第16話 お茶会
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
目の前の状況に
「早く、吹いてみせてちょうだい」
声の主――皇后の言葉に、鼓動をいつもの何倍もの大きさにしながら笛を構えた。
◇◇◇
腕の傷も完治し数日前から復帰していた桜鳴は、指示された通りに何が書かれているかよく分からない書物を棚の元の位置に戻していた。
遠くからどたどたと足音が聞こえてきて、なんだろうと手を止めた。
「た、大変ですっ……!」
執務中の
「何だ」
「お、桜鳴様が!」
「わたし?」
「また何かやらかしたか」
「やってないけど!」
頬を膨らまして喚く桜鳴に、漣夜はうるさいとでも言いたげに両耳を塞いだ。
その二人の間を縫って、凌霄は机にバン、と書簡を叩きつけた。凌霄の行動に二人は目を丸くした。
それから書簡へと視線を移す。まだ読み書きを学んでいる途中だから何が書いてあるのかさっぱりだった。
「これは……」
漣夜の目に最初に入ったのは、書簡の署名だった。
現皇后の名前が記されていた。
「あの人が、俺に手紙……?」
「ねえ、なんて書いてあるの? わたしのことが書いてあるんでしょ?」
「今読むから静かにしていろ」
漣夜の深い緋色の瞳が、上から下に、右から左に動いていく。読み進めていくうちに、表情が明らかに気だるげになっていった。
ますます内容が気になり机に身を乗り出して、漣夜にまだかまだかと無言の催促をする。
「――はぁ、なんでお前が……」
「わたしがなに!?」
「はぁー……」
「ちょっと、教えてよ!」
じとっとした目つきで見ては、大きく溜め息を吐く漣夜の肩を、我慢できないとでも言うようにばしばしと叩く。それを凌霄は、「私が説明しますから!」と慌てて止めた。
「えー……こちらの書簡は、皇后様からのものになっております」
「皇后って……皇帝陛下の横にいた人ですよね?」
「ええ。それで、内容はですね――」
「お前と茶が飲みたいんだとよ」
凌霄が書簡の内容を詳しく説明しようとするのを漣夜が遮り、ごくごく端的に述べた。
その中身に思わず気の抜けた顔になる。
「……それだけ?」
「要約するとそうですが、実情はもっと複雑で……」
「何よりも問題なのはこいつの礼儀だろうな」
漣夜はもう一度大きな溜め息を吐いた。それに関しては何も言い返せない桜鳴は、二人から目を逸らした。
「それから、笛を持ってこいって書いてあるのも気になるな……」
「どうせいつも持ってるし、そんな注目するところ?」
「お前はいつまでたっても危機感がないな。
「あーあー! 分かりましたー! 気を付けますー!」
またちくちくと小言を言われるのは勘弁だ。漣夜の言葉を強引に切り上げて、凌霄に何かすることはあるかと聞き、仕事へと戻った。
書簡によると皇后との茶会は明後日。
それまでに限界まで礼儀を詰め込まれたのは言うまでもない。
◇◇◇
――茶会当日。
指定された宮を訪れ、案内された部屋で小柄な身体をさらに小さくさせて今日の相手を待っていた。皇后とお茶を飲むと分かった時に、「それだけ?」と言った自分の頭を叩きたい。
(……ていうか、なんでわたしとお茶会を……)
皇帝陛下に挨拶をした時に、皇后がどこか蔑むように見ていたのを覚えている桜鳴にとっては、今の状況が不思議でしかたなかった。庶民なんかと同じ卓に座りたくないだろうに。
頭の中でいろいろな思いが巡っていると、部屋の扉が開いた。その音に背筋をぴんと伸ばす。入ってきたのはここに仕える侍女だった。
「桜鳴様。準備ができましたので、ご案内いたします」
椅子から立ち上がり右手と右足を一緒に出しながら、侍女についていった。
案内されたのは、隅々まで手入れが行き届いている広い庭園だった。その中心にある睡蓮で一面埋まっている池の上の
「――皇后様、お連れいたしました」
「ありがとう。もう下がってよい」
「はい」
お辞儀をしながら下がっていく侍女に小声でどうぞ、と、中に入るように促された。
身体をぎこちなく動かしながら、足を踏み入れる。座れという視線に、「失礼します」と震える声で言ったあと、皇后の対面に座る。
それから、案内してくれた侍女とは別の侍女がやってきて、茶器にこぽこぽとお茶を注ぐ。差し出された茶器の中で乾燥した花が徐々に開いていく。その様をじっと見つめていたら、皇后から名前を呼ばれ、桜鳴は肩をびくりと跳ねさせた。
「は、はい!」
「このお茶、綺麗でしょう」
「はい! とても!」
「そんなに声を張らなくても聞こえているわ」
くすくすと小さく笑う皇后に、恥ずかしくなった桜鳴は、再度茶器へと視線を移した。紫色の花がゆっくりと開いていき、茶器を埋め尽くしていく。
「このお花――芍薬は小さな蕾からここまで大きく華やかに咲く。貴女の今後が、さらに飛躍するようにと願って、私が選んだのよ」
「皇后様が自ら……わたしなんかのために……」
「貴女だからよ」
「え」
顔を上げると、皇后はその濃紺の瞳で射抜くように見つめていた。どきりと心臓が鳴る。
「蒼峻皇子から聞いたの、貴女の笛が素晴らしいものだった、と」
「え……蒼峻様から、ですか?」
「ええ。あの子があれほど興味を持つなんて珍しいから、私も聞きたくなったの」
この状況になっているのはすべて蒼峻が切っ掛けだったのか。桜鳴は腑に落ちた。
だとしても、皇后に聞かせられるほどの腕前ではない。皇帝陛下の傍にいて、
「で、ですが、その、わたしはまだ技術がなく、拙い音しか鳴らせないのでお聞き苦しいかと……」
「それは聞いてみないことには分からないわ。さあ、早く吹いてみせてちょうだい」
持っていた扇をばっと広げて軽くあおぎながら、動向をじっと見つめられる。
桜鳴にとってそれは無言の圧力になった。
(皇后様が吹けって言ったし、もうどうにでもなれ!)
笛を袋から取り出し、すぐに構える。息を吸い込んで、まずは一音出す。いつもと変わらないいい音。
笛の調子を確認してから、ここから見える庭園の風景に合った曲を奏でる。壮大で、優美で、繊細で。それから。
(お茶が美味しかった!)
たんたん、と、小気味よく跳ねながら庭園を駆け回る犬が瞼の裏に浮かんだ。
吹き終わって唇から笛を離す。目を開けると、皇后の表情はぴくりとも動いていなかった。
だから下手だと言ったのに。そう思ったのも束の間、すぐに皇后の頬がゆるんだ。
「――貴女、ここに来てからふた月くらいかしら」
「そ、……そうですね。だいたい」
「それでここまで吹けるなら大したものよ。蒼峻が言うだけあるわ」
「! あ、ありがとうございますっ!」
桜鳴は勢いよく頭を下げた。これが世辞だとしても構わない。とりあえずは、この状況を上手く切り抜けられたのだから。
「さすがは、あの漣夜第三皇子の奏祓師ね」
皇后は弧を描いていた口を隠すように扇で覆った。
桜鳴はそれに気付かず、茶会が終わった後、目でも舌でも幸せになったお茶と上手くいった演奏に上機嫌になりながら、自室へと帰って行った。
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