世界一優しい嘘つきの君に、向日葵の花束を。
白石 幸知
プロローグ
プロローグ 種まきと、萌しと。
うだるように暑い、夏のある日のこと。
僕は、ジリジリと照りつける陽ざしを背に、セミの大合唱を全身で受け止め、お墓参りにやって来ていた。
三年ちょっとの間付き合っていた彼女──
僕より一年先に生まれた明日奈は、それこそ駆け抜けるような速さで人生のゴールまで突き進んでいって、二二歳という若さで、この世を去った。
今日は、明日奈が亡くなってから一年経って迎える、明日奈の誕生日だ。命日はまだちょっとだけ先だけど、それとは別に誕生日にも、彼女に会いたかったから。
目いっぱいの水が汲まれているバケツと、明日奈が好きだった向日葵の花束を抱えて、明日奈のお墓の前に立つ。
「……やっ。来たよ、明日奈。誕生日、おめでとう。今年で二三回目だね」
目の前に眠っている彼女に向かって、ポツリポツリひとり言を呟きながら、僕はお墓周りの草を取り始める。
「一年経って、ようやく受け入れられるようになってきたっていうかさ。普通に、なってきたよ。あ、明日奈のこと忘れるとか、そういうわけじゃなくてね」
当然、僕の言葉に返事なんてあるわけがない。しょっちゅう僕にちょっかいをかけるような茶目っ気の強い性格をしていた明日奈も、さすがにお墓のなかに入ってしまえばそれもできないみたいで、僕は淡々と生い茂っていた雑草を抜いていく。
「……よし、こんなものかな。これから暮石に水かけるから。暑いよね、ちょっと待ってね」
明日奈のお墓周りがある程度綺麗になったところで、僕はバケツに手をかけては、暮石の上から柄杓でゆっくりと水を流し始めた。
「涼しい? だといいんだけど、どうかな。ここ、日陰一切無いし、何もしないと暑いよね」
バケツの中身が空になると、次に僕は持ってきていた一一本の向日葵の花束をお墓の前に供えて、ろうそくに火を灯す。そのままの流れで、線香にも火を移すと、子供のときによく感じた夏の香りが僕の鼻腔をくすぐる。
あのときは、名前も顔も知らないご先祖様のお墓参りだったけど、今は違う。
一番、大切にしていた人の、お墓参りだから。
そっと僕は両手を合わせて、静かに思いを馳せる。出会ったばかりの時期のこと、付き合う前のこと、付き合い始めた後のこと。全部に。
一年経って、もう僕は明日奈の年に追いついてしまった。これから先、何もなければこの差はどんどん開いていくのだろう。
その事実が、わかってはいたことだけど、じわりと広がるように僕の胸を突く。だんだんと、過去とか、思い出に変わってしまうどうしたって抗えないことに。
「……でも、やっぱりだめだなあ、一年経っても、泣いちゃうよ」
しばらくの間手を合わせていると、徐々に視界がぼやけてくる。そんな折、タイミング悪く、ポケットに入れていたスマホが着信を知らせた。
「……やばっ、おやすみモードにするの忘れてた──」
慌ててスマホを取り出して、着信画面を確認すると、
「──え……?」
表示された名前に、僕は唖然としてしまう。
「……なんで、だって、そんなはずは……」
ジワリ、背筋に悪寒が走る。夏なのに、途端に焼きつけるような暑さを感じなくなる。
スマホの画面に表示された名前は、
今まさに僕が想いを馳せていた、深浦明日奈だったのだから──
***
「──裕典? おーい、裕典―、そろそろ面会時間終わるぞー? 裕典くーん? んー、ねぼすけさんな悪い彼氏には、こうだぞー?」
「っっっっ」
意識が醒めると、テーブルに顔を乗せて僕──
「……何してるの? 明日奈」
「い、いやー、病院の談話室で寝落ちてた裕典の寝顔にちょっかいかけようとか、そんなことはしてないからね?」
「……じゃあ、その右手に隠し持っている洗濯ハサミは何?」
淡い水色の病衣を身にまとった、薄茶のロングヘアーの女性こそ、僕の彼女である深浦明日奈。僕よりひとつ年上の、二二歳。溌剌とした雰囲気が目立つ、明るい人だ。たまたま高校で同じ図書局に所属したことから知り合いになって、明日奈が高校卒業するタイミングで交際を始めた。一応現在も、同じ大学に籍を置いている。
「あはは、こ、これは、出来心というか……なんというか。ゆ、裕典こそ、大丈夫? なんかテーブルの上でうなされてたけど」
多少、年不相応に悪戯っぽい一面も明日奈にはあるんだけど、ご愛敬ということで。
「だ、大丈夫大丈夫。授業のレポートに使う資料読んでたら、眠くなっちゃっただけだから」
それに、さすがに明日奈の目の前で明日奈の墓参りをする夢を見てましたなんて、悪趣味が過ぎてとてもじゃないけど言えるわけもない。しかもオチがホラーっぽいし。
むしろ、明日奈に起こしてもらえて良かったまであるかもしれない。あのまま夢を見続けていたら、どうかしていたかも。
「もー、疲れてるんじゃないの? 裕典―。毎日私のところにお見舞いに来るだけじゃなくて、バイトも普通に入って、勉強だって頑張ってて。年上の私としては、そのうち裕典倒れちゃうんじゃないかって、心配にもなるんだから」
「全然平気だよ。……これくらい、全然」
にしても、嫌にリアリティのある夢だった。現実と、勘違いしそうになるくらい。……いや、絶対に現実にはなって欲しくないのだけどさ。
と、少しの間明日奈を放っておいて思考の海に潜っていると、より明日奈の不安を深めたみたいで、突然僕の両肩に明日奈の細く軽い華奢な身体が乗りかかった。
「ほら、結構肩凝ってるよー? どれどれ、お姉さんがマッサージしてあげよう」
すると、背中越しに明日奈のあれやこれやだったり、女性らしい部分だったりが触れてしまい、精神衛生的にもよろしくない状況に。
「いや、まじで大丈夫だから、っていうか近いから、近いっ」
「えー? いいじゃんこれくらいー、私たち付き合っているんだし、普通だよー」
「……あ、当たってるんだって」
「当ててるんだぞ?」
苦し紛れの明日奈への抗議は、満面のウィンクによって切り捨てられた。
「……年下の健全な男子をからかうのはほどほどにしていただけないでしょうか」
「健全なのはいいことだとお姉さん思うなー。あ、そうだ。病院のなかで人に見られない場所知ってるんだけど、いいこと。しに行く?」
「……彼氏を社会的に殺す気か」
「んー、これでも申し訳なく思ってるんだよ? 彼女として、年頃の彼氏の相手をしてあげられないことに」
「……そんなことを申し訳なく思うなら元気になってください、真面目に」
「え? 元気になって一日中相手して欲しい? うわあ、そんな体力あるかなあ私」
一応言っておく。これが明日奈の平常運転です。いつもこんなふうにして僕をからかって明日奈は楽しんでいるんだ。
さすがになんてリアクションをすればいいかわからなかった僕は、渋い顔を浮かべてそっと明後日の方向に視線をやる。
「って、嘘嘘ごめん、空言だからっ。本気にしないでって裕典―」
「……本気じゃなくて安心したよ」
明日奈の口癖「嘘嘘ごめん空言だから」も頂いたところで、肩に乗りかかっていた彼女は、柔らかな相好を崩さないまま、僕の隣の椅子に座る。
「……どんなときだって、裕典は会いに来てくれるからさ。それが嬉しくて、つい楽しくなっちゃうんだ、私。ごめんね」
「……別にいいよ。そういうの込みで付き合っているわけだし」
「うわーん、ありのままの私を受け入れてくれる裕典が尊すぎるよー」
僕の言葉に喜んだのか、うりうりと頭を飼い犬にするみたいにくしゃくしゃに撫でる明日奈。
「……あ、あの。褒めるのかからかうのかどっちかにしてくれない? ほんとになんて言えばいいかわからなくなるから」
飼い主(?)からの愛情表現からなんとか僕は抜け出して、照れ隠しも兼ねて意味もなくスマホに視線を逃がすと、
「つーまーり、そういう裕典が私は好きってことさ」
にんまりと花びらみたいに優しい笑顔を描いた明日奈がひょこりと首を傾け、僕の顔を覗き込む。
「……そういえば、そろそろ明日奈の誕生日だけどさ? 何か、欲しいものやしてもらいたいことってある?」
「あー、裕典照れてるー、可愛いー」
「てっ、照れてないし、そんなことないしっ」
ささやかな強がりを僕はしてみせるも、そらまあ明日奈に効果などあるはずもなく、ニコニコしたまま明日奈は、
「んー、欲しいものはねー、裕典かなー」
さも当たり前みたいな口調で、そう囁いた。
「……っ、いや、そ、それっ、どういう意味っ」
「どういう意味だろうねー? 裕典が想像してることかもしれないしー、そうじゃないかもしれないしー」
もう終始明日奈にいじられっぱなしの僕。まあ、明日奈にはこれくらいの調子でいてくれたほうが安心できるし、なんて親馬鹿ならぬ彼氏馬鹿なことを考えていると、
「……病院の談話室で何イチャイチャしてるの、お姉ちゃん」
明日奈にそっくりな女の子が、僕らに話しかけてきた。
「そろそろ面会時間終わるのに、なかなか病室に帰ってこないと思って探しにきたら……。また裕典さん困らせてたんじゃないの?」
「だってー、困っている裕典も可愛いんだもん」
「もう、そんなことばっかりしてると、裕典さんに愛想尽かされちゃうよ?」
と、およそしっかりしたことを話す彼女は、明日奈の妹さんである深浦
「大丈夫大丈夫―、裕典はありのままの私を受け入れてくれる優しい子だから。こんなことで愛想尽かしたりなんてしないってー」
「……そう、かもしれないけど」
コホン、と小さく咳ばらいをした知奈は、
「とにかく、病室戻るよお姉ちゃん」
そう言って僕にじゃれつく明日奈を引き剥がす。
「そういうことなので。今日もお姉ちゃんに会いに来てくれてありがとうございます、裕典さん。私たちは、これで」
「ああっ、まだ裕典と話したりないのにー」
ペコリと一礼して明日奈を連れて行こうとする知奈。抵抗する明日奈。ぱっと見だとどっちが姉でどっちが妹かわからない。ほんとに、外見がそっくりだと、真面目に。
「もう、今日は検査結果出る日だから先生の話聞く日でしょ? 我がまま言わないでよ」
去りゆく姉妹の会話から、なるほどいつもよりちょっと早い時間に面会を切り上げるのは、そういう理由があったからなのかと、内心納得していると、
「あっ、お姉ちゃんったらっ」
とてとてと小気味よい足音が近づいてくると思えば、立ち止まったままふたりの背中を見送っていた僕の胸元に明日奈が飛び込んできた。
「ど、どうかした? 明日奈」
「……えへへ、なんとなく、ね?」
「そんな、公衆の目も憚らずに愛情表現を交わすほど、オープンなお付き合いしてたっけ、僕ら」
「……どうだろうね。女の子には、たまに異常に彼氏成分を補給したいタイミングがあるものなのさ」
「それが、今と?」
「……そう。また、明日は……無理だし、明後日もだし……。また、明々後日ね?」
僕の目と鼻の先、上目遣いで微笑む明日奈。予想してなかった行動に、思わず心臓が飛び跳ねる。
「うん、また明々後日ね」
精一杯の平静を装い僕が応えると、満足そうに目を細めた明日奈は、ひゅるひゅると抱き着いていた両手を離し、別れを惜しむかのようにゆっくりとした足取りで、知奈のもとに戻っていった。
明日、明後日は明日奈側の都合が悪いみたいで、僕と面会する時間はないらしい。
次に僕が快活な明日奈の顔を見ることができるのは、明々後日。
「……そんなに会えなくなるの、何気に久しぶりかも」
ひとり取り残された談話室、僕は荷物をまとめながらそんなことをぼんやりと考えていた。
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