第四十話『隠しフラグは、真実の為に』

 子供の頃の、夢を見た。

 碇ニ朱という人生の、夢を見ていた。その身にそぐわぬ、綺麗な夢を見ていた、人間の夢。

 

 その夢がなんだったかという事は、そう大きな問題ではない。

 子供の頃はケーキ屋さんだとか、中学生くらいになると紅茶葉の専門店を開いてみたいだとか。高校生くらいではいっそ紅茶に力を入れた喫茶店だとか。そういう夢ももう、その年頃には薄れていた。両親の問題はとっくに始まっていたし、碇ニ朱の人生の腐敗も始まりつつあった。


 あの世界での私は『ニア・レイジ』と名乗る今よりも美人では無かったからこそ、何度も父親にはさっさと手に職をつけろと言われた。

酔った父親が言った「お前を嫁に貰ってくれる人なんていないんだからさっさと安定した職につけ」なんて言葉を今も覚えている。母親は美人だったから、あの顔になるべくしてなったのはお前の遺伝子だろうと思いながら苦笑するしかなかった。それに、そもそも大人になれば女性はある程度努力で見てくれはどうにか出来る。

 お洒落にも気を遣って、美容だって人並みには気を遣って、大人になれば化粧も覚えて、会社の何十人もいる男の人の、ほんの少しから色目を使われる程度には、うんざりしながらも頑張っていた。

 だけれどやっぱり、楽しい人生では無かったなぁと、夢の中で思う。

 ついぞ、本心で愛してくれる人は見つからなかった。不思議と眠っているという自覚があるからなのだろうか、普段は考えないような事を、碇ニ朱の人生の追体験を通して考えてしまう。


 家庭環境だって、良くはなかった。

 小さな夢を捨てて、高卒で働き始める程度には、家庭が裕福というわけでも無かった。

 それでも、父親にあんな事を親を恨むという事は、もう些細な事にはなりつつある。

なんせもうあの人らはいないし、あの人らも私には会えない。葬儀くらいは行われているだろう。ブランディ家の事を考えていた時に感じた、本当の両親への感情は嘘偽り無い。


 両親は、なんだかんだ私のせいで喧嘩が堪えなかった。

 その問題の全てが私のせいだったかと言われたら疑問ではある。夢を諦めて仕事もして、家にお金だって入れた。

 結局の所、あの人は自分達で私の夢を潰しておいて、私に夢を見ていたのだろう。

 だから、その報いとして、あの人らが私の死によって傷んでくれたら私は満足だ。だって私は今、生きている。死人に口無しなのは向こうの世界でだけ、傷んでいるのはあの人達だけだ。だから自分の子が死んだという傷みを抱えてくれていれば良い。


 感謝はしている。それなりには。

 紅茶好きなのは母譲り、父には……現実の理不尽さみたいなものを反面教師として受け取った気がする。『ニ朱』という名付けも、父だ。


 私の父――落ちぶれていても、元作家だけある、意味が練られた名付け。


『朱に交われば赤くなる』という慣用句がある。人というのは、その人が取り巻く環境によって良くも悪くも影響を受けるというような意味だったはずだ。

 そもそも、気分良く酔っていた頃の父に聞いた話では、『朱』という文字はあまり名前としては縁起の良い文字では無いらしい。

 であればニ個あればいいだろうと、彼は笑っていた。嗤わず、笑っていた。そんな思い出だって、無いわけじゃあない。不器用な人だったのだ。


 人の人生を良い意味で変えるような人間になって欲しい。

 自分の人生を良い意味で変えられるような人生であって欲しい。

 朱に交わらせ、朱に交わる。二つの綺麗な朱を混じり合わせる為に、そんな人の近くにいて欲しい。

 だから、ニ朱と書いて、ニア。それに『NEAR』――つまり『近い』という言葉遊びですらある。


 私が生まれた頃は、そんな拘りに満ちた。作家だったのだ。父も。

 だけれど、結婚が遅かったせいか、進む歳と共に進むスランプに次ぐスランプ、飲酒が増えた理由も分からないではない。

 一時は世間に知られている名のある文学賞の候補まで行った父。その娘が、彼の見下していたようなノベルゲームをやっているのだ。苛立つのも分かる。だけれど、どちらも同じ文章、物を書かない私には、心から理解は出来なかった。


 そんな私が、父の名付けが皮肉なように、家庭という悪い朱に交わり、そうして最後には朱を零しながら死んだ。それもまた、碇ニ朱という人間の、一つの人生の解釈なのかもしれない。


 結局、これは走馬灯だったのかもしれないと思いながら、吐き気と共に目が覚めた。

「ニア様……だいじょーぶか?」

 クロが、私の手を握っていた。近くでは、心配そうにニアが私の顔を見ている。

 夢の内容ははっきり覚えていた、考えていた事。だからこそ、ため息が出た。

 ふと顔を手で拭うと、少しだけ冷たい感触があった。

「クロ……? スラムは? なんとかなった?」

「……なんとかなった。でも、ニア様はなんとかなってない……?」


――私は、泣いていたのだな。

 そんな事を思いながら、ボウっと朝焼けを眺める。

 ということは、少なくとも数時間は眠っていたのだろう。身体には毛布もかけられていた。

「……いえ、充分眠らせてもらえたから、大丈夫。この毛布は?」

「それは、ニアのお父さんが……」

 ウェヌが、少しだけぎこちない表情で私に近寄ってくる。その顔からは、心配と、少しの恐れを感じられた。

 クロは『私』という『私』にしか出会っていないし、元々の『レイジニア・ブランディ』を知らないだろう。だけれどウェヌは違う。彼女はちゃんと、『私』では無いレイジニアを知っているのだ。ちゃんと悪役令嬢だった頃の、レイジニアを知っている。

 だからこその、恐怖。それもきっと仕方がない。私だって、驚いているのだから。

「それで、お話があるって……」

 なんとなく、合点がいった。レイジニアが、レイジニアとして私達の眼の前に現れ、その生命を狙っていた。その事実に、ブランディ家が関わっていないわけがない。

「なら、一緒に行きましょう。そんな、怖い顔しないでよね……私だって傷つくのよ?」

「あっ……えっと……ごめんね……」

 私は手を握っていたまま、先に立ち上がったクロの手に力を入れて立ち上がる。

 身体が痛むが、疲労はある程度消えたようだ。やはり過労だったのだろうか。

 それとも、何か別の理由が、あるのか。

「ニア様ー、少し痩せた?」

「そりゃあねぇ……お互い様なんじゃないの? 貴方だってロクな物……食べてるみたいね」

 私はクロの頬についているパンくずを取ってやって、彼女の手を離した。

「世話かけたわね。アポロ王子は……まだ、か」

 流石に婚姻の儀の予定日を越えたと言っても、世界が作ったシナリオから脱しただけに過ぎない。

 おそらく次手が必ず来る。それに備える必要も、レイジニアという不確定要素について考える必要もあった。

 アポロ王子が来ない事には、実動は無理だ。


――だけれど、レイジニアの事について、二番目に詳しい人達が、此処にいる。

 私は、てっきり自分自身が『レイジニア・ブランディ』の意識を奪ったのだと考えていた。

 何故ならば、私自身、彼女の持っていた力も、その記憶も持ち合わせていたからだ。

 だけれどどうやら、事はそう簡単ではなく、私の知り得ない所で密かに状況が進行していたらしい。


 第三王子の亡骸は間違い無く本物だと、レイジニアの両親の元に行く間にジェスに教えてもらった。

 つまり、マイロによるブランディ家の強襲が失敗したと理解したレイジニアが、早々に婚姻が成されない事を理解した上で、動き出したという事だ。

 そう考えると、途端に私達の敵としている存在が、あやふやになる。


 レイジニアが、自由意思で世界を動かしているとでも、言うのだろうか。

 不可能では、無い。この世界に与えられた役割を捨てた人間であるならば、世界の干渉を受けずに、自由に動く事自体は出来る。だけれどその理由が分からない。

 

――だから、私は今度こそ、向き合う事にした。

 私は疲れ切った顔で座っているレイジニアの両親の前に、静かに座る。

「知って、いたのですか?」

 彼らが悪人であり、悪人にならざるを得なかった人間だという事は、理解していた。

 記憶の中でレイジニアが嫌っていた事も知っている。だけれど、碇ニ朱がその父の全てを嫌っていたわけではない事と同じく、レイジニアにだって深く考えたなら理解出来るような事は沢山あった。

「あぁ……君が、私達の本当の娘では無いという事は、気づいていたよ」

 重々しく、申し訳無さそうにレイジニアの父が口を開く。

 それに合わせて、自嘲するように母も口を開いた。

「だって、あの子と全然違うんだもの。だからね、怖かったのよ、私達は」

 確かに記憶の中のレイジニアと両親の関係と比べて、私がレイジニアの身体になってからは関わりが薄いなとは感じていた。だけれどそれは私があえて距離を置いているという事実があったから、然るべき事だとばかり思っていたのだ。

 だけれどその実、レイジニアの両親も、我が子が我が子では無いと知りながら、それを看過して、触れずに自由にしていたというわけだ。

「違うのだと分かったのならば、すぐにどうにでも出来たはず。私は、貴方達の娘さんの精神を奪った違う世界の人間なんですよ? 記憶こそ持っていても、貴方達から見ればこれは殺人のような物のはず……」

「違う、違うんだよ。えっと……ニアさん、でいいかな?」

 レイジニアの父が、私の言葉を悲しそうに否定する。

 それと同時に、私である私を受け入れようと、肯定的な提案をしてくれた。

「貴方達がそれで良いのなら……構いません。ニアと呼んでください。記憶として、貴方達に育てられたということも覚えてはいますから」

「そう、だろうね。だけれどね、ニアさん。記憶っていうのは、忘れるものなんだよ」

 その言葉に、少しだけ悪寒が走る。


――もし、私の知らないレイジニア・ブランディの、重要な知識が、あったなら?

「君がウェヌさん――禁呪の使い手、だね? 確か自身の傷と相手の傷を入れ替えるという……」

 おそらくは、国とのやり取りで聞いていたのだろう。レイジニアの父が、私の隣でじっと話を聞いているウェヌに問いかける。

「……はい。レイジニアさん――いえ、ニアには何度も助けられました」

 その言葉を聞いて、レイジニアの父は小さく微笑む。

 たとえ本当の我が子では無くとも、娘の善行を喜べる程度にはまともらしい。

 だったら何故、国とやり取りをして、娘を王子に明け渡すような真似をしたのだろうか。

「そうして、君は第一王子との婚姻を強制された。だけれどね、第三王子との婚姻は、レイジニアが行う予定だったんだ。ニアさん……貴方じゃなく、レイジニアがする為に用意されていたものだったんだよ。ずっと前から、ね」

 そんな事、知らない。聞いてすらいないし、記憶にすらない。

「ずっと前って……いつからですか?! 私はそんな事少しも……」

「そりゃあ、知らないだろう。だって私達の娘はそれを拒んで……禁呪を使ったのだから」

「禁……呪……?」

「そうだよ、国は……禁呪を求めていた。マイロが使う獣化という禁呪。ウェヌさんが使える身代わり羊スケープゴートという禁呪、そうして、レイジニアが使える、精神転写という禁呪の、三つだ」

 精神――意識の転写。つまりレイジニアの精神は、私が奪ったのではない。彼女が自身から誰かに意識を移し替えた時に生まれた精神のない抜け殻に、私が入り込んだだけだったという事だ。


「そうであっても、私はレイジニアの記憶と力を受け継いでいます。禁呪についての記憶なんて何処……にも……? あ……れ……?」

 途端に、違和感が走る。


――私は、その禁呪の事を、知っている。


 忘れていない、思い出せばはっきりと、あの研究の時間も、使い方も、全て、覚えている。


「そう、私達の娘はね。魔女みたいなものだったのよ。育て方が悪かったとしか、言い様が無い」

 次は、レイジニアの母が口を開く。心底、疲れ切った顔で、父親よりもだいぶやつれているように見えた。

「婚姻が決まってから、それを拒んだあの子はずっと部屋に籠もりきりだったの。私達の声も届かないくらいに、ね。それからしばらくして、急に学校へ行ったと思ったら、途端に元気な貴方が帰って来るのだもの、気付かないわけが、ないわよねぇ?」

 彼女は、笑いながら涙を溢した。


――つまり、あの紅茶は、レイジニアとしての最後の晩餐のようなものだったのか。

 でも、それだとゲームとしての辻褄が狂う。展開として、そんなぶっ飛んだ事になるわけがない。

 であればやはり、レイジニアこそが、最初に世界に抵抗して、そのしがらみを打ち破った人間だったのかもしれない。だけれど、それはあくまで此処に私がいるからこその話。つまりは、私の死によって、その禁呪が、途端に完成してしまった。

 

 境遇も、名前も似ているとは思っていた。何処か共通しているとは思っていた。

 だからこそ死んだ私を、彼女は世界を越えて自身の中に吸い寄せたのだ。

「そうか……精神魔法が、得意でしたね。"前"の私は……」

「禁呪の発動と共に、その存在を忘却するように仕向けていたんだろう。だけれど私達も昨晩、あの子の姿を見た。その瞬間に全てを思い出したよ。それまでは、豹変した娘に戸惑う親でしか無かったし。自身を救ってくれた娘に感動させられた親でしか無かったんだよ」

 つまり、私も含め、忘れさせられていたレイジニアについての記憶が、私やレイジニアの両親に一気に蘇った。

 その事を深く考えた瞬間、物凄い吐き気に、私は口を抑える。

「ちょっと! ニア様?!」

 クロが私を支え、ウェヌが私の手を握る。

「だい……じょうぶ……」

 強がりを言う。言うしか、無い。

 だってこれは、私が、レイジニアになった私が受け止めるべきものだから。


 流れ込んでくる、封印されていたレイジニアの記憶達。


――憎い。悔しい。悲しい。苦しい。そして何よりも、怒っている。




|【|】




 ある日、私は、自分が作られた存在だという事に気づいた。


 創造者も馬鹿だ。精神魔法だなんて適当なものと、ありあまる力を私に渡して、出し抜かれるとは思わなかったのだろうか。禁呪だなんてあまりにも都合が良い。王子と婚姻、それも第三王子? 私にそぐわない。

 第一王子と婚姻を結ぶのはウェヌ・ディーテだとかいう芋娘だ。どうして私が第三で、あの子が第一なのだろうか。憎い。母上も父上も、どうしてそれを認めているのだ。あり得る事じゃあない。

 憎い、憎い、憎い。どうして、どうして? 私には力がある、こんなにも力があるのに。

 なら精神魔法で私の何処がいけないのかを知ればいい。


 私という存在を何処までも何処までも掘り下げていけば良い。

 

 『データ』とやらに行き着いた。

 つまりは、私達は創造物、そうして私は『悪役令嬢』で、無様に死ぬと、書かれていた。

 そうして、ウェヌ・ディーテがこの世界の中心『主人公』で、どうしたって幸せになると、書かれていた。


 許せなかった。だから、願った。禁呪を自分のものにするために、時間をかけ、時間をかけ。

 『データ』とやらの中にある、別の世界の事を知った。もう『データ』は剥き出し、概念として介入出来るようにも出来た。

 そうしてやっと私は理解したのだ。この世界に及ぼす、その『データ』の影響は大きい。だから禁呪を自由に使えるようになるには、かなりの時間がかかる。それまでに婚姻の準備が整ってしまう。

 もし、その前に成功したとしても、意識を一旦取り出し、誰かに埋め込むまではかなりの時間を要するだろう。それはどのようにあがいても変えようの無い事実だ。

 

 なら、魔法を使えば良い。

 『データ』に、魔法を撃てば良いのだ。精神魔法、この『ゲーム』とかいう世界ではない、別の世界にいる人間にならば、禁呪の発動も容易なはず。

 だから、私は『データ』に精神魔法をかけた。私と適応しやすい人間の精神を乱す魔法を『データ』に使い、私を創った等という他の世界の奴らに、復讐をすると同時に、上手く使ってやる。

 これが創造物で、小説か何かのように市民に売り渡されるものならば、必ずそれで私と適応しやすい人間が死ぬ可能性があるはずだ。私はそれに賭けた。

 

 それまで、私は精神転写の禁呪の、転写部分の強化を行わなければいけない。

 何日も何日も待ちながら、私の精神を明け渡した後に、私が如何に早く誰かの精神を乗っ取れるかに注力し続けた。

 そうして、やった。


 やった、やったやったやった。

 『データ』にかけた魔法の発動から、十数回目。

 この場所とは違う世界で、私を創ったなどという苛立ちしか覚えない世界で、私と適応する人間が、死んだのを確認した。


 やったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやったやった。


 今に、禁呪は成される。

 タイミングもベストだ。時間こそかかれど、私の力も記憶をそのままに、ある程度まで適応出来れば精神を乗っ取る事も可能だ。まずは私を選んだ第三王子を乗っ取り、殺す。次は第一王子、国王もだ。


 まずはウェヌ・ディーテを苦しめる。そうして父と母を苦しめる。

 『データ』を見漁った時に知ったウェヌ・ディーテを幸せにするような人間も、皆殺す。

 そうして、ウェヌ・ディーテを殺す。


――主人公なんて、許さない。


 待っていろ。

 全員、殺してやる。


 最後に、紅茶を飲もう。

 そのうちに、私はきっと、何処かの誰かに、入れ替わるだろうから。








 知りたくなかった真実が、押し寄せてきて、私は口を抑えながら、ウェヌの手を強く握った。

 目からは、大粒の涙が溢れていく。感情がごちゃまぜになって、嗚咽が漏れた。


――私は、レイジニアによって、殺された。


 その事実だけが、はっきりと頭の中に木霊していた。

 遅かれ早かれだったかもしれない、あんな家族の中では、同じ様な事は起こっていたかもしれない。

 

 だけれど、私の死は、最初から、あのゲームを見てしまった時から、その映像を通して私にかけられた、世界を股にかけた魔法によって仕組まれていた事だったのだ。

 ゲームを流し見をしていたからこそ、違和感を感じなかったのかもしれない。

 ありふれた日常の中での死だと思ったのかもしれない。

 

 それでも、レイジニアははっきりと記憶の中で、この世界の真相に辿り着いている。

 そうして、これから、誰も彼もを殺すと、はっきりと誓っている。

「敵が、決まった。全部、前の私が、教えて、くれたよ」

 握っていたウェヌの手を離して、私は泣きながら、笑う。

「レイジニアは、みんな、殺すんだってさ。私を殺してこの世界に呼んだのも、彼女だった。だから、お父さん、お母さん」

 レイジニアの両親の顔を真っ直ぐに見て、涙を拭う。

「貴方の娘さんを、私は殺さなきゃいけない。此処にいる全員を、守る為に」

 ウェヌが息を飲んだ音がする。ただ、レイジニアの両親は悟ったように、頷いた。

「娘を、頼みます。ニアさん」

 レイジニアの父はそれだけ言って、涙を流している母を抱きしめた。


「……アポロ王子を、待ちましょう」

 それを見て、かける言葉の見つからない私は、流石に心配そうな顔をしているクロと、真面目な顔で何かを考えているウェヌと一緒に、眠っていた場所へと、戻った。


 ジェスとノア先生、それと幾らか傷が増えたブラウンにも状況を伝えると、各々が厳しい表情をして、頷いていた。きっと、各々が出来る事の為に、思考を巡らせているのだろう。


 そんな時に、遠くから馬の音が聞こえた。

 太陽はまだ登りきっていない。

「都合が良いのは、王子様だからかしら、ね……」 

 アポロ王子が、ジェスに迎えられているのが見えた。


 レイジニアが意識の転写に時間を要するならば、おそらくはまだ第一王子は動き出していないはず。

 だから、こちらから仕掛けるには、今しかない。


 私は、クロの頭を撫でてから、ウェヌの顔を見て、頷いた。

「大丈夫、私は私だから。お願い、怖がらないで」

 その言葉はまるで、彼女への懇願のようだな、と思った。


 いつか、彼女を憎んでいたのは、レイジニアと同じなのに。

 今はこんなにも、違う。

 

 レイジニアは、この世界の自分のあり方に怒り、気に入らない全てを破壊しようとしている。

 私もまた、気に入らない全てを破壊しようとしてきた。


 だけれど、結局のところ、私とレイジニアは道を違えたのだ。

 だから、私とレイジニアは、違う。

「ん……大丈夫だよ。私はニアが怖いんじゃなくて、ニアが頑張りすぎてるのが怖いの。でも、信じてる。……そうだ、ニアの本当の名前って?」

「あぁ……私はね、碇ニ朱って名前だったの。それがレイジニアに殺される前の私のほんとの名前。でも今はニアで良い。どうせ、今と変わらないしね」

 ウェヌが不思議そうな顔で、「いかりにあ……いかりにあ……?」と復唱する。

「怒り? 怒ってるのか? ニア様」

 確かに、この世界とは名前の順番も違うからだろう、だからウェヌもクロも不思議そうにしているのだ。

 だから私は笑ってこう言った。

「えぇそうよ。レイジニアの事なんて、許してあげない」

 

――だって、私もまた、彼女によって、忘れかけていた大きな怒りを思い出したのだから。

 アポロ王子にも話が通ったのだろう。ジェスが私達を呼びに来る。

 

 やっと、全員揃った。


 私はこの状況を、憎まない。

 私はこの仕打ちを、恨まない。

 私はこの理不尽を、妬まない。


 だけれど、レイジニアが今までしてきた事は、許さない。

 そうして、彼女が今からしようとした事に、私はすごく、すごく怒っている。

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