女が一撃で葬り去っている。戦闘訓練がいるのか疑問に思えてくる程だったけれど、あまりにも目立ちすぎるという点で考えると、改善の余地はあるだろうと思った。
私はウェヌの傍で剣を構える。
「ほら、貴方も! その腰の剣は装飾品か何かなのかしら?」
馬の扱い等を見る限り、決して弱い騎士では無いはずだ。だがあえて苛立ちを見せながら、挑発をするように名も知らぬ騎士に嫌味をぶつける。
「中々手厳しい……手練とお見受けする。少々お付き合いを……」
「あら、中々気概があるのね。じゃあ狩りと行きましょうか。ウェヌ、私の後ろに! 出来れば灯りをお願い!」
彼女にも役割を与えてあげる事で、自己肯定感を上げて貰いたい。とまで言えば格好つけすぎかもしれない。だって事実として灯りは必要なのだから。、
「ひゃ、ひゃい!」
ウェヌは状況が上手く掴めていないようで、騎士すらもロクに目に入らず私の周りだけを光魔法で照らす。良い兆候、非常に良い兆候だ。
「ニア様ー! つれてきたぞー!」
ヒュン、ヒュン、という風の切る音と共に、クロが草陰から大きく跳躍しながら飛び出して来る。
それと同時に、私はローブを魔物の顔に投げつけ、視界を奪う。
思ったよりも手強そうなのが来たけれど、此処で魔法は使えない。あくまで剣で倒さなければいけない相手なのだ。それでも、その心臓の位置くらいは、知っている。
「クロ! 足元!」
「あい!」
クロは飛びながらクルリとその身を反転させ、魔物の後ろに周り、その足の裏側を短刀で切り裂く。
痛みに咆哮を上げる魔物の態勢がぐらりと揺らぐ。
騎士は未だに剣を抜いたばかり。
――あまりにも、鈍い。
そんな事に苛立ちながらも、私はそのまま魔物と対峙する。
そうして私の眼の前には、態勢を崩し、こちらに倒れ込もうとしている魔物。
私の力で貫けなければ、その魔物の自重を使えば良い。
「蹴る!」
「もち!」
従順というのはこれ程までに楽なのかと驚くくらいに、クロは元々備えていた運動能力を遺憾なく発揮してくれていた。
ここまでしてくれたなら、私のすべき事は一つだけ。
思い切り此方側に倒れ込む魔物の心臓部に鋭い剣先を当て、その血を身に浴びるだけで良い。
心臓を突かれ、大量の血を流しながら私の方へ倒れ込んでくる魔物。剣に伝わる重さから、避けなければと思いながらも、後ろにウェヌがいるのを思い出し、私はその場でなんとか踏みとどまる。
そんな時にやっと、魔物に向かって騎士の剣が振るわれた。
一撃で魔物の首を跳ねる程の威力、そうしてその後に放たれる横蹴りは私の剣ごと吹き飛ばされる。私が手を放していなければどうなっていたのだろうか。実力は明らかに格上だが、判断が恐ろしく鈍い上に、間違っている。
今だって、本来ならば私に倒れかかってくる魔物の胴を押さえつけてくれるだけで良かったはずだ。
どうやらプライドは高いらしい。
だからこそ、私は悪役になれるのだ。
「騎士様の鎧、随分とお綺麗ですわね」
明らかな嫌味、彼が倒すべき魔物を一掃したのは、年端もいかない少女と、細身の剣を持つ血みどろの令嬢だ。途中で魔物に投げつけたローブは、何も魔物の視界を塞ぐ為だけではない。
その下には特上のドレスを着ていたのだ。これならば血に塗れていてもただの小娘では無い事くらいまともな騎士であれば理解出来るはず。
騎士は何も言わぬままその兜を外し、暗闇でも分かる程の、金色の髪を揺らしていた。その目がウェヌでは無く、私に向いている事に安堵していると、ドサリと魔物の首がウェヌの近くに落ち、彼女は尻もちを付く。
「もう死んでいる事くらい、分かったでしょうに」
そう言いながら私は、尻もちをついているウェヌに、そっと手を差し伸べた。
私がいなければきっと、この騎士がその役目だったのだろうな、と思いながら。
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