第六話『執事が嫌いだ』
散々な結果にはなったものの、お茶会の当初の目的は達成出来たと思う。
あとは飲めないと思っていたお茶をゆっくり飲むだけなのだが、相変わらずウェヌの表情は暗い。
「そんなしょげる事無いでしょうよ。男の趣味が悪いのは本当だけれど」
やっとティーカップを持ち上げようとしていた彼女の手が止まる。こんな事は何度言ったって良い。どれだけでも言っていい。彼女を完膚なきまで執事について諦めさせなければいけない。
「……冷めるわよ?」
こちらについても二度目の台詞、これは何度も言いたくはない。
せっかく淹れた高級茶葉の紅茶、私以外にはそうそう淹れられる人なんていないような特製の茶葉だ。そもそも紅茶を入れる時に魔法が必要なのだから、執事にはどう頑張った所で淹れる事は出来ない。
要はこの紅茶は本来、その茶葉を創り上げた私と、その私が魔法を混合させたまま淹れなければ美味しく飲めないのだ。つまりは執事がいくら上手く紅茶を淹れられる人間だったとしても、何とも言えないそこそこの紅茶が出来るだけ。淹れる事自体も難しいが、それを乗り越えられたとしても、私が味にケチをつけられる。
「私しか淹れられないのだから、これを逃すと飲めないわよ?」
「は、はい……っ」
一口飲んで満足そうにしている顔を見て、私はとりあえず自分の矜持を守れたような気がしてホッとする。元々現実世界での私だって紅茶が好きだったのだ。例えバッドエンドに導く相手であっても、紅茶に罪は無い。
紅茶に罪は、無い。
紅茶に罪は無いのだからいいのだ。
「であれば……、元々ニア様が淹れてくださる予定だったのですか?」
その言葉に、今度は逆に私の紅茶を飲む手が止まる。
――補正なのかしら、それとも元々なのかしら。
思った以上に勘が鋭い。本来は上手く紅茶自体を淹れられた所で、私がケチをつけてバレないように魔法を込めて本来の味にした上で、執事を『紅茶一つも淹れられないのか』と罵る予定だったのだ。
「まぁ……、どうでしょうね。それが楽で良かったでしょうけれど、執事がいないんじゃあねぇ……」
誤魔化しながらも、チクチクと執事の事は責めていく。もう名前は忘れてしまった。私の印象が悪くない程度に、彼女が傷つくのも分かってはいるけれど、その方が良い。ただし傷の舐め合いなどをさせられても困る。
「普段は優しい人なのですが……」
「あんな態度初めて見たって顔ね。でも正論しか言ってないわよ? 何度でも言うわ。彼には貴方の隣に立てるような人じゃあない。貴方だってそろそろ独り立ちすべき、自分で出来る事ならいくらだってあるでしょう? 少なくとも私は自分に仕える相手なんて要らない」
あえて彼女の事を案じるかのように叱咤を交えながら執事との距離を離させる。
「優しいだけで生きていける世界じゃないし、泣けばいいわけでもない。傷の舐め合いなんてしてご覧なさい。私は貴方と出会った事を後悔するわ」
「傷の舐め合いなんて……、そんなっ!」
少しだけウェヌが前のめりになる、その表情には珍しく小さく怒りが浮かんでいた。
――図星なわけだ。
おそらく彼女は私が帰った後に彼を慰める予定だったのだろう。それを言い当てられたせいで、気付いているかは分からないが怒りの感情を抱いているのだろう。『本当の事を言われると』という話にも似ている。
ただ、そうなれば面倒以外の何物でもない。ただ二人の共通の痛みを与えてしまっただけだ。であればどうするべきか。ウェヌはその性格上簡単にどうこう出来るような相手では無い。確立した性格は、メタ的に言えば作り込まれている。だが執事についてはどうだろうか。あの程度の叱咤で執務を放り出す程度の人間だ。
――なら、壊すのは向こうね。
溜息を付きながら、ティーカップに入っている紅茶をグイと飲み干して、音を立ててソーサーにティーカップを置いた。
「お手洗いをお借りしても?」
「あ……はい! ご案内しま……」
そう言いかけた彼女のティーカップに、私はもう一度紅茶を注ぐ。
「案内は良いわ。せっかくだから、向こうでこちらを伺っているブ"ロ"ウンさんに頼むから」
「あっ、えっ、と」
ウェヌの視線には気付いていた。アレだけチラチラ見ているのだ。彼自身も悪いとは思っていながらも、その性格上怯えているのだろう。
「…………冷めるわよ」
そう言って私は立ち上がって、にこやかに執事の方に手を振ってゆっくりと、圧をかけるように歩きだした。
「ウェヌ、残りは貴方が飲みなさい。とっておきだから、残したら怒るわよ?」
何か言おうとしていたウェヌの声を遮った。そうして私は執事の目などは見ず。まるで誰もいないかのようにゆっくりと、だけれど堂々と歩く。
彼にとってはきっとそれだけでいい。私の目はもう一度見られるかも分からない綺麗な庭園をゆっくりを目におさめながら、この家其の物の歪について考えていた。
「盗み聞きかしら? ブ"ロ"ウンさん?」
すれ違うの寸前に、彼の目をジッと見て囁くと、彼の背筋が伸びるのが見えた。
「い、いえ……、そんなつもりは……」
「なら、私の行きたい所に案内も出来ないという事?」
出来るのならば聞いていたということ、出来ないのならば聞いていないという事。
そもそも『お手洗いに行く』なんてのは嘘八百でしかない。それに、ハッキリ言えば聞かれていたか聞かれていなかったかもどちらでも良い。ただ、どちらであっても私は構わない。
「いえ、案内させて頂きます……」
「ほら、盗み聞きしているんじゃないの」
聞かれていたならこう言うと決めてかかっていた。
聞かれていないなら、レディが立ち上がったのならば、そのくらい意識しておきなさいと叱咤するつもりだった。
「中々、手厳しい……」
やっと反抗してくれた。そうしてこの場所はウェヌとは距離が離れてはいるものの、声は聞こえる距離だというのは彼自身の言葉で証明されている。
「隠しきれてないわよ? 私が嫌いな事」
――私は人間が嫌いだ。
だからこそなのだろうか。人が私を嫌っているという事を人一倍敏感に感じ取れる。魔法でも何でも無い。とはいえ、
「嫌い、というわけでは……」
「"普段は優しい人"でも、嫌いな人には怒っても仕方無いわよ。ただまぁ、怒るってことは本当の事を言われたって事。そうだと思わない?」
彼の拳は握りしめられている。そうして私の言葉から紡がれる魔法に気づく人間もいない。
「やっぱり貴方って、自覚が無いのよ。それとも何? 私が貴方を嫌いで、貴方が私を嫌いだって自覚も無いのかしら? また拳、震えてるわよ?」
――私は、私が嫌いだ。
「レイジニア・ブランディの前で、怒りを隠すなんて、滑稽な話だと思わない?」
元々の『レイジニア・ブランディ』という女性は、自分の名前を好んでいなかった。偶然なのか何なのか
それと同じように、『レイジニア』にも『Rage《激怒》』という言葉が含まれている。
そうしてその言葉は、この世界に於ける、精神操作の魔法でもある。ただ、それを使うのは、あまりにも卑怯だ。
正々堂々と、彼を暴く為に必要なのは、ただの事実だけでいい。
「あの子を見て、自分と重ねたわよね? あの子なら、なんとかなると思ったのよね? 優しいし、気弱で、だけれどその顔を覗き込めば恋をするくらい予想が付く。ならどうして貴方は貴方のままなの? 鍛錬も無く、執事の矜持も無く、私程度の小娘に怒りを覚えるような貴方のまま、彼女と寄り添えるとでも、思った?」
彼の顔がドンドンと赤くなっていく。適当に言ってはみたが、どうやら事実のようだ。
表情ももう、爆発限界だろう。
――まぁ、一発くらいいいか。
「会ったばかりの私ですらその良さを見抜けるウェヌを、貴方程度が甘く見るなんて、お笑いだわ」
その言葉を言った瞬間、私の身体は宙を舞った。だが大した痛みは無い。流石鍛錬不足だけある。
「そ、それが欲しかったのよ……。助かったわ、アルビー・"ブラウン"さん?」
口論で勝ち、暴力に負けた。見た目で言えば間違いなくその構図だ。勿論それは、ウェヌの目に見えていただろうし、耳にも届いている。執事の名前を強く呼んでから、私の元に駆け寄って来ようとするウェヌの声を無視して、私は立ち上がって執事の顔を見て笑った。
「でも貴方、良い女の趣味はしてるわよ? それに免じて次の仕事先くらいは斡旋してあげる」
やってしまったという顔のまま、執事は拳を開いて、肩を落とした。
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