第9話 ガードしてても削られます

 知奈との準備も経て、迎えた神戸旅行当日。八月二九日。明日奈の誕生日前日だ。待ち合わせは、新横浜駅の新幹線改札口。


 旅行が決定してからというもの、明日奈はとんとん拍子に新幹線の切符だったり、ホテルの確保だったりを進めてくれたものだから、夏休みシーズンだけどホテル難民になることは避けられた。


 集合時間ちょっと前の午前八時半。朝の通勤ラッシュのさなか、僕は例によって文庫本片手に明日奈の到着を待っていた。


深浦 明日奈:もうすぐ新横浜着くよー


 スマホの通知には、そんな明日奈からのラインの文字が躍る。

 これまで明日奈とたくさんの時間をともに過ごしてきたけど、泊まりがけで旅行デートするのは当然初めてだ。そもそも、東京から出るのも高校の修学旅行以来だし。


 果たして落ち着いていられるかと言えば、答えはノー。

 追いかける文庫本の文字は滑ってばかりで、上手く頭に入らないし、しきりに腕時計で時間を確認してしまう。まだ、前回の確認から秒針は半周もしてないのに。


「ふふふ、だーれだっ!」

「うわっ!」

 そんな心理状態で、いきなり背後から視界を取られたら、慣れていたとしても驚いてしまうわけで。


 いきなりのことに、僕は持っていた本を盛大に落としてしまった。

「あ、明日奈、びっくりさせないでよ……」

 僕が正解を口にしたことで、目にあてがっていた両の手をそのまま腰に回して後ろから抱きついて顔を覗かせたのは、マシュマロみたいに柔らかな表情を携えた明日奈。


「にへへー、どうしたの、そんなに驚いちゃって。何かやましいことでも考えてたー?」

「そ、そんなことは何も考えてっ」

「えー? それはそれでちょっとなー。泊まりで旅行なのに、そのつもりが全然ないのも悲しいなー」


「……どうするのが正解だと」

「人生に正解なんて求めたらだめだと思うなー、お姉さん」

「……っていうか、そろそろ離れてもらってもいいですか? その、多摩センターのときよりも人多いし視線が痛々しいし」


「いいじゃんいいじゃん、減るもんじゃないしー」

「僕のヒットポイントは減ってるんです実は」

「そんなんだと、一泊二日持たないよー?」


「この二日間、何する気なの、ねえ何する気なの、僕をメンタル的に殺す気なの」

「よーし、そろそろ新幹線の時間だし、ホーム行こっかー、しゅっぱーつ」


 背中から離れると、フレアスカートをふわっと広げさせた明日奈がニコリと微笑んではくるりと半回転してスーツケースを引いて改札口に向かう。


「……ほんとに、メンタル持つかな、僕」

 まだ待ち合わせ場所で集合しただけなのに、この弄られ具合。デート中だとどうなるのか、僕は不安で仕方がない。


 乗り込んだのは、新横浜駅を九時〇七分に発車する広島行の。新大阪まで新幹線に連れて行ってもらって、そこから在来線で神戸市内まで移動する予定だ。


 ふたつ並びの指定席、窓側に明日奈、通路側に僕が入り、

「スーツケース、荷棚に上げちゃうね」

「わー、裕典彼氏っぽいことしてるー」

 明日奈が言うところの彼氏っぽいことを行う。


「……か、彼氏ですから」

「ふふふ、そんな気が利く彼氏くんにはいい子いい子してあげよー、よしよしーありがとうねー」

 荷物を載せ終えて座席につくと、ニンマリ表情を綻ばせた明日奈が僕の頭をウリウリと撫でまわし始める。もちろん、その様子も同じ車両の他のお客さんに筒抜けだ。


「あ、あの、恥ずかしい……んだけど」

「大丈夫大丈夫、恥ずかしいのなんて一瞬だからー。天井の染み数えてたら終わるよー?」

「何その違うシチュエーションで聞くような常套句」

「あっ、新幹線の天井に染みなんてないか、あははじゃあだめだ」


 新大阪到着予定時刻は一一時一五分。あと二時間ちょっとはこの空間で過ごさないといけない事実に、僕は思わず身震いしてしまった。


「着いたー!」

 一二時〇六分。明日奈が取ってくれたホテルの最寄り駅に到着。もはや説明不要かもしれないけど、僕のメンタルはどんな隙間にも入り込めそうなくらいペラペラにすり減ってしまっていた。


「あり? どしたの裕典、そんなゲッソリしちゃって。本番はこれからなのに、もう疲れちゃったの?」

「……逆に新幹線の車内でよくあれだけいちゃいちゃして、ゲッソリしない僕だと思いましたか?」


 有線のイヤホンを左右でシェアして、短編アニメーション映画を見たり、その間明日奈が自分で作ってきたと言うクッキーをあーんで食べさせてもらったり。

「ううん?」

「……確信犯ですよね、やっぱり僕を困らせて楽しんでますよね」

「だってー、おろおろしてる裕典見てて可愛いんだもんー」


 とにもかくにも、移動中だけでもかなりダメージを負った僕は、明日奈に連れられて元町駅近くのホテルへと向かうことにした。


 お昼を食べ終わり、ホテルのチェックインも済ませて身軽になった僕たちは、再び神戸観光へと出発する。


「……ほんとに、ひと部屋しか取れなかったんだよね?」

「うん。やっぱりこの時期だとホテルも争奪戦でさー。それに、ふたりでふた部屋取るよりふたりでひと部屋のほうが、経済的だと思わない?」


「……まあ、否定はできないけど」

「うんうん。あと、同じ部屋だからもう四六時中裕典とくっつけるわけだし、もう同じ部屋取らない選択肢はなかったよね」


「……いや、同じ部屋なのもまあいいんだけどさ。いいんだけど……ツインだと思っていたんだよ、僕。部屋」


 あらかじめ、ホテルの部屋については明日奈から聞かされていて、今日が同部屋になることは知っていた。だからこそ、朝からガッチガチに緊張していたんだけど。


 普通ふたりでひと部屋って聞いたら、ツインルームを想像すると思う。僕はそっちだと思い込んでいた。


 でも、実際に今日案内されたのは、ツインではなく、ダブルの部屋。

 つまるところ、ベッドもひとつしかない。

 こんなの、もうその気ですよって言われてるようなものだ。おかげで新横浜出発時よりも僕の心拍数は跳ね上がっている。


「うん。でも私嘘はついてないよ? ひと部屋しか取れなかったとしか言ってないし」

「そうなんだけどさ、そうなんだけどさ……心の準備って奴があるじゃん……」

 ホテルから駅に到着すると、向かったホームは下りの姫路方面行。


「まあまあ、ちっちゃいことは気にするなって言うでしょ? 気にしない気にしない」

「僕にとっては大きいことなんだよお……」


「もー、悪かったよ、黙ってて。これから海行くわけだし、元気出して、ほら」

 これから向かうのは、元町駅から数駅離れたところにある須磨海岸。まず、海を楽しみに行くというわけだ。


 僕がいつまでもクヨクヨしていると、業を煮やしたのか明日奈が僕の頭をひょいと掴んだと思えば、自分の左胸の近くにあてがう。

「……緊張してるのは裕典だけじゃないんだからさ、落ち着いてよ、ね?」


 薄い生地越しに、明日奈の加速した心臓の鼓動が耳に伝ってくる。

 姫路行の普通電車がホームに滑り込んでくるまで、僕はずっと明日奈の胸の鼓動を感じ続けていた。


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