第二十九話『私は、紅茶が好きだ』

 ボロボロの庭園に戻った私は、泣き腫らした目をしているウェヌを、静かに見つめる。彼女は何を言うわけでも無く、ぼうっとした顔でこちらを見ていた。

「全部、無くなっちゃったな……」

 そう言うウェヌに、私はこの庭園から森に行く前に密かにもぎ取って置いたトマトを取り出して見せた。

「形あるものは、壊れるものよ。でも、確かに残る物もある」

 そう伝えて、私は元々苦手だったトマトを一口齧って、彼女の手のひらに置いた。

「貴方は恨む必要も怒る必要もない。代わりに私が怒ってあげる。この美味しいトマト畑をこんな風にするなんて、品が無いったら」

『恨む必要も』と言った所で私はしっかりとブラウンの方を見た。その視線の意図に、ウェヌは気付いたのだろう、小さく頷く。そうして私はブラウンの方を見て、大きく頷いた。

「ふふ、直接齧るなんて、ニアも品がないよ」

 彼女は、そっと手に取ったトマトを、私にならって齧り、笑った。

「そ、私は品が無いの。だから目には目を、懲らしめに行くわよ。貴方も悲しむのが終わったなら、次の事を考えましょう?」

 彼女は少し不思議そうな顔をしてこちらを見る。ジェスが説明しようとした所を私は遮って、王子がいるであろう砦へ移動する前に存在する選択をウェヌに委ねる。


「この家と、亡骸。どうする? 私の魔力なら、跡形も無く焼き尽くせる」

「そんな、ニア殿、それはあんまりでは……」

 ジェスに口を挟まれても、私はウェヌから目をそらさず、少しこわばった彼女の顔を見つめる。

「家の中、誰も、いなかったんだよね?」

「ええ、人っ子一人。まぁ貴方の親は逃げおおせてるでしょうね。この騒動の黒幕と一緒に」

 ウェヌもその事実には流石にショックを通り越して呆れてしまったのか、へへっと少し笑ってから、真っ直ぐ私の目を見て、頷いた。

「うん、やっちゃっていいよ」

 彼女もそれなりに、修羅場を通り抜けただけあって、思い切りが良くなってきた。

「じゃあ、貴方達は先に行っててもらえる? 行き場所はジェスが誘導する。クロ、王子がいるらしいから、頼むわよ」

 私は言いつつ、クロにアイコンタクトを送る。彼女も王子がフラグ対象だとすぐに気づいたようで、頷くのを確認してから、ジェス達を見送った。


「思い出せ、思い出せ、思い出せ」

 私は、私に刻まれた炎をイメージしていく。

 

 ガラスを踏みつけた時の熱い痛み。

 死を前にした時の冷たい怨恨の灯火。

 そうして、『レイジニア・ブランディ』という悪役令嬢に宿っている、悪辣の炎。


 その全てを一つにして、ゆっくりと、丁寧に、練り上げていく。

 紅茶に落とした角砂糖を、溶かすようなイメージ。

 その味が最悪になるくらいに、たっぷりの角砂糖を入れて、風味が飛ぶ程に火にかけて、紅茶が黒くドロドロとした液体になってしまう程の、怒りを込めて。

「弔いは和名。これは嫌味。精々、現世にでも逝きなさい。……紅魂火こうごんか

 手のひらから溢れるような、例えば火球を撃つようなイメージでは無く、その炎は地面から吹き出るマグマのように、ディーテ家の敷地を飲み込んで行く。


 おそらくはウェヌ達からもその炎が見えた事だろう。

 せめて、無意味な死を遂げた者は私と同じように、来世で何かしらになればいいと思いながら、空高く立ち上がる煙を眺めていた。炎だけでも相当の力。改めてレイジニア・ブランディの魔法の素質を実感する。とはいえ、一悪役令嬢に使える魔法では無いだろうという自信が、私の中に芽生えていた。

 

――本当の怒りなんて、アンタのシステムには入ってない。


「反撃の狼煙は、ちゃーーんと、見えなきゃね」

 私はそう呟いて、ジェス達が向かった砦とは真反対の、王城の方へと向かった。


 姿隠しの魔法を使いながら、全速力で空を駆ける。今の私は世界にとっての異分子ではあるものの、マイロ達がシナリオに忠実に動いているとするなら、目が行くのはジェス率いるウェヌ達の方だ。

 このタイミングで、単独行動している私に構っている程、奴らも暇では無いはず。

 それに加えて、ウェヌの方には本来シナリオには含まれていないクロとブラウンという二人分の戦力もある。ブラウンはともかくとして、クロがいるだけで多少の問題はクリア出来るはずだ。軍隊に囲まれたらぐうの音も出ないけれど、そこは私がいたとしても同じ事。


 だからこそ、私はあの子達が無事でいてくれる事に賭けながら、自由に動ける最後のチャンスを禁呪の為に使った。

 私はディーテ家を燃やした後、禁呪を受けた亡骸から、灰をすくい、瓶に詰めて持ち運んでいた。

 行くべき場所は街中の研究室、つまりは私が提供した元ウェヌのフラグ兼、保険医にさせられていた研究者志望のノアの研究室だ。

「使えるものは使わなきゃね……」

 姿隠しの魔法を使ったまま、ノアの研究室をノックすると、少しして返事が返ってくる。

 その声に「私よ」とだけ行って、ドアから少々距離を取った。

 

 まさかとは思うものの、既にノアの所にまで王城の手が回っていたら面倒だ。

 しかし、それは杞憂だったようで、ドアを開けたノアが不思議そうに私がいる場所を見る。

「もう入っているわよ」

 私はドアの隙間から研究室に入って、姿隠しを解く。

「ブランディさんにそんな茶目っ気があったとは……」

 一旦驚いた様子を見せながらも、温和な笑みを浮かべるノアの顔を見て、とりあえずまだ国単位で私達を国賊として指名手配している様子は無いと安心した。ただ、指名手配といってもこれは私のゲームプレイの経験則によるメタ読みにしか過ぎない。この流れであればこうなってしまうだろうなという、何となくの危険を予測しているだけ。そもそもあれだけの反撃の狼煙をあげている上に、マイロも私達を明らかな敵対人物として認識して手を打ってきたのだ。警戒してもしたりない。

「ノア先生、ニアと呼んでもらえるかしら」

「それはまた、姿格好も驚いたけれど、どうしてだい?」

「私もう、ブランディ家を捨てたんですよ。あぁでも、先生の雇用契約についてはしっかりと外せないよう手配してありますのでご安心を」

 ノア先生も、流石に笑いが引きつっている。

 その笑いをこれ以上引きつらせるのは酷だったが、こちら側に巻き込んだ以上、彼にも協力はしてもらいたい。というよりも、申し訳ないけれどしてもらわなければいけない。これは正直言って我儘だ。

「ちなみに私は今、指名手配中の国賊になる予定です。悪い事は何もしていないのですけれど」

 事の経緯を説明すると、ノア先生は顔を青くしたり赤くしたりして最後には灰色にも見えるような深い溜息を吐いた。


「――と、言うわけなんです。なので先生にお力添えをして頂きたいと思いまして」

「いやいや、いやいやいや。僕に出来る事って何だい? ブラン――じゃないね、ニアさんの話に嘘が無いという事は不思議と納得出来てしまう。実に荒唐無稽な話だとは思いつつも、不思議と理解も納得も出来る。君は嘘なんてついていないんだろう。だけれどね、僕は一介の研究者だよ? だから……」


――そう、彼はもう既に研究者だ。

 その言葉を聞いて、シメたと思った。彼がもし一介の教師だとか、研究者崩れだとか、なまっちょろい事を言っていたら即座に諦めようくらいには思っていたけれど、彼が彼自身を研究者として観測しているのなら、私は彼に重要な役割を任せられる。

「そう、先生は研究者。専門は植物学……魔法の腕は、からっきし」

「君の言う通り。話を聞いた限り、禁呪なんて魔法がある事自体知らなかったくらいだ。そんな僕に今何を頼めるって言うんだい?」

 彼は、この魔法重視の世界に於いて、数少ない魔法を使わない、使えない人間だ。

 なのにも関わらず、七面倒臭いやり方で、高等魔法といえる程の医療技術を手にしている。


 きっと、この世界で禁呪に対抗する手段なんて、見当たらない。

 これがもしゲームのシナリオであれば、ジェスあたりがマイロの禁呪の餌食になり、精神力とやらでお涙頂戴をする所なのだろうと思う。他ルートのヒーローを殺すのは流石に炎上しそうだから、もしかしたらディーテ家の段階でブラウンあたりの外れヒーローを選ぶかもしれない。

 ともかく、私のような外的要因が邪魔をしなければ、禁呪なんてものはこの世界に元々置いてあるルール違反の魔法のようなものだ。だからこそ禁呪とまで呼ばれている。


 だからこそ、この世界の頂点に立つ事を許された魔法と張り合う魔法なんてものが、見当たってはいけない。


――けれど、その魔法と張り合うのが、魔法ではないとしたら?

「先生、例えば、人間の細胞が活性化、つまり生きている最中は魔物に変化させ、その細胞の死と共に人間に戻る。という病があったとします」

 その言葉で、彼の目は大きく見開いた。

「その病を治すとするならば、先生はどのような薬をお作りになられますか?」


 魔法の腕をからっきしにされた事で、植物学、及び医学についての知識を最大まで振り切られた人間が、今眼の前にいる。

 これは、世界の我儘、ウェヌのフラグになるための、強引な設定。

 だけれど、この魔法社会で魔法が使えないという大きな欠点は、彼の今までの人生に影を落とした事もあっただろう。

 未来だけの話では無く、現在だけの話でも無い。

 私がこの世界を現実だと認知し、あらゆるキャラクター、すれ違う名も無き全ての人間、背景にすら映らない花々、ゲームとして考えるならば設定資料にも乗らないであろう獣。それらを全て現実の物だと考えたならば。

 この世界は、地球でもなんでもなく、この世界としての歴史が存在している。

 

 ゲームであれば語られないだけ、そう設定されていないだけ。

 登場人物全てに、過去がある。そうして未来がある。

 この世界が現実であるならば、ウェヌという主人公一人にフォーカスを当てては、いけない。

 

 こんな事、現実にいた頃の私じゃ絶対に言えなかったし、言いたく無かったけれど、どうしようもなく誰もが、誰もの視点で主人公なのだ。

 だって、この世界はもう、少なくとも私という人間がレイジニア・ブランディと一体化した時から、ゲームのようで、ゲームでは無いのだから。

「……遺灰があると、言っていたね?」

 いつも温和に見えたノア先生の目に、ギラリとした光が灯った気がした。

「ええ、こちらに」

 トン、と。"彼女"の遺灰の入った瓶を机の上に置く。

「この年で徹夜は堪えるね」

 彼は瓶の蓋を開けて遺灰の匂いを嗅いで、小さく笑う。

 出来ると思って、構わないだろう。だって彼は、この世界で『"ほんの数人"』しかいないであろう、魔法と相対する力を創造出来る人間なのだから。

「手伝いますよ。私だって、こと植物についてなら、負けていませんので」


――ほんの数人のうちの一人が、レイジニア・ブランディだ。

 最後の一人は、ウェヌ・ディーテという女の子が持っている力。


 レイジニア・ブランディは、何故紅茶が好きだったのだろうか。

 複数の茶葉と魔法の融合により、国内随一の紅茶葉を作ることに長けていた彼女は、きっとその力で、今私がしようとしていることの逆をしたのかもしれない。

 だけれど、この世界にとっての悪役令嬢は、世界が敷いたレール、世界が人々に強いてきたシナリオにとって、不都合な事しかしてやらない。


「はは……そういえば知らない人はいませんでしたね。貴方の紅茶、いつか頂きたいものです」

 そう笑うノア先生に、私はニヤリと笑って返した。

「明日にでも飲みましょう? モーニングティーは新作の、万病に効く紅茶にするのですから」

「万病に効く、しかも紅茶とは大きく出たもんだね……。これは何とも……参るな」

「だってそりゃあ……薬を飲むよりも紅茶を飲む方が、優雅ですもの」

 苦笑と微笑が入り混じりながら、私達は対禁呪用の薬の作成を始めた。

 彼の知識に、レイジニアの知識を織り交ぜていく。もし、そこに魔法が必要ならば、この私がいる。


 反撃の狼煙は、もう既に上がっているのだ。

 ノア・ガーデナーという人間の人生を操作した事への、反撃。

 そうして、レイジニア・ブランディという人間の人生を操作して、あまつさえ私を取り込ませた事への、彼女の代わりに放つ反撃。


 私達が世界に埋め込まれた、設定という名の知識達が、禁呪を破る一杯の紅茶を創り出そうとしている。

 なんて皮肉だろうと、久々に気持ちの良い、悪どい笑みを浮かべそうになって、私は欠伸で誤魔化した。


 だってその笑みはまだ、取っておかなければいけないのだから。

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