第二十五話『負けるのが、結局嫌いだ』
ディーテ家近隣の森、王国騎士が定期的に見回りに来る範囲の森だ。
逃げ込むならば此処だと、最初から決めていた。この森に詳しい人間はそう多くはいないはずだ。ウェヌは多少詳しいかもしれないが、それでもこの森は広い、知っていて件の騎士の時に取りに行った植物までの道中くらいだろう。だからこそ、良い。
「森に来たのはいいけど……これからどうするの? ニア」
ちょっとぎこちないけれど、少し慣れ親しんだ口調で話しかけてくるウェヌに、私の目線で今起きている事を説明していく。
ウェヌ自身にも身に覚えがあるように、この世界はウェヌを軸にして動いている事。
世界の管理下にいる人間は強制的に世界の思い通り、つまりは私達の敵になってしまう可能性が高いという事。
そうして、それはこの世界に於ける重要人物であればあるほど強く作用するという事
「だから私には何も無かったんだなー」
クロが呑気そうに言うが、それもまた作戦のうちだった。これがまさかここまで重要な選択だったとは思わなかったけれど。
「まぁ……なんというか。それを見越してたからね……」
「驚愕の事実!!」
少なからず衝撃だったようでクロはやや大げさに驚き、それを見てウェヌが小さく笑う。
状況は緊迫しているものの、二人にはやはりあまり危機感が無い。
「ニア様、"あの事"は良いのか?」
だけれどクロはやはり目ざとい。私が違う世界から来たという事について、話したかどうか彼女は知らない。少なくともその情報が重要だという事は、クロも理解していたらしい。だけれど私はもう洗いざらい話した後だ。
私は彼女の知っている『レイジニア・ブランディ』では無く、元々は彼女をバッドエンドへと陥れようとしていたという事は、話す事は出来た。信じているかは分からないものの、とりあえず理解はしてもらえた。現実味を帯びていない事は確かだろう。それにまだしっかりと話し合いが出来る状況ではない。だからこそ、もっと詳しく話しあったとして、もし彼女に嫌われたとしても、それは全てが終わったあとでいいとそう思っていた。
ウェヌは首をかしげているが、私は首を横に振った。
「ん、話したわよ。でも詳しい話は、最後の最後かしら、ね」
「まー……そんなもんか! それで、これからどーする?」
三人でとりあえず森の奥地まで歩いていく。危機感が無いというのは、私も少し同じだ。
――何故ならこの場所に適した人間は、ディーテ家にはいないから。
「ウェヌ、貴方がもし一人であの家から逃げるとして、何処に逃げ込む?」
これは、一応確認しておかなければいけない事柄だ。返答によっては、今後の行動が左右されることになる。
「うーん……街道は危ないし、此処も一人じゃ来られない……かな? だとすると、意外と近場……家の近くの倉庫だとか、かな」
であれば大丈夫なはず。ウェヌがこの森を選んでいたなら、私達は即座に森からよりウェヌが寄り付かないであろう場所に行く必要があった。
「なら大丈夫、魔物にだけは気をつけて、このまま夜まで待ちましょう」
「夜まで?! ニア様、それは流石に追っ手が来ちゃうぞ……」
心配そうなクロの頭をそっと撫でて、少し危機感を覚え始めていそうなウェヌにも軽く微笑んだ。
「大丈夫、大丈夫なのよ。だって此処は……」
――王国騎士『ジェス・ブライト』のテリトリーなのだから。
クロと私で彼の面子は確実に壊した。だからこそウェヌと彼の劇的な出会いというものは無くなった。けれど、それ以降もジェスが森をパトロールしている事は調査済みだった。彼のフラグは折れたものだと、そう思い込んでいたが、今は逆に折れていない事を祈っている。
もし折れていないならば、いつか完全に折るつもりだった。だけれど今この瞬間、必要なのは彼のフラグが折れていないというその一点だ。
「ウェヌ、改めて言うけれど、貴方の側に近寄ってくる男性は、今のところ全員貴方を好きになる。そう思っていて頂戴。誘惑されないでね?」
「へ……えぇ?! いや何言ってるのニア……私なんて」
そりゃあまぁ、あの時はまだ彼女も世界の手中に収まりかけていた。改めて聞くとびっくりもするだろうけれど、そういう風になっているとしか説明が出来ない。
「貴方が受け身で、世界に取り込まれたならば貴方もまた、その相手を好きになる。それがこの世界のルールなのよ。憎たらしい事にね。だからこそ、全てが終わるまで、男性には注意すること」
「う……うん……。でもなんで……」
「谷より深いのよ。事情は……はぁ……」
実際、ウェヌが世界のしがらみから現時点で解かれていたとしても、フラグ相手を目の前にしてどうなるかは分からない。人には好みというものがハッキリと存在するし、キュンとする仕草なんてものも千差万別。ブラウン程の失態を見てしまえば流石にウェヌでも好意はだいぶ薄れるものの、王国騎士ジェスについては、ただ獲物を横取りしただけだ。
彼にとっては大きな失態かもしれない。私とクロにとっては作戦成功かもしれない。
けれど、ウェヌにとっては特に不快感の無いパトロールの騎士程度の認識のはずだ。
おそらく、だからこそこの森を呑気にぶらついていても何の気配も無い。
ディーテ家からはだいぶ近い森ではあるにも関わらず、声の一つも無く、魔物の気配すらない。
何故ならば、魔物はジェスがウェヌを救う為の舞台装置であるから、彼がいない昼間にそう獰猛に襲いかかってくる事は無いのだ。おそらくある程度の数はいるものの、ある意味お目溢ししてもらっている。
世界のルールを逆手に取った作戦、そうして夜を待つのもまた、ルールを逆手に取る事になる。
それは今この瞬間の緩やかな時間とは違い、ある種の賭けでもある。
――フラグを折る。
ディーテ家の旅人の情報は喉から手が出る程欲しい。
だけれど、あの状況だとこれがベストだと考えた。
「ニア様ー、あの騎士待ってるのかー?」
ある程度森の奥まで来た頃、水場近くで休める場所を探し休んでいると、クロが少しだけつまらなそうに私にだけ聞こえるように囁いた。
「えぇ、敵は減らす。それに越したことは無いでしょ? ディーテ家に滞在してる旅人も気になるけれど、今はその方が重要よ」
「んー、夜まではまだ結構あるよなぁ……」
クロが少し難しい顔をしながらブツブツと何か呟いている最中、ブラウンに渡していた魔法具から受信音が鳴る。クロがビクリとして、ウェヌもこちらを向くが、私は魔法具を見えるように振って、彼からの連絡に応答する。
「ニア……様。クロ殿、ウェヌ様、ご無事……ですか?」
その声は、息も絶え絶えというのが正しかった。
私達三人に話しかけていると察した私は魔法具から漏れ出る声の音量を上げる。
ウェヌがタタタとこちらに近づいて来るのと同時に「大丈夫、無事ですよ!」と率先して声をかける。
「そっちは……ご無事というには程遠そうね」
嫌な予感は、少しだけしていた。彼もまた世界からイレギュラーとして認識された一人ではある。
あの段階では分かれざるを得なかったが、一人にすることに対して最善策だと思っていたわけではない。
けれど、どうやら事は思ったよりも面倒な事になっているようだった。
「良かっ……た。そのまま、街道をお進みください。街まで着……ガッ」
言葉が途中で途切れ、苦しそうな呼吸音のみが聞こえる。
その瞬間、私は魔法具から漏れ出す魔力を極限まで抑え込み、簡単な探知では見つからない程度の状態まで効力を落とす。ザ、ザザ……というノイズに混じって、聞き覚えの無い声が聞こえた。
「街、ですか。であれば僥倖、城も近いですしな。少々お待ちくださいウェヌお嬢様。ただいま『マイロ・ジョーンズ』がお迎えに上がります」
その声と同時に、魔法具からの通信は切れた。同時私は、クロに命じて魔法具を破壊させる。
彼が、状況こそ分からずとも、全身全霊で突き通した嘘だ。探知されるわけには、決していかない。
ウェヌの目が、恐怖で見開かれていた。おそらく『マイロ・ジョーンズ』こそが旅人、ディーテ家を暗躍しつつ、フラグか、またはラスボスか。分からないにしろ、どちらかの役割を担っている人間だろう。
「ブラウン……さんは……」
ウェヌは、目に涙を溜めながら、こちらを見つめる。おそらく彼女くらい穏やかな性格であっても、今彼に起こっている状況は理解出来ているのだろう。
「妙ね……彼が疑われる要素なんて……」
「ウェヌの家は、セカイの手中なんだろー? なら多分何でも起こるんだ。此処とは違うんだよな? ニア様」
クロが、真面目な顔でこちらを覗き込んでから、立ち上がる。
「ウェヌ、泣くなよー。ウェヌは泣き虫だよなぁ」
ポロポロと、ウェヌの目から涙が溢れる。それも当然だ。彼女のせいで、ブラウンの生死はもはや定かでは無い。
「ニア様。此処はほんっとーに安全、なんだよな? 魔物とか、平気なんだよな?」
「え、ええ……それはそうだけど」
それを聞くと、クロはニカっと笑って、腰の短剣をポンポンと叩く。
「なら、私が行ってくる。ニア様もウェヌも、だいじょーぶなら、私は此処にいなくたって、いいもんな?」
その目は、笑っているようで、その奥には真っ黒い、いつか見たような深淵の炎が燃えているような気がした。
「ボンクラ執事でも、私達の仲間、そうだよな? ニア様」
ブラウンの努力を私は、私達は見ていたのだ。
――だからこそ、クロは、きっと許せない。
事実私が何となく見ていた時に、より興味を持ってブラウンを眺めていたのは彼女だった。
努力という事を、彼女の心に刻みつけたのは、もしかしたらブラウンのあの毎日の鬱陶しい鍛錬だったのかもしれない。
言葉にしなければ分からない事は、沢山ある。
それはウェヌと私も同じで、クロと私も同じで、きっと、クロとブラウンも同じなのだ。
「ちょっと……暴れてくる!」
「負けたら承知しないわよ。まだ私はアンタとの約束果たしてないんだから」
その言葉に、クロはキョトンとした顔をする。
「ん? 約束? そんなのしてたっけ」
もしかしたら言葉で交わしたのは始めてかもしれない。
沢山のことが起きすぎて、私もハッキリとおぼえていない。
しかもあの頃は意地も張っていたから尚更だ。だけれどしっかりと覚えている。
――クロがいたあのくそったれ施設を、ぶっ壊すんだって。
「アンタがいた施設をぶっ壊して、アンタみたいな子がもう二度と売られないように、すんのよ! だからアンタはそれを見届けんのよ。あんなボンクラに命賭けるんじゃないわよ! さっさと逃げてくる事!」
「へへっ、ほんとに良い御主人様だなー。じゃあニア様」
クロは、メイド服のまま、こちらにピッと背筋を伸ばしてから、恭しく、お辞儀をした。
「くそったれを、ぶっ飛ばして参ります」
その足に、緑色の光がふわりと纏う。
「彼を、お願いします。私のありったけ、エンチャント……!」
速度魔法を見て、クロは笑う。
「……あったかいな! じゃ、行ってくる!」
そう言い残して、クロは飛ぶように森の中を駆けて行った。
夜までは後もう数時間、急に降って湧いた問題達は、一つずつ潰していくしかない。
おそらくブラウンを攻撃した『マイロ・ジョーンズ』がブラウンのブラフ通り街へ向かっている事
騎士ジェスが夜、森に現れる事。
クロがブラウンを助け出す事。
懸念点は少なくともその難易度は高い。
それでも、私とウェヌはお互いに顔を見合わせて、強く頷いた。
クロの帰還を願いながら、長い長い時間を過ごした気がする。
そうして訪れた夜、後は待っているだけで良い。
3つの可能性のうち、2つは当たり、そうして1つは外れ。
だけれど、4つ目の可能性については、意識していなかった。
ガサリと、草むらから音がする。
「……誰?」
恐る恐る聞いた私の声に返事をしたのは、クロでは無い。
そうして決してブラウンなわけでもなく。
騎士ジェスでも、無かった。
草むらから表したその姿を見た瞬間、私は大きな溜息を付きつつ、汗がじわりと身体を伝うのを感じた。
「呼んでないわよ」
その言葉に魔物は殺意の音で返事をする。
「二、ニア……」
「はぁ、まさか貴方と共闘なんてね」
躙り寄る狼型の魔物、いつか私達が森で出会い、倒した魔物よりも二周りは大きい。
「とりあえず、時間稼ぐわよ」
セカイの影響下であるならば、此処で無様に死ぬ可能性すらある。
だけれど、もし、もしこれも一つのイベントであるならば、あまりにもボス戦のようだけれども、これがイベントならば、間違いなく耐久戦だ。
私は、ブランディ家からくすねてきた高そうな剣の鞘から、無駄に装飾がついている剣を取って、魔物と相対する。
「多分ウェヌは狙わない……はず、だからありったけのフォロー。頼むわよ、相棒」
少しいい慣れていない言葉が出たのは、緊張しているからなのだろうか。
セカイの理として、どうあったとしてもウェヌを殺すという選択肢は無いはず。
だけれど、私を殺すという事は大前提として存在する理だ。だからこそ、この場は私の正念場。
きっと帰りが遅いという事は、クロだって今頃頑張っているのだ。
だからこそ、だからこそ、私は、負けてなんてやらない。
負けるのなんて、ごめんだ。
「ちょっと、暴れてみましょうか!」
虚勢もまた私の流儀、肝はとっくに座っている。何せ一度死んでいるのだ。
誰も彼もが命を賭ける頃合い。
――クライマックスが近づいている。
おあつらえ向きだと、私は笑って、速度を纏った一撃を以て、魔物の爪撃を受け止めた。
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