第7話 後宮

 翌朝、凌霄りょうしょうが馬車に乗って自宅まで迎えに来た。それほどない荷物を馬車に積み込み、玄関の前に立っている両親の方へと向き直る。


「お父さん、お母さん、わざわざ見送ってくれてありがとう」

「今生の別れってほどではないけど、長く離れると思うと……寂しくなるわね……」

「お母さん……」

「たまには顔見せに帰っておいでね」


 母に温かく抱きしめられる。

 もうそんな甘える年齢ではないが、それでもこの腕の中は落ち着く場所でこの二人の娘なんだと改めて思えた。横にいた父も、肩をぽんと優しく叩く。


「何か仕事で困ったらいつでも聞きに来なさい。それから、興味があるからといって危ないことに自分から首を突っ込まないこと。分かったか?」

「もう、お父さんは心配性なんだから!」

「……これまで何度おまえに心配させられたと思っているんだ、このお転婆娘が」

「返す言葉もございません……」


 桜鳴おうめいは、はは、と父から逃れるように視線を斜め上に外すと、父は呆れたようなため息をついていた。

 そろそろ、と凌霄がこちらを伺うように見てきたので、馬車に乗り込み、小さな窓から外に顔を出す。両親から「娘をよろしくお願いします」と言われた凌霄は深々と頭を下げた後、桜鳴の隣に座った。


「では、行きましょうか」

「はい。……お父さん、お母さん! 元気でねっ!」

「桜鳴も、しっかりやるんだぞ!」

「うん!」


 別れが終わるのを待っていたかのように馬車は後宮へと向けて出発した。



 それほど距離があるわけではないので、昼前には門前に到着した。積んでいた荷物を持って、凌霄の案内で桜鳴は中へと入る。

 門からしばらく歩くと、第三皇子とその関係者が暮らすという宮が見えてきた。今日からここの一室で生活することになる。


「――こちらが、桜鳴様の御部屋になります」


 板張りの廊下を進んでいた凌霄が立ち止まり、一室を示しながら言う。宮の入口からだいぶ奥まった場所にあった。

 荷物で両手が塞がっているため凌霄に扉を開けてもらうと、そこは広々とした空間ではあるものの、実家とそう変わらない質素な部屋だった。


「わぁ……」

「桜鳴様の御要望の通り、できる限り簡素で、装飾も華美ではないものを選びました。いかがですか?」

「いいです、すごく! でも、こんな広いところ、わたし一人で暮らすんですか?」

「ええ。とは言っても、食事や就寝の時か、桜鳴様の御供を必要としない時に待機してもらうくらいですが」


 基本的には常に漣夜れんや様のおそばにいてもらいます、と凌霄は付け加えた。

 四六時中あの性悪と一緒にいなければいけないのかと思うと、これからに気が滅入りそうになる。笛が吹けるからまだ許せるが。


「では、少し早いですが昼食にしましょう。その後、よく行かれることになるであろう場所をご案内します」

「いろいろありがとうございます! あと、もう一つお願いしてもいいですか……?」

「……なんです?」

「その、よかったら、ごはん、一緒に食べませんか? 一人だと、なんか寂しいので」


 桜鳴は、えへへ、と少し恥ずかしそうに言うと、凌霄は少し間をおいてため息をひとつ吐いて、「今日だけですからね」と承諾した。

 その後も何度も誘っては、毎回、これで終わりだと言いながらも、一緒に食べてくれたのはまた別の話である。


 ◇◇◇


 昼食を食べ終え一休みをしてから、凌霄の後宮案内が始まった。


 日常生活でよく使う場所はもちろん、逆にあまり行かない方がいい場所――特に他の皇子たちの宮には無断で無闇に入らないようにと、各宮の横を通る度に何回も釘を刺された。

 それから漣夜が申し付けてよく行く必要がある場所も教えてもらった。


 後宮の敷地内は広大で、必要な場所だけ案内してもらったにもかかわらず、もう日が落ち始めていた。後宮の隣にある、日中、皇族や官人が仕事をしている皇宮の方は、明日実際に仕事をしながら案内してもらうことになった。

 次が最後ですね、と言いながら歩いていく凌霄の背中を追う。


「それで、こちらが――」


 立ち止まりくるりと振り返った凌霄の言葉が途切れる。凌霄の視線は桜鳴の後ろを捉えていた。どうしたのかと振り向く前に、その理由が分かった。


「よう、ずいぶん時間かかったな」

「っ! なんで、ここにっ! ちょっ!」


 何者かに頭を上から大きな手でガシガシと掴まれる。この乱暴な手付きと、横柄な態度で、思い当たるのは一人しかいない。

 漣夜だ。

 わざわざこんなところまで何をしに来たのだろうか。凌霄が言うには、今日は仕事を休んでもらっているはずだ。


「漣夜様、何故こちらへ?」

「暇だったから。それに遅いから、どこかで襲われでもしてんのかと思って」

「そう思われるのなら、なおさら漣夜様は外に出られない方がよろしいかと。狙われるのは漣夜様ですよ」

「純粋な武力でなら、俺に敵うのは蒼峻そうしゅん兄上くらいだろ」


 得意気に言いながら、頭を強く撫で続ける手をなんとか引き離そうとしていたら、漣夜と目が合った。


「な、なに」

「……お前がちんちくりんで歩くのが遅いから、こんな時間になったんだろう」

「……はぁ!?」


 はは、と意地悪そうに笑いながら、自分の宮の方へと歩いて行った。言いたいことだけ言って去った漣夜に、怒りがふつふつと湧いてくるが、相手は皇子だ。


(後で覚えてなさいよ……っ)


 二人きりならまだしも、他の人の目がある今は彼に飛び掛かるのはやめておこう。



 最後の部屋の説明を手短に終わらせ、部屋に戻ろうとしたら、すぐそこにいた漣夜が戻ってきていた。

 

 一人の女性を連れて。


 女性は見目麗しく、服や頭についている装飾品は誰が見ても分かるくらい高そうで豪華なものだった。


(もしかして、これ……)


 桜鳴はちらりと凌霄の方を見る。耳元で、后妃です、と囁いて教えてくれた。

 後宮には、皇帝陛下やその親族、そして、世継ぎを産むために集められた数多の后妃に、それらに仕える女官など、多くの人が暮らしている。桜鳴や凌霄のような皇子に仕える者も例外ではない。


 女性は漣夜の後を追って、ぱたぱたと駆け寄ってくる。

 甘い声を出しながら。


「漣夜さまぁ~!」

「……」


 キラキラと、いや、ギラギラと目を輝かせながらやってきた女性とは対照的に、漣夜の顔は能面のようだった。気が立っている時の鬼の形相とは違う。


 これは、――無関心の表情だ。


「お待ちになってくださいよぉ。漣夜さまとお話したいのにぃ」

「……」


 女性から言い寄られているにもかかわらず、何の反応も示さない漣夜に、后妃は頬を膨らませて「もぉ~!」とかわいらしく拗ねていた。


(なんとまあ……お手本のような……)


 桜鳴は自分が活発で男勝りなところもあるからか、こういう媚を売るような女性は苦手だった。

 とはいえ、ここは後宮。皇帝陛下に、それが無理なら、皇子に、気に入られなければ、ただ老いて朽ちていくだけ。これだけ美しい女性にとって、それは屈辱的な人生だろう。


(わたしの顔、平々凡々でよかった)


 そんなことを考えていた桜鳴の姿を、能面顔の漣夜の目が捉えた。その瞬間、漣夜の表情筋がいやらしく動く。


 嫌な予感というものはたいてい的中するものだ。


 漣夜の腕に勢いよく引き寄せられる。後ろから抱き締められている、というよりは、首を腕で締められているかのように胸の中に収まる。

 后妃は、「なっ!」と先ほどよりも声の調子を低くして驚いていた。そんなことにもお構いなしに漣夜は口を開く。


「新しく宮女が入って、今はこいつのことで忙しい。次の機会にしてくれるか」

「え、あの、漣夜さま……?」

「行くぞ。桜鳴」

「! ちょっ、やめっ!」


 目の前で何が起こっているのかと混乱している后妃を横目に、漣夜に引き摺られるかたちで、桜鳴たちはその場をあとにした。


 道中で、どうにか抜け出そうともがくが、大人の男の力に敵うはずもなく、そのまま漣夜の部屋まで連れて行かれる。

 部屋の中に入ると急に腕を離し、その反動でよろける。なんとか倒れずに済み、後ろに立っていた漣夜をキッと睨みつける。


「なにすんのよっ!」

「俺のおかげで早く帰ってこれただろ」

「はぁ!? わたしのこと利用しただけでしょ! そもそも、わたしの部屋ここじゃないし!」

「……今日も猿は元気だな」

「~~っ!!」


 声にならない叫びが喉から出て掴み掛かろうとしたのを、凌霄が慌てて止める。


「桜鳴様っ! 相手は皇子ですから! ……漣夜様も、あまり煽られないようにしてください!」

「打てば響くのが面白くてついな」

「太鼓じゃないっての!」

「ほら、こうやって」


 今度こそこの男の口を縫い付けてもいいのではないだろうか。凌霄もやれやれといった感じにため息をついていた。


 本当にこれが人々の幸せを願う心優しい人なのだろうか。



 疑惑と憤りで頭がいっぱいの桜鳴は、漣夜があの行動を人前でとったことによる波紋が后妃や女官たちに起きていることに、気付いていなかった。




▲▲▲


王宮=皇宮(仕事場)+後宮(プライベート空間)だと思っていただければ。

自宅(王宮)の1階は店(皇宮)で2階は居住スペース(後宮)、的な感じです。



それと、宦官という概念はこの作品にはありません。

後宮で普通に男性も暮らしています。とはいえ、奏祓師や従臣といった、特殊な役職を持った者がほとんどです。

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