ちゃんと、深浦明日奈だから
その日の夜のうちに、ラインでお姉ちゃんと共犯計画について打ち合わせをした翌日。
いつものようにお見舞いに来た裕典さんが病室を後にしてから、ふたりきりになった病室で私はお姉ちゃんから一冊のノートを渡された。
「……何、これ」
「バケツリストだよ。……私が死ぬまでにやりたいことを、まとめたもの。そしたらさ、ほとんど裕典絡みのものばっかりでさ。だから、知奈に託すよ」
「そんな、大事なものっ」
「裕典真面目で、私のこと大切にしてくれてるからさ、『退院したばっかり』の私が、外を動き回るの、心配すると思うんだよね。そんなとき、バケツリストがあったら、多少なりとも口実になるかなって」
パラパラとノートの中身を見て、私は目を疑った。
数が、尋常じゃない。そんな、パラ見した程度で見通せる代物ではなかった。
「お姉ちゃんっ」
一瞬、私は視線をお姉ちゃんに向ける。当の姉は、表情をピクリとも変えずに柔らかな目を浮かべていた。
バケツリストのほとんどに、裕典さんが絡んでいた。
裕典さんとやりたかったことが、たくさんあったのに、お姉ちゃんはそれを私に託そうとしている。
お姉ちゃんのふりをした私が叶えたとしても、それは私であってお姉ちゃんではないのに。
何ひとつ、お姉ちゃんの願いは成就しないのに。
それでも、ノートを私に預けるのは、
「……本当に、いいの?」
「……うん。いいよ」
全ては、裕典さんのためで。
「ありがとう。それでこそ私の妹だよ。……詰めないといけないことは、それくらいかなあ。あと、何か計画について質問あったりする?」
そこまで話すと、お姉ちゃんはベッドの上で起こしていた上半身を戻して、きちんと横になる。
「……最後の確認だけど。言わなくていいの? 裕典さんに」
「決めたことだから。……もう、こうやって普通に話すことも、そのうち難しくなってさ? みるみるうちに、私の姿、変わっていくと思うんだ。そんな様子見たら、辛い思いさせるだけだもん。裕典に。私は、裕典に少しでも笑っていて欲しい。私がこんなだったから、全然笑う機会なんてなかったかもしれないけど、それでも、さ。……それに、見栄? 裕典のなかで、私は思い出のままでいたい。弱って、みっともなくなっていく私を、見せたくないんだ。……勝手かもしれないけど」
そろそろ、面会時間が終わる。私も帰らないといけない頃合いだ。
「……転院の準備が整ったら、計画スタートね。何かわからないこととか、不安なことあったら、いつでも連絡してくれていいから。可能な限り、すぐ返事する。だから、裕典のこと、お願いするね?」
お姉ちゃんから貰った、バケツリストを忘れずにバックにしまい、私は病室を後にした。ヒラヒラと小さく手を振るお姉ちゃんの姿を、目に焼きつけていた。
月日は流れて、夏休みに差し掛かる直前の日のこと。お姉ちゃんの検査の結果が出る日。この日も裕典さんはお昼過ぎからやって来ては、病室でお姉ちゃんと楽しそうに色々な話をしていた。
途中、お母さんが来たことで裕典さんは談話室へと席を外し、その間に検査結果を主治医の先生から家族三人揃って聞く。
先生から発された「問題なく転院できますよ」のひとことが、これから私たちがつく嘘の号砲になる。
話をひと通り聞き終えると、お姉ちゃんは談話室で待たせている裕典さんのもとへと向かう。私もお手洗いに寄ってから、お姉ちゃんの後を追った。
談話室に私が到着したとき、もう既にお姉ちゃんは裕典さんの側にいた。
「──どんなときだって、裕典は会いに来てくれるからさ。それが嬉しくて、つい楽しくなっちゃうんだ、私。ごめんね」
「……別にいいよ。そういうの込みで付き合っているわけだし」
「うわーん、ありのままの私を受け入れてくれる裕典が尊すぎるよー」
「……あ、あの。褒めるのかからかうのかどっちかにしてくれない? ほんとになんて言えばいいかわからなくなるから」
「つーまーり、そういう裕典が私は好きってことさ」
密接な距離感で話をするふたりを見て、私は一瞬身を隠してしまう。……わかってる。お姉ちゃんと裕典さんは、ちゃんと両想いなんだ。お互いがお互いのことを好き合っている。そこに、妹である私が割り込む余地なんて、残されていないなんてこと、この四年間で嫌というほどわからされた。
「……そういえば、そろそろ明日奈の誕生日だけどさ? 何か、欲しいものやしてもらいたいことってある?」
「あー、裕典照れてるー、可愛いー」
「てっ、照れてないし、そんなことないしっ」
「んー、欲しいものはねー、裕典かなー」
「……っ、いや、そ、それっ、どういう意味っ」
「どういう意味だろうねー? 裕典が想像してることかもしれないしー、そうじゃないかもしれないしー」
嫉妬なんて、する理由もない。
私は、お姉ちゃんを好きな裕典さんが好きなのだから。お姉ちゃんに向ける、裕典さんの優しい表情が、好きだから。
ただ、さすがにこれ以上盗み聞きをするのも趣味が悪いと思った私は、野暮とはわかっているけどやむを得ずふたりの間にそっと割り込む。
「……病院の談話室で何イチャイチャしてるの、お姉ちゃん。そろそろ面会時間終わるのに、なかなか病室に帰ってこないと思って探しにきたら……。また裕典さん困らせてたんじゃないの?」
努めて冷静に、落ち着いて私は言葉を紡ぐ。もう、この段階から計画は始まっているんだ。出だしから躓くわけにはいかない。
「だってー、困っている裕典も可愛いんだもん」
「もう、そんなことばっかりしてると、裕典さんに愛想尽かされちゃうよ?」
「大丈夫大丈夫―、裕典はありのままの私を受け入れてくれる優しい子だから。こんなことで愛想尽かしたりなんてしないってー」
この間も、裕典さんは多少困った顔は浮かべつつも、にこやかな表情は崩さない。
「とにかく、病室戻るよお姉ちゃん。そういうことなので。今日もお姉ちゃんに会いに来てくれてありがとうございます、裕典さん。私たちは、これで」
「ああっ、まだ裕典と話したりないのにー」
強引かもしれないけど、私はそうしてふたりを引き裂く。
「もう、今日は検査結果出る日だから先生の話聞く日でしょ? 我がまま言わないでよ」
大嘘だ。ついさっき、検査結果の話は聞いた。これからするのは、転院の準備なのだから。
つまり、お姉ちゃんにとって、この瞬間が、裕典さんとの最後になる。
「あっ、お姉ちゃんったらっ」
だからかもしれない。はじめは私に諭されて病室へと向かい始めていたお姉ちゃんだったけど、突然踵を返したと思えば、
「ど、どうかした? 明日奈」
「……えへへ、なんとなく、ね?」
「そんな、公衆の目も憚らずに愛情表現を交わすほど、オープンなお付き合いしてたっけ、僕ら」
後ろで私たちのことを見送っていた裕典さんに、お姉ちゃんは臆面なく抱き着いた。
「……どうだろうね。女の子には、たまに異常に彼氏成分を補給したいタイミングがあるものなのさ」
「それが、今と?」
「……そう。また、明日は……無理だし、明後日もだし……。また、明々後日ね?」
私にはわかる。今にも泣きそうな声で、お姉ちゃんはそれでも上目遣いで裕典さんに笑いかけている。
「うん、また明々後日ね」
最後の最後まで、裕典さんから体温を分けてもらったお姉ちゃんは、名残惜しそうに一歩、二歩と裕典さんから離れ、くるりと背中を向ける。
それを最後に、お姉ちゃんは決して後ろを振り返らなかった。
自分の覚悟を、揺るがせないために。
お姉ちゃんと裕典さんが約束した明々後日。私は緊張の面持ちでお姉ちゃんのスマホを握りしめ、裕典さんとのトーク画面を呼び出していた。
「裕典、裕典、裕典……。さん付けはしない、できるだけ語尾は伸ばす、堅苦しい言葉回しはしない、声色も明るく」
……これからするのは、お姉ちゃんのふりをして裕典さんと電話を繋ぐこと。
外見こそ瓜二つな私たちだけど、性格その他諸々は正反対な姉妹だった。だからこそ、細かいところまで意識しないと、すぐにボロが出てしまう。
事前にポイントとして挙げていたお姉ちゃんの特徴を再度口ずさんで、私は裕典に電話をかける。
……なかなか電話に出ない。もしかして、まだ寝ているのだろうか。いや、裕典のことだから、きっと──
「あー、やっと出たー。またどうせ夜遅くまで勉強してたんでしょー。ちゃんとベッドで寝ないと体壊すぞー? おはよう、裕典」
大丈夫、お姉ちゃんっぽい声、話しかたにはなっているはず。
私は、お姉ちゃんの妹だから。お姉ちゃんのことは理解しているつもりだ。
「……おはよう、明日奈」
よし、裕典は気づいていない。声は上手く寄せられてるってことだ。
「勉強頑張るのもいいけど、ほどほどに休むんだぞ? 裕典、放っておくとずーっと頑張っちゃうんだから」
「ご心配ありがとう、でも大丈夫だから」
「大学受験のとき、私のお見舞いと予備校両立させようとしてパンクしたのはどこの誰かな?」
……大丈夫、大丈夫、大丈夫。気づかれていない。
正直、これまでのどの瞬間よりも、大学入試の合格発表のときよりも、私は緊張していた。
「……誰なんでしょうね。それで、何かあった? わざわざ電話してくるなんて。今日は病院に行くつもりだったんだけど」
「あー、うん。そのことだったんだけどね? 今日は病院じゃなくて、大学のほうに来てくれないかなあ」
恐ろしいくらいスムーズに進む裕典との電話。とんとん拍子で話は本題に入った。
「え? 大学に? なんでまた」
だって、今日するのは電話だけじゃないのだから。いつもの病院に行っても、もうお姉ちゃんはいない。
裕典が事実に気づいてしまったら、全てが水泡へと帰してしまう。
「まあまあまあ、多くは聞かないでおくれよ。騙されたと思ってさ。それじゃ、二時間後に大学の学食に来てね」
会って、嘘をつかないといけない。お姉ちゃんは、もう大丈夫だって。私は、嘘をつかないといけない。
「それじゃ、またねー」
電話を切って、深く深く、大きく空気を私は吐き出す。
手にしていたスマホを勉強机に置き、私はスタンドに保管していたウィッグを着用する。
それは、明白な外見の差でもあった私の黒のショートヘアを、お姉ちゃんの茶髪とそっくりにさせるためのもの。
鏡に映った自分の姿を見渡し、「変装」の出来にある程度満足する。
薄茶のロングヘアーだけじゃない。服装もお姉ちゃんが持っていたものを借りて、今日はデニムのショートパンツにTシャツと、それなりに軽めの格好で合わせた。
「……よし」
大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。私はお姉ちゃん、深浦明日奈。
これから裕典さんと会うのは、ちゃんと、深浦明日奈だから。
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