第2話 ブランクと秘密

 明日奈に連れて行かれたのは、多摩センター駅から歩いてすぐにあるカラオケボックス。学割が効くお店で、金欠大学生の財布にも優しい仕様となっている。

 部屋は少人数用のものをあてがわれたみたいで、僕と明日奈が隣合わせで座ってそれでいっぱい、そんな空間になっていた。


「そういえば、カラオケ好きだったよね明日奈。高校生のときは結構友達誘って行ってたっけ」

「……入院中は行けなかったからねー。ずーっとカラオケ欲抑えてたんだー」


 明日奈が入院する以前の高校生のときは、しばしばクラスの友達や図書局の局員を誘ってカラオケに行ったりしていた。

 ただ、こうして明日奈とふたりでカラオケに行くのは勿論初めてのこと。


「ふふふ、人の目がない密室で隣同士だからって、変なことしちゃ駄目だからね裕典」

「……しないって。そんなこと言ったら病室だって人の目がない密室みたいなものだし」

「さて。裕典とカラオケに来たら、やりたかったことがあるんだー」


 明日奈は備え付けのタブレットを手に取ると、慣れた操作でポチポチと進める。すると、目の前のモニターに「精密採点」の文字が踊り始める。

「点数勝負しよっ、勝負っ。五曲の合計で。勝ったら何でも言うことを聞かせられる景品つきで」

「……知ってるからね。明日奈めちゃくちゃカラオケ上手いこと知ってるからね。点数勝負したって明日奈が勝つに決まっているじゃん」


「…………。わっ、私だって久しぶりなわけだし、ブランクがあるから下手っぴになってるかもしれないし? そもそも、点数取れるのは得意な曲だけで、そうじゃない曲は全然って有様だから。だから、別に勝負が決まりきってるわけじゃないよ?」


 迂闊に勝負に乗るわけにはいかない。だって、負けると何頼まれるかわかったものじゃないからね、明日奈のことだから。と、僕が渋い顔を浮かべていると、明日奈は途端にあわあわとしつつも結構真面目に説得にかかる。


「……もしかしなくても、これもバケツリストに入っていたりするの」

「あ、あははは。裕典察しいいなあ、さすが私の彼氏さんだよー」


 うああ、そんなこと言われたらもう勝負断れないじゃん。っていうかなんだよカラオケで勝負したいバケツリストって。明日奈のバケツリスト平和過ぎなのでは?


「はぁ……。わかったよ、勝負する、するから。その代わり、仮に明日奈が勝ったとしても、僕に変なことさせないでよね」

「変なことって、どんなこと?」

「……変なことは変なことだよ」

「えー、具体的に言ってくれないとお姉さんわかんないなー、裕典はどういうことを変なことって思ってるのかなー」


 駄目だこれ、絶対負けたら変なことさせる気だ。待ち合わせのとき以上に恥ずかしいことをさせられるかもしれない。

「皆まで言わせる気ですか」

 勝ち目は薄いかもしれないけど、負けるわけにはいかない。そんなささやかではあるかもしれないけど、僕と明日奈のカラオケ勝負が、そっと幕を開けたのだった。


 前提として、僕はカラオケが下手でもなければ上手くもない。要は平均点近辺を出し続ける何も面白みのない奴ってこと。

 それでも、最近流行りのポップスのなかから、比較的点数が取れる曲をチョイスして、僕はマイクを握る。


 勝負をしていると言えど、中身は普通のデートであることに変わりはないので、僕が歌っている間も明日奈は頬を緩めながら楽しそうに聴いてくれている。

 ……こんなふうに、明日奈とデートする日が来るなんて思わなかったから、心の片隅がこそばゆい。


 歌い終わったら終わったで、パチパチパチと気持ちよく拍手した明日奈は、僕の平均近い点数をメモ用紙に記録してから、僕からマイクを受け取る。

「さーて、高校卒業以来のカラオケ一発目、気張っていくぞー」

 ほどなくして、明日奈が転送した僕らが高校生のときに大ヒットした映画の主題歌のイントロが流れ始める。


 左腕をぐるぐると回しながらそのときを待っていた明日奈は、やや緊張した面持ちで自らの歌声を披露し始める。


 率直に思ったことを言うとするなら。

 カラオケだとしても、やっぱりブランクがあると変わってしまうのかな、そんなことを僕は思った。


 最後に明日奈とカラオケに行ったのが四年前とかになるので、もう記憶はあいまいになっているけど、明日奈の歌声はもうちょっと勢いと伸びのある声をしていたのではないかと思う。


 今の明日奈は、なんていうか探り探り、恐る恐る正解の音を探して歌っている、そんな雰囲気がしてしまう。音楽素人の僕の意見だから、あくまで印象の問題だけど。


 以前の明日奈なら、そもそも正解なんてどうでもいいって突っ走っていたし。

 そんなあれこれを、全て「ブランク」というものに原因を求められるなら、きっと大したことじゃないとは思うけどね。

 最後のフレーズも歌い終わると、少しのインターバルを挟んで点数が映し出される。


「……あー、やっぱり久々だと全然落ちちゃうなあ」

 結果は、僕の一曲目とそれほど変わらない、平均近い点数。

「これは普通にいい勝負になるかもしれないね、裕典」

 しかし明日奈は、そんな自分の点数にさほど落ち込むことはせず、にこやかな笑みさえ浮かべて見せる。


 ……うん、今は大好きなカラオケができていることそのものが嬉しいんだ。以前と違うとかそんな些細なことを気にして水を差すのは良くない。


「そうかもね、ちょっと僕やる気でてきたかも」

「ふふふ、それは何よりだよ。あ、私ドリンクバー取りにいくついでにおトイレ行ってくるからさ、その間構わず曲入れちゃっていいから」


 明日奈が席を外している間に、僕はタブレットを操作して少しでも点数を取れそうな曲を探す。

「……デュエット曲だけど、まあいいか。別にひとりでも歌えるし」

 明日奈がいない間淡々とマイクを持ってふたり分頑張ってひとりで歌っていると、お茶の入ったコップをふたつ持った明日奈が部屋に戻ってきた。


「お待たせー、裕典の分も持ってきたよー……って、あれっ?」

 ソファに腰を下ろした明日奈は、パチクリと目を白黒させながらモニターと現在進行形で歌っている僕の顔を交互に見やっている。


「……こ、この曲、裕典入れちゃったの?」

 二番から大サビまでの間奏の途中、明日奈は慌てたように手をヒラヒラとさせたりしつつ僕に尋ねる。


「う、うん。あれ、何かまずかった?」

「いっ、いや……そ、そんなことないよ? だ、大丈夫大丈夫。気にしないでいいから」

「そ、そっか。もしかして十八番奪っちゃったのかなって思って」

「ううん、全然全然」


 それから、曲の合間合間に注文したフライドポテトをつまんだり、他愛のない話で盛り上がったりしつつも、僕と明日奈は勝負となる五曲それぞれ歌いきった。

 結果はと言うと、


「えーっと、裕典が合計426・180点で、私が436・945点。ふふふ、なんとかカラオケ好きの面目は保ったみたいだね裕典」

 約10点差で明日奈の勝利となった。……正直、ここまで僅差になるとも思ってなかったので、やっぱりブランクは大きいんだな、と改めて実感した。五曲を平均すると、明日奈は大体87点。高校生のときは、90点越えを平気で連発していたはずだったのだから。


「うーん、何をしてもらおうかなあ、裕典には」

「……ほんとに、世間一般的な常識の範囲内でお願いします」

 それはそれとして、僕が勝負に負けたのもまた事実。約束通り、明日奈の言うことをひとつ何でも聞かないといけない。


「ふふふ、どうしよっかなー、どうしよっかなー、なかなか決められないなー」

 ウキウキで鼻歌を奏でる明日奈。……そこはかとなく、嫌な予感しかしない。

「んー、すぐには決められないから、後ででもいい? 裕典」

「……い、いいけど」


「よっし。じゃあ、勝負も終わったことだし、採点モードは終了させて……と。あとは、お互い好きなように歌いたい曲適当に入れてこう?」

「……あれ? もう採点はいいの?」

「うん。点数気にせず伸び伸びやるのも楽しいでしょ? そうしよそうしよ?」


 採点を切ってからというもの、明日奈の言うように僕らは思い思いの曲を入れて点数なんて気にせずに自由にカラオケを楽しんだ。

 ちょっと疲れたなってなったら、ドリンクバーでまったりしたり、明日奈が持ち込んでいた小分けのクッキーをつまんでのんびりしたり。

 三時間の予定だったカラオケのひとときはそんな調子で時計の針を進んでいった。


「……そういえばさ。そのバケツリスト、全部でいくつくらいあるの?」

 残り一時間を切った頃合い、ちょうど歌い終わった明日奈に僕はおもむろに尋ねてみる。さっきから、明日奈の体の横に置いてあるトートバックから覗くバケツリストが気になってはいたんだ。


「えーっとね、今今の段階だとねー」

 僕の問いに嫌な顔をすることなく、明日奈はバケツリストを手に取っては、目次部分を「ひいふうみい」とひとつひとつ数えていく。


「今日の時点で109個だね」

「……その言いかたはまるでこれからも増えそうな口ぶりで」

「バケツリストに完成なんてないよー。今日リストが増えるかもしれないし、明日増えるかもしれないし。それに、死ぬまでにやりたいことって、なくなることは無いんじゃないかなあ」

 ペラ、ペラ、とノートのページを一枚ずつめくりながら呟く明日奈。


「人間って欲張りだからさ。今まで欲しくなかったものも、急に欲しくなるかもしれないでしょ?」

「……そう、かもしれないね」

「さてさて、じゃあ次は何を入れようかなあ」

 そこまで話すと、ノートを膝の上に開いて置いた明日奈はタブレットで次に歌う曲を探し始める。


 ふと、隣に座っていた僕はノートの中身が見えそうになっていたので、わざとではないけど覗き見するような格好になってしまった。

 ……リスト、日記みたいな形で記録してる、のかな?

 瞬間、僕の視線に気づいたのか、明日奈は素早い動きでノートを閉じては、バックにしまい込んだ。


「覗き見は感心しないなーお姉さん。目次はいいけど、リストの中身までは裕典見ちゃ駄目だからねっ。乙女の秘密がいっぱい詰まっているんだから」

「ごっ、ごめん、そんなつもりじゃなかったんだけど、つい」

「男の子がついで見るのは胸元から覗くブラとめくれたスカートくらいだと思ってたのになー」


「……否定しにくい偏見僕に言わないでもらってもいいですか」

「ほほう? 否定はしないんだね、裕典も大概『男の子』だなあ」

 僕の脇を肘でうりうりとつつく明日奈は、これまた表情を柔らかくさせて目を不等号みたいに細める。


 このままだと明日奈に弄られるばっかりになってしまうと踏んだ僕は、逃げるようにカラオケのタブレットに飛びついては、流行りのポップスをああでもないこうでもないとスクロールさせていく。


 そんなゆるゆるな空気感でカラオケボックスのひとときを過ごした僕らは、あっという間に持ち時間の三時間を使いきり、本日一か所目のデートスポットを終えた。


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