第5話 夏と言えばの両方取り

「……明日奈、結構怖がってたけど、大丈夫だった?」

 シアターを後にして、コインロッカーから預けていた荷物を回収する間、僕は明日奈に何気ない感じに問いを立てる。


「あっ、あははー。私、絶叫系得意だと思ってたんだけどなー。しばらくこういう機会なかったから、らしくなくビビっちゃったよー。えへへ」

 よく、近くにめちゃくちゃ怖がっている人がいると、自分は逆に冷静になることができる、とか言うと思う。


 今回の僕がまさにそんな感じで、隣の明日奈が息をつく間もなく手を強く重ねるものだから、苦手なはずの僕は怖がる暇さえなかった。


「でも臨場感は桁違いだったねー。家や病院でサブスク使って見るのと大違いだったよー。映画館来て正解正解」


 ただ、ジェットコースターとの大きな違いをあげるなら、ジェットコースターはスリルそのものを楽しむものに対して、4DXはあくまで映画を楽しむためのひとつの手段だから、怖いは怖いけど映画の中身を楽しむことは普通にできる、という点だろうか。


「ささっ、時間もちょうどいいしお腹も空いたことだし、どこかでお昼にしない?」

「うん、賛成」


 大満足そうに表情を緩める明日奈を横目に、僕らは映画館を後にした。

 向かったのは、同じ建物内の三階に店舗を構えているカジュアルレストラン。パンケーキやクレープなど、幅広く軽食を扱っている明るい雰囲気が店内中から広がっている。


 お昼から少し外れた午後一時半、平日とは言え夏休みシーズンということもあり、店内はそれなりの混雑率だった。そんななかタイミングよく眺めの良いテーブル席を僕らは確保できた。


 注文を済ませるなり、ひと足先に頼んだドリンクが出される。明日奈はアールグレイティー、僕はアイスコーヒー。

「なーんかこうしていると普通にデート楽しんでいるカップルみたいで変な感じするねー」

 カラカラと明日奈はグラスの氷をストローで回しながら、柔らかい笑みを浮かべ口にする。


「……付き合って四年目だけどね、僕ら」

「ごめんごめん、私が入院してなかったらこれも日常だったよねー」

「これから日常にしていけばいいだけだよ」


 ぽかん、と口を半開きにして僕の顔をまじまじと見つめる明日奈。数瞬のインターバルを挟んでから嬉恥ずかしそうに頬を掻きながらドリンクを喉に通すと、


「か、格好いいこと言うじゃん裕典―、お姉さんびっくりしてザ・ワールドしちゃったよー」

「そんなことで異能力発動しないで欲しいんですが」


「……ふふふ、気づいてしまったようだね裕典、私の隠されし力に。気づいたら最後、もう引き返せないよ」

「コテコテの現代ファンタジーじゃないですかどっかで聞いたことありそうな台詞ですよ」

 照れ隠しなのか、軽口を叩いて僕の突っ込みを誘い出す。


「それはそれとして、映画見に来てよかったよー。今まで頑張って生きてきてよかったよかった」

「……『あの作品見るまで死ねない』とかよく聞くけどさ、明日奈が言うと重みが違うんだよ重みが」


「ふふふ、試合のラストで視点がライバルの子目線のFPSみたいな感じになったの激アツだったなー、震えちゃったよ私―」

「確かに、あの演出は痺れた、4DXだったから、なおさら」


 なんてふうに、映画の感想をのんびり話していると、注文していたものが運び込まれた。明日奈は苺とホイップクリームがこれでもかと乗せられたパンケーキで、僕はパイナップルが乗ったワッフルにした。


「わぁ、どっちも美味しそう……! そうだ、裕典のもちょこっと食べさせてよ、私も分けるからさっ」

 愉悦の表情でパンケーキとワッフルを眺める明日奈。そんな緩み切った彼女の顔を見ると、自然と僕もつられて表情が綻ぶ。


「それじゃあ、いただきまーす」

 ワッフルを口に含むと、ふわふわした食感と控え目な甘みのワッフルの味がじんわりと広がっていき、次のタイミングでパイナップルの優しい甘さが後を追っかけるように味覚を刺激していく。要するに、美味しい。


 それは明日奈も同じだったみたいで、幸せそうに頬に左手を当ててパンケーキを頬張っている。

 窓から覗くお台場の景色と、彼女の恍惚とした様子が掛け合わさり、ただでさえ美味しいワッフルが五割増しくらいさらに美味しく感じられた気がする。


 お互い半分くらい食べ進めた頃合い、映画の感想もある程度出尽くしたところで、ふと明日奈は思い出したかのように切り出した。


「あ、そうそう。話そうと思っていたんだけど」

「うん? どうかした?」

「ねえ、ふたりでさ、夏休みだし泊まりがけで旅行に行かない?」


 瞬間、僕と明日奈の間に、僅かながら沈黙が走った。真面目な顔で明日奈が僕をまじまじと見つめるものだから、始めは冗談かと思っていたのだけど、それが冗談ではないということを嫌でも感じさせられた。


「……マジで言ってる?」

「うん。大マジ」

「……え? くどいかもしれないけど大丈夫なの?」

「平気平気」

「お、お母さんのお許しとか」

「裕典一緒ならいいよーって」

 僕に対するご家族の信頼が厚すぎて怖いです。


「だってねえ? 裕典一時期毎日お母さんと顔合わせてたでしょ? おかげでお母さんすっかり裕典のこと気に入ってさー。『ほんといい彼氏さん持ったねー』って」

「……身に余る光栄ありがとうございますでもプレッシャーが凄いです」

 退院したとは言えもし出先で何かあったら……。考えただけで悪寒がする。


「大丈夫大丈夫―。好きに動きまわっていいってことで退院させてもらったんだからー。そんなに裕典が心配することないってー」

「は、はあ」

 流れでなんとなく行く雰囲気になってしまったけど、まだ確認しないといけないことはある。何だったら一番大事なことまである。


「……あ、あの、ちなみに旅費ってどうするおつもりでしたか」

 泊まりとなると交通費宿泊費諸々合わせて一万円以上は飛ぶだろう。大学生が気軽にポンと出せる額ではない。


「んー、高校生のとき私ってバイトしてたでしょ?」

「高校近くの本屋さんだったよね」

「うん。そのときに稼いだバイト代、ある程度貯金してたんだけどさ、大学入ってからずーっと入院してたわけで、つまりは使う機会が無かったわけ。だから、お金のことは心配しなくていいよ?」


 あ、問題解決した。もう僕らに障壁は残されていない。


「……いやいや、どこの世界線に彼女に旅費出させる彼氏がいるとお思いで? 払います自分の分は自分で払うから」

「えー? 別に気にしなくていいのに。これも私のバケツリストの一環だから、ある意味付き合わせるわけでしょ? それくらい支給しますよー裕典さーん」

「僕もバイトしてないわけじゃないから、お気持ちだけ受け取っておきます」


 そうなると、別に僕も泊まりで旅行に行きたくないわけではないので、断わる理由が存在しないことになる。


「……いいよ、行くよ、どこへでもお供させていただきます」

「本当に? わーい、嬉しいなー、うふふふ」

「けど、夏休み中ってことはすぐの出発でしょ? 今から準備して、間に合う……のかな?」

「大丈夫っ。元気があれば何でもできるからっ」

 だからあなたが言うと重みが……。


「ちなみに、明日奈はどこか行きたいところあったりするの?」

「んー、裕典が一緒ならどこでもいいけど、そうだなー」


 何気なく僕の心をくすぐる発言をしているけど、そこには触れないでおく。

 少しの間、飲み物を口に含んだり、パンケーキを齧ったり、頬に手を当てて考える素振りを見せた明日奈は、やがてひとつの候補を僕に伝えた。


「夏と言えばさ、海と山じゃん」

「うん、そうだね」

「でも、どっちかひとつしか行けないの、つまらないと思わない?」

「……ま、まあ、それはそうかもしれないけど」

「ひと夏で、どっちも楽しみたいと思わない?」


「で、できるなら、それは楽しいかもしれないね」

「ふむふむ。夏、満喫したいかー?」

「何そのアメリカ横断クイズみたいなノリは」

「夏、満喫したいかー? 返事が聞こえないぞー」

「お、おー」


「よし、じゃあ、神戸行こっ? 神戸っ。ずーっと行きたかったんだ、私っ」


 その場所は、言ってみれば僕と明日奈の、始まりの地。


 僕らが出会ったきっかけとなった小説の聖地だった。


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