第五話『無自覚が嫌いだ/トマトがほんの少し好きになった』
ウェヌの邸宅の庭園については、元々調査によって素晴らしい物だとは聞いていたが、実際目にすると感嘆の声が出そうになってしまった。綺麗に彩られた花々は、見たことのある花のような気がするが、何処か現実離れをした色味をしているようにも見える。
それ以上に、ある程度限られたスペースで、上手く空間を利用しているのはセンスとしか言い様が無いように思えて、少しだけ悔しさを感じてしまった。レイジニアにはこのような才は無いだろうと思う。勿論その身体と記憶を持つ私にも無い。これは一重にウェヌ・ディーテという一人の主人公の才能なのだと思った。
「……どうかしましたか?」
思わず庭園の綺麗さに見とれていた私は、ウェヌの言葉にハッとする。
「いいえ、良い庭園ね」
庭園の手入れを彼女がしているという事は知っていたが、私がそれを知っているという事を彼女は気付いていないのだろう。さっき彼女の姉にその件で圧をかけたばかりなのだが、そういった言葉の裏を読むのは苦手らしい。
「えへへ……、ですよね! お野菜も作らせて頂いていて……」
彼女はその綺麗な庭園――というよりもよく見ると色鮮やかな野菜が多く目に入るので菜園といっても良さそうな、日差しの当たる綺麗な庭について、それを作らされたとも、自分から作ったとも言わず、ただ嬉しそうに照れてみせるだけで私の賛辞を受け止めていた。
とはいえ、良い庭園という事を否定しない辺り、多少の自信はあるのだろう。それでも、その行動には奥ゆかしさが見えて、悪い気はしなかった。
「野菜ね……」
色鮮やかな、見覚えのある野菜達、それらにゲーム特有の独自性は見えなかったが、とりあえず私にとっての赤い悪魔こと、トマトが目に入る。無理して食べた、熟しなければしない程好みだ。熟しすぎたトマトを食べるならば、本当の赤い悪魔のような唐辛子を食べた方がまだマシだったかもしれない。
ピーマンは永遠に食べていられた。肉を詰めると尚良い。ニンジンは甘くされると困るがスティックを齧る分にはキュウリと一緒に適度にお腹も膨れて丁度良い。
セロリはお酒を飲みながら良く齧っていた。野菜というよりも、健康的なツマミだ。なんてことを思っている場合では無いのだけれど、あまりにキラキラした庭園というか菜園は、見ていて飽きる事が無かった。
「何かお召し上がりになりますか……? あっ、でも流石にお口には合わないかも……」
彼女は自分自身がこの庭を手入れした事を何よりも誰よりも知っている。当たり前の話だ。だが私はそれを知らないという事になっているのだから、知らずに褒めるのも悪い事ではない。
ただ、失敗したと思った。褒められた事で舞い上がったであろうウェヌがタタタと走ってもぎ取ったのは赤色の悪魔である。
「あー……、トマト、トマトね」
「お嫌いでしたか?」
シュンとなるウェヌが見ていられないというのも確かなのだが、トマトだけは流石に苦手といっても過言では無い野菜の一つだったので、少し困る。否定する事は簡単なのだけれど、それをすべきは決して今ではない。けれど私が私にとって嫌な事を続けるというのも、私にとっては不幸せでしかない。
――というか、トマトは果物だ。
「ええ、少し苦手というか……、なんていうか……」
私がどう断るべきかと考えていると、ウェヌが少しだけ自信ありげな顔で微笑んだ。
「口触り、ですよね? でしたらこういうのは如何でしょう?」
彼女が手に持ったトマトから、水分がふわりと空へと抜けていく・
――私が使える紅茶を創りだす魔法が個性と努力の結晶であるというのならば。
ウェヌはポケットから粉を振りかける、消えた水分を吸い込むようにしぼんだトマトはその粉を吸い込んでいく。青々しい匂いが空へと消えて、甘い匂いが彼女の手の上へと漂う。
「ドライフルーツだと、どうでしょう? お紅茶に合うかは分かりませんが……」
その紅茶もおそらくの所失敗するのだろうけれど、ウェヌは白く綺麗なシーツがかけられたテーブルの上に些か小さくなったトマトを置き、丁寧に切り分ける。
そのくらい自分でやらずとも良いのに、と思いながら私は未だ姿を表さない執事を待つ。
茶菓子というには何とも言えない見た目ではあるが、テーブルにチョコンと乗せられた赤い悪魔は、力を失ったようで少しだけ可愛らしく見えた。
「じゃあ……、一粒貰ってもいいかしら?」
怖いとは思いながらも私はそれを一欠片手に取った。
トマトのグジュグジュ感を好まないという事も見抜かれていたようだし、逆に熟していない青々しさが苦手だという事は見抜かれなかったものの、それももうこの弱体化した赤い悪魔からは消え去っている。
キラキラしているウェヌの目を見ながら、それを思い切って口に入れて噛みしめると、トマトが野菜ではなく果物だと言われる理由が分かった気がした。
――この子は、作物を創るという個性と努力、そうして才能を持っているのだ。
甘すぎず、香りは穏やか、乾燥はしていても、不快感の無い瑞々しさを感じるような風味。
「……美味しい」
思わずそんな言葉が口から溢れてしまった。
執事に紅茶を無理に入れさせて溢させるどころの話じゃない。私がふと籠絡されかけてどうするのだ。
「ありがとうございますっ!!」
最早それは自分で作ったと言っているような物なのだが、実際にトマトからドライトマトにするまでの過程は見ているからもう何も言う必要も無いだろう。小さくガッツポーズをしているウェヌを見て、私は苦笑してしまった。
「あっ! アルビーさん!」
彼女が私の後ろに向かって少し嬉しそうな声をあげる。
――さて、ご対面だ。
振り返ると、茶色の髪の毛にシンプルな執事服を纏った男性が視線を向けた途端丸まっていた背筋を伸ばし、ぎこちなく微笑みながらこちらに一礼した。
アルビーと呼ばれた青年はおそらく必要であろう茶器を持って、こちらへとやってくる。そうして挨拶するにはやや遠目の距離から、改めて頭を下げた。
「本日はお越し頂き、光栄です……レイジニア嬢。ウェヌ様専属の執事をさせて頂いております。アルビー・ブラウンと申します」
優しげなのは分かる。丁寧なのも分かる。
けれど、けれどだ。これは想定していなかった。意地の悪いゲームというか、優しい設計というか、何となくメタい事を考えてしまって、彼には本当に悪いとは思うけれど。
――垢抜けていなさすぎる……!
声が小さい、距離が遠い、優しげと言えば優しげ、だがそこに執事としての矜持が見えない。卑屈にすら見えてしまう。そりゃこの家で厄介扱いされているウェヌ専属になるだろうと思わんばかりの、垢抜け無さ。しかもウェヌとは違い、原石ですら無い。石ころが喋っている。
「彼が例の……?」
思わずウェヌに耳打ちしてしまった程だったが、どうやら彼女の顔を見る限り本当の事のようだ。
――これ多分、全員の攻略が駄目だった時の、救済用の人だ……。
最近は稀にある気がする、何となくプレイが駄目でもバッドエンドにしないタイプの作品。
まさにこの作品がそうだったのだろう
『何も上手くいかなかったので、旧知の垢抜け無い者同士幸せに暮らしました チャンチャン』
これはもうその為の役割としか思えない。だから元々ウェヌはこの執事に仄かな恋心のようなものを抱いていたというわけだろう。それはもう、この世界を現実として捉えた今では、何の為にもならない。何の意味も無い。
生まれてからの彼女の人生があったのだとしても、この感情についてはおそらく、ある意味プログラムされたような歪な感情でしかないのだと思った。それは流石に、私が彼女のバッドエンドを望んでいるのだとしても、気に食わない。
――手のひらの上で踊らされるのは御免だ。
私がやるのは良くても、誰かが誰かの手のひらの上で踊らされるのを見るのは嫌いだった。
だからこそ、やっぱりそういう意味でもまずはこの二人を終わらせるのが正解だと思った。
「えっと、ブ"ロ"ウンさん? 声が小さくてどうも、聞き取れなかったの」
「ええっと……、すみません。性分でしてどうも……」
勿論ちゃんとした名前自体は聞こえていた。だが彼は私の一言に対して言い訳をする。
そもそも執事として、胸を張って挨拶もロクに出来ていない時点で、その家の評価が下がってもおかしくないというのに、そんな事すら理解出来ていないのだろうか。
「その性分とやらで、この家の評判を落とすのかしら、貴方は」
――好きになっちゃ駄目でしょうよ、いくら出会いがなかろうとも……。
はっきり言って、ウェヌは原石だ。その点、彼には光る所があるようには思えない。顔もパッとせず、性格も優しいだけでやっていけるならば万々歳かもしれないが、仕組まれた感情によって、何となく幸せになられるのは、一番気に食わない。ならば無理をして苦しんででもつかみ取りに行かせた方がまだマシだ。
尤も、そんな事は私がさせないのだけれど。
「……貴方、ウェヌに甘えてやいないかしら。私レイジニア・ブランディの前にいるという事を、意識出来ない程無能なの? 背筋は伸びている。優しげで細々として挨拶でしたわね、ブ"ロ"ウンさん。彼女は素晴らしい女性だというのに、貴方はその隣で胸を張る事の人間ですか?」
「ニア様! そんな事……!」
ウェヌが止めに入るが、私は何故か苛立ちを覚えたまま、言葉を続ける。
「ウェヌの友人が来た事がどれくらいあったかは分からない。けれどね、
「そんな事は……!」
無いのだろう。そんな事は無いかもしれないが、事実、そうなってしまう世界だという事は、分かっていなければならないだろうに、だってレイジニア・ブランディとしての記憶がそれを知っているのだから。
「とんだ失礼を……! ですが……!」
彼は未だに言い訳をしようとする。その顔はやや怒りを抑えているようにすら見えた。
「ニアさ……」
彼以上に悲しんでいるように見えるウェヌの声を遮って、私は彼の怒りを誘うように、止めの一言を告げる。
「ウェヌの隣に立つのならば、自覚を持ちなさい……!」
その言葉に彼は顔を上げた、その顔は、赤く、怒りと悲しみに満ちていた。
「クッ……、失礼します……!」
「アルビーさん!」
拳を握りしめたまま、逃げるように庭園を後にするブ"ロ"ウン氏を見送って、私はこちらを睨んでいるウェヌにも軽く怒りをぶつける。
「貴方も、令嬢だという事を自覚しなさい。彼は優しいでしょうね、けれど立ち並ぶ者は選ばなければいけないの。少なくとも、私はそうしているわ。ハッキリ言って、彼が見守るお茶会は、御免よ」
「うぅ……」
膝をついて、彼女は涙を零す。言い過ぎたとは思わない。この世界に選ばれた主人公が、そのくらいの自覚を持たずにどうするというのだ。ハッキリ言って、張り合いが無い。
――やるからには、私だって楽しみたいのよ。
仕方なく私は、わざわざ執事に失敗させる為に持ってきた淹れるのが非常に難しい紅茶の準備を始める。小さな泣き声が聞こえるが、相手にするつもりは無い。
紅茶の匂いが広がっていく、淹れるのが難しいが、中身は一級品で済まされる物では無い。だからこそ、飲めるのは悪い気がしない。
「冷めるわよ」
泣き声がやっと止んだのに合わせて、私はウェヌに一言だけ声をかける。
「そんな、気分では……」
「なら好きにするといいわ。今日は良いお茶菓子もあるし、私は貴方と二人でお茶を飲む為に此処まで来たの。私は言いたい事を言っただけ、だから貴方もしたいことをしたら良いわよ。ただし、勿体無いとは思うけれど」
そう言ってやっと、彼女は椅子に座った。目尻を赤くさせて、しょげているのが丸分かりだ。
だがそれは偽りの、植え付けられた感情を踏みにじられたショックに過ぎない。悲しいだろうけれど、壊して然るべき物だ。これから二人の関係が上手く進む事は無いだろう。慰め合われては御免だ。それに、定期的にこの場には訪れるつもりだから問題も起こらないはず。
「私が誰かに注ぐなんてね」
言いながら、私は彼女のティーカップに紅茶を注ぐ。彼女はそれを一口飲んでから、小さく溜息のような物を漏らした。
「確かに、無自覚だったのかもしれません。私にはアルビーさんしか話し相手がいなかったので……」
「それは分かるけれど、今は違うでしょう。貴方の才すら、彼には見えないのでしょうね」
そう言って、私はドライトマトを口に運んだ。
「それって……?」
「言わないと分からない? 私が紅茶を作る事が出来るのと同じくらいに、貴方は食物を作るという才があるのよ」
彼女は驚いた顔をして、ティーカップを置く。その手は小さく震えていた。
――自覚させるのは誰だったのかしらね。
きっとこれはいつか彼女が、誰かによって自覚するはずの事だ。
だけれどそれをヒーローの誰かに言われてはまずい、だからこそ自覚させるのは早ければ早い程良い。
「だから、冷めるわよ。ハッキリ言って、私トマトが大嫌いなの。ドライトマトだって嫌いよ。でもこれなら食べられる。ほんの少しだけね、トマトが好きになったの」
少し、褒めすぎかもしれない。彼女の目がキラキラしているのが分かって、面倒くさい。
だから私は、もう一粒ドライトマトを口に運んで、その味を楽しんでから、コロコロ変わる彼女の表情を、固定させた。
「けれどまぁ、男の趣味は悪いわね」
そういって私は紅茶を飲み干して、彼女の何とも言えない顔を見て、笑っていた。
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