第14話 悪手か、はたまた疑問手か

 翌朝。目が覚めると妙に僕の浴衣は水分を吸っていた。

「……寝汗、めっちゃかいた……わけでもなさそうだし」

 いや、いい。このことはもうこれ以上考えない。

 明日奈はまだすやすやと寝息を立てている。昨日はたくさんはしゃいでいたわけだし、足の怪我もあったし、疲れは相当溜まっていただろう。


「……ギリギリまで起こさなくてもいいか」

 今日回るのは、北野異人館だけの予定だし。時間に余裕は持たせている。


 うっすらと湿った浴衣を脱ぎ、明日奈が眠っている間に着替えを済ませてしまう。昨夜のうちに買っておいたモーニング用の缶コーヒーを口にしながら、僕はぼんやりとスマホでネットの海を漂流しながら考えごとをする。


 夜、明日奈の誘い断ったの悪手だったかな……。怖がっていたのせよ、誘うのだって相当な覚悟だったろうし。


 それを、僕は……。


「っっっっっっ」


 駄目だ、思い出しただけでねじ切れそうだ。どんだけ格好つけた言葉回ししたんだ僕。あんなの、イケメンしか許されない言葉ランキングにランクインする台詞だろ。

 は、恥ずかしい……。思い出しただけで恥ずかしい。恥ずかしいのもそうだし、


「……明日奈のこと、傷つけたよね、絶対」

 昨日の僕の拒否は、間違いなく明日奈の期待を裏切るものだった。

 古典的な言いかたをすれば、「女の子に恥をかかせた」ってやつに値する。


 謝ったらそれはそれで明日奈を惨めにさせるだけだし、かといって何もしないのは気が引けるし……。

 誕生日プレゼントも予め買っておいて、今日の帰り際にでも渡そうと思っていたけど、別に何か用意したほうがいいかもしれない……。


 何か、何かいいものないかな。

 スマホの画面をポチポチと操作していた僕は、やがてあるホームページへとたどり着く。


「……これ」

 もしかしたらと思った僕は、すぐにある番号に電話をかけてみる。


「──はい、はい。ありがとうございます。その時間で、よろしくお願いします。……よし」

 結果は上々。


 これで少しでも、お詫びになってくれたらいいのだけど……。

 そう思いながら僕は、眠ったままの明日奈を眺めながらコーヒーを口に含んだ。


「足の具合はどう?」

「う、うん。湿布貼ってくれたおかげでだいぶ良くなったよー。これなら北野異人館までの坂道もへっちゃらだよ、ありがとうー」


 ホテルをチェックアウトした午前十時過ぎ。元町駅からひと駅移動して、再び三ノ宮駅に赴く。僕らがこれから向かう北野異人館は歩いて十五分程度の距離。


「大したことなくて良かったよ。さすがに一日中おぶるのは自信なかったし」

 大通りを進み、右手にそびえる洋風の建物を見送り、歩道橋を渡っていく。

 ……普段の明日奈だったら、ここで軽快な切り返しのひとつでも僕に返すんだけど、やっぱり昨日の件が尾を引いているのは間違いなさそう。


 歩道橋を降りてしばらく歩くと、不動坂と呼ばれる比較的細い坂道を登っていく。

 この坂道がまたキツい。


 まだ正午前とは言え、夏の神戸の青空が照りつける陽ざしはジリジリと険しさを少しずつ増していて、ただ歩いているだけで体力を削られていくのを感じる。


「あまり、坂の街ってイメージは無かったんだけど、これはっ、きっついね」

 息を切らせながら、隣を歩く明日奈の横顔をチラッと垣間見る。

 さっきから、僕からしか会話が始まらない。普段なら逆なのに。


 歩道をひいひい言いながら歩く僕らの真横を、ロードバイクで駆け下りていく外国人観光客を目の当たりにしても、

「おわっ、この坂道自転車で走るの? メンタル凄いね」

「……そうだねー」

 つれない反応だけ。


 正直胃がキリキリ言いそうだけども、なんとか堪えて僕らは坂道を登り終える。

「お疲れ様でしたー。もうここが一番高いところなので、あとは降りるだけですよー」


 息も絶え絶えな僕と明日奈を出迎えたのは、チケット売り場の女性スタッフさん。

「異人館、たくさん回られるようでしたら、こちらの7館プレミアムパスがお得になってます。北野通りの3館と、今登ってきた山の手4館がこのパスで入場できるようになります」

「あ、はい。それの、大人ふたりでお願いします」


 あらかじめ、チケットについては調べていたので、即決で財布を取り出す。

 青色の冊子型のパスを受け取ると、スタッフさんは気を利かせたのか、

「もしかしてカップルさんでしたか?」

「え、ええ」

「でしたら、パワースポットとかも興味あったりしますか? 今渡した冊子、ページをひとつめくっていただくと、施設のなかにあるパワースポットについて書いてあるので、良ければ回ってみてくださいね」

 ニコリと微笑みながら僕らに話題を提供してくれた。


「だ、だってさ明日奈。せっかくだし、見ていかない?」

「……うん」

 駄目だ、全然乗ってくれない。


 やっぱりシンプルに謝ったほうがいいのかな。変に洒落たことしようとするより、傷浅くて済んだりするのかなあ……。


「あ、明日奈。ほら、そこの二匹の狛犬。早速パワースポットらしいよ。この間を通り抜けると、愛情に恵まれて幸せになるらしいって」

 僕らが最初に到着していたのは、坂の上の異人館と呼ばれる建物。そこに入ってすぐのところに、なるほど狛犬が僕らのほうを向いて座っていた。


 狛犬をスルーして建物内に入ろうとした明日奈を引き留めて、なんとか間を一緒に通り抜けた僕と明日奈。

 ……むしろ気まずくなったのでは。っていうかそうじゃん、愛の極致みたいな行為を断った僕が何を言っているんだって話だよ。


 心のなかで頭を抱えている僕をよそに、明日奈は「……次行こ」とぼそっと呟いて中に入っていってしまうし。


 どうしよう、このままではせっかくの旅行の思い出が暗いものになってしまう。いや、全部僕が悪いのだけれど。だとしても、最後まで楽しいものあって欲しいと思うのは、自然なこと、だよね。


 ……いや、まだだ。まだ、朝のうちに貼っておいた仕掛けがある。そこで、喜んでもらえたら、勝機はあるはず……。

 内心ハラハラしながら、僕は建物のなかを見て回った。


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