第25話 憧憬

 蒼峻そうしゅんは、文武両道、何でもできる優秀な第一皇子だ。誰もが彼を才能がある皇子だと羨み敬った。


 だが、玖雪くせつは知っていた。蒼峻には才能はもちろんあるが、それに慢心することなく常に努力し続けていることを。妥協を一切許さない人だと。

 その高潔さに、気高さに憧れ、自分もそうなりたいと努力した。苦手な武術も、生傷をたくさん作りながら鍛錬に励んだ。蒼峻に認められたい。それだけが頑張れる糧だった。


 寝る間も惜しんで、日々努力を続けた。努力して努力して、ようやく蒼峻に一歩近づいた。

 そう蒼峻に報告した時。


「そうか」


 彼の口からはそれだけが返ってきた。

 すごいな、とか、さすがだな、とか、そんな褒め言葉を言ってほしいわけではなかった。ただ一言、『頑張ったな』とでも言ってほしかった。



 でも、努力することを諦めなかった。いつかは蒼峻に認められるはずだと。そう信じて毎日頑張っていた。


 心が挫けたのは、あの時だった。


「……見事だった」


 一度だって言われたことのない言葉を、蒼峻はそう何度も顔を合わせていない奏祓師に放った。


 彼女に対して悪意はない。彼女の音色の表現力が優れているのは理解しているから。

 ただ、努力が無駄だったんだと思わされた。蒼峻が惹かれるのは、やはり天賦の才なのだと。



 それでも、蒼峻の奏祓師は自分だけ。自分だけが、彼をいい皇帝にさせられる。


 それだけが玖雪の救いだった。


 ◇◇◇


「玖雪」

「あ……華月かげつ、様……」

「おかあさまが呼んでる。早くして」

「も、申し訳ございません……」

「はぁ……なんで、あたしがこんなことしなくちゃいけないの……」


 玖雪に『華月』と呼ばれた女性は大きな溜め息をついて、玖雪をぎろりと睨む。きつく吊り上がった目に、玖雪はさらに萎縮する。両親譲りの綺麗な顔立ちをしているが、それ故に、怒りの感情を孕んだ時はより恐ろしく見えてしまう。


 玖雪は華月の後をついていき、豪奢な建物の中へと入っていく。部屋の中では、一人の女性が円卓に座って待ち構えていた。


「おかあさま、玖雪を連れて来ましたわ」

「ありがとう、華月」

「では、あたしはこれで」


 華月はそれだけ述べた後、部屋から出て行った。女性の視線が玖雪へと移る。玖雪は女性と目を合わせることができなかった。


「どうぞ、座って?」

「で、ですがっ」

「いつも言っているでしょう?」


 私たちは同志だと、と女性は付け加え、玖雪に着席を促す。それに従い、おそるおそる女性の対面に座る。


 円卓の上には、普段食べることのない豪勢な食事と、おそらく高価な酒が並べてあった。

 玖雪は、自分のためのものでないとは分かっていながらも、無意識に喉をごくりと鳴らしていた。


「貴方のために用意させたものよ。食べてちょうだい」

「え、……ぼ、僕なんかのために、このような豪華なものは……」

「日々の働きに対しての礼だから、受け取ってもらわないと困るわ」


 そこまで言われたら無下にすることもできず、玖雪はおずおずと自分の皿に取り分ける。女性が酒瓶を持ち、玖雪の杯に注ごうと腕を伸ばす。慌てて杯を持ち上げる。恐れ多さに杯を持つ手が震えていた。


「あ、ありがとう、ございます……」

「ふふ、そう固くならなくてもいいのよ」


 目を細める女性に見られながら食べ物を口に運ぶ。監視されているようで、味がまったくしなかった。

 流し込むように酒をぐびっと飲むと、女性はこの部屋に呼んだ本題を話し始めた。


「いつも本当に感謝しているわ。奏祓師としてよく頑張っているわね」

「っ! そ、それが、僕の仕事、なので……」


 玖雪は一瞬揺らいだ。自分の努力を見ていてくれた人がいたのだと。


 だがすぐに、これはお世辞だと、そう思った。思いたかった。

 ずっと蒼峻に、誰かに、認められたかった玖雪の空虚な心は、女性の一言でわずかに満たされてしまった。


 一度その甘美な気持ちを知ったら、また欲しくなる。人間とはそういうものだ。


「貴方の努力は仕える主のため……そうでしょう?」

「、は、はいっ。蒼峻様を――」

「皇帝にするため、かしら」


 女性は口元を大きな扇で覆い隠した。


「その通りで、ございます。蒼峻様ほど、次期皇帝にふさわしい御方など、いません……っ!」

「ふふ、そうね。そうなるためにも、貴方の力を貸してほしいの」

「もちろんですっ! 僕は、奏祓師として、尽力いたします!」


 玖雪は俯いていた顔を上げ、やる気に満ち溢れた瞳で女性を見る。女性は笑みを浮かべた。


「貴方には、他の皇子を呪ってほしいの」

「……え?」

「そうすれば、次期皇帝に選ばれる。そう思わないかしら?」

「ですが……」


 奏祓師には悪鬼を祓う力と同時に、悪鬼を操る力もある。

 その力のおかげで、蔡家は勢力を拡大させていったとも言われている。玖雪もやったことはないが、できないことではない。力の使い方はそう変わらないと、何かの書物で読んだ記憶がある。

 だが、それを同族に向けて使うことは禁忌とされているとも書かれてあった。呪いで蔡家が滅びかけたからだと。


 玖雪は女性の言葉に目を泳がせる。女性は微塵も笑みを崩さず、円卓に身を乗り出し、玖雪の両手をぎゅっと握った。


「貴方の努力が報われてほしいの。これだけ頑張っているんだもの、それが実にならなくてはいけないと、そう思うわ」

「……」


 玖雪の焦点が再度女性に合う。


 努力は報われるべき。そうだ。そうに違いない。奏祓師としての『力』を使えば、この方に褒めてもらえる。


 それに、きっと蒼峻にも――。



 玖雪は「やります」と威勢よく答えた。




 蒼峻の奏祓師は自分だ。

 自分だけが、彼をいい皇帝にさせられる。

 ――自分だけが、他の皇子を皇位継承権の争いの座から降ろすことができる。



 それだけが玖雪の救いであり、誇りになった。

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