第24話 祭り

 梅玉ばいぎょくの葬儀も終わり、それから数日経っても、漣夜れんやは泣き続け部屋に塞ぎこむようになった。

 凌霄りょうしょうや漣夜に仕える女官たちは心配したが、今はそっとしておくのが最良と考え、健康にだけは気を付け、遠くから見守っていた。



 ところが、ある侍女はそれではいけないと思い、積極的に漣夜を構い、優しく慰めた。今必要なのは、母親のような愛情を感じることだ、と。


「漣夜様。梅玉様は、漣夜様の笑顔を望んでおられると思いますよ」

「ははうえ……うぅ……」

「……共に乗り越えましょう。梅玉様は、いつでも私たちの心の中にいらっしゃいますから……」

「こころの、なかに、……」


 侍女は漣夜の胸のあたりに手を置き、「ここに、きっと」と言いながら擦る。


 じんわりと滲んでくるぬくもりに、漣夜の悲しみは徐々に小さくなっていった。梅玉が亡くなってから見ることのなかった笑顔もわずかにだが戻ってきて、漣夜に仕える者たちは、ほっと安堵した。




 それから5年ほどが経ち、漣夜も10歳になった。


 健やかに育ち、皇子としての勉学や鍛錬に励む日々だった。

 忙しい中でも母である梅玉を忘れることはなかった。それは、あの悲しみに暮れていた時に慰めてくれた侍女が、変わらずに傍にいたからだ。


 その侍女とだけ梅玉の話をし、共に懐かしみ、共に悲しんでくれた。

 慰めるように抱き締められる度に、母を思い出していた。母親のように慈しみにあふれたそのぬくもりに、心を開いていった。従臣である凌霄と同じくらいには彼女を信頼していた。



 ――あの夜までは。


 ◇◇◇


 漣夜は夜半に物音で目が覚めた。

 寝台に近づいてくる人の気配があった。辺りは真っ暗で、目が慣れるには少し時間がかかった。


「誰……?」

「……」


 返答はもちろんない。逃げるべきだろうが、こう暗くては容易に動くこともできない。

 そう躊躇っていると、その人物は寝台に上ってきた。ようやく暗闇に目が慣れ、部屋に入ってきた人物の顔が浮かび上がってくる。


「お姉、さん……?」

「……漣夜様」


 ずっと傍にいてくれた侍女だった。


 どこか恍惚とした表情で漣夜を見つめる侍女は、器用に漣夜の衣服を脱がしていく。彼女がすることなら悪いことではないだろう。ただ侍女の動向を見ていた。


 漣夜のみならず、侍女も衣服をはだけさせ、下半身をあらわにする。初めて見る女性のそこに、漣夜の頭は混乱していた。


「やっと……やっと、子を生せる御身体になられましたね、漣夜様……」

「なに、言って……っ!」


 侍女は漣夜に深く跨った。その衝撃に漣夜は顔をしかめる。知らない感覚が全身に走る。


「っふ、はは! やったわ! これで、あたしも寵妃にっ!」


 嬉々として漣夜の腹の上で動く侍女に恐怖を覚え、無意識に助けを呼ぶように叫んでいた。



 気が付いた時には、凌霄が隣にいて、侍女は複数の官吏によってどこかへと連れて行かれるところだった。


「もう大丈夫ですから、ご安心ください。漣夜様」

「……お姉さんは……」

「……あの者は、すぐに処刑となるでしょう」

「……、そっか……」


 漣夜の虚ろな目が床を見つめる。


 あれほど優しかった彼女が、どうしてあんなことを。

 漣夜の脳内では、その疑問ばかりがぐるぐると巡っていた。肩を抱く凌霄の手にぎゅっと力がこもり、漣夜は顔を上げて視線を合わせる。


「……王宮ここはそういう場所なんです。様々な欲望が渦巻く場所です。少しでも隙を見せたら、そこを突かれて、蹴落とされます」

「隙……」

「もちろん、そうならないよう私たちも尽力いたしますが、ゆめゆめお忘れなきよう、漣夜様もお気を付けください」


 凌霄の言葉に漣夜の瞳の色が変わる。



(……強くないと、自分を一番信用していないと……狩られる場所、なんだ……)



 誰にも振り回されない、堅固な皇子になるには、そう簡単には心を開いてはいけないと理解した漣夜だった。





 事件から数日後、国をあげての祭りが開かれていた。何を祝してなのかは分からないが、とにかく街も王宮もお祝いの雰囲気であふれていた。


「……漣夜様」

「なんだ」

「よろしければ、祭りに行かれませんか?」

「必要ない」


 漣夜は心の傷も癒えきってないのに、そのような気分にはなれないからと、部屋に籠っていた。

 自分に近づいてくる人は、心の底では何を考えているのか。そう気を張る毎日だった。


 凌霄はそのことに気付いていたから、どうにか息抜きができないかと祭りに誘っていた。


「王宮の外なら、漣夜様が皇子だと気付く者もそういないでしょう」


 人も多いですし、と付け加える凌霄に、漣夜はしかたなくついていくことにした。

 他の誰も信用できないが、凌霄だけは違った。心からの忠誠を誓った従臣だ。

 従臣は、皇宮で幼い頃から養成される。裏切りなどという気も起こせないように。



 その従臣の凌霄について忍び出て行った外は、人であふれかえっていた。たくさんの屋台が並んでいる。王宮の門も開いたままで、一番大きな広場では様々な出し物も行われていた。


 誰も、漣夜を『皇子』だと認識する人はいなかった。軽く頭に被り物をしているせいもあるかもしれないが、じろじろと見られるようなこともなかった。


「どこから行きましょうか?」


 凌霄も祭りが楽しいようで、辺りをきょろきょろと見回していた。

 続くように漣夜も見回していると、胸にどんと衝撃が走る。何事かと思って、視線を下に移すと、小さな女の子がいた。

 顔を上げた女の子と目が合う。重苦しかった身体が、どこか軽くなったような気がした。

 後から慌てて大人の男性がやってきて、その女の子を引き寄せる。


「あっ! すみません、すみません!」

「……いえ」


 男性は、ぺこぺこと何度も頭を下げていた。これだけの人がいるなら、ぶつかってしまうのもしかたがないだろう。

 引き寄せられていたはずの女の子は、男性の腕の中から離れ、またどこかへと走って行った。


 凌霄は、漣夜の身体をまじまじと見て異常がないかを確認する。


「大丈夫ですか? 申し訳ありません、私が祭りに連れ出したばかりに……」

「いや、……問題ない」


 問題ないと答えたことに嘘はない。良い方向への変化なら伝える必要もないだろう。

 

 そうして、祭りを楽しみ、ほどほどの頃合いで王宮へと帰った。




 自分と凌霄だけを信じて日々を過ごした。なかなか奏祓師が見つからないことに業を煮やしたが、あの侍女のように裏切るかもしれないと思うと、いなくてもいいと少し思った。





 それから10年ほどが経ったある日。あまり使われていない物置で笛の音が聞こえた。


 身体が軽くなった気がした。

 吹いていたのは、妙なちんちくりんの女だった。


 ◇◇◇


「……ふ」

「漣夜様? どうかなされましたか?」


 執務室に残っていた漣夜は口元を緩ませた。その表情に凌霄は問い掛ける。


「いや、何も。……母上のことを、思い出していた」

「……梅玉様のことですか。あの……桜鳴おうめい様にも悪気があったわけでは……」


 凌霄は申し訳なさそうに語尾をすぼめる。


「分かっている。あいつは知らないだろうからな」

「ええ。……梅玉様はどのような御方だったのですか? 私も当時は幼く、それほど記憶に残っておらず……」

「どんな母上か、か……」


 目を伏せるようにぽつりと呟いた漣夜に、凌霄は顔面蒼白になる。亡くなっていることを知らない桜鳴が無邪気に聞くのとはわけが違う。


「ぶ、不躾な質問、申し訳ありません! お辛くなるようでしたら――」

「いや、いい。……そうだな、母上はいつだって強い人だった」


 漣夜は懐かしむような優しい表情で梅玉のことを語った。

 それを聞いていた凌霄は、この御方を命を賭けてでもお守りすると、改めて心に誓った。

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