第2話 好奇心

 ある日、父が王宮へと仕事をしに行くと言ったから、桜鳴おうめいは自分も行ってみたいとお願いしてみた。

 本来なら、そこで暮らす皇帝陛下の家族や妃嬪ひひん、彼らに仕える人々か、王宮に仕事などの用があって訪れる人しか、そこには入れない。よく訪れている父の娘だとしても、いい顔はされないだろう。

 でも、一縷の望みに賭けてみたくなった。



 王宮に行けば、どこかに笛があるかもしれない。



 なければそれでいい。そもそも、入ることもできない可能性だってある。そうなったとしても諦める。

 父には、表向きに父の仕事がどのようなものなのか見たいと付け加えたが、きっと笛関連のことだとバレているだろう。はぁーと大きなため息があったのがその証拠だ。


「一緒に来てもいいが、絶対に案内された部屋からは出ないように。約束できるなら、連れて行ってやろう」

「! もちろん! おとなしくする!」


 まあ、約束は破ることになるわけだけど。


 ◇◇◇


 案の定、門番の人に怪訝そうな顔をされたけど、父がこの王宮でそれなりに重要な仕事をしているようで、静かに部屋で待機していることを条件に中に入れてもらえた。


(よし、第一関門突破……!)


 今すぐに走り出して部屋という部屋を隅々まで調べ尽くしたい気持ちをなんとか抑え、すれ違う人々に恭しく頭を下げて、自分は安全な人物だと彼らに印象付ける。

 幸いなことに、身分の高い御人はその辺を歩いていなかったから、誰だそいつは、と追い出されることなく、予定していた部屋まで案内してもらった。


(次は……部屋から、出て行ってくれれば……)


 出された高そうなお茶とお菓子を、生きてきた中で一番上品に、淑やかに頂く。


(わたしは落ち着いていて、無害な人間です。なので、普段の持ち場に戻ってくださって結構です)


 そう願いを込めながら、ゆっくりとお茶を口元まで運びこくりと飲む。父の仕事がいつ終わるか分からない。だから、できれば早く出て行ってほしい。


 努力の甲斐あって彼らは大丈夫だと判断したのか、「失礼します」と言って二人の男性は部屋から退出した。

 足音がどんどん離れていく。部屋の前で見張っていることもなさそうだ。


(第二関門、突破! あとは……見つからないように、この広い宮中を探すのかぁ……)


 周りに人の気配がないのを感じ取ってから、そろりと扉を開ける。できるだけ音も立てないように。

 普段の業務をしているところからは離れているようで、あまり人通りもなさそうだった。この辺りの客間のような部屋には置いてある可能性は低いはず。


(ここから離れた場所……、あそこ、なんだろう……)


 今いる一画から少し行ったところにある区画に、他のとは違う何かが感じられる部屋があった。宮中の中心に近いはずだろう場所なのに、周りに誰もいなかった。


(明るいというか、綺麗というか……)


 一度気になったら止まらない。笛だってそうだ。そこらの店で売っているような代物ではない。音を出すこともできないかもしれない。

 それでも、この好奇心は止められない。ほんの少しの希望もないとしても。


 扉を開くと、そこは物置のような場所になっていた。埃っぽいということもないあたり、人の出入りも頻繁にあり、いろいろと持ち出しているんだろうか。

 何かに使うだろう椅子や机ほどの大きさの道具から、普段使っているものの補充品に古そうな書籍など。たくさんの物が詰め込まれていた。


(こんな場所に、あるわけないか)


 父が言うには特殊な笛で、皇帝陛下の一族であるさい家しか持っていないもの。誰でも出入りできるような物置にしまっておくわけがない。


 別の部屋に探しに行くために立ち上がった時、足にこつんと小さな箱が当たった。さっき見た時にはなかったような気がするけど、どこからか落ちてきてしまったのだろうか。現状維持しておかないと、侵入したことに気づかれてしまうかもしれない。

 もともとあっただろう場所に戻そうと小箱を持ち上げた瞬間、何かが身体をぶわっと覆った。


 謎の感覚。


 でも。


(この感覚、知ってる……!)


 震えそうになる手を落ち着かせて、小箱の蓋を開く。


 そこには、10年もの間求めていたものがあった。



「っ……!!」


 思わず叫びそうになる口を手で覆う。

 笛、笛だ。なんでこんな場所に。大事なもののはずなのに。

 いろいろな思いが頭の中をぐるぐると駆け巡るが、今は何よりも、その音色がもう一度聞きたかった。音を鳴らせる可能性は砂粒ぐらいわずか。


 それでも試さずにはいられない。


「えっと……たしか、こうやって持って、指で塞ぐ、のかな……それで、息を――」


 肺いっぱいに空気を吸い込む。静かに、だけど、一本の線のように息を送り込む。



 その瞬間、甲高い音が鳴り響く。



 あのお祭りで聞いたものよりはひどく荒々しいものだったけど、たしかに笛の音色だった。

 感極まって泣きそうになるが、その余裕もなかった。遠くから複数の大きな足音が聞こえてきたからだ。笛の音を聞きつけてやってきたのだろう。

 今から部屋を出ていくと、彼らと鉢合わせるのは目に見えている。となると――。


(この部屋のどこかに隠れるしか、ないか……)


 たくさんの物で部屋が埋まってはいるが、ところどころに隙間はある。それに、都合のいいことに、桜鳴の体格は同年齢の女子と比べると、かなり小さい方。

 要は、上手く隠れられる。


 よさそうな場所に隠れて一呼吸おいたと同時に、部屋の扉が勢いよく開かれる。がやがやと騒がしく、動揺している様子も感じられた。


(5人……いや、10人近くいるかな……)


 部屋にやってきた人々は「確かにこっちから聞こえたんだよな?」だとか、「近くに人がいないか確認しろ」だとか、明らかに笛を鳴らした人物――桜鳴を探していた。

 特殊な笛なのは分かっていた。でも、こんな物置に適当に置いてあるのに。


(……思ったより、大事になっているような……?)


 皇族が大事にしている特別な笛を扱ったとして、極刑にされたりしないだろうか。あり得る未来に小さく身震いして、一層息をひそめる。


 半信半疑ながらも、ここに音の発生源はないと判断したのか、大人たちは去っていった。ふぅーと大きく息を吐き、安堵する。腕の中にある小箱を見る。笛を元の位置に戻さなくてよかった。笛があることが分かったら、しばらくここに居座られるところだった。


 名残惜しいが、父が仕事を終えて戻ってくるかもしれない。そろそろ部屋に戻らないと。

 笛が入った小箱を棚の上に置こうと手に持つ。


(、最後に、もう一回だけ……)


 やりたいと思ったことはやらないと気が済まない。


 もう15歳だ。

 婚姻も可能になる年齢、つまり、大人だ。そんな性質は奥に引っ込めて、落ち着きのある淑女にならなければいけない。


 桜鳴には、それが無理だった。


 先ほどよりも息を弱く吹き込む。荒々しさが多少和らぎ、やさしさが顔を覗かせる。あの日聞いた、小鳥が囀るような音に近づいた気がする。塞いでいる指は同じなのに、息の吹き方ひとつで、七色に変化する。


「やっぱり、いい音!」

「――お前、誰だ」

「え」



 好奇心のままに、突っ走るのはもうやめた方がいいかもしれない。

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