第七話『予定調和が大嫌いだ』
状況は思った通りではあったが、空気はそれはもうひどいものだった。
執事は膝を付いて謝るが、もう人として手遅れだ。それは私の思い通りで嬉しい限り、だけれどウェヌにはあまり経験の無いような事だったのだろう。
私か彼を心配してそうなったのか、それとも単純に恐怖からか、それは分からなかった、何処を見るわけでもなくグスグスと泣き出してしまった。
仕方無いと言えば仕方無いのだが、なんとも言えない気まずさが漂う。こんな所をウェヌの家族にでも見られたりしたら面倒以外の何者でも無い。
「……立ちなさい」
私は膝を付いて小さく震えている
「言う事は?」
「すみ、ませんでした……、レイジニア様」
「ええ、許すわ。けれどそうね……貴方はもうこの家には……ってウェヌ!」
ここはハッキリさせておかなければいけない所だというのに、彼女の嗚咽は大きくなるばかり、声を出して泣くのは堪えているのかもしれないが、私の顔をチラリと見る度に彼女はボロボロと大粒の涙の涙を流していた。
「ウェヌ! しっかりしなさい! 殴られた私が涙一つ、痛ましさ一つ見せてもいないのに、貴方が泣いていては格好が付かない!」
私から彼女への叱咤の声は、自分でも驚く程に大きく、その言葉にウェヌは身体をビクリと動かして、「ひぐぅっ……!」と言って口を抑えた。
おそらくウェヌは共感性が高すぎる子なのだろう。
私を殴った
――だから少し、鬱陶しい。
「涙なんかじゃ、私の"いたみ"は治らないのよ」
軽く殴られた程度ではあったが、それでも男の力。私の頬はジンジンと痛みで脈打っている。
それでも父の力よりは余程弱い。とはいえ、父はその体裁故に私の顔を狙う事は無かったのだが。
「ニア……様……」
私の大声が気付けになったのだろう、ウェヌは涙を流す代わりかのように小さく私の名前を呼んでから、その手を私の頬に伸ばした。
きっとこうしてしまうのだろうなという事は、実は最初から分かってはいた。調べた所によれば、そもそもディーテの家は回復魔法の権威だ。ウェヌ自身に作物への特異な才能がある事はさっき始めて知ったとはいえ、おそらく教育としてその程度の事は出来るだろうと高をくくっていた。だからこそ一発殴られても構わない。そこまで考えての行動だった。
「く、うぅ……」
私の頬に触れた瞬間小さな痛みが走るが、それは目の前を明るくするような光と共に消えてなくなった。だから、この痛みに小さく喘ぐ声は、紛れもない、ウェヌのものだった。
彼女は私になんらかの魔法を施して頬の腫れを取った後に、すぐにその手を背中側へと隠した。
そこでハッと気付いてしまった。
『レイジニア・ブランディ』としての知識が、その魔法の記憶を呼び起こしていく。
おそらく彼女が教わっていたのは単純な回復魔法では無い。
――この家は、腐敗している。
「禁呪・
私はその言葉を呟いてから、思わず口を抑えてしまった。それはおそらく私という人間としての驚きよりも『レイジニア・ブランディ』としての知識から来る驚きによってもたらされた動作なのだろう。
彼女が今私に使った魔法――禁呪は、厳密には『回復魔法』ではない。いわばただの入れ替わり。
使用者が被使用者の痛みを一瞬にして全て肩代わりするという自己犠牲の到達点。
世界のバランスさえ崩しかねない禁呪……その威力は死すら入れ替えてしまえる為に、覚える事すら禁止されている。そんなものをこの家の人間は彼女に教えていたというのか。使用がバレてしまえば、彼女は投獄の可能性すらある。
「ウェヌ、貴方……手を見せなさい」
「ごめんなさい、お断りします」
私はこれほどまでにハッキリとしたウェヌの物言いを、始めて聞いた。
涙で赤くなった目は見開き、その顔は怯えながらも、私の目を見つめていた。
――これだから、鬱陶しいのだ。
真っ直ぐで、ちゃんと優しく、自己犠牲すら厭わない。
私なんかが、何を言っていたのかと、自己嫌悪にすら陥りそうになる。
「どうせ知らないんでしょうね、貴方のそれ、禁呪よ。だけれどもう一度だけ使うのを許してあげる」
『禁呪』という言葉に、執事の身体がビクつく。けれどウェヌは困惑した様子で、自分の腫れた右手と私の顔を交互に見ているようだった。。
「知ってたのね、グズ」
私は
「禁呪だって事、知らずに使ったわね?」
「で、では何かニア様のお身体に問題が……?」
家絡みで
だが、彼女だけが知らないというのは今だけは好都合だった。
「えぇ、大問題よ。だからその手でもう一度私の……そうね、お腹を触ってくれる?」
頬では無いならば丁度良い。事実は隠しようがなく、
彼女はおずおずと細い手には痛々しく見える腫れた部分を、私の黒いドレスの花の装飾に触れるかのように近づけていく。
「そう、そのまま。その位置で良いわ」
――丁度良い。父の殴打と比べてやろうじゃあないの。
ウェヌの手から放たれる強く白い光が。私のドレスの黒い花を包み込むのと同時に、身体に痛みが戻ってくる。そうして光が消えた後、彼女はその場で膝を付いた。
「これで……大丈夫ですか?」
彼女はだいぶ疲れている様子だったが、大量の魔力を使う禁呪を二度も使ったのだ。そのうち一回は私が使わせたのだが、それは仕方無いだろう。
「ええ、これで良いわ。少し休みながら聞きなさい、貴方が何をしたか教えてあげる」
大丈夫、父の殴打よりはずっとずっと弱い。やはり流石、
『脱落者1《しつじ》の一撃は、
「ソレ《スケープ・ゴート》の本当の意味も知らず、使ってはいけないとも知らず、良くやってくれたものね、お馬鹿さん」
私に何か言おうとしている
ウェヌに、彼女が使った魔法が禁呪であり、使うのを見られただけで罪とされる事、それを隠されていた事を懇切丁寧に、このディーテの家よ潰れてしまえと思いながら説明する。
彼女はショックを受けてはいたが、何となく何かを察したような顔をして、苦笑していた。
「あは……は……私馬鹿だし、取り柄も無いから、でしょうかね……?」
「そうね、馬鹿だからでしょうね」
人が溜め込んでおける魔力の許容量はある程度決まっている。努力でどうとでも出来るというものでもなく、才能による部分も多い。それに付け込まれた。取り柄がないなんてのは嘘だ。禁呪をそうそう何発も撃てるような魔力量の人間の事など『レイジニア・ブランディ』の魔術師としてのどんな記憶にも無い。
「でも、であれば結局痛みはニア様の元に……」
「あげない」
言われる事は分かっていた。だから言う事は決めていた。・
「これは、私の痛み。だから貴方にはあげない」
これを言う事でされる表情も、何となく予想していた。
どうせ、悲しい顔。もしくは泣いてみせるだろうか。
――だけれど、彼女は私の目を真っ直ぐに見た後、小さく頷いた。
意外だった。補正なんて、下らないことはもう思いたくなかった。
彼女もまた、人なのだ。このやり取りを経て、ほんの少しだけ、成長したのかもしれない。
もしくは、私の扱い方を分かったのかもしれない。だとしたら癪だ。
「貴方は本当に馬鹿、馬鹿、大馬鹿。だから賢くなりなさい。取り柄は、そのうち教えてあげるわ。じゃあねウェヌ、また会いましょう?」
ウェヌが幸せになるのは、確かに今も良い想いはしていない。だが、その理由に小さな変化が生まれつつあることに、気付いてしまっていた。絆されたのかもしれない。そう思うと、癪で癪で仕方がない。
けれどやっぱり私は、家族に邪険にされている人がいるという事実が許せなかった。
本当に、私は私が嫌いだ。
こんな、自分がやろうとしていた事にも似ている事を『許せない』だなんて思ってしまう自分が、嫌いだ。それでも、私は、私の嫌いに、向き合って、反省して、それでも、それでも怒り続けていたい。
「とりあえず、アンタはついてきなさい。新しい役目をあげるわ」
怯えた顔の
「じゃあね、ウェヌ。このボンクラは貰っていくから、男を見る目は磨く事ね。それとその紅茶……冷めても美味しいわよ?」
これで目的は達成、だが更なる目的が生まれていく。
本当に面倒だが、やってやろうじゃないかという気持ちに溢れていた。
「貴方は随分と強かったみたいね、レイジニア」
私は思わず小さく呟いて、記憶の中の毅然と我を貫いて生きてきた、もう一人の自分を羨む。
「けれど此処からは、一緒に悪役をやらせて貰うわ」
邸宅の中、誰もいない廊下に、ボンクラ執事と私が二人きり。
「さ、ボンクラ。全身全霊をかけて貴方を守って上げる」
私が振り返って言ったその言葉に、私から距離を取りつつ恐る恐る付いてきていた
「だからそうね――最初の仕事。この家を潰すのを手伝いなさい?」
「……は?」
ポカンと口を開ける
「貴方を今日から我が家の執事として雇うわ。精々扱かれなさい? そうして、あの子――ウェヌを少しでも本当に好きだったのだと言うのなら、私について来なさい」
私に向けられたあの怒りが、単純な私への怒りでは無い事は分かっていた。
嫌になる程見てきたのだ。自分の力の足り無さや不甲斐なさで、暴れるような
だけれど、彼はまだ、間に合うかもしれないなんて、そんな事を思った。
――変わるチャンスを、あげてもいいのではないかと思った。
それはきっと、私がこの『レイジニア・ブランディ』という身体を得た事で覚えた感情なのかもしれない。たとえ私にとっての新たな目的の為の駒だとしても、ウェヌのヒーローとしての脱落者であっても、人生の脱落者を私の手で創るのは……そう思った時に一瞬ウェヌの顔が頭を過ぎった。
「変わらなきゃいけないのは、私なのかもね」
――それでも、私は私の我を通す。
用意されたヒーローなど、用意されたシナリオになど。
振り回される人生など、そんなものを、私は絶対に許さない。
だから、ウェヌに、用意された幸せなんかを掴ませてやらない。
この世界に来てなければ、きっと思わなかった事だろう。
――予定調和なんて、大嫌いだ。
私は鬱陶しい腹部の痛みに回復魔法をかけて、スタスタと邸宅の入り口へと進んでいく。
「さぁ帰るわよ、ブラウン。面倒な手続きなんて勝手にやってやるわ。貴方は今日から私の手駒。最高の執事にしてあげる。だから戦いなさい、その弱さと」
「は、はい! ニア様!」
私は邸宅のドアを思い切り蹴り開けて、それを見て目を丸くしていた使用人に「あら失礼、足元が滑りましたの。ではまた、"今度お邪魔"させていただきますわね」と言ってから、渾身の力で門を蹴り開け、家路についた。
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