第三十ニ話『私だって、掲げる為のフラグなら喜んで愛そう』
口約束もしていないような、何の理由もない決闘。
お遊び程度の力試しに、この国の第二王子たる人物がどれだけ真摯に向き合っていたかは分からない。そもそも二対一を許していたあたり、余裕が見えていたのは言うまでもない。もう一度本気で、という事にはならないだろうけれど、そういう事が起きたとしたらまず間違いなく勝負にならないだろう。
やはり、剣の道を辿って生きてきた男性の腕力と真正面で向き合うには、私一人でもクロ一人でも対応しきれなかったように思う。
――ただ、結果は見ての通り。
アポロ王子は少し呆然とした様子の後、彼は小さく溜息を吐いて、愛剣だったであろう折れた剣を鞘と一緒に床に置き、静かに胡座をかいて座った。
「……名折れとはこの事か」
「名を名乗れで済む話でしたのに……。この剣とも……付き合いが長いのでは……?」
ジェスが躊躇いがちに、折れた剣のその先を拾い、王子が置いた片割れの傍に置く。
「フン、やり方を知らん。老若男女が言わずとも名を名乗ったからな」
要は不器用ということなのかもしれないが、ジェスの軽口とも取れそうな言葉に対して普通に返すあたり、融通が利かないわけではないらしい。
「そもそも、だ。その小娘が牙を剥くのが悪い。男であれ女であれ、刃を前に黙る器量は持ち合わせていないぞ」
「承知しております……。ニア殿も、良いタイミングで来ていただきました」
話を聞けば、行き違いに次ぐ行き違い。
そもそも、私を迎えたジェスは見張りをしていたわけではなく、状況が怪しくなりつつあるのを感じ、私が早く帰ってこないかと入口に来た所だったらしく、それまでは衛兵が王子とクロの間で何とか二人を宥めていたらしい。
まずは王子とウェヌに中途半端なフラグが立ってしまっていた事が問題だった。
本来ならば王子とウェヌはこの場に行き着くまでに信頼の置ける仲になっていてもいいはずが、おそらく私がフラグをバキバキと折っていった事でそれらの状況が変化したのだろう。
そうして、こう呼ぶのは気が引けるものの、メインキャラクターであるところのノア先生やジェスのフラグを折った上に、私の勘でしかないものの、プレイヤーが誰のフラグも立てられなかった時用のキャラクターとして世界に創造されたブラウンのフラグを早々に潰していた事で、要はウェヌという主人公がどの男性ともちゃんとしたフラグを立てなかった時の展開の行く末が変化したのだろう。
あくまで、あくまで私の考えだから、正解かどうかは分からない。
それでも、そうとしか考えられないのだ。結果完全に折らずに残っていた王子のシナリオ展開へと、私達は誘われたという事になる。であれば、未だ私達は世界の手のひらの上から脱していないという事にもなる。
そうして、私がシナリオを変化させていった結果、王子とウェヌは互いを知らぬままこの砦で出会う事となり、王子は王子としてウェヌに惹かれるという運命を背負わされていた為に、彼女に歩み寄ろうとする。
「どっちもどっちね……立場で言うなら私達は打首でしょうけど」
私は溜息を付きながら、私達よりも後ろの方へと戻っているクロに声をかけて、頭を下げさせる。
王子の強気の態度にウェヌは当たり前のように怯えただろう、絵が見える。本来は感動の再会か何かだったかもしれない、悔しいがそちらの絵も見えなくはない。
それはそれとして、怯えたウェヌはその場で一番信頼出来るクロの背に隠れる。
クロもまた、強気に出られて弱く返すなんて事を覚えている子ではないものだから、ウェヌを怯えさせ、近づいてくる相手に軽い牽制をする。
横暴というか、俺様タイプの王子はそれをあしらい、クロはそれでも抵抗してウェヌの盾になり、おそらく王子の性格を知っているジェスが止めに入り、何も出来ないブラウンは少し離れて見守るしかないという構図。
「まさか、一晩かけてジリジリやってたっての?」
「いいえ……我々がこの砦に着いたのと、王子がこの砦に着いたのは時刻が別でしたので……」
ジェスが気まずそうに答える。という事は現状私達が置かれている状況について、王子にはまともな説明が出来ていないのだろう。
大方、禁呪を持つ娘を第一王子と婚姻させる、なんていう説明の途中でウェヌを見て、目を奪われたというわけだ。
「では王子、こうなった経緯を、ご説明をさせて頂いても?」
「構わん、構わんが一つ条件がある」
そう言って、アポロ王子は折れた剣からその黒い瞳をあげて、ウェヌの方を見た。
「彼女の名を、教えてもらえないか?」
そう言うと、私の目を見る。
だけれど私は首を横に振った。
「失礼ながら、それよりも先にまず一つ。私達は一蓮托生の身という事をご理解ください。ですので身分の差を承知の上で、それを抜きに言わせていただきます。どうぞ、御自分でお聞きになってください」
王子は多少ムッとした顔をこちらに向けたが、事情を知っているジェスに真面目な顔でたしなめられ、その場から立ち上がり、戦闘が終わった後もクロの後ろについて心配そうにこちらを見ていたウェヌの方へ、多少ぎこちないがゆっくりとした歩幅で近づいた。
ジェスが小さく溜息を零しながら、こちらを少しだけ恨めしそうな目で見ていたが、私はあえて笑って返す。
話の内容自体は、クロとウェヌには届いていなかったのだろう。改めて王子が近づいてきた事に対して、クロが一瞬警戒しかけるが、それを王子は首を振って、片手で制した。
「心配はいらん。名を、聞くだけだ」
その言葉の返事は聞こえなかったが、王子の声だけは大きく、少し離れている私の耳にも届いた。
クロの声も、そうしてウェヌがどういう風に名乗ったのかも分からなかったが、王子はウェヌと二言三言何かを喋り、こちらへと振り返って、私の前にドスンと音を立てるように座った。
「成る程。ウェヌ・ディーテだとは、皮肉なものだな」
「申し訳有りません、王子。私も彼女が王子の探し人だと気付いたのはつい先日でして……」
そういえば、ジェス・ブライトという男は鈍い所があるのだという事を忘れていた。
初めて私とウェヌとクロ、そしてジェスが出会ったあの夜の森の時点で、正式に自己紹介をし合ったのは私とジェスだけ。ウェヌの名前は私が彼女を数回呼んだ程度だっただろう。
プライドを酷く傷つけられていた状況下で、まさか目の前にいた女性が王子の探し人かどうかまでを確認する余裕は無かったのだろう。
事情を知ってやっと、ジェスもまた王子とウェヌの関係性に気づいたという事だ。
「道理で見つからんわけだ。何せ、探そうとしていないんだからな」
「……とは?」
王子は王子で、何か思う所があるらしく、不満げに膝に肘をついた。王族らしくないとたしなめられそうな態度ではあるが、妙に似合っているあたり、粗暴というかなんというか、そういう性格なのが見て取れた。ある意味でじゃじゃ馬、私もその気持ちは分かる。
「禁呪の娘の件は、先程聞いた。その娘があやつであるならば、我が娶る事で解決だとも思った。不思議と、そう思ったのだ」
それは、おそらくフラグの影響なのだろう。しかし不思議と、フラグが及ぼす影響が小さくなっていっているような気がしていた。
世界の法則を壊していっているからなのか。ジェスが状況をすぐに納得してくれたり、ノア先生の物分かりが妙に良かったり、そうして今もそうだ。この、剣を折られて数分もしないうちに偉そうな態度で飄々としている王子が、そう簡単に国をあげて探させていた娘を諦めるだろうか。
だけれど事実は異なっていて、フラグというものはもう既に酷く脆いもののように思えてきていた。
反撃と決めた昨日よりもずっとずっと前に、私はもう既に反逆を始めていて、そうして気づかぬ内に、私は世界をジワジワと壊していっていたのかもしれない。
「だが、それは不可能だ。名を聞いて合点が行った。ウェヌ・ディーテと兄上との婚約の儀は、既に明後日執り行われる予定だ。その娘がいない事が不思議ではあったが……」
「……は?」
当人がいないのにも関わらず、婚約は決められている。
なんて非道、そうして明確なタイムリミットが示されてしまった。
――で、あれば今日、もしくは明日、奴らはウェヌを"獲り"に来る。
「は? ではあるまい。我もその旨どうなっているのかは知らん。だがそこから先は、お主ら……というよりお主が知るところなのだろう?」
言われて、ジェスが彼に耳打ちをした。すると、彼は声をあげて笑う。
「くだらん! くだらんな! そうしてお前はレイジニア・ブランディであると? 兄上も弟君も、婚約相手が不在のまま王城にいると!」
改めて『……は?』が出そうになったけれど、ウェヌがそうなら私もまた、そういう定めなのは何となく理解が出来た。
要はもう、世界が定めたシナリオは破綻している。
ウェヌは第一王子と婚姻し、戦争の道具にされるが、それを助けるヒーローはいない。
そうして私は、ウェヌをいびった挙げ句殺される為に第三王子と婚姻するが、それと止めるヒーローがいない。
――この先に敷かれたシナリオはもう、誰のルートでも無い。ただバッドエンドが、形成されつつある。
ただし、私達に現状存在するのは、ウェヌと第一王子の婚姻を阻止した上で、私と第三王子の婚姻も阻止する。
そうして、唯一味方になり得るであろう第二王子に、国盗りをしてもらうしかない。
「王子は、国内唯一の戦争否定派だとか?」
「ああ、我から言わせると父も兄もくだらん。国内の魔物共を一掃もせずに隣国と小競り合いをして何になるというのだ。それに、だ。特に禁呪とやらを使うという手も卑怯で好かんな」
「……で、あればこの状況、どうお考えになられます?」
ウェヌの話と、私と、世界の話を少し、ディーテ家で起きた事の顛末と、マイロという男の存在。
それと忘れてはいけないクロがいた闇の奴隷施設の話、最後にディーテ家から持ってきた書面をアポロ王子に見せると、彼は不敵な笑みを浮かべた。
「滾る話になってきた。闇市場を見逃し戦争だと? 知らぬ我にも腹が立つ。しかし要は、くだらん茶番に我が付き合わされていた、と?」
「そういう事になりますわね……。ウェヌ、もう心配ないわよ」
此処から先の話は、仲間全員で話さなければいけない話だ。
いつの間にかブラウンも、私達の声が聞こえるくらいの位置で、少し気まずそうに苦笑しながら話に合流していた。
「ニア様、コイツ仲間か? 危険な感じは無いけど、言ってる事は危険な感じがするぞ」
それを聞いて、アポロ王子こと、アポロはガハハと笑う。
「言うものよ小娘、我の剣を折るのならば、そのくらいの胆力がなければな!」
「小娘じゃなくてクロだぞ、オージ!」
さっきまで刃を混じらわせていたというのに、何とも兄と妹のようにも見えるやり取りに、私は目を疑う。
――つまり、似てるんだこの二人。
印象がコロコロと変わっていくが、要は不器用な熱血バカの類なのだろうか。
「それに、ウェヌ・ディーテよ。怯えさせてすまなかったな。頭は下げぬが、その詫びとして、愚兄どもに頭を下げさせようではないか!」
ウェヌは困り顔で、小さく頷く。私はそれを見ながら、彼女と目が合うまで微笑んでいた。
「そう、簡単に決めて良いものなのでしょうか……」
ジェスが心配そうにアポロに聞いても、アポロは興奮した面持ちで、言葉を曲げなかった。
「構わん! 穏健派穏健派と舐められて来たが、いい加減色をハッキリさせたい頃合いだ。この国で、誰が一番武を磨いた? 誰が一番名を上げた? 誰が一番、王の器であるか? 今が決め時だ」
彼の言う事も一理ある。この流れから行けば、何もしなければ戦争に対して反対している穏健派であるところの第二王子の処遇は悪くなり、最悪不慮の事故を起こされて葬られるという事だってあり得る。
彼には、彼の人生があった。世界が定めていない人生。
彼に備え付けられていたのは武の才能と、その愚直な程の真っ直ぐさ。
それが悪く働いたのが、先の私達との戦いだ。
だけれど設定は設定として、生きているのだ。悲しいが生きている。
だからこそ彼は、私達の話が通じるような人間でなくてはならない、話が通じない本当のじゃじゃ馬、どころか駄馬では話が、シナリオが進まないから。
「ジェス! 我の新たな剣を此処に持て! そうしてこの砦の兵共に、我の国盗りの意を示せ! あちらに付く者は今すぐに出ていけと伝えろ!」
アポロばかりが盛り上がっていて、私達はどうにもついていけていないが、彼がやる気になった事自体は私が望む展開ではある。
「その間に、私達はティータイムの準備でもしましょうか……この王子が獅子になったら敵わないし」
私はやっと少しだけ口調を崩して、クロにフォスフォレッセンスの茶葉の袋を手渡す。
マイロの禁呪の話も、勿論私達の事を話した時に説明してあった。
しばらくして、ああ見えて王子の人徳は深いのだろう。衛兵で相手側に付こうと思ったものはいなかったようで、幾人かの鎧を着た兵士達によってテーブルと椅子が用意され、砦にいる人数分の紅茶が揃えられた。
「とりあえずは、マイロが使う人を魔物に変える禁呪は、これで封じられるはず」
全員が紅茶に口を付けたのを確認し、それぞれの感嘆に私は満足しながら、改めて自分の紅茶にも口を付けた。
「……ふむ。ニア・レイジ。いい味だな、あの味音痴の三男坊には勿体無い」
「お褒めに預かり恐縮です。それに名前を覚えるのもお上手なんですね」
『名前を聞くのは下手だけど』とは言わずにおいた。何故なら彼は私を一度きりの説明を聞いただけで『レイジニア・ブランディ』とは呼ばず、『ニア・レイジ』と呼んでくれたから。
やはり、ときめくような事は無かったけれど、そういう風に出来ているのだなと思った。
紅茶をグッと飲み干したアポロは、立ち上がり、鬨の声をあげる。
「我は武闘派だという事を思い知らせてやろうぞ。ジェス! 旗を上げろ!」
なんとこの後に及んで、フラグの原型、語源であるところ『FLAG』
つまりは旗を立てるなんて事が起きるとは思っておらず、私は紅茶を吹き出しかける。
だけれど、もしかするとこの世界に、というよりも人間に必要なのは、目に見える所にある定められた旗を手に取るか考える事ではなく、自らの意思を以てして旗を立てる事こそが必要なのかもしれないと、ウェヌとの恋愛のフラグが折れて尚、平然と生きる為のフラグを立て直したアポロを見て、気付かされていた。
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