第23話 水面に映る星
二十数年前、ある一人の女性が後宮に入った。女性の名前は
韋家は名家ではあったものの、超がつくほどの田舎の名家だった。中央だと庶民とそう変わらない程度で、本来なら后妃として入れるような家柄ではなかった。
だが、国境付近の地域の出ということで、自国の警備を強固にするためにも、庶民相当の娘だとしても後宮に受け入れるしかなかった。
しかし、梅玉はこれといった特技も、誰もが振り向くような美貌も持っておらず、下級止まりだった。礼節もなく、梅玉を知っている人は皆彼女が寵妃になれるとは思っていなかった。
とはいえ、一部の后妃以外、皇帝に寵を与えられないどころか、認識してもらえないのが普通だ。後宮で女性としての己を枯らしていく者がほとんどだった。それが嫌で、必死に寵妃に取り入る后妃も少なくない。
両親が生活を気にして後宮に入れてくれたが、梅玉はそういったことにまったく興味がなかった。
実家にいた時の梅玉はそこが世界のすべてだと思っていた。後宮に入るために都会に出てきた時に、そんなわけがないことに気付いた。
後宮では、希望者や推薦者は勉強も受けることができ、梅玉はもっといろいろなことを知りたいと、多くのことを学んだ。西方の文化には特に興味が惹かれた。
梅玉の知識欲はどんどんと膨れていき、后妃なのに皇帝に寵愛されるとか、自分の位を高くするだとか、そんなことどうでもいいと思って日々を過ごしていた。
だが、梅玉も心優しきひとりの女性である。
ちょうど寝所を出たところで、どこかへと向かおうとしている皇帝陛下が歩いてくるのが見えた。
もう春はすぐそこだというのに、ひどく花冷えしていた日のことである。
他の者たちと同じように端に避けようと一歩を踏み出したところで、急いで寝所に踵を返す。梅玉付の侍女の顔色は真っ青である。皇帝陛下に背を向けて逃げていくなど言語道断である。
皇帝陛下が寝所を通り過ぎようとしたのと同時に、梅玉は戻ってくる。手には何やら地味な厚手の衣を持っていた。
「陛下! もしよろしければ、こちらをどうぞ!」
「おいっ! わきまえろ!」
持っていた衣を渡そうとする梅玉を、皇帝陛下の従臣が止めようとするが、「すみません!」と言うだけで、
「今日は、よく冷え込んでいるので、お風邪を召されませんように。うちの実家から送られてきたものなんですけど、私が着るには高そうで憚られて……」
「聞いているのかっ!」
「陛下の方がお似合いになると思いまして!」
梅玉には皇帝陛下に取り入って寵妃になろうという意識は微塵もない。
そこに寒そうな格好をしている一国の主がいたから。国の頂点に立つ御方が風邪でもこじらせて崩御されたら大変だ。
ただそれだけ。
従臣は、無礼な梅玉をどうにか皇帝陛下から離そうと躍起になっていた。
「――よい」
「ですが、陛下!」
「……そなた、名前は」
「私ですか? 韋梅玉です!」
満面の笑みでそう答えた梅玉は、数日後、寵愛を受ける。
少しして、子を孕んでいることも判明することとなる。
十月十日経ち、雪がちらつくそんな冬のある日。
梅玉は、元気な男児をこの世に産み落とした。男児は世継ぎとなるため、女児よりも喜ばれるが、梅玉にとってはどうでもよかった。
それに、梅玉が産むよりも先に、二人も皇子がいたため、この子はそういった争いからは無縁になるだろう。
かわいい我が子が健やかに育てばそれでいい。梅玉はそう願いながら、さざなみのように穏やかで、それでいて夜空に星々が瞬くようにきらきらと輝く人生を送れるようにと、我が子に『
◇◇◇
梅玉の願い通りに、漣夜はすくすくと育っていった。それと対比するように、梅玉は体調が優れない日が多くなっていった。
漣夜が3歳を過ぎた頃、梅玉は不治の病が発覚した。国随一の後宮勤めの医者ですら、治療法が分からず、対症療法をするしかなかった。
それからおよそ2年後。
漣夜が5歳になる少し前、梅玉の命の灯は絶えようとしていた。
「ははうえ、ははうえっ!」
「れん、や……」
「しんじゃ、いやです、ははうえ!」
泣きながら訴える漣夜の目から涙を拭うように腕を動かすが、だいぶ前からほとんど身体が動かず、少し浮かすだけで精一杯だった。
漣夜は、梅玉の腕を強引に自分の頬へと引き寄せる。わずかに感じる母親の体温を身体に記憶させるように。幼いながらにもう逝ってしまうのだと。そう思えたから。
「れんや……せかいは、とても……ひろい、から……」
「もう、しゃべらないでくださいっははうえっ」
「たくさんの、ことを……みて、それから……まなん、で……」
ずっと天井を見ていた梅玉の瞳が、寝台の横へと動き、漣夜と目を合わせる。
それが梅玉にできる最後のことだった。
「しあわ、せに……ね……、……」
力なく微笑んだ後、梅玉の瞳から生気が消えた。
「はは、うえ……? っ! ははうえ、ははうえっ!」
泣き叫ぶ悲痛な声が宮に響き渡った。
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