第2章

第4話 繋がったままの

 八月も半ばに差し掛かった。東京の夏はその暑さの勢いを落とすことなく、むしろ日々猛威を強めているまであった。


 明日奈のバケツリストは、カレンダーが進むごとにどんどん達成していった。

 死ぬまでにやりたい、と冠がついているものの、明日奈の願いは本当にささやかなものがほとんどで、叶えるのに苦労することはまったくと言っていいほどなかった。


 こういうのって、宇宙旅行したいとか、世界一周したいとか、そうでなくても日本一周したいとか、その手の達成するのがものすごく大変なものが得てして含まれているのが多いかなって、勝手に思っていたから。


 いや、リストを作ったのは明日奈だ。明日奈が満足しているのなら、僕が口を出すことじゃない。

 だから、お盆真っただ中の今日も、僕は明日奈に付き合ってリストを叶えるのを手伝っていた。


 今日は、明日奈とふたりでお台場まで足を伸ばして映画館に来ていた。お目当ての作品は、先日明日奈とマラソンして視聴したスポーツアニメ。一期を一緒に見終わった次の日に、今度は通話を繋ぎながら同時視聴で二期を見るという荒業をしたので、放送済みのエピソードはしっかり履修済みだ。


「いやー、前々から体験してみたかったんだよねー、4ⅮⅩ。映画館自体も高校以来なんだけどさー」

 ただ映画を見るだけなら、互いの家の近所にある映画館でもよかったのだけど、明日奈の希望で、ちょっと遠出をしていた。


 4ⅮⅩとは、ひとくちに言えば体感型映画上映システムのことを指す。

 普通の上映と何が違うかと聞かれると、まずシートが映画のシーンに合わせて上下左右に動いたり、雪が降るシーンなら実際に「雪」を降らせ、香りや煙など、ありとあらゆるものを活用して映画を体全体で体験する点があげられる、らしい。

 ……僕も初めてだから、ネットの知識をそのまま受け売りしているだけなんだけどね。


「どうする? ポップコーンとか飲み物、一応やめとく? 持ち込み自体はできるみたいだけど」

 チケットを片手に、明日奈は劇場のコンセッションを指さして僕に尋ねる。


「うーん、僕も初めてだから、どんなものなのか想像がつかないんだよね。勝手がわからないし、万が一こぼしたりしたら大変だから、保険かけとこっか。映画終わった後にゆっくりお茶しよ?」

「わーい、映画始まる前に感想会の開催決定だー」


 まあ、持ち込みを許可しているのだから、ジュースを飲みながら見たとしてもそうそう悲惨なことにはならないだろうけど、何にしたって初めてのことは慎重を期すべきだろう。

 無邪気に笑う明日奈の横顔を眺めていると、僕らの見る映画の入場が始まるアナウンスが告げられる。


「こちら来場特典です。手荷物は右手にありますコインロッカーをご利用ください。8番シアターです」

 係員さんにチケットをもぎってもらうと、なるほど4ⅮⅩならではの案内が僕たちにされる。


「へー、なんか遊園地のジェットコースターみたいな感じだね」

「明日奈もバックはロッカーに入れちゃう? 入れるなら貰うけど」

「うん、入れる入れるー。ありがとう裕典」

 今しがた受け取った来場特典とバックを同じロッカーに詰め込み、体ひとつで僕らは初めての4ⅮⅩシアターに足を踏み入れる。


「私たちの座席は……と、ここだ」

 チケットに書かれた座席番号を見つけ、意気揚々と座席に腰を下ろす明日奈。

「あはは、シートすっごくおっきいよ明日奈。私の足地面につかないもん、ぷらんぷらんしちゃうー」


 僕も続いて隣に座るけど、明日奈の言う通り普通のシアターに比べてシートのサイズがひと回りふた回り大きい。余裕をもって左右の肘置きに腕を置けるし、背もたれ部分も角度に遊びが効く。そして何より、足を地面に置くのではなくフットレストに置くシステムになっているのを見て、僕はこれからの展開がどうなるのかおおよそ予想がついてしまった。


 ……これ、誤解を恐れずに言えばジェットコースターに乗りながら映画を見るような感じなんじゃ、と。

 明日奈はそういう絶叫系はいけるはず。高校生のとき、図書局の仲間で遊園地行ったときもジェットコースタ―はケロリとした顔で乗っていた。おかわりを要求するレベルで。

 対して僕はと言うと。


「楽しみだねー裕典」

「……う、うん。そうだね」

 震えそうな声を押さえつけて平静を装うレベルで、得意じゃない。好きか嫌いかで言われたら嫌いだし、苦手か大の苦手かと言われたら大の苦手だ。


 しかし、明日奈がいる手前、あまりみっともないところは見せたくない。明日奈はそんなこと気にしないだろうけど、僕にだって男としての矜持は持ち合わせているんだ。


 ……とりあえず、明日奈にからかわれないことを目標に、映画を楽しもう。

 なんて決意は、意外と早く、そして思いもよらない形で打ち砕かれることになる。

 シアター内の照明が落ち、まず映画の予告編が流れる。その後お馴染みの「映画泥棒」のコマーシャルが入り、通常だったら本編が始まるところ、


「……あれ?」

 見たことのない映像がスクリーンに映し出された。それと同時に、僕らが座っているシートの本領が徐々に発揮されていく。


 映像は、4ⅮⅩのデモムービーだった。つまるところ、このシアターではどういうことが起きるのか、実際の映画が流れる前に説明するためのもの。

 だとするなら──

「──おわっ」

 僕らが座っているシートが前後に、本当にジェットコースターに乗っているみたいに映像に合わせて揺れる。それだけじゃない。


 銃撃戦のシーンがあれば僕らの真横を通過するように風が吹きつけ、水しぶきをあげればミストが舞う。

 普段なら上映中に声を出すなんてこと、しないのに。


 これ、今回見る映画スポーツものだからよかったけど、ゴリゴリのアクション映画とかだったら、僕怖くて音を上げてたんじゃ……。

 ぼんやりと頭のなかでそんなことを考えると、突然僕の右手の甲に、ピト、と温かくて柔らかい感触が走った。


 あれ、と思って横を向くと、予想に反して余裕が全くなさそうな明日奈が自分の左側の肘置きにしがみついていた。

 明日奈って絶叫系、駄目だったっけ。いや、僕の記憶に間違いはないはず。

 カラオケと同じで、その手の耐性もブランクが空くと無くなったりするのかな……。


 こりゃ、明日奈にからかわれる云々の話じゃなくなったな。

 隣で怖がっている彼女を突き放すほど僕も薄情じゃないと思いたいので、置かれた明日奈の左手をそっと僕の右手で上から包み込んだ。


 結局、映画が終わるまでの間ずっと、僕の右手と明日奈の左手は繋がったままだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る