第3話 愛を代わりに捧げるよ

「あー、楽しかった。やっぱりカラオケはいいねえ」

 再び多摩センター駅前に出て、開口一番明日奈はぐーっと体を伸ばしながらそう言う。


「明日奈がそう言ってくれるなら何よりだよ」

「裕典はどう? 楽しかった?」


 隣を歩きながら、横から上目遣いで明日奈は僕の顔を見つめる。両手を背中に回して腰を低くしての上目遣いはどこかあどけなさを感じさせるも、しかし彼女はひとつ年上というギャップ。


「う、うん。楽しかったよ。こういうの久しぶりだったし」

「ふむふむ、なかなかのいい反応でお姉さん満足だよー」

 そんなギャップにどぎまぎしつつも、決してそれを表には出さないようなんとか踏ん張る。悟られたらまたネタにされるだけだからね。


「……野暮なこと聞くかもしれないけど、こんな真夏の日中に出歩いて平気なの? 退院したとは言え」

 平静を整えて装うため、僕は一度明日奈の手綱を引く。


「んー、日常生活の範疇に収まる程度、激しい運動とかしなければ平気って言われたよ?」

「そうは言っても、ずっと入院してたわけだし、心配なものは心配っていうか」

「大丈夫大丈夫、私たち根っからの文化系でしょ? 高校のときは一緒に図書局で穏やかな部活ライフを過ごしたわけだし。激しい運動なんて、私たちがするなら……ねえ?」


 おい待て、なんだその意味ありげな薄ら笑いは。せっかく引いた手綱が逆に暴れ出してるよねえどういうこと。

「あー、今裕典イケないこと想像した? 私はただ、激しい運動って言っただけなのになー」

「……僕をからかうのも程々にしてもらえませんか」


 あと、そこを強調して言わないでください。まずます変な想像しちゃうじゃないか。

「それはできない相談かなー」

「な、なんで」


「ふふふ、裕典を思い切りからかうのもバケツリストに入っているからだよ」

「今すぐそのバケツリスト消してもらっていいかな」

「ひどいっ、私は死ぬまでにただ裕典を弄って遊びたいだけなのに、そんな酷いこと言うんだね裕典は」

「……僕に人権はないんですか」


「人権はないかもしれないけど私から愛を代わりに捧げるよ」

「捧げる愛が暴投気味で受け取るのが大変なのはどうなんでしょう」

「裕典の広い心なら受け取れるよ! 頑張れ!」

 と、僕は彼女から謎のエールを送られる。


「どんな愛だって、きっと裕典なら受け取ってくれるでしょ?」

「……善処します」

「それにね、心配しなくても次のデートスポットはゆっくり落ち着ける場所だから」


 暴れ切った手綱を制御することは叶わず、結果ペースをかき乱されたまま僕はただただ明日奈の向かう先についていくだけだった。


 前々から気になっていたという、明日奈の希望で立ち寄ったカフェでお昼ご飯を済ませた僕らは、次のデートスポットを目指していた。はずだったのだけども。

「……あのー、どちらに向かっているのでしょうか、明日奈さん」

 小田急多摩センター駅の改札を通って、各駅停車に乗り込んだ僕らが揺られる先は、新百合ヶ丘。……明日奈の実家の最寄り駅だ。


「んー、私の家?」

「デート一回目に行く場所にしてはハードル上がりすぎでは? っていうかご家族いるよね? 僕今日そんなつもりでデート臨んでないです」

「あー、そっちの心配だったら大丈夫大丈夫。今日家に誰もいないから」


 きょういえにだれもいないから。

 だれも……いない、から?


「ちょっと待ってそれどういうことですかそんなこと僕聞いてないです」

「うん、本邦初公開」

「ハリウッド人気作の上映情報見たいに言わないで」


 空調が効いている車内のはずなのに、僕の額にじっとりとした何かが浮かぶのを感じる。


「もー、何そんなに慌ててるの? 別にふたりきりで同じ部屋にいるのなんて何日もやったじゃん」

「病室と私室を一緒にしないでください」

「えー、似たようなものじゃん」


 っていうか明日奈、自分の家を『ゆっくり落ち着ける場所』って言ったの? だとしたら確信犯だよ年頃の男の感情を弄んでる間違いない。


「さては裕典、やらしいこと考えてるね?」

「なっ──」

「付き合い始めてから四年経ってるしねー。普通のカップルだったら一から十まで全部済ませてる時期だろうけど、裕典には我慢させたし、その気なら全然私はいいんだけどさー」


 ロングシートの隅、明日奈は流れていく背の低い住宅街の車窓を眺めながら、なんでもないことのように言いのける。


「……別に、そんなつもりで今日を迎えてないから。その気じゃないし」

「そっか」

「そ、それで、明日奈の家で何するつもりなの」

「何って? それはねー、溜め込んでいたアニメを見ようと思って」

「……積みアニメの消化ですか」


「イエス。っていうのもさ、もうすぐ劇場版で最新作が公開されるのに、入院してたからテレビアニメ全然見れてなくて、追いつかないといけないんだよっ。で、私映画デートに裕典誘う気満々でいたから、どうせだったら一緒にテレビアニメも履修したほうが何かと都合いいかなって」


 恐らく、少年雑誌で連載されてるスポーツものの漫画だろう。明日奈が入院している間にテレビアニメは二期まで放映されて、来週には劇場版が公開される予定だし。


「念のため確認したいのだけど、テレビアニメは一期一話から見始めるという認識で?」

「うん。そうだね」

「……全部で二四話ありますが、それを全部?」

「十時間あれば完走できるよ」


 僕の感覚がおかしいのだろうか。普通のカップルはアニメを十時間耐久でマラソンなんかしないと思う。

 僕があんぐりと口を半開きにして呆けていると、


「じゃあしょうがないなあ、一期だけにしてあげるよ。それなら五時間で終わるでしょ?」

「……そんなさも大きく譲歩してあげたよみたいな顔しないでください……五時間だって、なかなかだよ、なかなか」

「あー、楽しみだなあ、裕典と一緒にアニメマラソンするのも、やってみたかったんだよなー」


 またもやバケツリストを盾に使われてしまい、僕は開いた口を塞ぐことができないまま、明日奈の家の最寄り駅である新百合ヶ丘まで電車に揺られていた。


 付き合い始めて四年目になるけど、明日奈の家にお邪魔するのは初めてだった。まあ、家を訪れたところで、当の明日奈はいなかったのだから当然と言えば当然なんだけど。


「狭いけどどうぞご自由におくつろぎくださいませー。私は今適当に飲み物とお菓子持ってくるからー」

 明日奈の部屋に案内されかと思えば、明日奈はいそいそと台所へと向かってしまった。


 ……お、落ち着かない。

 冷静になろうとしたところで、環境効果で思い切りデバフがかかっているから落ち着けるわけがない。

 だって彼女の部屋だよ? 彼女の部屋。ここで明日奈は寝て起きて、着替えたりその他諸々をしていると想像すると。


「……くつろげるわけないでしょこんなの」

 部屋自体も明日奈らしさが表れていて、びっしりと並んだ本棚には文庫本からライトノベル、漫画でいっぱいに敷き詰められている。そんな本棚の合間を縫うように、二〇インチくらいのこじんまりとしたテレビがそっと鎮座していて、黄色を基調としたベッドの上には大人気ゲームのキャラクターのぬいぐるみがいくつか転がっている。


 なるほど、明日奈の部屋はそんな感じだった。

「お待たせー、ってどったの裕典。借りてきた猫みたいにこじんまりと体育座りしちゃって。もっとぐでーってしてても良かったんだよ?」


 数分もすると、お盆にファミリーサイズのリンゴジュースと個包装されたクッキーやチョコレートを乗せた明日奈が部屋に戻ってきた。


「僕がそんな図太い人間に見える?」

「ううん。できっこないだろうなって」

「じゃあ無理な話だよ」

「できっこないを越えてかないと、成長はないぞ? 少年」

「……何そのどっかのバンドでありそうな歌詞は」


 お盆をテーブルに置くと、明日奈はひょいとクーラー・テレビのリモコンを器用に操作する。おかげで、部屋に涼しい空気が流れ始めるし、テレビには明日奈が見たがっていたアニメの一期一話が流れ始めた。躍動感溢れるオープニングテーマが軽快に映し出されると、リンゴジュースの入ったコップを片手に明日奈は、


「よいしょっと」

「……な、何してるんですか」

 体育座りしている僕の両足を開かせては、その間に自分の体を押し込んだ。おかげで、僕の胸に明日奈の背中の感触がそっと走る。


「何って、一緒にアニメ見てるんだよ?」

「い、いや。そういうことじゃなくてっ」

「あっ、動いてる動いてるー、やっぱり好きな漫画のキャラが動いて喋ってると感動しちゃうねー」


 かと思えば、ぐりぐりっと明日奈がさらに体をぴったり密着させるものだから、上半身から下半身まで、明日奈のほのかに温かい体温が薄手の夏服越しに伝ってきてしまう。

 おかげで、肝心のアニメの内容はちっとも頭に入ってこない。


「……わ、わざとやってる? 明日奈」

「んー、入院してたときは全然くっつくこともままならなかったわけでしょ? 裕典だって色々我慢してたかもしれないけど、私だって溜めてたものはあるってことだよ。いいじゃん、病室と違ってここ私の部屋なわけだし、誰の邪魔も入らないよ? いちゃいちゃしよーよ彼氏くん」


 にひひ、と振り返りざま至近距離で悪戯っぽい笑みを明日奈が浮かべるせいで、僕は何も言い返すことができない。

「……しゃ、シャンプー変えた? なんかそこはかとなくスースーするっていうか」

 と同時に明日奈の長い茶髪が目前で揺れたことで、僕の鼻を冷涼感溢れる香りが刺激する。


「…………。彼女の些細な変化も見逃さないのはポイント高いなー裕典。うん、変えた変えたー。ちょっと夏場暑くてさ、少しでも涼しくなれるほうがいいかなってー思って」


「そ、そっか。まあ、外出歩く機会も増えるしね。そっちのほうが快適かもね」

「って、話逸らそうとしたって無駄だぞー裕典。ほらほら、うりうりー」


 ……駄目だ、シャンプーの話で話題をずらそうとしても意味がなかった。明日奈はますます勢いづいて、僕の両手を明日奈のお腹の前に持ってこさせる。これで文字通り、明日奈を抱きしめる格好になった。


「ふふふ、めちゃくちゃ手震えてるよー裕典。それに背中からでもすっごく心臓ドキドキしてるのわかるし」

「こ、こんなのドキドキしないほうがどうかしてるって」


 確かに、明日奈が入院中のときでも、人の目を盗んで病室で軽くそれっぽいことをしたことはあった。といっても、この間抱き着かれたのが最高レベルで、ほんとに肩に頭を預けるとか、手を握るとか、そんなことしかしてなかったわけだから。

 こう、肌と肌がこんなにくっつくような触れあいなんて初めてで、どうもならないわけがない。


「私だってドキドキしてるってー。裕典と同じだから、安心していいよ」

「何をどう安心すれと言うのですか」


 すると、くるっと足の間の明日奈が振り返って、その可憐な顔をふにゃりと緩めて自身の手を僕の手にあてがう。

 僕よりひと回り小さい明日奈の白く細い手は、僕と負けず劣らないくらい震えていた。


「同じだよ。好きな人に触りたいのも、触ると緊張しちゃうのも、全部同じ。だから、裕典だけが必要以上にドキドキすることはないってことだよ」


 普段から調子のいいことを言って、僕を弄って遊んでいるイメージが強い明日奈とのギャップに、不意をつかれそうになる。

「……反則だよ、それは」

 そんなことを言われたら、明日奈の全てを受け入れたくなってしまうから。


 それからも、アニメは流しっぱなしにしつつ、僕が腕枕してあげたり逆に明日奈に膝枕してもらったり、あれやこれやといちゃつきの体勢を変えながらも話数を進めていき、気がつけば一期十二話を完走し切っていた。……オタクの集中力怖いな。自分で言うのも変だけど。


 いい時間になっていたので、僕は明日奈の家をお暇することにした。最後の最後までご家族誰も帰ってこなかった空間で理性を保ったのは褒められてもいいと思います。


「……あ、そうだ。カラオケで勝ったぶんのお願い。今してもいい?」

「い、いいけど」

 玄関前、靴を履き終えた僕を呼び止めるように、明日奈はふと口にした。


「……これからもさ、ずーっと私の隣にいてくれる?」

 明日奈は少しだけ恥ずかしそうに、照れくさそうに、頬を指先で掻きながら、小首を傾げる。


「……そんなの、頼まれてなくたって」

「そっか。そう言ってくれると、安心だよ。それじゃあね裕典。今日は楽しかった。また、今度ね」

「うん、また今度ね」


 ヒラヒラと手を振る明日奈を尻目に、僕は彼女の家を後にして、新百合ヶ丘駅までの道のりを歩き始める。だから、去り際にぼそっと呟かれた彼女のひとことを、僕は聞くことができなかったんだ。


 〇


「──嘘つき」


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