第四十五話『ハッピーエンドの香りがする』
空に浮かぶ感覚、死を感じつつ、首が飛んでも考える事が出来るんだなぁなんて思っていると、私の身体は地面に落ちる前にもう一度誰かに……おそらくはジェスに受け止められた。
「な……に……?」
そうして、私の顔の上に、ハラリと黒い髪が落ちる。
「ウェヌ・ディーテ。ジェス、其奴を絶対に殺すな」
「なん……で?」
ウェヌの汗が溢れる。おそらくはかなりの無理をしているのだろう。改めて強く使われた回復魔法で、話せるレベルの線がギリギリ繋がっていく。
そうして、少しずつ感覚が戻ってきた事を不思議に思っていると、私を支えてくれていたジェスの手からも暖かさを覚えた。
そうだ、彼は騎士、人を守るべき人間であれば、回復魔法という物を限定的に会得していてもおかしくはないはずだ。魔法社会に生まれて、魔力があるならば、王国に仕える騎士が持ちうる魔力をそのままにしておくなんてことは考えにくい。
ただ、彼の回復魔法もまた、私の生命を救うに足るものではないのは、感覚的に理解していた。
だけれど、どうしてか。アポロ王子と、ジェス、ウェヌには、私の想いが届いた。
「これで、姿は同じだろう。見間違えても、文句はあるまいな」
「何で?! アポロ王子? 気でも狂ったの?!」
レイジニアが叫ぶが、王子はその声に、耳を貸さない。
私の想いが届いた人に、彼女の言葉は届かない。
王子が切り裂いたのは私の首では無く、私の髪、それはおそらく、私の実体と同じくらいの長さにまで、切られているのだろう。
「すまんな。ニア・レイジ。女の髪を斬るなど無粋な真似をしたが、俺はお前を許そう。だから恨み言は、無しだ」
「そう、ですね。私も、貴方がいくら我儘だと仰られようが、貴方という人間を知っています。そう、たとえ悪であっても、殺せなどと人に叫ぶような人間では無いことくらい知っている。だから許すも何もありはしない。貴方の行いが罪になるならば、あの森で人を斬った私も共に裁かれて構わない!」
ジェスの声は、その力強さとは違い、優しい感覚を覚えるようなものだった。
「ほらなー、やっぱ変だと思ったんだよなー」
「だからって、殺しちゃまずいですよ……。ニア様の状態は依然危ない」
クロは確実に、そうしてブラウンもまた、気付いていたのだ。
「私はやっぱりむずかしーことはわかんないけど、そこで寝てるヤツがニア様じゃないって事くらい、かんたんだったぞ。皆だいじょうぶか?」
「いやまぁ……違和感はありましたけれど、動けないのは皆同じでしょう……それにニア様。少なくとも私は貴方によって救われたのだから、感謝こそすれ、許すも何もありゃしませんよ……」
「ま、私もそーだなー。ニア様はむずかしーこと考えすぎだな!」
二人の呑気な会話が、痛みを忘れさせてくれるような気がした。
これなら、安心して、逝ける。
「早く! 早く殺せ! 誰もやらないなら! 私……がっ!」
無謀にも立ち上がろうとしたレイジニアの身体を、フローラが傷つけずに拘束する。
「だーめですよ。血の気の多い人もいるんですから、間違ってその身体に傷付けるなんてご法度、ニアさんが戻る身体、なんですから」
それは、少しだけ勘違いしている。
私は禁呪を成せなかった。だから精神転写を行うことは出来ない。
「違います……ノア先生、私に禁呪は使えない。だから、魔力の無い私の身体を奪っている今この瞬間に生命を奪うか、魔力を永遠に奪い続けるしか、彼女の禁呪を封じる方法は、無い」
「つまりは……ニアさん、貴方……」
「えぇ、私はどの道もう駄目。でも皆が気づいてくれて……良かった」
私の言葉に、眼の前のウェヌが絶句する。
周りの皆も、各々が衝撃を受けているようだった。それもそうだろう。なんせ最後の最後に仲間が一人逝くのだ。気持ちの良い話では無い。
だけれど私は満足だった。
レイジニアとは理解しあえなかったけれど、皆とは理解しあえた。
それで、この二度目の生が終わることに、何の文句も無い。
だって、皆の未来はこれから、
「皆が優しくて、何よりよ……。満足して……」
「じゃない! 死ぬなんて駄目だよ!」
ウェヌが、口を開いてしまった。
ずっと堪えていたのだろう、黙って聞いているつもりだったのだろう。
レイジニアはもう、諦めた様子で、フローラに拘束されながら私の死を最後の楽しみにするかの如く、楽しげに見ているようだった。
「なんでここまで来て! ニアが死ななきゃいけないの?! 我儘だって、そんなことない。結局皆背負って、全部持っていって、死んじゃうなんて、許さない!」
「もう、貴方も我儘ね……でも許されなくたって、しょうがないものはしょうがないの。私がもう少し早く禁呪に気づいて、使い方を理解していれば、ね」
その言葉を吐いた瞬間、身体中に悪寒が走った。
ウェヌが、何かに、気付く。
――言っちゃいけなかったのだ。この子の前で、禁呪という言葉を。
思い出させてしまった。彼女の禁呪、人の傷を肩代わりするという力を、思い出させてしまった。
それはきっと、死者には効果が無い。だけれど今ならば、間に合ってしまう。
間に合ってしまうから、駄目だ。
「ごめん、ニア……ジェスさん。少し離れて貰っててもいい、ですか?」
「……それが、貴方の望む事なら」
ジェスが離れ、私とウェヌの間に、光が生じる。
明らかに、彼女は禁呪『身代わり
「やめ……なさい! 貴方が死んだら! 私のしてきた事は、全部、全部無駄になる」
「ニアが我儘我儘って言うんなら! 私にだって我儘言わせてよ! 背負わせてよ!」
ウェヌの泣き声と共に、私の傷が癒えていく。
代わりに、ウェヌの服に血が滲み、呻き声が上がる。
「ウェヌ様……!」
「だめだぞ、ブラウン。今度はこっちが止める番だ。ウェヌと、ニア様で、きめることだよ。たぶん」
ブラウンが駆け寄ろうとしたのを、今度はクロが止めている。
「あは! あはははは! 結局アンタが死ぬなら! 私もだーい満足!」
もはや悪辣だけを吐きつらねるレイジニアに、ノア先生は顔を顰めながら、フローラを握っている。
「この女、斬り捨てるか? 俺は人を斬るのに躊躇いは無いぞ」
そう言って、アポロ王子がレイジニアに剣を向けると、傷に塗れているウェヌが大声で制止した。
「駄目! です! 彼女は……私が!」
その生命が尽きるというのに、その全てが無くなるというのに、彼女は最後に、罪をかぶろうとしている。だけれどもう、私から吸い取られていった傷は、彼女から奪い返せない。
「私だから! 私が……っ! 主人公なんてものに、なったから! この人は……駄目になっちゃったんだ!」
「そうよ! アンタみたいな! アンタみたいなヤツが、どうして、どうしてなのよ!」
ウェヌが、レイジニアが叫ぶ。だけれどその理由はきっと、本人達以外の誰もが分かっていた。
ウェヌがやった事、レイジニアがやった事。ウェヌの言葉や意思、レイジニアの言葉や意思。
それら全てが、しっかりと皆の心に刻まれている。
だからウェヌは主人公たる器であり、レイジニアは悪役たる器だった。
惜しむらくは、レイジニアはそれを打ち破れる環境にあって、そうしなかった事だ。
そうして、ウェヌは主人公になれる環境が用意されていて、それを使わずに、使わせずに主人公になったのだ。
その違いが、全てを物語っていた。
「私はね……ニア程優しく、ないよ。貴方が……可哀想だなって思う。だけれど、ね。私は、成すべき事を、成す」
ニアが、レイジニアの身体をそっと抱いた。
それは言葉とは裏腹に、とても優しい包容のように見えた。
「ノア先生、もう大丈夫。彼女はね……もう抵抗できない」
――
それは、人の傷を代わりに受ける禁呪だとばかり、思っていたのだ。
だけれど、その禁呪の使い方は、ウェヌ本人が一番知っている。
彼女の気質として、人の傷を代わりに請け負うという考え方しか無かったのだけ。
その実、彼女の禁呪は、対象と自身の傷を入れ替えるという、魔法だった。
レイジニアが、痛みに叫び声をあげる。
「ごめんね。でも、私達は貴方を笑わない。痛くて、苦しくて、ごめんね。でも、私達は貴方を生かさない。ニアが例え生存の道を許したとしても。これは、私の……私達の我儘」
その言葉に、私以外のそれぞれが、頷きこそしなくても、同意の目線を送っていた。
何より、誰一人として、禁呪によって、私からウェヌへ、ウェヌからレイジニアへと移っていく致命傷について、止めようとする人間はいなかった。
私がこの世界の住人では無いから、彼女に同情してしまったのと同じような事だと、思った。
ウェヌ達はこの世界の住民だからこそ、彼女に同情をしてはいけないと、思ったのだ。
私には出来なかった事を、彼女は、やってのけた。
泣きながら、抱きしめながら、それでも、最後の最後に、ウェヌ・ディーテの禁呪が、成った。
「ごめん、ね。どうにか出来たら、良かったね」
「はぁ……くだらない……無理……よ、無理」
毒気を抜かれたのかもしれない。レイジニアの顔も、痛みが走っているだろうに、少しだけ記憶の中にいる、狂気が消えた悪役令嬢みたいな雰囲気に戻っていた。
「アンタとは、友達になれたかも、しれないのにね」
傷が癒えた私は、嗚咽を漏らすウェヌの手を握って、魔力もなく、今に死を迎えるであろう、この世界最後の悪の、手をそっとなぞった。
「馬鹿……言いなさんな、あんな下品な事する女……願い下げ……よ……」
最後まで、皮肉を垂れる。これが彼女の、貴族としてでもなく、悪役令嬢としてでもなく、レイジニア・ブランディという人間の矜持なのだろうと、思った。
「それでも、死ぬ間際に思う事は、きっと同じ」
私は、レイジニアのローブ、つまりは私が羽織っていたローブのポケットの隅から、一枚のフォスフォレッセンスの花弁を探して、手に取る。
彼女に、次の機会があるかは、分からない。
あったとして、正しく生きられるかは分からない。
だとしても、もし彼女に次の人生があるとするなら、それは自由であって欲しいと心から思った。
手に取ったフォスフォレッセンスに、ポタリとウェヌの涙が落ちる。
レイジニアの呼吸が、小さくなっていく。ウェヌが彼女の胸に手を当てた。
徐々に、徐々に生命が消えていく。心臓が止まる気配が、伝わってくる。
ドクン、トクン、小さな鼓動が、鳴って、止まりかけ、鳴って、止まりかけ、鳴って……。
「最後に……」
「一滴くらいは、許してあげる」
手の中で、涙一滴と、茶葉になる前の花弁一枚分の、紅茶とも言えない紅茶を、最後の言葉を言いかけたレイジニアの口の中に落とした。
彼女は、口を閉じてから、ふぅぅと長く息を吐いた。
「ふ……ん。まぁ……良い味では、ある……じゃない。塩っぱいのは、余計、だけ……れど……」
そう言って、レイジニアは笑いながら、息を引き取った。
その笑顔は、私では決して真似出来ない、綺麗な笑顔だった。
「最後の最後まで……嫌味なヤツね」
「でも、これで……良かったんだよね?」
私は久々にニアの頭をクシャリと撫でる。
クロが羨ましがっていたけれど、私は彼女のおでこにおでこを合わせて、笑った。
「えぇ、大正解よ。主人公さん」
笑える事では決してない、だけれど私達は、笑うべきだ。
彼女よりも、ずっと綺麗に、明るく、私達なりの表情で、笑うべきなのだと、思った。
「そういえば、私は勝手に燃やし尽くしていたけれど、この国って土葬なのよね?」
「それは確かに……そうだけど……」
おそらくニアはまだレイジニアの精神体が存在していないか不安がっているのだろう。
だけれどそれはおそらく大丈夫だろう。感じないのだ。何も。
そうして、一矢報いようとしている人間は、あんな顔をして、死なない。
これは私が甘いわけではない、最後の最後で、ウェヌの抱擁と謝罪、そうして紅茶の味を感じて、図々しくも、笑って彼女は逝った。
「完全なる国賊ではあるし、大量殺人犯だから、弔われるという事も、ないか……。フォスフォレッセンスの花と一緒に眠らせてやるようなヤツでも、ないわね」
私は自身が国王の身体を使っている事に強い違和感を覚えながらも、魔力を使い切った身体を乗っ取った上で、逝ったレイジニアとは違い、身体の中に魔力があるのを感じた。
「全員の意見を聞こうかしらね。今の私であれば、彼女を灰に出来る。それで構わないのなら、この場で、弔う」
「私はそれで構わないよ。丁度空も、見えるしね」
ウェヌが天井に空いた穴を仰ぎ見る、そこには綺麗な青空が澄み渡っていた。フォスフォレッセンスが咲き誇っているような青空。
「我もそれで構わん。打首なんぞ趣味では無いしな。国民には上手い事説明する」
「私も、殿下の意のままに」
国に属する二人が良いと言うのなら、とりあえずは決定で良さそうだけれど、とりあえず私は他のメンバーの返事を待つ。
「自分はまぁ……賛成ですよ。ニア様の業火は何処か、怖いようで暖かさを感じますので」
「僕も賛成ですね。燃えるという事について彼女は怖がっているようですが……痛い痛い……フローラ、ちょっと締め付けるのを抑えて欲しいな……」
火について色々思っていそうな二人も、賛成。
「えぇ……私もこたえるのか……さっさと燃やしちゃって良いと思う……ニア様と同じ顔のヤツがいるの、きらいだー」
ということで、全員の許可が取れた。
唯一許可が取れていない人間がいるけれど、それは仕方がない。
だって、彼女はもう、この世にはいないのだから。
「というわけで、じゃあね。レイジニア。もし次生まれ変わったら、ちゃんと生きなさいよ?」
私は、全員をその場から離して、レイジニアの身体を燃やし尽くす。
灰も残さぬ程の業火は、天井を貫き、空を真っ青な空を、一瞬だけ朱く染めた。
部屋中に残っていた血も蒸発し、王の間は、瓦礫と戦いの跡だけが残る、廃墟のようになっている。
その中心から、空へとゆっくり煙があがっていった。
本当に、私がこの世界に転生したように、彼女が生まれ変わるなんて事があったなら、その空の向こう、宇宙の向こう、世界の向こうで、今度こそ怒りに狂わず、生きていけばいいなと、そう思った。
「あとはこの身体……だけど、一応国王のなのよね……」
「姿はニア・レイジそのものだが、死ねば愚父に変わる、か。気色の悪い話だな」
確かにその通りだけれど、流石に色々と言い過ぎではある。
「私自身は禁呪を使えないですし、使う気も無いので、国王の身体を使って生きる事になるけれど、構いませんの?」
「ああ、構わん。ただし、我より剣の腕が立つであろうことだけは納得出来んが、なっ!」
彼が戯れのように剣を抜くが、私の手はまるで勝手に動くかのように腰につけていた王の剣を抜いてその剣を受け止めていた。確かにこれはなんというか、無駄に強く設定された感が否めない。
「はぁ……突然驚かせないでください……そのあたりについては自分に忘却魔法をかけて、忘れる事にします。王子が子供の頃の記憶なんかが蘇ってくるのも、なんだか気色悪いですし」
意趣返しすると、王子は豪快に笑って、私の肩を叩いた。
「やはりお主は面白い女であるな。ニア・レイジ!」
これがよく言う『おもしれー女』ってヤツなのだろうか。
正直全然嬉しく無い。フラグ立った状態でウェヌがこんな事を言われて、ドキドキするなんて展開があったのかもしれないと考えただけで少しゾッとした。あくまで個人的な話ではあるけれど、アポロ王子の強引さはたまについていけない時がある。一人称が『我』だし。
ただ、アポロ王子みたいな豪快な人間に惹かれるというのもまぁ分からないでもない。
「結局、複数の記憶を持ちすぎるのも嫌ですしね。私はちゃんと私として生きますよ」
そうして私は、国王の記憶に限定して、忘却魔法をかける事にした。
おそらくはこれで剣の腕も落ちるはずだ。
とりあえずは、終わったはずだ。
世界が干渉してくるラインも、おそらくは越えたはずだ。
エンドロール後まで気を抜くなとは言うものの、これだけぐちゃぐちゃになったシナリオにエンドロールも何もあったものでは無いだろう。
とりあえず私は未だに空へと昇る煙の出所に向けて、ポケットに残っているだけのフォスフォレッセンスを撒いた。
それを見ているウェヌが、寂しそうに笑ったのを、見逃さなかった。
「背負うわよ、一緒に、一生ね」
「……ありがと、この世界でニアに出会えて、本当に良かった」
きっとこれが、ハッピーエンド、なのだろう。
想いはそれぞれあれど、未来はそれぞれあれど。
自由が、全員に行き渡ったはずだ。
本来の目的からはずっと遠い結末になってしまった。だけれど、これは私の物語。
色々ブレて、色々考えて、そうして、私が認める私になる為の、物語だったのかもしれない。
だから私は、いっそ感謝をしかけて、生命の尊さを思い出して、やめた。
ただ、残り火と共に新たな煙を作り出したフォスフォレッセンスから、ハッピーエンドの香りを感じながらも、レイジニアや、犠牲になった人達の、正しき次の人生を、祈っていた。
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