第三十六話「思考するフラグは、優しさと共に」

 もう手遅れだった。そんな絶望が身体を駆け巡り終わってしまう前に、私は開きかけているドアの中に、魔物が何匹いるかも確認せずに飛び込んだ。


――むせ返るような血の匂いと、部屋中に飛び散っている赤い色の液体。

 そうして、左手を狼に噛みつかれ血を流しながら、その狼を引き摺るように机へ向かうノア先生の姿が見えた。

 何体か、動きを止めている狼はいるが、どうやらその狼達はなんと植物に拘束されているらしい。


 自我を持っているとは思い難いが、あれからノア先生がすぐに魔法についての研究を初めたならば創り出せないという事もないと思った。ただ、それはあまりにも危機管理能力に優れすぎている。

 元々、そういう案があったとしか、思えない。


「……や、ニアさん。こんな気はしていたのだけれど、まさか本当に魔物になるとは、ね!」

 ノア先生が自分の左手に噛みついている狼の口に、フォスフォレッセンスの花弁を入れる。

 だが、その効果は即効性ではないようで、狼はノア先生の腕からゆっくりと鋭い牙で傷を残しながらその場に伏せた。人間に姿が変わる事もなく、部屋には五体もの狼の姿が確認出来る。

「良く、持ちこたえられましたね。すぐに回復魔法を……」

「はは、君があの日に来た時からね。自分の身を守る方法は考えていたんです。なんせ話を聞けば僕らは逆賊だと言うじゃないですか。だったらそれらしく振る舞い、自分らしい対策を練らなければ、ね」

 私が回復魔法をかけている間も、その傷は深く、強い痛みが続いているだろうに、ノア先生は狼の動きを封じている植物のツタの一本をそっと右手で撫でる。

「ニアさんが魔法というヒントをくれて助かりましたよ。魔力が籠もった土という物が売られているのは知っていたけれど、こういう使い方が出来るだなんて考えもしなかった。お陰でこの子達を生み出すのがギリギリ間に合った」

 つまり、彼はフォスフォレッセンスを作って、私が砦へ向かいこの家に戻ってくるまでのわずか一日で、この魔力によって育ち、動き回る植物達を創り上げたのだ。

 魔法と植物の融合、それはフォスフォレッセンスの創造によってもう例が出来ているから、原理としては理解出来る、だがそれを創ろうと考える人間はおそらく、ノア先生のような変人だけだろう。


 それにしてもこの短期間での行動力は、流石と考えるしかない。それがまた世界から与えられた才能だとしても、だ。

「ちなみに、この植物達の敵味方の区別は……?」

 ツタのみで動きまわるその植物を見ながら、湧いて出た疑問をぶつける。

 この植物は魔法植物と呼ぶとして、侵入者のみを拘束するという魔法植物をどうやって作るのかは些か疑問だ。だけれど魔法植物達のツタは未だ数本自由に動きながらも、ノア先生は当たり前だとして、私にも攻撃をしかけてくることが無い。

「以外、という遺伝子情報を植え付けています。正確には私達の匂いのようなもの……でしょうか」

「に、匂い……?」

「はい、私の匂いは勿論。ニアさんもこの研究室で一晩過ごされたのである程度の残り香や、髪の毛一本から、植物へとその情報を埋め込み、それを魔力土に植え、攻撃性のある食虫植物をイメージして創り出しました」

 私の匂いやら、髪の毛やら、何とも笑えないようなことを笑顔でペラペラと話すあたり、この人もやはり変人というかなんというか。オタク気質だなぁと思ったりして、少しホッとした。

 それと同時に、やはり強く感心もした。その自衛力の高さは、頭が良くないと出来ないことだ。

「それにしても、禁呪というのは本当に物騒なものですね。兵士が押し寄せてきたと思えば、すぐにこれですよ。お陰でニアさんが駆けつけてくれなかったら、危なかった」

「何を言うんですか。先生なら御自分で何とか出来たでしょう?」

 仮にも彼は薬学のエキスパート。実際に私が辿り着いた今だって、五匹いる禁呪の魔物の最後の一匹に処置を下している所だった。

「それでも、誰かが駆けつけてくれるというのは心強いものです。それに、ニアさんもこれが必要でしょう?」

 そう言って彼は、袋一杯のフォスフォレッセンスの花弁を渡してくれた。

「はは、魔法というのはしかし便利な物です。使えないのが悔しいくらいだ」

「ですが先生のその知識と考え方。そうしてこの袋に詰まった優しさは、魔法を越えていますよ」

 おそらくは、魔力土を使ってフォスフォレッセンスを大量に作っておいてくれたのだろう。

 彼自身、私と共に戦ったり、長く時間を過ごしているわけではないが、考えるという事に於いては仲間の誰よりも正確性が高いだろうと思った。フォスフォレッセンスが詰まった袋を見てハッとした私よりも、ずっと。

「そう言ってくれると、甲斐があるね。とにかく、ニアさんはブランディ家に急ぐと良い。此処は私だけでもきっとどうにか出来るよ。フォスフォレッセンスは経口摂取が一番強い効果があるけれど、液体化していたらそれに振れただけでも時間こそかかれど効果は出るはず。だから、片を付けておいで」

 優しい、優しい言葉だった。

 だけれど、その表情に、少しだけ強がりを感じたのを、私は見逃さなかった。

「お言葉、痛み入ります。先生。だけれどこの場にブランディ家の者ではなく、兵士を送ったのであれば、ブランディ家とは別で、先生はどれだけいるかも分からない国の兵士達を相手取る事になります。先生、こちらの方は?」

 私は自分の剣を軽く叩いて見せるけれど、ノア先生は苦笑しながら首を横に振った。

「てんで駄目さ。戦いという物に、僕は向いていないみたいでね。だけれどまぁ、この子達がいるなら、この小さな研究室で足掻けるだけ足掻いてみせるさ。兵士が来た時には、きっとニアさんも来るだろうと、何となく分かっていたから、予感が当たって何よりだよ。だから此処は、大人に任せてくれ」


 笑っている。

 笑っている、けれど。

 その微笑みの先にあるのは、時間稼ぎという名の、自己犠牲だ。


「大人はこれだから……格好つけたがりはもう充分ですよ。先生」

 確かに彼が兵士を食い止めてくれたならば、ある程度相手方の状態を撹乱することは出来るだろう。魔法植物なんてものの存在も、世界は認知していないはずだ。

 だけれど、その結果この場にノア先生の死体が残る事を、私は絶対に良しとはしない。


 だって、私は彼が、彼らしく、彼の人生を送るために、ウェヌとのフラグを折ったのだから。

 それが我が儘であったと、全てのフラグ所持者にしたことが私の我が儘であったことは自覚している。

 それでも、だからこそだ。だからこそ彼はそのまま優しい顔で、生きていってもらいたい。

 

――私の我が儘の責任は、私の我が儘で、取る。

「先生、この研究室に思い入れは?」

「うーん……ないとは言い難いね。なんせ僕は此処から出るつもりはあまり無い。ニアさんに連れてきてもらってからも殆ど此処にいたしね。長い間とは言えないけれど、学校の保健室よりはずっと、居心地は良かったかな」


 良かった、という過去形が自然に口に出る彼は『居心地の良い研究室』から出ないまま最期を迎えようとしている。

「兵士が、沢山来ますよ?」

「なんとかするさ」

 強情な人だなと思った。結局はウェヌのフラグ所持者なんて人達は、彼女との恋愛フラグを折った所で、心の底に強い芯を持った人なのだと、改めて思い知る。

「出来ないですよ」

「……出来るさ。さ、ニアさんは行かなきゃ。ありったけのフォスフォレッセンスの意味が。無くなる前に」

 本当にありったけを詰め込んだのだろう。私の視界に映るフォスフォレッセンスの栽培場所には、もう既にフォスフォレッセンスの花弁が殆ど残っていなかった。

 だからこそ、あと数回この場が襲われたらフォスフォレッセンスで禁呪を解く術は無くなる。そうしてあと数匹の拘束は出来たとしても、十体程度の強襲で、いくら拘束力が高いとはいえ、魔法植物のツタの拘束力は限界を迎えるだろう。

「古い魔法学の本を読んだよ。乾いた地域特有の、雨を降らす魔法なんてのがあるんだってね? 僕が魔法を使えたら、真っ先に覚えてただろうなぁ」

 ノア先生に、魔法という概念についての理解を勧めた事を、少し後悔した。

 だけれど、彼が学んだ事は、決して、決して無駄なんかじゃない。


 だからこそ、だからこそ。

「先生、この研究室、壊していいですか?」

「そりゃまた……突拍子の無い話だ。研究も全部し直しになるね」

 この後に及んで、彼は生きる勝算を私に見せてくる。その優しさが、痛い。


 形あるものは、いつか壊れる。

 だからこの研究室の一つや二つ、また創り出せば良い。

 研究成果だって、生命に比べたら、安い。

「それでも、生きる為に、この場所は壊すしかない。私は貴方を、先生を守りたいんです」

「生きる為……か。ニアさんもまた、難しい事を言うね。王国の兵士がこの場を制圧しに来ている以上、フォスフォレッセンスの存在はバレていると思って良い。何処でその存在を知り得たかは分からないけれどね。だからこそ、少しでも長くこの場を守る必要がある。ニアさんがいればそりゃあ心強いけれど、君には君のやらなくてはいけないことが、あるだろう?」

 それは勿論、そうだ。

 ノア先生の言っている事は間違っていない。その身を犠牲にしようとしている事以外は。

 だから、私は笑った。

「勿論行きますとも。ただし、今この場には、私と貴方がいるんです。魔法と植物を融合させた学者と魔法使いが、揃っている」

「あぁ、間違っていない。あれは本当に楽しい一晩だった」

 それは私も同じだ。だからその思い出を、いつかまた、禁呪なんて関係無くなったフォスフォレッセンスの紅茶を飲みながら思い出して欲しい。


「なら同じ事を、しましょう? 幸い、もう半分は完成しているのですもの。その子に、名前は付けました?」

 ツタを巧みに扱う魔法商物をチラリと見て、先生の顔を見る。

「そうだね、名前が無くちゃあ可哀想そうだ。フローラなんて、どうかな」

 フローラ――豊穣の女神を想ったのか、それとも彼から見た植物を愛しき女性を想ったか、それは分からない。

 船は例えば女性名詞だという事を聞いたことがあるけれど、彼にとってのそれが植物であるなら、その名付けも頷ける。

「ならフローラに、今すぐに魔法でフォスフォレッセンスの情報を埋め込みます。逆の意味として、フォスフォレッセンスが禁呪封じの性質を持っているなら、その声質を逆に埋め込む事で、禁呪の感染者のみをターゲットに出来る」

「確かにそれは面白い。だけれどそれはもう、そもそも僕とニアさんを攻撃しないという時点で同じ事が成立していないかい?」

 確かに、この部屋だけで言えばそうだ。

 私がいう事を不思議がるのも分かる。だけれど私は一刻を争う事を考えて、すぐに袋のフォスフォレッセンスの情報をフローラへと埋め込み私達の周りに魔法で防壁を張る。

「そう、この部屋であれば確かにフローラは貴方だけを守る。だけれどもし彼女が、この研究室を突き破る程の大きさになれば、一般人の皆さんにも迷惑がかかる。そうでしょう?」

 その言葉に、ノア先生はキョトンとした顔をした後に、声を出して笑った。いつも苦笑している彼にしては珍しいくらいの、大笑いだった。

「あぁ、あぁ! 本当にニアくんは面白い事を考えますね! その考え方はどうにも、言葉にしがたい! つまりは、そういう事だ!」


――そう、そういう事。

 私は無傷のまま人間に戻りつつある禁呪の魔物と、私達を魔法防壁で守りながら、フローラに思い切り魔力を込めて、その成長を促した。

「さ、先生の事を頼むわよ、フローラ。貴方にもそのうち、美味しい紅茶の花が出来るようにしてあげるからね」

 研究室の天井をぶち破って、巨大な魔法植物『フローラ』がその姿を表す。

 成長度合いは充分だ。ツタの量も増え、拘束力も段違いになったように思える。

「……まさかこんな方法があるとは、やっぱりまだまだ、魔法は奥が深いね」

 流石の天才でも、たったの一日程度で精通されてはたまらない。

 植物の使い方や発想についてはノア先生の方が一枚上手でも、こと魔法について、そうして魔法と植物を組み合わせるという事については私の方が何枚も上手なのだ。

「私と、そうして貴方がいたからフォスフォレッセンスは生まれて、その力を以てフローラは世界で一番優しくて怖い植物になった。そのツタからは禁呪封じの性質が伝わるはずです。だから先生は愛する彼女に抱かれながら、待っていてください」

 私は彼に笑いかけ、研究室に張った魔法防壁はそのままに、フローラへと防御魔法をかけていく。

 そうして彼はきっと大丈夫だと安心して、私は両手にフォスフォレッセンスが詰まった大袋を持って、空へ浮く。

「大人の面子が潰れちゃったね。でも、ありがとう。ニアさん」

「それはまだ早いし、お礼はこれから彼女に言ってください。大丈夫、格好良かったですよ」

 緊張気味の顔から、温和な笑みに戻ったノア先生を見てホッとして、私は大木以上の大きさになったフローラーの、てっぺんまで飛び上がる。

「頼むわね、フローラ。これだけ優しい貴方の主を、守ってあげて」

 届くなんて思ってはいなくても、彼女は少しだけ、その大きな身体を震わせて、返事をしたような気がした。


 そうして私はブランディ家へと向かう。

 ノア先生が大丈夫ならこれで安心だと思える程、状況は簡単な物ではない。

「あーあー、これは人質というよりも、報復といった方が良いのかしら」

 フォスフォレッセンスの存在がバレていた事といい、どうもブランディ家もきな臭く思える。

 だけれど、上空から見下ろしたブランディ家は一見するならば、庭園に使用人が集められたようにしか見えない。

 空から見下ろすと、両親を含めたほぼ全員が確認出来た。


 いつのまにか夕暮れ時にも終わりが近づき、紅く染まった庭園で微動だにしないブランディ家の面々には、少しだけ寒気もするが、それはきっとその光景が歪に見えたからなのだろう。

「確認がてら降りるけれど、この中に話が通じる人はいるかしら?」

 私は、相手の思う通りに、庭園へと降り立つ。

「探してるんでしょう? 私を」

 ブランディ家の面々が一同にこちらをギロリと睨む。それはもう、人のするような目つきでは無かった。


――あとは禁呪の発動だけ、か。

 禁呪についての知識は多くない。ディーテ家では直接手を下したのだろうけれど、この場にマイロがいないという事を考えると、時限式の使い方もあるという事なのだろうか。

 または、誰かしらが禁呪のトリガーを持っているというのが考え方としては無難な所だろう。マイロは勿論発動権限を持っているだろうけれど、もし時限式ではなく、発動式だと考えたならば、今この瞬間にその発動権限を持っている人間をどうにかすれば良いという事にもなる。

 

 おそらくは、口を開く人間が、そうだ。

「変わったわね……レイジニア」

 その声は、レイジニアの母の声だった。手は震え、怯えたようにこちらを見ている。

「変わったのはお互い様ではないでしょうか。母様が私の婚姻を強引に進めているなんて、寝耳に水でしたわよ?」

「仕方……ないのよ。ごめんなさい……ごめんなさい……」

 母の涙は、嘘のようには見えなかった。

 そうして、母の小さな嗚咽を遮るように、今度はレイジニアの父が、気弱く言葉を発する。どうやらこの二人だけは禁呪の支配下に無いらしい。とは言いつつ、発動権限を持っているような強気な態度は見られない。

 彼らもまた、人質のように見えた。

「こちらにもね、事情というものがあるんだよ。レイジニア、状況は分かっているだろう? 私達は被害者だ。何としてもお前を差し出せ、と」

「差し出せなければ?」

 私のその言葉を待っていたかのように、使用人の一人が、苦しみだし、身体が徐々に狼の魔物へと変化していく。

「……こういう事、らしい。今までお前には、正しい親らしく振る舞う事は出来なかったかもしれない。ただ、頼む。ブランディ家の為……どうか王城へ行ってはくれないか」

 レイジニアの父の懇願で、使用人の呻き声は止まり、魔物への変化も一時的に停止していた。

 つまり、この場の全てが人質であり、状況を監視している人間がいる。という事だ。

 それも、自由に禁呪の発動権限を持っている人間。


――そんなの一人しか、いない。


「家に、マイロが、いるんですのね……」

「あぁ……私達の部屋で、嘲笑っているよ。この声も、魔導具で筒抜けだ」

 居場所を知らせるのは禁句だった様子で、使用人が改めて苦しみ出す。


「マイロ、やめなさい。父上、私が直接話します。魔導具をこちらに」

 レイジニアは、父も母も決して好いてはいなかった。

 それは碇ニ朱という私自身にも、似通った所がある。

 

 だけれどついさっき、脅されているとはいえ、レイジニアの父はレイジニアに頭を下げた。

 自らの保身のためかもしれない。はたまたブランディ家の使用人達を思っての事かもしれない。


――とはいっても、一人娘を見るからに危ない人間の元に渡すという条件が付いているのだけれど。

 それでも、泣いて謝ったり、謝罪と共にお願いをするだけマシだ。

 現実での私は、謝罪すら受け取れないままに生命を落とした。


 ならば、状況が状況だとしても、本当の気持ちは良く分からないとしても、多少は大目に見ようと、そう思った。


 私は、レイジニアの父から魔導具を貰い、マイロに問いかけた。

「高みの見物はどうかしら?」

「気分爽快というヤツだね。この場に来るのは分かっていたよ。その為に小賢しい研究所も襲ったのだけえれどねぇ。その様子じゃそちらも気分は良いみたいだね?」

 不快感を煽る声、余裕ぶっている。何より嫌いな言い回しだった。

「そうね……どうやって知ったかは知らないけれど、良くやってくれたものね。ただ、貴方の禁呪如き、一晩もあれば対抗出来たわよ?」

「そんな花如きで、何が出来るんだい? 君は不殺を志しているみたいだけれどね。実際の所。今から君がする事一つで、大殺戮者に早変わりってのに」

 言わんとしている事は分かる。一人一人にフォスフォレッセンスを使っている暇なんて無い。

 だからこその余裕、今すぐにこの場をディーテ家のように出来るという、一つの成功例を以ての余裕。

 さっきの私と同じだ。フォスフォレッセンスを創り上げられたという成功例を以ての、第二の試み。

 

 彼にとっては、ディーテ家の惨劇を成功と考えて、この場を第二の試みの場にしようとしているのだろう。

「ディーテ家は残念だったよ。誰一人として始末出来ないなんてね」

 どうしてか、マイロは妙に私達しか知り得ない情報を知っている。

 内通者の存在は、有り得ないはずだ。

「随分と私達の事に詳しいのね? 覗き見がご趣味? それとも誰かが耳打ちでも?」

「はは! 君君君! 君だよレイジニア君! 君がいるじゃあないか! 結局の所、君達はずっとずっと手のひらの上なんだよ! 今この瞬間、君はどうせ殺戮者になる! 何故なら君は! 自らを僕に捧げないのだから!」

 私の性格も良く知っているようだ。


――そう、勿論私は此処で投降するつもりなんてない。

 やるべき事はまだ残っている。それにもう夜が始まる。明日を超えたなら、また一つ世界に定められたシナリオが壊れるのだから、此処で投降するという選択肢は元々存在しない。

「殺戮者……ねぇ。私が手を下すとしたら、それは一人よ?」

 声に、力が籠もる。それと同時に、庭園にいる私以外の全員が苦しみだした。

「言うじゃあないかニア君、しかし君ね。まさか禁呪をかけた人間がこの場所にだけいるとでも?」

 それは、想定外だった。


 想定外、だけれど。

「それは皆、私を狙って、こちらに向かっている最中かしら?」

「流石! ご明察だね! だからこそ君は立ち向かうしかない。燃やし、凍らせ、貫き、感電させ、石に変え、精神を壊し、悪辣の全てを以て、殺戮をするしか無いんだよ!!」


 そのマイロの笑い声に、私は小さく笑みを浮かべる。

 

 大量の人間に禁呪が使われていたのは想定外。

 それらが私に向かっているというのも、想定外。


 だけれど後者は、嬉しい想定外だ。

「はぁ、助かったわ」

 私は魔導具を持ったまま、空へと浮きあがる。

「逃げる?! この後に及んで?! だけれど君の行いで人が大勢死ぬ事には代わりが無い! それを果たして君の仲間達は喜ぶかな? 喜ぶかなああ?」

「アンタは、最初から言っている事が全部、全部的外れなのよ。フォスフォレッセンスはね、その液体が身体に振れるだけで禁呪封じに成りえる。アンタのやることに的を絞った、奇跡なの」

「だから何だって言うんだい? 一人ずつの身体に塗りたくるとでも??」

「そ、全員にね。だから助かったって言ったの。禁呪をかけられた人間は、今この瞬間、皆私の元へと向かっているって、貴方はそう言ったわよね?」


 私は、ノア先生の言葉を思い出す。


――雨を降らす魔法なんてのがある。


 彼が最初に覚えたいと言ったその魔法は、今、優しさと共に、人々を魔物に変える禁呪から救う。

 私は、彼が集めてくれた袋一杯のフォスフォレッセンスを空高く風魔法を使ってばら撒いた。

「家の中にいてもらっちゃ、雨は当たらないからね。私の元に来てくれてるみたいで、本当に助かったの」

 そうして彼が言っていた単純な雨を降らせる魔法の応用として、少しだけ熱い、雨を降らせた。

「紅茶の抽出にかけては、私の右に出るものはいないわよ? とはいえ温すぎるし、これだけの花があっても、ちゃんと飲めないのはうんと残念だけれど」


――花の雨が降る。


 フォスフォレッセンスの成分をじわりと抽出した少し熱く、青い色の雨が、この街に降り注いでいく。

 その効果は、空から見下ろすブランディ家の庭園の皆の姿で、確認出来た。

 これで、禁呪は完全に封じた。

「さて、マイロ。直接勝負と行きましょう?」

 あえて不快感を煽る言い方。余裕を見せる。

「高みの見物は……どんな気持ちだ?」

「そりゃあ、気分爽快というヤツね」

 最初の言葉の意趣返し、アイツが何よりも苛立つであろう言い回しをぶつける。

「貴様如きが! 今すぐ殺しに……ッ!」

「悪役としての、格が違う」

 そうして私は、パチンと指を鳴らした。

 やったことは、ディーテ家にした事と同じ。

「アンタも悪役なら、手段を選ばない事。本当に殺すべき時が来たならね、それは今すぐなんかじゃないのよ、今なの」


――その怒りの業火は、優しい雨くらいじゃ、決して消えない。


 魔導具から聞こえるのは、業火に身を包まれる叫び声。

「やっぱり、私が今殺すべきは、絶対悪である。アンタ一人で構わなかったわね」

 先に彼を殺さずに泳がせたのは、禁呪を発動させた上で、全てを封じたかったから。

 彼の死後も残り続けては、面倒に尽きる。だからここまで、調子づかせ続けた。

 そうして、フォスフォレッセンスやノア先生の居場所などについての情報源を知りたかったからだったけれど、それは分からず終いだった。

 だけれど、もうやることは済んだ。だから、私は怒りの炎で、マイロごとブランディ家を燃やし尽くしていく。


「もう、捨て台詞くらい何か言いなさいよ。悪役としての格が知れるわよ」

 庭園に降り、ブランディ家の一同の無事を確認した私は、叫び声だけが聞こえる魔導具を床に叩きつけ、踏み潰す。

「迷惑かけたわね、皆。仕事場はまぁそのうち用意するから、安心して頂戴。それと、あっちにあるあのどでかい植物の元にノア先生がいるから、頭を下げながら非難するのを勧めるわ」

 そう言って立ち去ろうとした時に、暗がりからレイジニアの父の声が聞こえた気がした。

 レイジニアの母の、涙ながらの言葉が聞こえた気がした。


 その言葉は、きっと現実で生きた私が、現実の両親から聞きたかった言葉だったように思える。

 だけれど私は、レイジニア・ブランディでは無く、ニア・レイジだ。

 本当の反省だったらしいその言葉の数々は、今の私に向けられたものじゃあ、無い。


 だから、その言葉には何も答えず、なるべく何も考えないようにしながら、少しだけしょっぱい味がする花の雨を舐めた。

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