第11話 星を掬えたなら
海浜公園を後にして、一度ホテルを経由してから向かったのは神戸最大の繁華街・三ノ宮駅。ホテルに戻って着替えたりなんだりをしていると、明るかった空の色もオレンジ色に染まっていき、少しずつ夜の足音が近づいてきていた。
「さてさて、海を満喫したところで、次は山に行こうか、裕典」
三ノ宮駅から、僕らは路線バスに乗って摩耶山に登りに行くところ。
神戸市は北を摩耶山・六甲山が、南は大阪湾と瀬戸内海が囲んでいる地理関係をしている。だからこそ、明日奈が言ったように海と山をまるごと楽しめる欲張りセットみたいな行程を組むことができる。
「えーっと、バス停の場所バス停の場所……」
「あ、あれじゃない? 系統番号18って、僕らが乗るバスじゃ」
「ああっ、そうそう。さすが裕典―」
一見だと迷子になりそうな三ノ宮駅周辺も、なんとか目的のバス停を見つけることができ、僕らは夕ラッシュ真っただ中のバスの待機列の最後尾につく。
「楽しみだねー、神戸の夜景。掬星台ってすごい名前じゃない? 星を掬うって書いてるよ。本当に掬えるのかなあ」
「それくらい、空が近いってことなんじゃない?」
「よおし、じゃあ裕典に肩車してもらって、星を掴み取りしちゃおうっか」
「……怪我してもいいんだったら」
「そこは、涼しい顔でいいよって答えるのが、彼氏の矜持ってやつじゃないの?」
「……おんぶくらいまでだったらなんとかできるかもしれないけど、肩車はさすがに自信ないっていうか」
「大丈夫大丈夫―、病院食しか食べてなかった私の体重なんてガリガリだからさー。余裕余裕―」
「……微妙に同意しにくいラインの自虐を挟まないでもらってもいいですか」
というか、さっき水着越しではあるけど明日奈の体を見た感じ、そんな極端に瘦せ細っているわけでもないと思うんだけどなあ……。
「んー、その間はお昼の水着姿思い出してるな? もー、裕典ったらむっつりさんなんだからー」
「……図星だから何も言い返せないの悔しい」
「あっ、バス来たよバス」
いつものように明日奈にトークで負かされていると、僕らが乗る予定のバスが停留所に滑り込む。夕ラッシュよろしく、たくさんの人がバスを降りていき、それと同じくらいの人がバスに乗車していく。
座席は全て埋まっていたので、僕と明日奈は車内前方に移動して並んで手すりに掴まることに。
ラッシュはラッシュだけど、バスには僕らと同じで夜景を見に行く人が多いみたいで、ちらほらと日本三大夜景のひとつである神戸のそれを楽しみにする会話がそこらからちらほらと聞こえてくる。
「なんだかそわそわしてきたよ、私」
「……ちゃんと手すり掴まってね」
「わかってるわかってるー。もしよろけても裕典が支えてくれるから大丈夫大丈夫」
「さっきから僕に対して全幅の信頼を寄せていただいているようで、ありがたい限りです」
「まあ、信頼してなかったら、泊まりで旅行なんて誘わないしねー」
「……それもそうかもね」
バスは新神戸駅を発車するとどんどん細くて険しい坂道を駆けあがるようになり、少しずつ目的のケーブル駅が近づいてくるのが実感できる。
三ノ宮駅を出発してから三十分強。バスはまやビューラインの起点、摩耶ケーブル駅へと到着した。
「ふう、到着到着―」
「明日奈、とりあえずチケット買っちゃおう? 落ち着くのは山登ってからでもいいし」
「おっけー。人多いしね。モタモタしていると時間なくなっちゃうよね」
石でできた階段を上り、落ち着いた雰囲気漂う駅舎に足を踏み入れた僕らは、往復分のチケットを購入して、まず中間の虹の駅までを繋ぐケーブルカーに乗車する。
「わっ、裕典裕典、発車メロディ聞いた?」
「うん。有名な曲だったね」
首都圏のJRみたいに、発車メロディが鳴り響いたと思えば、それは春によく耳にするスイートピーを題材にしたポップス。僕らとは世代がずれているけど、それでも知っているくらいなのだから、国民的な楽曲と言ってもいいだろう。
そんな発車メロディが鳴り終わると、僕らの他にもたくさんの乗客を乗せたケーブルカーはゆっくりと発車。
「おわわっ、すっごい傾斜だよ、壁だよ壁、壁よじ登っているみたいだよっ」
夜ということもあり、車窓から覗く近景は真っ暗そのもので、前面展望から覗く圧倒的な度数のキツい坂道が僕らに存在をアピールしてくる。
ケーブルカーを降り、今度はロープウェイに乗り換え。この時点で、山から見下ろせる夜景はチラッと見ただけでも綺麗に思えた。思えたけど、あまり見すぎて展望台まで上ってからの感動が薄れるのも勿体ないと明日奈は考えたのか、
「裕典っ、早くロープウェイ行こっ、ロープウェイっ」
一目散にロープウェイの乗り場へと駆けだす。
「あ、あんまり走ると危ないよ」
「へーきへーきっ」
可能な限り人工の灯りを減らしているためか、山のなかは夜ということもあり薄暗く、油断すると足元をすくわれそうな気もする。
海でも山でも元気いっぱいな明日奈に引っ張られ、僕らはロープウェイに乗り込む。
真っ暗闇の空中散歩にも大興奮したのち、最終目的地の星の駅に到着すると、
「着いたー! って、わわわっ、見て見て裕典っ、なんか道が光っているよ、緑色にっ、すごいすごいっ」
掬星台と呼ばれるそこは、空にも地面にも、そして海にも星が散らばっている幻想的な空間だった。
まず僕らを出迎えたのは、遊歩道に宝石みたいに輝くエメラルドの光。
そして空を見上げると、
「──わぁぁ、こんな綺麗な星、初めて見たよ……」
文字通り、伸ばした手で掬えてしまいそうな距離に浮かぶ星々の煌めきが、頭上に浮かんでいた。
東京都心では、絶対に見ることができない光景だ。
雲ひとつない晴れた夜空に、光を放つ星の数々。これだけでも、絶景と言って差し支えないものだった。
最後に、目線を神戸市街が広がる海のほうへと向けると、
「これが、100万ドルの夜景、なんだ」
白、オレンジ、緑、多種多様な人工灯に彩られたキャンパスが、真横に立つ明日奈の瞳を魅了していた。
自然と明日奈の足は展望台に出向いて、木製の柵いっぱいに夜景に近づき神戸の夜景を受け取ろうとする。
眼下に描かれた光の絵に、僕は高校生のときに読んだ小説の情景を重ねる。
あの本に出ていた登場人物も、同じ景色を見ていたのだろうか。
思考が重なったのか、隣でうっとりとした瞳を見せる明日奈の口からも、
「夢みたいだね。出会ったきっかけの小説に出てくる舞台に、こうしてふたりで見れるなんてさ」
しみじみと感慨にふける言葉が漏れる。
「ほんと、ありがとうね。旅行まで付き合ってくれて」
「いや、僕は何も。ただただ、明日奈の提案に乗っただけで」
「ううん。裕典がいなかったら、この夜景を見て『綺麗だ』って感じることはあっても、『楽しい』って思うことはなかったから」
ぴと、と肩と肩を明日奈が寄せ合い、ほのかに温かくなっている体温を薄地越しに感じる。
「ひとりで見ても、きっと『寂しい』って気持ちが先行しちゃう。……だから、一緒に来てくれてありがとう」
「……そんなの、僕も同じだよ」
僕だって、明日奈に人生を変えられたのだから。ひとりで見て、楽しいと思える自信は僕にはない。
もう完璧にムードが仕上がった。繋がった手と手からも明日奈の温もりが伝うなか、
「あっ、あっちにも景色見られるところあるよ裕典、行こ行こっ」
少し離れたところに別の展望デッキがあるのを僕らは見つけた。綺麗な景色にすっかりテンションが上がった明日奈は、真っ暗な足元を小走りで向かおうとした。
「って、ひゃあっ!」
が、さっきも言ったけど、僕らがいるところは可能な限り灯りが削られている暗闇の空間。明日奈は木製のデッキの溝に足を取られて躓いてしまったみたいで、数歩踏ん張ってから転んでしまった。
「だっ、大丈夫? 明日奈」
「う、うん。へーきへーき。ちょっとコケただけだから」
デッキの上で顔をしかめる明日奈は、しかしすぐに表情を取り繕って立ち上がろうとする。
「……ったあ……」
ただ、明日奈の足は言うことを聞いてくれないみたいで、立つことすらままならない状態になってしまっている。
「無理して立たなくていいよ。悪化しちゃうかもしれない」
「……ご、ごめん、どうしよう。痛くて歩けないかも……」
「足、挫いたかな。なんとなくぐにゃってなってた気がするんだけど」
「……うん。足の横で地面踏んじゃった」
なら間違いない。まあ、話を聞くだけなら、骨までいってることはなさそう。
……とは言うものの、歩けない明日奈をどうするかだけど……。
あー、まさか、本当にさっきのバスで話していたように、明日奈をおんぶすることになるのかな、これ。
いや、それしかないよな……方法。立つことすら苦しそうなんだから、僕が運ぶしかない。
「……明日奈、背中乗って」
意を決した僕は、倒れている明日奈の目の前にしゃがんでは、背中を差し出す。
「え、ゆ、裕典?」
「立つのもしんどそうなくらいだし、もう僕がおぶるしかないでしょ? ホテルまで僕が明日奈の足になるから、それでもいい?」
「……で、でも。私、重いんじゃ……」
登山前と後で明日奈の言うことが百八十度変わってしまっている。いや、それはそれで可愛いんだけどさ。
「だ、大丈夫。多分、大丈夫」
百パーセントの自信を持って大丈夫と言えないのが自分でも情けないところだけど、無理でも駄目でも、僕が明日奈を背負わないといけない状況なのは変わりない。
「……じゃ、じゃあ、乗っかるよ?」
ようやく明日奈も覚悟したのか、恐る恐る僕の背中に自分の身体を預ける。
「……お、重くない? 平気? む、無理してない?」
「うん、全然いける。しっかり掴まっててね」
後ろ手で明日奈の膝裏を持ち、なんとかおんぶの体裁を整える。心配するほど明日奈の身体は重くなく、ただかと言って先に自虐していたほどガリガリかと聞かれるとそういうわけでもなく、深く考えすぎるとドツボにハマりそうだと感じた僕は、これ以上考えることを放棄して明日奈を背負ったままロープウェイの星の駅へと踵を返した。
「そういえば、星に手は届きそう?」
「……どうだろう。裕典があと数十倍に大きくなったら、届くかもね」
右腕をぐーっと伸ばして星空に手を差し出す明日奈。
「そっか、それは残念。……まあ、でも。多分ここにいる人のなかで一番空の近くで明日奈に星を見せられたから、結果オーライって奴じゃない?」
「えらくポジティブ思考だね」
「明日奈のおかげだよ」
「……もー、私そんな誰かの人生に影響与えられるほど大層な人間じゃないってー買い被りすぎだよー」
「はいはい。うだうだ言わないの。もう星と夜景は満足に見た? そろそろロープウェイ乗っちゃうけど」
「……うん。大満足。ありがとね、裕典」
「お安い御用です」
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