第22話 兄弟

 桜鳴おうめいは、はあと深いため息を吐いた。


 長椅子には、表情は変わらないがどこか機嫌のよさそうな皇子が座っている。部屋の奥の椅子には、どうにか顔に出ないように取り繕っているが、疎まし気に見つめる皇子が座っている。

 その二人の間で、笛をすっと構える。この状況が早く終わるのを祈りながら。


「……やはり、見事なものだな。何度聞いても心地がよい」

「お褒めいただき、ありがとうございます」

漣夜れんやもそう思わないか?」

「……私には、あまり違いが分かりませんね。蒼峻そうしゅん兄上」

「そうか」


 愛想笑いを貼り付けた漣夜に気付かず、蒼峻は卓に差し出されていたお茶を一口こくりと飲んだ。



 桜鳴の笛の音色を気に入った蒼峻は、たまにこうして漣夜の宮まで笛を聞きに来ていた。もちろん事前の約束は取り付けてある。

 できれば断りたいものだが、よほどのことがないと断れないらしい。仕事を口実にしようにも、蒼峻は他の皇子の政務もだいたい把握しているそうだ。優秀すぎるのも考えものだ。



 いい笛を聞いて満足したのか、蒼峻は帰ろうと立ち上がり、扉の方へと歩いていく。

 その背中を見て、桜鳴はまたひとつため息を吐いた。が、蒼峻がくるりと振り返ったことで、背筋が再度ぴんと伸びる。


「今度は、私の宮に茶を飲みに来ないか。桜鳴」

「え、いや、あの……」


 ちらりと目だけで漣夜の方を見ると、断れ、と言いたげだった。可能なら断りたい。桜鳴の脳裏には皇后とのお茶会が思い浮かんだからだ。


 他の皇子とは違い、蒼峻には人を威圧させる迫力がある。それはまるで、皇帝や皇后のよう。こういう人物が皇帝になって民を導くのだろうと思わせるほどだった。

 皇后とのお茶会でひどく気疲れしたから、蒼峻とでも、きっと同じことになるだろう。


「とてもありがたいのですが――」

「私が管轄している地域に鴻運鎮こううんちんという場所があるのだが、そこは他国、特に西方との交易が盛んで、西方の物品が多くある」

「えっと……? そ、そうなんですか……」

「そこで西方の珍しい菓子が手に入ったのだが、桜鳴は甘味は好きだろうか」


 『菓子』という単語に、眉がぴくりと上がる。それも外国の珍しいお菓子ときた。

 桜鳴の脳内で、気疲れと珍しいお菓子が天秤にかけられる。若干お菓子に傾いている程度だったが、すぐに蒼峻がとどめを刺してきた。


「次に手に入るのもいつになるか、二度と食べられないかもしれない。それに、早くしないと腐ってしまうのだが」

「行きます! ぁ」


 おそるおそる見遣ると、漣夜の瞳がこちらをぎろりと睨んできたので、慌てて視線を逸らした。

 この間食べた宇霖うりんの『とっておき』がとても美味しく、もっといろいろなお菓子を食べてみたいという好奇心が胸に生まれていた。珍しいもので、二度と食べられないかもしれないと聞いたら、誘いに応じる以外の選択肢はなくなった。


「それはよかった。では、また後日に」

「あ、……はい」


 先ほどよりも上機嫌になって蒼峻は部屋をあとにした。

 桜鳴の背中には、何を考えているんだ、という視線がグサグサと刺さっていたのは言うまでもない。


 ◇◇◇


 後日、約束した通りに、蒼峻の宮を訪れていた。

 蒼峻の従臣である郭玄峰かくげんほうは、お茶と珍しい西方のお菓子とやらが乗った食器をことり、と卓に置く。見た目はよく食べる月餅のようだった。


(これが、本当に西方のお菓子……?)


 少し疑ったが、真面目が歩いているようなこの皇子が、嘘を吐くとは思えなかった。食い入るようにお菓子を見ていたら、蒼峻が「食べて構わない」と食べるように促してきた。

 それを断るのは恐れ多い。というのは建前で、すぐにでも食べたかったそれを手に取る。

 月餅よりも軽い。香ばしくて、ほのかに甘い香りがする。おそるおそる口に運ぶと、さくっとした食感の後、ほろほろと溶けていく。なめらかで口当たりがいい。少しの塩味のおかげで、甘さがより引き立っている。

 これは。


「――! 美味しい!」

「ふ、それならよかった」

「!」


 わずかに、ほんのわずかにだが、蒼峻が笑みを浮かべた気がした。それに驚いていると、すぐに元の無表情に戻った。

 少しくらい笑ったままでいてもいいのに。そう考えている桜鳴をよそに、蒼峻もそのお菓子を食べる。どうやら口に合ったようで、すぐに胃の中へと入っていった。


「これが、西方のお菓子なんですね」

「ああ。他にも様々なものがある。鴻運鎮は、西方と交易しているからか、街の雰囲気もどこか異国情緒あふれていて、興味深い地域だ」

「へー……」

「またよさそうなものが手に入ったら、こうして誘おう」


 また気疲れしに来なければならないかとは思うものの、そこに美味しいお菓子があるとなれば別だ。しかも食べたことがないものだらけ。あの甘い物好きの宇霖も相当羨ましがる代物ばかりだろう。


「……あ」

「なんだ」

「あ、えっと……あの! 蒼峻様さえよろしければなんですが、宇霖様も誘っていただけませんか? 宇霖様も甘味がとてもお好きなようなので……」


 おずおずと尋ねると、蒼峻の紫紺の瞳が一瞬逸れる。少しの沈黙の後、また桜鳴をじっと見つめる。


「……宇霖の、都合がよければだが」

「え、ええ。もちろんです!」

「書簡を送っておこう」

「書簡……、ありがとうございます」


 謎の間と、目と鼻の先にいるのに、宇霖はまだしも沐陽にすら直接予定を聞かないことに、もやもやとした疑問を抱きながら、蒼峻とのお茶会は幕を閉じた。


 ◇◇◇


「――ってことがあったんですけど」


 執務室に戻り、凌霄りょうしょうにお茶会であった出来事を話した。

 蒼峻が特定の誰かを嫌っているというようなことはないだろう。

 凌霄は答えにくそうな表情をしながら、口を開いた。


「蒼峻様と宇霖様、それに宇樂うがく様は、同じ御母上なんですよ。今の皇后様です」

「え、あ、そうなんですね」

「皇后様は、次期皇帝になるであろう第一皇子の蒼峻様ばかりを気にかけ、宇霖様と宇樂様は他の方に任せきりでした。そのうえ、双子ですので……」

「あー……なるほど」


 要は、宇霖や宇樂たちよりも蒼峻の方が大切なのだ。しかたがないと言えばしかたがないことだ。

 蒼峻としては、同じ母親から産まれた血を分けた兄弟ではあるが、兄弟らしい会話なんてしたことがなく、ほとんど赤の他人のようなものだろう。


「兄上とあの双子は特段仲が悪いわけではない。歳もひとまわりくらい離れてるし、兄上もどう接していいのか分からないんだろう」

「そういうもんなのかぁ……そういえば、漣夜のお母さんは?」


 何気なく聞いたその一言に、隣にいた凌霄がわずかに焦りの表情を見せた。何かまずいことでも言ってしまっただろうか。


 すぐにその理由は分かることになる。


「俺の母上は小さい頃に病気で亡くなられた」


 顔色を一切変えずにそう告げた漣夜に対して、桜鳴は顔が真っ青になる。

 やってしまった。皇后があれだけ健康でいるから、その可能性をまったく考慮していなかった。


「ご、ごめん……」

「あ? 知る機会がなかったんだから、しかたないだろ。別に気にしてない」


 本人が気にしていないと言っても、それで安堵するような人間ではない。故人を思い出す時は、大往生したとしても、懐かしさの奥に必ず悲しみがあるはずだ。


「いや、でも配慮に欠けてた。ごめん」

「……そう何回も謝ってるの、気持ち悪いな」


 前言撤回だ。こういう人間性なのに、どうして毎回学習できないのだろうか。

 漣夜の中に人を思いやる心は存在しているのだろうか。……いや、ない。絶対にない。

 

 この男には、何の配慮もいらない。

 掴みかかろうとしたところを凌霄に必死に止められながら、桜鳴は、そう決意した。

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